ポーとミステリの誕生

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

ミステリとは何か。この問いに対する答えは、時代や論者によって少しずつ異なる。

江戸川乱歩は1951年の『幻影城』において「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く径路の面白さを主眼とする文学である」と定義した。一方、イギリスの批評家H・R・F・キーティングは1987年の『Crime and Mystery: The 100 Best Books(ミステリ百選)』において、ポーからP.D.ジェイムズに至る100作を選出しながら「エンタテインメントとしての価値を第一に書かれた小説であり、その主題が何らかの犯罪の形をとっている小説」をミステリの基本的な枠組みとして論じている。両者に共通するのは、犯罪にかかわる謎解きが物語の核であるという認識だ。

ところが、これらの定義には欠けているものがある。乱歩の定義はいわゆる「本格ミステリ」にしか当てはまらず、サスペンスやハードボイルドのような幅広いミステリの領域をカバーできない。そしてどちらの定義にも、主人公への視点が含まれていない。この点を補ったのが甲賀三郎だ。『探偵小説講話』において「犯罪が起こり、その犯人を捜査する人物を主人公として配置される小説」と定義し、主人公の存在をミステリの不可欠な要件として組み込んだ。

犯罪、論理的な謎解き、そして主人公。この三つが揃ったとき、ミステリというジャンルが成立する。ではこの三要素をはじめて一つの作品の中に結晶させたのは誰だったのか。答えは、19世紀アメリカの一人の作家に行き着く。エドガー・アラン・ポーである。

都市の群衆を「読む」男

ポーが世界初の推理小説とされる『モルグ街の殺人』を発表したのは1841年のことだが、その前年に、この作品の祖型ともいえる短編を書いている。『群衆の人』(1840)である。

ロンドンの街をさまよう群衆の中に、一人の奇妙な老人を見つけた語り手が、ひたすらその人物を観察し、追跡する。ただそれだけの物語だ。事件も起きなければ、謎も解かれない。それでもヴァルター・ベンヤミンがこの作品を「探偵小説のレントゲン写真」と呼んだのには理由がある。ミステリというジャンルの骨格が、ここに透けて見えるからだ。

近代都市においては匿名性が前提となる。誰もが群衆の一部であり、誰もが他者を覗き見ることができる。ポーが描いたのは、この都市的条件のなかで「観察する」という行為そのものが持つ面白さだった。語り手はベンヤミンが「都市遊歩者(フラヌール)」と呼んだ存在の先駆けとして、街をさまよいながら他者を「読む」。やがてポーは、この「読む」という行為を物語の中核に据えた作品を構想することになる。

世界初の推理小説

1841年、『グレアムズ・マガジン』に発表された『モルグ街の殺人』は、世界初の推理小説として文学史に位置づけられている。ポー自身はこの新しいジャンルを "tales of ratiocination"(理路整然とした物語)と呼んだ。英語では後に detective story、mystery fiction などと呼ばれるようになるが、ジャンルの本質をもっとも的確に言い当てていたのは、むしろポー自身の命名だったかもしれない。日本で現在使われている「ミステリ」という呼称は英語の mystery fiction に由来し、「探偵小説」という名称は明治期から日本で使われていたが、江戸川乱歩が1947年に設立した日本探偵作家クラブを中心にジャンル名として定着させたものだ。

注目すべきは、この作品がジャンルの意図的な創設ではなかったという点である。当時のポーはマガジニストとして活動しており、既存のジャンルの模倣と融合という実験的な試みを繰り返していた。その過程から偶然のように生まれた一編が、結果として文学史上もっとも長く愛されるジャンルの一つを打ち立てることになった。

そしてこの短編一作だけで、今日のミステリに受け継がれているほぼすべての約束事が確立された。密室殺人。名探偵の名推理。意外な犯人像。読者に謎解きのゲームを仕掛け、手がかりから真相を推理させる構造。すべてがここから始まった。

名探偵デュパンという発明

『モルグ街の殺人』の舞台はパリである。当時のパリは無限に発展を続ける近代都市の象徴であり、さまざまな国籍の人々が行き交う国際都市だった。「モルグ街」という通り名自体がモルグ(屍体置き場)を想起させ、物語の冒頭から不吉な事件を予感させる装置となっている。

