写真の物理学 ㊴ アナモルフィックレンズの光学

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写真の物理学シリーズ ㊴
このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。

映画のスクリーンを水平に横切る光のストリーク、楕円形に滲むボケ、被写体を包み込む没入感。これらはすべて、水平と垂直で異なる屈折力を持つアナモルフィックレンズがもたらす描写だ。本稿では、シリンドリカルレンズの屈折からスクイーズ比の幾何学、楕円ボケや水平フレアの物理的起源までを順に解き明かす。

アナモルフィックレンズの歴史的背景

映画産業が直面した「画面比率」の問題

アナモルフィックレンズの起源を理解するには、まず映画フィルムの物理的制約を知る必要がある。

35mmフィルムの1コマ(フレーム)は、サウンドトラック領域とパーフォレーション(送り穴)を除くと、撮影に使える面積が限られている。標準的なアカデミー比(Academy ratio)は約1.375:1で、横にわずかに長い程度の、ほぼ正方形に近いフレームだった。

1950年代初頭、テレビの普及によって映画館の観客動員数が激減した。映画産業は、家庭のテレビでは体験できない「ワイドスクリーン」を武器にする必要に迫られた。しかし、ワイドスクリーンを実現する方法には本質的なトレードオフがある。

方法1:フレームの上下をマスクする(マットによるクロップ)。 既存の機材をそのまま使えるが、フィルム面積の一部を捨てることになり、解像度と感度が犠牲になる。1.85:1のフラットワイドスクリーンはこの方式で、現在も広く使われている。

方法2:フィルム幅を広げる。 70mmフィルムはこの発想で、圧倒的な解像度を持つが、カメラ・映写機・フィルムのすべてが専用規格となり、コストが跳ね上がる。

方法3:光学的に圧縮して撮影し、投影時に展開する。 フィルム面積を100%使いながらワイドスクリーンを実現できる。これがアナモルフィック方式である。

アンリ・クレティアンとシネマスコープ

アナモルフィック光学の原理を最初に実用化したのは、フランスの天文学者・光学技術者アンリ・クレティアン(Henri Chrétien)である。第一次世界大戦中、シリンドリカルレンズを用いたアナモルフィック光学系は戦車のペリスコープに応用され、水平方向の視野を広げる技術として実績を得ていた。クレティアンはこの原理を映画に転用し、1920年代に撮影・映写用のアナモルフィックレンズ「Hypergonar」を開発・特許取得した。

しかし、当時の映画産業はこの技術に関心を示さなかった。転機は1952年、テレビとの競争に危機感を抱いた20世紀フォックスがクレティアンのアナモルフィック技術に着目したことで訪れた。クレティアンの1926年の特許はすでに失効していたが、フォックスは現存するHypergonarレンズを買い取り、クレティアン本人の協力を得て開発を進めた。

1953年、20世紀フォックスは「シネマスコープ(CinemaScope)」の名でアナモルフィック方式を商業化し、第1作『聖衣(The Robe)』を公開した。35mmフィルムに2倍のスクイーズ(水平圧縮)をかけて撮影し、映写時に2倍に展開する方式である。フィルムの無音声アパーチャ(フルゲート)を使えば理論上2.66:1のアスペクト比が可能であったが、4トラック磁気サウンドトラックをフィルム上に直接収録する方式が採用されたため、商業上映における初期標準は2.55:1であった。さらに1957年には、磁気と光学の両サウンドトラックを併用する方式への移行により、フレームがもう一段縮小し2.35:1となった。観客は家庭のテレビでは味わえない没入感に圧倒され、シネマスコープは瞬く間に業界標準のひとつとなった。

「同じフィルムで、より広く」という光学的発明

アナモルフィック方式の本質は、フィルムという有限の記録媒体の利用効率を最大化する光学的な工夫にある。35mmフィルムの既存インフラ(カメラボディ、映写機、現像所)をそのまま活用しながら、光学アタッチメントの追加だけでワイドスクリーンを実現できたことが、この方式の普及を決定づけた。

70mm方式(Todd-AO、IMAX等)が「物理的にフィルムを大きくする」力業だとすれば、アナモルフィック方式は「光学で情報密度を変換する」知的な解法である。この設計思想は、デジタル時代の現在にも引き継がれている。

