名探偵たちの部屋

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

ミステリの主人公である探偵たちはどこに住み、どのような空間で事件に向き合っているのか。一見些末なディテールに思えるかもしれないが、探偵の居住空間はそのキャラクターの本質を映す鏡であり、ひいてはミステリというジャンルの変遷をも映し出している。本稿では思索派から行動派、男性から女性へと探偵像が変化するなかで、その住まいがどのように描かれてきたかを辿る。

二つのタイプの探偵

ミステリに登場する探偵は、大きく二つのタイプに分けられる。

一つは思索派の探偵だ。本格ミステリに登場する安楽椅子探偵たちがこれにあたる。デュパン、シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、ミス・マープル。自らの脚よりも頭脳を駆使することを重視し、推理すなわち謎解きの面白さで読者を惹きつける。

もう一つは行動派の探偵だ。ハードボイルド・ミステリに登場するタフガイな探偵たちがこれにあたる。1920年代のアメリカで台頭し、サム・スペード(ダシール・ハメット作)やフィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラー作)が代表格だ。謎解きよりも事件現場やリアルな社会・人間関係に主眼を置き、街をさまよい歩きながら自らの行動原理に基づいて調査を展開する。ハードボイルド探偵は思索派探偵への一種のアンチテーゼとして出発した。

この二つのタイプは、それぞれまったく異なる居住空間を持っている。思索派の居所は書斎やアトリエであり、天才的な推理を示すための機能的かつ格式高いインテリアが配される。館や邸宅の一角に位置することで高い社会的ステータスを演出し、彼らはディレッタントのアドバイザーとして、基本的には学究の徒として事件に関与する。行動派の居所は私立探偵事務所だ。街の裏通りや薄暗いビルの一室に位置し、機能重視のシンプルなデスクが中心。プロフェッショナルな一匹狼として、現場への迅速な移動とフィールドワークに適した配置がなされている。

この対比を念頭に置きながら、具体的な探偵たちの空間を見ていこう。

エラリー・クイーンの邸宅

エラリー・クイーンはデビュー当時は独身であり、同じく独身のニューヨーク市警の刑事である父親とマンハッタン87丁目212A番地のヴィクトリア朝邸宅を共有していた。上層階にそれぞれの独立空間を設け、互いの生活を邪魔しない工夫がなされたシェアハウス型の住まいだ。

インテリアは重厚なオーク製のドア、低く狭い天井、暖色系のタペストリー、アンティークのミッション家具で構成される。書斎には「アラビアン・ナイト」の装丁本や書きかけの原稿が散りばめられ、応接室にはガラスキャビネットとミッションテーブルが置かれている。『ローマ帽子の秘密』では「贅沢な趣味を持つ二人のインテリ紳士が、自らの居間として工夫しうる限りの快適さを追求した部屋」と描写されている。

快適さを追求するこの姿勢はホームズ以来の思索派探偵の伝統を忠実に受け継いでいる。こうした探偵の書斎には、どこか「父親の書斎」のイメージがつきまとう。知的権威の空間であり、そこに座る者が世界を読み解く特権的な場所なのだ。

ネロ・ウルフの要塞

思索派探偵の居住空間をもっとも極端な形で体現しているのが、レックス・スタウトが創造したネロ・ウルフだ。1934年の『毒蛇』で初登場したこの探偵は、身長約183cm、体重約123kg(本人いわく「7分の1トン」)の巨漢であり、マンハッタン西35丁目の古い煉瓦造りの一軒家を丸ごと所有している。

建物は地下から屋上まで充実している。地下には専属料理人の厨房とワイン貯蔵庫。1階に玄関ホール、事務室、食堂、台所。2階にウルフと助手アーチー・グッドウィンの寝室とバスルーム。3階に来客用の応接室。そして屋上全面には専門家が管理する熱帯植物の温室が広がる。月の維持費は1万ドルを超えるという。

ウルフはほとんど屋内から出ない。捜査は助手のアーチーが担当し、ウルフは集められた情報をもとに推理するだけだ。安楽椅子探偵の究極形であり、その住居はもはや住まいというよりも「思考のための要塞」と呼ぶべきだろう。趣味人としての探偵像がここに極まっている。