語り手はリュ・モンマルトルの図書館でデュパンと出会った人物であり、もう一人の主人公であるオーギュスト・デュパンは名門出身ながら一族の没落によって貧窮に陥った隠遁者だ。蔵書に没頭して暮らすこの人物は、驚異的な想像力と分析力と観察眼を備えている。二人はフォーブル・サン・ジェルマンのリュ・デュノー33番地にある古い屋敷を借りて共同生活を送り、夜な夜なパリの街を歩いては観察と推理に興じる。今日でいう「バディもの」の原型がここにある。

デュパンの革新性は事件の解決方法にある。新聞記事など公の情報をもとに推理を組み立て、必要に応じて現場を歩いて聞き込みを行う。つまり、推理能力、すなわち「読む力」だけを頼りに事件を解決し、報酬を得る。肉体労働ではなく文化的教養とリテラシーによって生きていく、まったく新しい人間像がここに生まれた。

デュパンは文学史上初の名探偵と呼ばれるが、それは単に最初の探偵キャラクターだったからではない。客観的な証拠から推理によって意外な犯人像を明らかにする過程は、読者が名探偵の思考を「読む」ことで小説の謎を解いていくという構造を生み出した。文学においてはじめて「読むこと」そのものが主題化された瞬間だったのである。

声の謎とパリの意味

『モルグ街の殺人』の事件は密室で発見された惨殺体から始まる。新聞報道によれば、近隣住民や駆けつけた警官は「二つの声がけんかするように聞こえた」と証言した。一つはしわがれたフランス語風の声。もう一つは甲高く、意味不明な異国語風の声。興味深いのは、証人たちがその異国語風の声をイタリア語、スペイン語、オランダ語、フランス語など、それぞれまったく異なる言語だと主張した点だ。

この証言は、当時のパリという多国籍都市の断面を映し出すと同時に、「声の特徴から発話者の正体がわかるはずだ」という人々の根深い思い込みを浮き彫りにしている。結局、誰もが自分の知らない言語を「異国語」と認識し、具体的にどの言語であるかは自分の想像で補っていたに過ぎない。

警察は綿密な捜査を行うが、その綿密さゆえにかえって誤った結論に至り、被害者の知人である船員を逮捕してしまう。デュパンは警察の見立てを痛烈に批判し、現場で独自の科学的検証を行った末に真犯人を突き止める。

真犯人は、東南アジアのボルネオ島から船で運ばれパリの街を彷徨っていたオランウータンだった。殺害現場で交錯した二つの声はオランウータン自身とその所有者であるフランス人船員のものだったのだ。デュパンは新聞広告という当時の最新メディアを駆使して虚偽の情報で船員を呼び出し、本人に潔白を証明させる形で真相を暴いた。デュパン自身はルソーの『新エロイーズ』から「存在するものを否定し、存在しないものを説明したがる」(de nier ce qui est, et d'expliquer ce qui n'est pas)という言葉を引いており、人々が先入観によって事実を歪めてしまう傾向を鋭く指摘している。

なぜ舞台をパリに選んだのか

この結末には当時のアメリカ社会への鋭い風刺が込められている。デュパンが何気なく口にする「アジア人もアフリカ人も、パリにはそんなにいない」という台詞は、裏を返せば「アメリカにはたくさんいる」という意味になる。南北戦争前夜のアメリカにおける黒人奴隷制という現実が、パリという異国の舞台を経由することで間接的に浮かび上がるのだ。

ポー自身は南部貴族社会のメンタリティを背負った知的階級に属していた。奴隷制という自国の最大の矛盾を正面から描くことが難しかった時代に、パリという異国を舞台にしたミステリという新しい形式を借りて社会問題を提起する手法は、検閲を回避する巧妙な仕掛けでもあった。ミステリの誕生と社会批評の手法が同時に確立されていたという事実は、このジャンルの奥行きの深さを物語っている。

近年においてもこの文脈は重要性を失っていない。映画『ハリエット』(2019)が描く逃亡奴隷の物語に見られるように、人種差別問題は現代のアメリカにおいても依然として重いテーマであり続けている。

五つの短編が築いた骨格

ポーはわずか五つの短編で、今日に至るまで通用するミステリの骨格を一気に築き上げた。

『モルグ街の殺人』(1841)が密室殺人と名探偵の推理という基本構造を確立したことは前述のとおりだ。

『盗まれた手紙』はポーの最高傑作と評される。この作品で用いられた技法を江戸川乱歩は「盲点原理」と命名した。隠したいものを密室にしまい込むのではなく、あえて誰もが見える場所に置くことで捜査者の盲点を突く。捜査官は隅々まで徹底的に探すが、目の前にあるものをこそ見逃してしまう。デュパンはその盲点を一瞬で突いて真相を暴く。この逆説的な着想は、今日のミステリにおいてもなお有効であり続けている。