シリンドリカルレンズの光学

点像ではなく線像を結ぶレンズ

アナモルフィック光学系の核心は、シリンドリカル(円柱)レンズにある。通常の球面レンズが光を1点に集束するのに対し、シリンドリカルレンズは1つの軸方向にのみ屈折力を持ち、直交する軸方向には屈折力を持たない。

球面レンズの表面は球の一部であり、どの方向から入射する光線にも同じ曲率を与える。一方、シリンドリカルレンズの表面は円柱(シリンダー)の一部であり、円柱の軸に平行な断面では曲率がゼロ、軸に垂直な断面では一定の曲率を持つ。

この異方性が、アナモルフィック光学のすべての特性の根源である。

数学的な記述

座標系を設定しよう。光軸を $z$ 軸、シリンドリカルレンズの母線(屈折力を持たない方向)を $y$ 軸、屈折力を持つ方向を $x$ 軸とする。

球面薄肉レンズの結像公式は、光の直進と薄肉レンズの結像で導いたように、

$$ \frac{1}{v} - \frac{1}{u} = \frac{1}{f} $$

であった($u$ は物体距離、$v$ は像距離、$f$ は焦点距離。符号規約は光の進行方向を正とする)。この公式はレンズの全方位に等しく適用される。

シリンドリカルレンズでは、$x$ 方向と $y$ 方向で別々の結像公式が成り立つ。

$x$ 方向(屈折力あり):

$$ \frac{1}{v_x} - \frac{1}{u} = \frac{1}{f_x} $$

$y$ 方向(屈折力なし):

$$ f_y = \infty \quad \Rightarrow \quad v_y = u $$

$y$ 方向には屈折力がないため、$y$ 方向の光線はレンズを素通りする。結果として、点光源からの光は $x$ 方向にのみ集束し、$y$ 方向には集束しない。像面には「点」ではなく、$y$ 軸に平行な「線」が形成される。これがシリンドリカルレンズの線像(line focus)である。

2枚のシリンドリカルレンズによるアナモルフィック系

1枚のシリンドリカルレンズだけでは点像を結べないため、撮影用光学系としては使えない。アナモルフィックレンズは、2枚(またはそれ以上)のシリンドリカルレンズを組み合わせたアフォーカル(無焦点)シリンドリカルアタッチメントとして構成される。

アフォーカル系とは、合成焦点距離が無限大の光学系、つまり平行光線を入射すると平行光線が射出される系のことである。ガリレオ式望遠鏡を逆向きに用いた縮小光学系と同じ原理だが、シリンドリカルレンズを使うことで1軸方向にのみ角倍率を与える。

具体的には、被写体側に負のシリンドリカルレンズ(焦点距離 $f_1 < 0$)、スフェリカルレンズ側に正のシリンドリカルレンズ(焦点距離 $f_2 > 0$)を配置し、両者の焦点が一致するように構成する。アフォーカル条件は

$$ d = f_1 + f_2 = f_2 - |f_1| $$

であり、この系の角倍率は

$$ M = -\frac{f_1}{f_2} = \frac{|f_1|}{f_2} $$

となる。$|f_1| < f_2$ のとき $M < 1$ となり、$x$ 方向に入射する光線の角度がアフォーカル系によって縮小される。これにより、スフェリカルレンズ単体よりも広い水平画角がセンサー幅に圧縮して記録される(スクイーズ)。スクイーズ比は $S = 1/M = f_2/|f_1|$ で与えられる。

このシリンドリカルアフォーカル系を、通常の球面撮影レンズ(スフェリカルレンズ)の前面または後面に装着する。球面レンズは全方向に等しく結像するので、$y$ 方向はスフェリカルレンズのみによって結像される。$x$ 方向は、シリンドリカル系の角倍率を受けた上でスフェリカルレンズによって結像される。結果として、$x$ 方向と $y$ 方向で異なる実効焦点距離を持つ光学系が構成される。

スクイーズ比の定義と幾何学

スクイーズ比とは何か

スクイーズ比(squeeze ratio)$S$ は、アナモルフィック光学系が水平方向の像をどれだけ圧縮するかを表す量である。

$$ S = \frac{\text{被写体の水平方向の角度幅}}{\text{フィルム上の水平方向の像の角度幅に対応する実際の角度幅}} $$

より直感的に言えば、スクイーズ比 $S = 2$ のアナモルフィックレンズは、被写体の水平方向の情報を半分の幅に圧縮してフィルムに記録する。垂直方向は圧縮されない。

