モダリティと語用論
文法的に正しい文を作れるだけでは、円滑なコミュニケーションは実現しない。話者の態度を表すモダリティ、場面に応じた文体の選択、談話の一貫性、そして語用論的な配慮まで、日本語のコミュニケーションには多層的な知識が求められる。本稿ではこれらの領域を概観する。
モダリティ: 話者の態度を表す
モダリティとは、命題(出来事の内容そのもの)に対する話者の態度や判断を表す文法カテゴリーである。「田中さんが来る」という命題に対して、「来るだろう」(推量)、「来るかもしれない」(可能性)、「来るはずだ」(当然の推論)、「来なければならない」(義務)など、話者の主観的な判断が加わる。
認識的モダリティ
話者の確信度を表すモダリティで、日本語には段階的な表現がある。
確信度が高い順に並べると、「に違いない」(ほぼ確実)→「はずだ」(論理的な推論に基づく確信)→「だろう/でしょう」(推量)→「かもしれない」(可能性)となる。「田中さんは来るに違いない」は「間違いなく来る」という強い確信、「来るかもしれない」は「来る可能性がある」という弱い推量を表す。
また「ようだ」「みたいだ」は観察に基づく推測を、「らしい」は伝聞に基づく推量を、「そうだ」は外見からの推測(様態: 「雨が降りそうだ」)と伝聞(「雨が降るそうだ」)の両方を表す。様態の「そうだ」と伝聞の「そうだ」は形が似ているが、接続の仕方が異なる点に注意が必要である。
義務・許可・禁止のモダリティ
義務は「なければならない」「なくてはいけない」「ないといけない」で表される。話し言葉では「なきゃ」「なくちゃ」と縮約されることが多い。
許可は「てもいい」(「ここに座ってもいいですか」)、禁止は「てはいけない」(「ここで写真を撮ってはいけません」)で表される。
不必要は「なくてもいい」(「明日は来なくてもいい」)で表す。
意志・希望・勧誘
意志は「(よ)うと思う」(「来年日本に行こうと思っている」)、希望は「たい」(「水が飲みたい」)で表す。「たい」は話者自身の希望にしか使えず、第三者については「たがっている」を用いる(「彼は水を飲みたがっている」)。
勧誘は「ましょう」「ませんか」で表す。「映画を見ましょう」は提案、「映画を見ませんか」はより丁寧な誘いの表現である。
文体とスタイルシフト
日本語には大きく分けて普通体(だ・である体)と丁寧体(です・ます体)の2つの文体がある。話し相手や場面に応じた文体の選択は、日本語コミュニケーションの根幹をなす。
普通体は友人・家族との会話、日記、論文などで用いられる。丁寧体は初対面の人、目上の人、公的な場面で用いられる。同じ内容でも「明日、行く」(普通体)と「明日、行きます」(丁寧体)では、話者と聞き手の関係性が異なることを示す。
スタイルシフト
一つの会話の中で文体が切り替わる現象を「スタイルシフト」と呼ぶ。丁寧体を基調とする会話の中で突然普通体になったり、その逆が起きたりする。これは親しみの表現、感情の高まり、独り言的な発話、話題の転換など、様々な要因によって引き起こされる。学習者は「ずっと丁寧体で話すべき」と考えがちだが、実際の日本語会話ではスタイルシフトが自然に生じる。
書き言葉と話し言葉
書き言葉と話し言葉にも大きな違いがある。話し言葉では「~じゃない」「~ちゃう」「~んだ」などの縮約形が多用され、終助詞(「ね」「よ」「な」「かな」)も頻繁に現れる。一方、書き言葉では「である」体が使われたり、より複雑な文構造が許容されたりする。学習者が教科書的な「です・ます」体だけを使い続けると、実際の会話では不自然に聞こえることがある。
談話の一貫性と結束性
個々の文が文法的に正しくても、それらが有機的に結びついていなければ、まとまりのある談話にはならない。談話の一貫性を支える仕組みとして、接続表現と指示語がある。
接続表現
日本語の接続表現には以下のような種類がある。順接(「だから」「そのため」「したがって」)は前件が原因で後件が結果であることを示す。逆接(「しかし」「でも」「ところが」「けれども」)は前件から予想される結果とは異なる後件が来ることを示す。添加(「そして」「また」「さらに」「それに」)は情報を追加する。転換(「ところで」「さて」「それでは」)は話題を変える。説明(「つまり」「なぜなら」「というのは」)は前件の説明を加える。
指示語(コソアド)
日本語の指示語は「こ・そ・あ・ど」の4系列からなる。「こ」系は話者に近いもの、「そ」系は聞き手に近いもの、「あ」系は両者から遠いもの、「ど」系は疑問を表す。これが名詞(これ・それ・あれ・どれ)、連体詞(この・その・あの・どの)、場所(ここ・そこ・あそこ・どこ)、方向(こちら・そちら・あちら・どちら)など多くの形に展開される。
談話の中では、コソアドは「文脈指示」の機能も果たす。直前に述べたことを「それ」「その」で受けたり、共有知識を「あれ」「あの」で参照したりする。「昨日映画を見た。それはとても面白かった」の「それ」は直前の「映画」を指す文脈指示である。
発話行為理論: 言葉で行為する
語用論の基本概念のひとつが発話行為理論である。オースティンが提唱したこの理論によれば、発話には3つの側面がある。