フィリップ・マーロウの事務所

思索派の豪奢な書斎と対照的なのが、レイモンド・チャンドラーが1939年の『大いなる眠り』で生み出したフィリップ・マーロウの事務所だ。

ハリウッドの6階建てビルの一室。高い窓が並ぶ小部屋にはウィスキーのデカンター、キャメルのパック、回転椅子、ガラス張りのデスク、ファイルキャビネットと電話、タイプライターが機能的に配置されている。棚にはオールド・テイラーとオールド・グランド・ダッド(いずれもバーボン)が並ぶ。二間続きのオフィスは応接と執務を兼ねており、依頼人との打ち合わせにも使われるが、本人は気まぐれなブザーで対応する。探偵のくせに人嫌いではないかと思わせるような振る舞いだ。

マーロウ本人はこの事務所についてこう述べている。「去年もこうだった。一昨年も。きれいでもないし、広くもない。」無駄を削ぎ落とした空間は、ハードボイルド探偵のストイックな生き方をそのまま映し出している。他のハードボイルド探偵と比べても豪華さはなく、むしろ簡素の極みだ。埃を寄せつけない清潔感だけが、マーロウの矜持を静かに語っている。

スペンサーの現代性

R.B.パーカーが1973年に生み出したスペンサーは、ハードボイルド探偵に現代的なライフスタイルを持ち込んだ人物だ。ボストン在住、身長約185cm、体重約91kg。元ボクサーで元マサチューセッツ州警察の捜査官という経歴を持ち、恋人のスーザン・シルヴァマンとは深い絆で結ばれているが、二人は結婚しておらずそれぞれ別々に暮らしている。

スペンサーの日常は驚くほどリアルに描写される。毎朝バーでコーヒーを飲み、軽い朝食をとり、5マイル(約8km)のジョギングをこなす。自炊ではチーズバーガー、ステーキ&卵、スープなどを作る。書斎兼オフィスには電話、請求書、地図帳、書類棚が並び、飲み物はウィスキーまたはビール。

スペンサーのシリーズが人気を博した要因は、このリアルでモダンなライフスタイル描写にある。ファッション、美食、健康管理、音楽や映画の好みといった日常の詳細が丁寧に描かれ、読者は探偵の事件を追うと同時に一人の現代人の生活に触れることになる。さらに特筆すべきは対等なヒロインの存在だ。スペンサーは恋人にフラれておろおろする異例の探偵であり、私生活の悩みや依頼人との人間的な交流が作品に奥行きを与えている。

ハードボイルド・ミステリでは都市生活者のシングルライフが繰り返し描かれるが、そこには孤独感や疲弊感が充満し、哀愁漂う雰囲気が独特の味わいを生んでいる。スペンサーはその伝統を引き継ぎつつも、探偵の人間的な脆さを正面から描くことでジャンルに新しい息吹を吹き込んだ。

自立する女性探偵たち

ミステリの歴史において、主役探偵は長らく圧倒的に男性だった。女性探偵は老年(ミス・マープル)か助手役に限られることが多く、若い女性が主人公探偵となる例は稀だった。この構図が変わり始めたのは1970年代初頭、フェミニズムの興隆と自立を志向する女性作家の登場がきっかけだった。

コーデリア・グレイはP.D.ジェイムズが1972年の『女には向かない職業』で生み出した思索派の女性探偵だ。22歳、明るい茶色の髪に緑がかった瞳を持ち、知的で機転が利く。母とは生後すぐ死別し、父は医師だったがケンブリッジ大学への進学を断念させられた。父の急逝後、バーニー・プライドの探偵事務所に秘書として就職し、能力を見込まれてパートナーに昇格、やがて独立する。

作中でパブの女主人に「新しい仕事を探すんでしょう? 一人ではあの事務所は回らないわよ。女には向かない職業だもの」と言われる場面がある。住宅事情までチェックされるような環境で、これほど優秀な女性であっても自立して生きていくことの困難さを作品は正面から描いている。

V.I.ウォーショースキーはサラ・パレツキーが1982年の『サマータイム・ブルース』で生み出した行動派の女性探偵だ。本名ヴィクトリア・イヴィグナディア。元弁護士でシカゴを拠点に活動する。飲酒・銃撃・格闘シーン満載のアクション探偵像であり、短期間の結婚経験もある独身女性として「都会の孤独」がリアルに描かれる。