代表的なスクイーズ比

$S = 2\times$(2倍スクイーズ): シネマスコープ以来の古典的な規格。35mmフィルムではアカデミーフレーム(1.375:1)とは異なるアナモルフィック専用の撮影アパーチャを用い、2倍スクイーズによってワイドスクリーンを実現した。フィルムのフルゲートでは理論上2.66:1が可能であったが、4トラック磁気サウンドトラックの収録により商業上映では当初2.55:1で標準化された。1957年の光学サウンドトラック併用方式への移行により2.35:1へと縮小した。1970年のSMPTE改定により、現行の標準は2.39:1である。

$S = 1.33\times$(1.33倍スクイーズ): デジタルシネマ時代に登場した現代的な規格。16:9(1.78:1)のセンサーに1.33倍スクイーズをかけると $1.78 \times 1.33 \approx 2.37:1$ となり、2.39:1にほぼ一致する。2倍スクイーズに比べて光学設計が容易で、アナモルフィック特有の描写(楕円ボケ、フレア)はやや穏やかになる。

$S = 1.5\times$$S = 1.8\times$ など: 中間的なスクイーズ比も存在し、メーカーや用途によって選択される。

アスペクト比の計算

一般に、センサー(またはフィルム)のネイティブアスペクト比が $A_{\text{native}}$ のとき、スクイーズ比 $S$ のアナモルフィックレンズで撮影し、デスクイーズ後に得られるアスペクト比は

$$ A_{\text{final}} = S \times A_{\text{native}} $$

となる。この関係は単純な比例だが、フィルム面積を100%活用しながら任意のワイドアスペクト比を得られるという、アナモルフィック方式の核心的な利点を数式で表現している。

画角への影響

スクイーズ比 $S$ のアナモルフィックレンズを、焦点距離 $f$ のスフェリカルレンズに装着した場合を考える。

焦点距離と画角を幾何学で導くで導出した通り、垂直方向の画角 $\theta_v$ はスフェリカルレンズ単体と同じである。

$$ \theta_v = 2\arctan\!\left(\frac{h}{2f}\right) $$

ここで $h$ はセンサーの垂直方向のサイズである。

水平方向の画角 $\theta_h$ は、スクイーズによって拡大される。センサーの水平サイズを $w$ とすると、

$$ \theta_h = 2\arctan\!\left(\frac{S \cdot w}{2f}\right) $$

となる。つまり、50mmのスフェリカルレンズに2倍スクイーズのアナモルフィックアタッチメントを装着すると、水平方向は25mm相当の画角を持ちながら、垂直方向は50mmのままとなる。この「水平と垂直で異なる焦点距離」が、アナモルフィック映像のパースペクティブの特異性を生む。パースペクティブは撮影距離だけで決まるで証明した通り、遠近感そのものは撮影距離の関数だが、アナモルフィックでは水平と垂直で画角の配分が異なるため、同一の遠近構造が独特の空間感覚として知覚される。

デスクイーズの光学と数学

光学的デスクイーズ(フィルム時代)

フィルム時代のアナモルフィック上映では、映写機にもアナモルフィックレンズを装着し、撮影時とは逆方向のスクイーズ(つまり水平方向の拡大)を光学的に行った。撮影レンズがスクイーズ比 $S$ で圧縮した像を、映写レンズが倍率 $S$ で水平方向に拡大する。

この光学的デスクイーズは原理的に完全な逆変換であり、アーティファクトを生じない。ただし、映写レンズの光学品質が低いと、水平方向の解像度劣化やフリンジ(色収差)が発生する。