発語行為は音声を発する物理的行為そのもの。発語内行為はその発話によって意図されている行為(依頼、命令、約束、謝罪など)。発語媒介行為はその発話が聞き手に及ぼす効果(説得される、怒るなど)である。
「窓を開けてくれませんか」という発話は、形式的には疑問文だが、実際の機能は依頼である。このように、文の形式と実際の発話意図がずれることは日常的に起きる。「ちょっと暑いですね」が「窓を開けてほしい」という間接的な依頼になったり、「もう遅いですね」が「帰りましょう」という暗示になったりする。こうした間接的な発話行為の理解は、日本語コミュニケーションにおいて極めて重要である。
授受表現: 恩恵の方向を示す
日本語の授受表現は、物やサービスの授受を「恩恵の方向」という視点で捉える独特の表現体系である。
物の授受
あげる/さしあげる: 話者側から他者へ(「友達にプレゼントをあげた」)
もらう/いただく: 話者側が他者から(「友達にプレゼントをもらった」)
くれる/くださる: 他者から話者側へ(「友達がプレゼントをくれた」)
「あげる」と「くれる」は同じ方向の授受を表すが、「くれる」は受け手(話者側)の視点から語る点が異なる。「花子が私にプレゼントをくれた」は受け手の「ありがたい」という気持ちを含む。
行為の授受
「てあげる」「てもらう」「てくれる」は、行為そのものを恩恵として捉える表現である。「荷物を持ってあげた」「荷物を持ってもらった」「荷物を持ってくれた」は、いずれも「荷物を持つ」という行為が恩恵として授受されることを表す。
授受表現は日本語のコミュニケーションに深く組み込まれており、単なる事実描写(「田中さんが教えた」)と恩恵を含む表現(「田中さんが教えてくれた」)の使い分けは、対人関係において非常に重要である。
敬語の5分類
2007年の文化審議会答申に基づく現代日本語の敬語の分類は、従来の3分類(尊敬語・謙譲語・丁寧語)から5分類に拡張されている。
尊敬語は相手や話題の人物の動作を高める表現で、「いらっしゃる」「おっしゃる」「召し上がる」「お/ご~になる」などがある。
謙譲語I(向かう先を立てる)は、動作の向かう先(相手)を立てる表現で、「伺う」「申し上げる」「差し上げる」「お/ご~する」などがある。
謙譲語II(丁重語)は、聞き手に対して丁重に述べる表現で、「参る」「申す」「いたす」「おる」などがある。謙譲語Iとの違いは、動作の向かう先を立てるのではなく、聞き手に対する丁重さを表す点にある。
丁寧語は「です」「ます」「ございます」など、聞き手に対する丁寧さを表す表現である。
美化語は「お料理」「お茶」「ご飯」のように、言葉を美しく整える表現である。敬意とは直接関係なく、話し方の品位を高める機能を持つ。
ポライトネス理論: 対人配慮の普遍性
ブラウンとレヴィンソンが提唱したポライトネス理論は、対人コミュニケーションにおける配慮の仕組みを体系化したものである。
すべての人間はフェイス(面子)を持っているとされる。フェイスには2種類あり、ポジティブ・フェイスは「他者に認められたい、好かれたい」という欲求、ネガティブ・フェイスは「他者に邪魔されたくない、自由でありたい」という欲求である。
相手のフェイスを脅かす行為をFTA(Face Threatening Act)と呼ぶ。依頼はネガティブ・フェイスを、批判はポジティブ・フェイスを脅かす。FTAを行う際には、相手のフェイスへのダメージを最小化する配慮(ポライトネス・ストラテジー)が必要になる。
ポジティブ・ポライトネスは相手のポジティブ・フェイスに訴える戦略で、親しみや共感を示す。冗談を言う、共通点を強調する、褒めるなどが含まれる。
ネガティブ・ポライトネスは相手のネガティブ・フェイスに配慮する戦略で、相手の領域を侵さないようにする。間接的な表現を使う、選択肢を与える、謝罪を添えるなどが含まれる。日本語の敬語はネガティブ・ポライトネスの典型的な手段である。
FTAの重大さは、話者と聞き手の社会的距離(親しさ)、力関係(上下関係)、行為の負担度(頼み事の大きさ)の3つの要因によって決まるとされる。この3つの要因の組み合わせによって、適切なポライトネス・ストラテジーが選択される。
日本語のコミュニケーションの特徴
以上の内容を踏まえると、日本語のコミュニケーションにはいくつかの顕著な特徴が見えてくる。
第一に、視点の選択が重要である。受身・使役・自他動詞・授受表現など、同じ出来事を異なる視点から語る手段が豊富に用意されている。
第二に、対人関係の反映が文法構造に深く組み込まれている。敬語、授受表現、文体の選択など、話者と聞き手の関係性が文の形に直結する。
第三に、間接性が重視される。間接的な発話行為、婉曲表現、察しの文化など、明示的に述べないことによるコミュニケーションが重要な役割を果たす。
これらの特徴は、日本語を「外国語」として学ぶ立場から見てこそ、より鮮明に浮かび上がるものである。母語話者にとっては無意識に行っているこれらの言語操作が、いかに複雑で精緻な体系をなしているかを知ることは、日本語という言語への理解を深める貴重な体験である。