事務所は老朽ビルの一室で、機能とセキュリティを重視した最小限の家具、銃、ファイル、電話が中心だ。これはハードボイルドの正統な系譜に連なる空間であり、ウォーショースキーが男性探偵と同じ土俵で闘っていることを空間そのものが示している。都市における独身女性の自営業者としてのシングルライフが、ハードボイルド小説の伝統的テーマとして丁寧に描かれる。強烈なアクションの合間にブラックユーモアを挟み、同業の男性探偵との対比のなかでフェミニズム的な視点を自然に織り込んでいく手法が、現代社会の問題意識を持つ読者の支持を集めた。

密室という「もう一つの家」

探偵の住まいが「推理の場」であるならば、密室は「殺人の場」として居住空間の対極に位置する。

ジョン・ディクスン・カーは1930年代以降、不可能犯罪(密室殺人など)に特化してミステリの新たな地平を開拓した。クリスティやクイーンと並ぶ巨匠と評される。

カーの『ユダの窓』(1938)は密室の窓だけが開閉し外部との物理的接触を全否定する設定で、名探偵ヘンリー・メリヴェール卿が窓の構造に着目して解決する。『三つの棺』(1935)では冬のロンドンでグリモー教授が自室で射殺されるが、扉も窓も完全に閉ざされ、死体は不可解な姿勢で発見される。緻密なトリックと大胆な物語構成が結実した傑作だ。

密室ものの要諦は、単純かつ強烈な謎の提示にある。しかし単純であればあるほど謎を解いた後の読後感は薄くなりやすい。読者を飽きさせないためには、謎を膨らませたまま維持するストーリーテリングの巧みさ、つまりトリックの動機と心理的必然性を語る物語づくりが不可欠となる。

カーにはもう一つの特色がある。怪奇趣味(オカルティズム)だ。幽霊、死の呪い、吸血鬼、魔女、ポルターガイストといった超自然的題材を大胆に取り入れつつ、科学的推理によって合理的な解決に導く。『火刑法廷』は17世紀フランスの火刑裁判をモチーフとした作品で、『ミステリマガジン オールタイム・ベスト』(2006)第2位に選出されている。一方でカーは怪奇趣味とは対照的に軽妙なユーモアも持ち味としており、当時流行していたスラップスティック・コメディの影響が随所に見られる。

日本家屋と密室の挑戦

カーの密室トリックが日本に紹介されたとき、一つの根本的な問題が浮上した。日本家屋は隙間だらけで錠前もないことがほとんどであり、西洋建築のように隙のない密閉空間を前提とした密室殺人は設定しにくいのだ。

この問題に正面から挑んだのが高木彬光である。日本家屋のなかで密室を設定できる場所として浴室に着目し、『刺青殺人事件』で心理的トリックを駆使して日本独自の密室ミステリを切り拓いた。

横溝正史は『本陣殺人事件』で「金田一耕助シリーズ」の第1作を発表し、雪密室という日本の風土に根ざした密室状況を描いた。トリックそのものよりも密室状況の理由付けが自然であり、当時の日本にとって舶来の異文化であったミステリを日本の文化と融合させた試みとして高く評価されている。今日読み返してみると、むしろその異文化融合の新鮮さに驚かされる。

江戸川乱歩がいち早く「カー問答」でカーの本格的な魅力を論じ紹介したことも大きかった。乱歩の評論活動がなければ、カーが日本のミステリ文化にこれほど深い影響を与えることはなかっただろう。横溝正史もまた乱歩と同様にカーに傾倒し、金田一耕助シリーズに不可解な密室トリックを導入していった。

探偵の居住空間が推理の「ホーム」であるならば、密室は犯人が作り上げた「もう一つの家」だ。その閉じられた空間をいかにして開くかという知的な闘いが、ミステリのもっとも根源的な魅力を形作っている。