デジタルデスクイーズ

デジタル時代には、撮影されたスクイーズ画像をソフトウェアで水平方向に引き伸ばす。数学的には、画像の座標変換として記述される。

スクイーズ画像上の画素座標を $(x_s, y_s)$、デスクイーズ後の座標を $(x_d, y_d)$ とすると、

$$ x_d = S \cdot x_s, \quad y_d = y_s $$

である。スクイーズ画像の解像度が $W \times H$ のとき、デスクイーズ後の画像は $S \cdot W \times H$ となる。

この変換は水平方向のリサンプリングを伴うため、補間アルゴリズム(バイリニア、バイキュービック、ランチョス等)の選択が水平方向の解像度に影響する。ただし、スクイーズ画像にはもともと $S$ 倍の水平情報が圧縮されているため、デスクイーズによって情報が失われるわけではない。スクイーズ画像の1画素には、デスクイーズ後の $S$ 画素分の水平情報が畳み込まれている。

リアルタイムデスクイーズとモニタリング

現場でのモニタリングでは、カメラ内部またはモニター側でリアルタイムにデスクイーズ表示を行う。これは撮影中に正しいフレーミングと構図を確認するために不可欠である。多くのシネマカメラは、1.33倍および2倍のデスクイーズ表示モードをファームウェアに内蔵している。

アナモルフィック特有のボケ

楕円ボケが生じる物理的メカニズム

アナモルフィックレンズの最も視覚的に特徴的な描写が、楕円形(オーバル)のボケである。ボケの円を関数で記述するで導出したボケ円径の厳密式はスフェリカルレンズの等方的な結像を前提としているが、アナモルフィック光学ではこれにスクイーズ比の距離依存性が加わる。

アナモルフィックレンズの公称スクイーズ比(例えば2倍)は、無限遠にフォーカスしたときの値である。シリンドリカルアフォーカルアタッチメントのスクイーズ比は、被写体距離によって変化する。これは、アフォーカル系を構成する2枚のシリンドリカルレンズの間隔が有限であるため、近距離の被写体ほどアフォーカル条件からのずれが大きくなることに起因する。

ピント面の被写体に対しては、レンズ全体が正しく設計されたスクイーズ比で結像する。しかし、ピント面から外れた(ボケた)被写体は、ピント面とは異なるスクイーズ比で圧縮されている。

デスクイーズは、ピント面のスクイーズ比に合わせて行われる。したがって、ボケた領域はデスクイーズ後に残留する圧縮の非対称性を持ち、円形ではなく楕円形のボケとなる。

具体的には、多くのアナモルフィックレンズでは近距離ほどスクイーズ比が小さくなる傾向がある。ピント面より手前のボケ(前ボケ)と奥のボケ(後ボケ)では楕円の方向や扁平率が異なることがあり、これがアナモルフィック映像の奥行き感に独特の立体感を与える。

フロントアナモルフィックとボケの関係

フロントアナモルフィック(シリンドリカル群がレンズ前面に配置される設計)では、シリンドリカル群と絞りの距離が大きいため、スクイーズ比の距離依存性が顕著になる。結果として、楕円ボケはより強く、より特徴的になる。

リアアナモルフィック(シリンドリカル群が絞りとセンサーの間に配置される設計)では、シリンドリカル群が像面に近いため、スクイーズ比の距離依存性が小さく、ボケは円形に近づく。この差異については後述する。

スフェリカルレンズとの比較

センサーサイズとボケの統一的理解で論じたように、ボケの大きさは有効口径と被写体距離の関数である。アナモルフィックレンズでは、水平方向と垂直方向の有効口径が異なるため、ボケの形状そのものが異方的になる。この点がスフェリカルレンズとの根本的な違いである。

水平フレアとストリーク

アナモルフィックフレアの物理的起源

アナモルフィック映像のもうひとつの象徴的な視覚効果が、強い光源から水平方向に伸びる線状のフレア(ストリーク)である。J.J.エイブラムスの映画で多用されたことで広く知られるようになったが、この現象には明確な物理的メカニズムがある。

フレアの主な原因は、シリンドリカルレンズ表面でのフレネル反射である。

通常のスフェリカルレンズでも、レンズ面での反射によるフレアやゴーストは発生する。しかし、スフェリカルレンズの場合、反射光は入射点を中心に放射状に広がるため、フレアは比較的均一な円形やハロー(暈)として現れる。

シリンドリカルレンズでは、レンズ面の曲率が1軸方向にのみ存在する。曲率を持つ断面では反射光がレンズ面の集束・発散作用を受け、曲率を持たない断面では反射光が平面鏡と同様の振る舞いをする。この異方的な反射特性により、シリンドリカル面でのフレネル反射光は等方的に散乱せず、水平方向に細長く引き伸ばされた線状の反射像を形成する。