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AIの文章に価値はあるか

AIが生成した記事や、AIとのチャット履歴がネットに溢れている。そしてその大半は、正直なところ、読む気にならない。 AIの記事はなぜ退屈なのか 不思議なことに、AIとの対話は当人にとっては有意義であることが多い。問いを投げ、応答を得て、考えを整理する。その過程には確かな手応えがある。だが、同じやり取りを第三者が読むと、途端に退屈になる。 この落差はどこから来るのか。 AIとの対話で当人が得ているのは、「自分の問い」に対する応答だ。その問いの背後には、これまで何を考え、何に引っかかり、何を言語化できずにいたかという厚い文脈がある。応答がその文脈の上に載ることで、初めて対話に意味が宿る。 第三者にはその文脈がない。文脈を欠いた応答は、ただの情報の羅列だ。 ここに本質的な理由がある。多くのAI生成記事は「誰かの視点」を持たない。何を選び、何を捨てたかという編集の痕跡がなく、あらゆる方向に平等に情報が並ぶ。結果として、誰が書いても同じになるような文章が量産される。誰のものでもない文章は、読者に語りかけない。 シェイクスピアと猿 視点を変えてみよう。 有名な思考実験がある。

By Sakashita Yasunobu

EthernetポートのLEDが示すもの

PCやルーターのEthernetポート(RJ45コネクタ)には、小さなLEDが2つ付いていることが多い。何気なく目にする光だが、それぞれが異なる情報を伝えている。 リンク状態と通信アクティビティ 一方のLEDは、物理的な接続の有無と、データの送受信状況を示す。 * 点灯していれば、ケーブルが正しく接続され、リンクが確立している * 点滅していれば、データパケットの送受信が行われている * 消灯していれば、ケーブルが抜けているか、相手側の機器が応答していない この点滅は一見すると何らかの規則的なパターンに見えることがあるが、実際にはネットワーク上のトラフィック(パケットの送受信)に応じて不規則に発生しているだけであり、点滅のパターン自体に意味はないことがほとんどである。点滅していない場合は、単に通信が発生していない状態である。 通信速度の表示 もう一方のLEDは、リンク確立時にネゴシエーションされた通信速度を色で示す。10/100/1000 Mbps対応のポートでは、一般的に以下のような構成になっている。 * ある色で1000 Mbps(ギガビット)接続を示す

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日記を書こう

日記を書こう。 そう言ったところで、何を書けばいいかはわからない。何のために書くのかも、よくわからない。ただ、今日あったことを、今日感じたことを、どこかに書き留めておきたいという素朴な衝動がある。たぶんそれだけでいい。 断片を並べる場所 ブログの記事や論文には構成がある。伝えたいことがあって、それに向かって文章が組み立てられている。素材を選び、順序を決め、不要なものを削り、必要なものを足す。それは編集された自己の表出だと言えるかもしれない。 日記は、その手前にある。 編集する前の断片を並べる場所。まだ何が重要かわからない。何と何がつながるのかも見えていない。その日あった出来事、ふと頭をよぎった考え、目に入った光景。それらをただ、順不同で、脈絡もなく、並べておく。 そしてその断片は、書いた瞬間にはほとんど意味を持たない。 宛先のない手紙 日記の不思議なところは、書くときと読み返すときで、まったく違うものになるということだ。 書いている瞬間は、ただの記録にすぎない。今日こんなことがあった、こう思った。それだけのこと。でも三か月後、あるいは三年後に読み返すと、書いたとき

By Sakashita Yasunobu

NTPのStratum階層とGPS時刻同期の仕組み

Windowsの時刻がずれやすいと感じたことをきっかけに、NTPの仕組みやStratum階層、GPSを用いた時刻同期について調べた内容をまとめる。 NTPとは NTP(Network Time Protocol)は、ネットワーク上の機器間で時刻を同期するためのプロトコルである。現在広く使われているのはNTPv4(RFC 5905)で、1985年の初版から改良が重ねられている。 NTPはStratum(階層)と呼ばれるツリー構造で時刻を配信する。上位の正確な時刻源から下位へ順に同期することで、ネットワーク全体の時刻精度を維持している。 Stratum階層 NTPのStratum階層は以下のように定義される。 * Stratum 0 : 基準時刻源そのもの。原子時計やGPS受信機などのハードウェアデバイスが該当する。Stratum 0はネットワーク上のサーバではなく、シリアルポートやUSBなどでStratum 1サーバに直接接続される * Stratum 1 : Stratum 0に直接接続されたNTPサーバ。プライマリタイムサーバとも呼ばれる * Stratum 2

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