これが水平ストリークの正体である。点光源からの光がシリンドリカルレンズ面でフレネル反射し、シリンドリカル面の異方性によって一次元的な線状フレアとなる。

青いフレアの起源

アナモルフィックフレアは青みを帯びることが多い。これはレンズのマルチコーティング(反射防止膜)の分光特性に由来する。

マルチコーティングは特定の波長帯の反射を最小化するように設計される。通常、可視光の中心波長帯(緑〜黄)の反射を最も強く抑制する設計が多い。結果として、コーティングで抑制しきれない残留反射は、短波長側(青)や長波長側(赤)に偏る。青い反射が多いのは、このコーティング設計の帰結である。

現代のアナモルフィックレンズでは、フレアの色味を意図的にコントロールする設計も行われている。コーティングの波長特性を調整することで、アンバー(琥珀色)、ゴールド、クール・ブルーなど、レンズごとに異なるフレア色を演出している。

スフェリカルレンズとの差異

スフェリカルレンズでもフレアは発生するが、レンズ面の曲率が全方向に均一であるため、反射光は放射状に広がり、線状のストリークにはならない。アナモルフィックレンズの水平ストリークは、シリンドリカルレンズ面の異方的な曲率に固有の現象である。

ブリージング

呼吸効果とは

ブリージング(breathing、呼吸効果)とは、フォーカシング(ピント合わせ)に伴って画角が変化する現象である。フォーカスを合わせ直すと画面の「広さ」が微妙に変わり、映像が呼吸しているように見えることからこの名がある。

ブリージングはスフェリカルレンズでも発生するが、アナモルフィックレンズではより顕著に現れることが多い。その理由は二重の機構にある。

第一の機構:スフェリカル群のブリージング

アナモルフィックレンズのスフェリカル(球面)群は、通常のスフェリカルレンズと同様に、フォーカシング時にレンズ群を移動させる。この移動に伴い、スフェリカル群の実効焦点距離がわずかに変化し、画角が変わる。これはスフェリカルレンズのブリージングと同じメカニズムである。

第二の機構:スクイーズ比の変化

前述のように、アナモルフィック系のスクイーズ比は被写体距離に依存する。フォーカシングによって合焦距離が変わると、水平方向のスクイーズ比も変化する。デスクイーズはつねに公称スクイーズ比(例えば2倍)で行われるため、実効的な水平画角がフォーカス位置によって変動する。

この二重の機構により、アナモルフィックレンズでは水平方向と垂直方向でブリージングの量が異なることがある。垂直方向はスフェリカル群のブリージングのみ、水平方向はスフェリカル群のブリージングに加えてスクイーズ比の変動が重畳する。

映像制作における意味

動画撮影では、フォーカス送り(ラックフォーカス)を頻繁に行う。ブリージングが大きいと、フォーカスを送るたびに画面の広さが変わり、視聴者に不自然な印象を与える。このため、高品質なシネマレンズはブリージングを最小化する設計がなされる。

一方で、ヴィンテージアナモルフィックレンズ独特のブリージングを「味」として積極的に活用する映像制作者もいる。光学設計の「不完全さ」が映像に有機的な揺らぎを与え、デジタル映像の硬質さを和らげる効果がある。

解像度の非対称性

水平と垂直で異なる解像度

スクイーズ撮影では、水平方向と垂直方向で実効的な解像度が異なる。この非対称性の物理的起源を整理する。

フィルム時代の解像度構造

フィルムの解像力は等方的である。フィルムの粒子構造は方向に依存しないため、フィルム面上の解像度は水平も垂直も同じ $R$(本/mm)である。

しかし、アナモルフィックレンズで撮影されたフィルム上の像は、水平方向に $S$ 倍圧縮されている。デスクイーズ後の解像度を考えると、

垂直方向の解像度:$R_v = R$(フィルムの解像度そのまま)

水平方向の解像度:$R_h = R / S$(デスクイーズで $S$ 倍に引き伸ばすため)

つまり、$S = 2$ のアナモルフィックでは、水平方向の解像度は垂直方向の半分になる。ただし、これは「同じフレームサイズのフラットワイドスクリーン」と比較した場合の話であり、同じアスペクト比をクロップで得た場合よりもアナモルフィックの方が水平解像度が高い(フィルム面積を100%使っているため)。

デジタル時代の解像度構造

デジタルセンサーの画素は格子状に配列されている。センサーの画素数が $W \times H$ のとき、スクイーズ画像の画素数も $W \times H$ である。

デスクイーズ後の画像は $S \cdot W \times H$ 画素に引き伸ばされる。水平方向の画素は補間で生成されるため、水平方向の実効解像度は $W$ 画素分の情報しか含まない。

ただし、アナモルフィックで撮影された $W$ 画素には $S \cdot W$ 画素分の水平画角の情報が圧縮されている。同じ画角をスフェリカルレンズ+クロップで撮影した場合、水平方向に使える画素は $W$ 未満(クロップで切り捨てた分だけ減少)である。したがって、アナモルフィック方式は同じアスペクト比を得る他の方法と比較して、常にフィルム面/センサー面の利用効率で優位に立つ。

レンズ自体の解像力

アナモルフィックレンズは、シリンドリカル要素を含むため光学設計の自由度がスフェリカルレンズより制約される。歴史的に、アナモルフィックレンズはスフェリカルレンズに比べて解像力(MTF)が低い傾向があった。特に水平方向の解像力は、シリンドリカル要素の収差(特に非点収差)の影響を受けやすい。

現代のアナモルフィックレンズでは、非球面シリンドリカル要素や高度なコンピュータ設計により、MTFの水平/垂直差は大幅に改善されている。

フロントアナモルフィック vs リアアナモルフィック

設計の違い

アナモルフィックレンズは、シリンドリカル群の配置によって大きく2つの設計に分類される。

フロントアナモルフィック: シリンドリカル群がレンズの前面(被写体側)に配置される。光はまずシリンドリカル群を通過し、スクイーズされた状態でスフェリカル群に入射する。

リアアナモルフィック: シリンドリカル群がレンズの後部(センサー/フィルム側)に配置される。光はまずスフェリカル群で結像されかけた状態でシリンドリカル群に入射し、最終的にスクイーズされた像がセンサーに到達する。

光学的特性の違い

この配置の違いは、アナモルフィックレンズのすべての特性に影響する。

ボケの形状: フロントアナモルフィックでは、シリンドリカル群と絞りの距離が大きいため、絞り開放時のボケに対するスクイーズ比の距離依存性が顕著に現れる。結果として、楕円ボケが強く特徴的になる。リアアナモルフィックでは、シリンドリカル群が絞りに近い(または絞りの後ろ)ため、ボケに対するスクイーズ比の変動が小さく、ボケは円形に近づく。

フレアとストリーク: フロントアナモルフィックでは、シリンドリカル面が前面にあるため、外光がシリンドリカル面で直接反射してストリークを生じやすい。リアアナモルフィックでは、シリンドリカル面がレンズ内部にあり、前面のスフェリカル群で光が集束された後にシリンドリカル面に到達するため、ストリークはやや控えめになる。

ブリージング: リアアナモルフィックは、フォーカシングをスフェリカル群のみで行う設計が可能であり、シリンドリカル群が固定されるためスクイーズ比の変動が小さく、ブリージングを抑制しやすい。フロントアナモルフィックでは、フォーカシングに伴ってシリンドリカル群と被写体の距離関係が変化するため、ブリージングが大きくなる傾向がある。

サイズと重量: フロントアナモルフィックでは、大きな前玉径のシリンドリカル要素が必要であり、レンズが大型化・重量化する傾向がある。リアアナモルフィックでは、シリンドリカル要素が小さくて済むため、コンパクトな設計が可能である。

選択の指針

フロントアナモルフィックは、アナモルフィックらしい描写(強い楕円ボケ、派手なストリーク、有機的なブリージング)を重視する場合に選ばれる。ヴィンテージアナモルフィックの多くはフロントアナモルフィックである。

リアアナモルフィックは、光学的な正確さと現代的なクリーンな描写を重視する場合に選ばれる。ブリージングが小さく、ボケが整った円形に近いため、スフェリカルレンズからの移行が容易である。

スフェリカルレンズとの比較

同じ画角で異なる被写界深度

アナモルフィックレンズの映像がスフェリカルレンズと根本的に異なる理由を、光学的に整理する。

スフェリカルレンズで2.39:1のアスペクト比を得るには、16:9センサーの上下をクロップする。クロップによりセンサーの垂直方向の有効サイズが縮小する。

アナモルフィックレンズでは、センサー全面を使って2.39:1を得る。クロップは不要である。

ここで重要なのは、同じ水平画角を得るために必要な焦点距離が異なることである。

スフェリカルレンズで2.39:1クロップ撮影する場合、水平画角はセンサー全幅で決まるため、焦点距離は水平画角のみに依存する。

アナモルフィック($S = 2$)で同じ水平画角を得るには、スフェリカル換算で2倍の焦点距離のレンズが必要になる(スクイーズが水平画角を2倍に広げるため)。

被写界深度の厳密な導出で示したように、被写界深度は焦点距離の2乗に反比例する。同じ水平画角でも、アナモルフィックの方がスフェリカル群の焦点距離が長いため、被写界深度が浅くなる。

さらに、アナモルフィックではセンサーの垂直方向を全面使用するため、垂直方向のイメージサークルが大きい。絞りと有効口径の物理的意味で論じた通り、ボケの大きさは有効口径に比例するが、アナモルフィックではこの有効口径が水平と垂直で非対称であるため、独特の立体感が生まれる。

まとめ:アナモルフィックの光学的優位性

同じ最終アスペクト比、同じ水平画角、同じ絞り値で比較した場合、アナモルフィックレンズは以下の光学的優位性を持つ。

  1. センサー面積の完全利用: クロップによる画素の無駄がない
  2. 浅い被写界深度: スフェリカル群の焦点距離が長いため
  3. 大きなボケ量: 上記の焦点距離の差に加え、垂直方向のセンサー利用サイズが大きいため
  4. 独特のボケ形状: 楕円形のボケによる異方的な空間表現

これらの特性が組み合わさって、アナモルフィック映像特有の「被写体が空間から浮き上がる」ような立体的な分離感を生み出している。

デジタル時代のアナモルフィック

4:3センサーとアナモルフィック

デジタルシネマの初期、多くのセンサーは16:9(1.78:1)のアスペクト比を持っていた。16:9センサーで2倍スクイーズのアナモルフィックを使うと、デスクイーズ後のアスペクト比は $1.78 \times 2 = 3.56:1$ となり、映画の標準的な2.39:1を大きく超えてしまう。

この問題を解決するために、4:3(1.33:1)に近いセンサーやオープンゲートモードが注目されるようになった。4:3センサーで2倍スクイーズを使うと $1.33 \times 2 = 2.66:1$ となり、上下を微調整して2.39:1に仕上げられる。センサーサイズと換算焦点距離の正体で論じたように、センサー面積の利用効率はノイズ性能と直結するため、センサーの縦方向を最大限に活用できるこの組み合わせは解像度と感度の両面で有利である。

ARRI ALEXA Miniの4:3センサーモードや、RED DSMCシリーズの各種センサーモードは、アナモルフィック撮影を前提とした設計を含んでいる。

1.33倍スクイーズの台頭

16:9センサーが主流となったデジタルシネマにおいて、1.33倍スクイーズのアナモルフィックレンズが急速に普及した。前述のように、$1.78 \times 1.33 \approx 2.37:1$ で、2.39:1にほぼ一致する。

1.33倍スクイーズは光学設計上の負担が小さく、以下の利点がある。

  • 水平/垂直の解像度差が小さい(2倍スクイーズでは水平解像度が半分になるが、1.33倍では約75%に留まる)
  • ブリージングを抑制しやすい
  • レンズのサイズ・重量を抑えられる

一方で、アナモルフィックらしい楕円ボケやストリークは2倍スクイーズに比べて控えめになる。これは光学的なトレードオフであり、制作者の意図によって使い分けられる。

ソフトウェアデスクイーズの数学(再訪)

デジタルワークフローでは、RAWまたはログ収録されたスクイーズ画像を、ポストプロダクションでデスクイーズする。NLE(ノンリニア編集)ソフトウェアでは、水平方向のスケーリングファクターとしてスクイーズ比を設定する。

座標変換を行列で表現すると、

$$ \begin{pmatrix} x_d \\ y_d \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} S & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} x_s \\ y_s \end{pmatrix} $$

この変換は非等方スケーリング(anisotropic scaling)であり、アフィン変換の特殊な場合である。逆変換は

$$ \begin{pmatrix} x_s \\ y_s \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 1/S & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} x_d \\ y_d \end{pmatrix} $$

であり、各デスクイーズ後の画素 $(x_d, y_d)$ に対応するスクイーズ画像上の位置 $(x_s, y_s)$ を求め、その位置の画素値を補間で算出する。

アナモルフィックアダプター

既存のスフェリカルレンズの前面に装着するアナモルフィックアダプター(SLR Magic Anamorphot、Moment Anamorphic Lens等)は、クレティアンのHypergonarの現代版である。シリンドリカルアフォーカル系の原理そのものであり、安価にアナモルフィック描写を得る手段として、インディーフィルムメーカーやコンテンツクリエイターに普及している。

ただし、アダプターはスフェリカルレンズとの光学的マッチング(バックフォーカス、イメージサークル、収差バランス)が設計段階で最適化されていないため、専用設計のアナモルフィックレンズに比べて画質面で妥協がある。特に周辺部の解像力低下、マスタッシュ歪曲(mustache distortion、中央と周辺で歪曲方向が反転する複雑な歪曲収差)、色収差が発生しやすい。

まとめ

アナモルフィックレンズの光学を、本稿で扱った要素について総括する。

  1. 歴史的必然: 35mmフィルムの物理的制約とテレビとの競争が、光学的に画角を圧縮・展開するアナモルフィック方式を生んだ。
  2. シリンドリカルレンズの異方性: 1軸方向にのみ屈折力を持つシリンドリカルレンズが、アナモルフィック光学のすべての特性の根源である。
  3. アフォーカルアタッチメント: 2枚のシリンドリカルレンズによる無焦点系が、スフェリカルレンズに角倍率を付与する。
  4. スクイーズ比の幾何学: $A_{\text{final}} = S \times A_{\text{native}}$ という単純な関係がフィルム面積の完全活用を保証する。
  5. 楕円ボケの物理: スクイーズ比の距離依存性がデスクイーズ後の残留非対称性を生み、楕円形のボケとなる。
  6. 水平ストリークの物理: シリンドリカル面のフレネル反射が、曲率のない軸に沿って線状に広がる。
  7. ブリージングの二重機構: スフェリカル群の焦点距離変化とスクイーズ比の変動が重畳する。
  8. 解像度の非対称性: 水平方向にスクイーズ比の逆数だけ解像度が低下するが、センサー面積の完全利用が補償する。
  9. フロント vs リア: シリンドリカル群の位置が、ボケ形状・フレア強度・ブリージング量を決定する。
  10. スフェリカルレンズとの比較: 同じ画角でより浅い被写界深度と異方的なボケを実現するのが、アナモルフィックの光学的本質である。

アナモルフィックレンズは、シリンドリカルレンズという「不完全」な光学素子を意図的に導入することで、等方的な光学系では不可能な映像表現を生み出す。その物理は、レンズ設計者が「収差」や「歪み」と呼んで排除してきたものを、創造的に活用する逆転の発想に基づいている。

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写真の物理学 ⑯ 収差の物理学

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写真の物理学 ㉞ RAW現像の信号処理

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📐写真の物理学シリーズ ⑲ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 ストロボの光はどこまで届くのか。この問いに定量的に答えるのが逆二乗則であり、その法則を撮影現場で即座に使える形に圧縮した指標がガイドナンバーである。本稿では逆二乗則の幾何学的導出から出発し、ガイドナンバーの数学的構造、ISO感度との関係、そして配光制御や複数灯合成まで、ストロボ撮影の背後にある物理を一貫して導出する。 逆二乗則の幾何学的導出 点光源から放射される光の全光束を $\Phi$ とする。この光は真空中では等方的に広がり、距離 $d$ の位置では半径 $d$ の球面上に一様に分布する。球の表面積は $4\pi d^2$ であるから、単位面積あたりの照度 $E$ は $$ E = \frac{\Phi}{4\pi d^2} $$ となる。ここから直ちに $E \propto 1/d^2$ が導かれる。これが逆二乗則である。

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