『黄金虫』(1843)は暗号解読をモチーフにした宝探し小説であり、暗号ミステリの原型を作った。

そして『おまえが犯人だ』(1844)は今日でいう叙述トリックの嚆矢にあたる。読者の先入観を利用した記述上の仕掛けによって、「語り手」すなわち読者が当然信頼を置くはずの存在そのものを裏切る手法がここで発明された。たとえば女性と思わせていた登場人物が実は男性であるなど、読者の思い込みを逆手に取って驚きを生む。この作品はポストモダン的な自己言及の文学としての側面をも持っている。

言い過ぎを覚悟で言えば、ホームズのコナン・ドイルも、クリスティも、チャンドラーも、すべてはポーが発表したこれらの短編が切り拓いた地平の上で書いているのである。

「読む力」を商品化するということ

デュパンが事件解決の対価として報酬を得ている描写は見逃せない。『マリー・ロジェの謎』では報奨金30,000フラン、『盗まれた手紙』では5万フランが支払われる。これは文化資本、すなわちリテラシーや教養を経済資本に変換する営みにほかならない。

19世紀は新聞や雑誌が急速に発展した時代であり、マガジニズムの流行のなかでポー自身も「読むこと」と「書くこと」によって生計を立てる言説空間に身を置いていた。デュパンという架空の人物を通じて描き出されたのは、知識と教養を商品化するという、きわめて近代的な職業のあり方だった。ポー以前には、ホーソーンやメルヴィルのような作家はいたが、「読む力」そのものを職業に結びつけるキャラクターは存在しなかったのだ。

さらにポーはデュパンをシリーズ化することで一種のスターシステムを構築した。一人の魅力的な探偵を軸にトリックを毎回刷新し、シリーズを形成するフランチャイズ手法は、後続のあらゆるミステリ作家に直接的に継承されていく。当時としては稀な専業の職業作家として、ポーは文学産業の根幹を築いた人物でもあった。

ミステリを理解するための基本概念

ポーが切り拓いた地平を理解するために、いくつかの基本概念を押さえておきたい。

まず フーダニット(Whodunit、"Who had done it?" の略)は、誰が犯人かを最後まで隠しその解明を中心に据えるプロットである。次に ハウダニット(Howdunit、"How had done it?" の略)は、不可能犯罪などの犯行トリックの解明を主題とするプロットだ。そして ホワイダニット(Whydunit、"Why had done it?" の略)は、犯人の動機に焦点を当て「なぜ殺したか」を探る。

不可能犯罪(Impossible Crime)とは、物理的に不可能に思える手段による犯行を指す。その代表格が密室ものだ。内側から施錠された部屋で殺人が行われ、犯人の侵入・脱出経路が一切説明できないという状況が、ミステリの最も根源的な魅力を生む。密室のバリエーションは後続の作家によって次々と拡張され、人間の失踪、列車密室、旅客機密室、家屋密室、予告殺人、分身による殺人など、創意工夫の歴史がそのままミステリの歴史に重なっている。

世界文学への波及

ポーの影響はミステリの枠をはるかに超え、世界の文学と芸術全体に及んでいる。

フランスではシャルル・ボードレール(1821-1867)がポー作品を仏訳し、浪漫派批評を展開した。詩集『悪の華』に結実したボードレールの感性には、ポーからの決定的な影響が見て取れる。ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)はSFの祖として『月世界旅行』や『海底二万里』を著し、T.S.エリオット(1888-1965)はボードレールやマラルメを通じて間接的にポーの影響圏に位置し、『荒地』などのモダニズム詩を代表した。H.P.ラヴクラフト(1890-1937)は怪奇幻想小説の先駆者としてクトゥルー神話を体系化し、スティーヴン・キング(1947-)は「ホラーの帝王」としてポーの系譜を現代に引き継いでいる。

日本では江戸川乱歩(1894-1965)が『屋根裏の散歩者』(1925)などを通じてポーの探偵小説を本格的に紹介し、安部公房(1924-1993)が『箱男』や『砂の女』でポー的な幻想を継承した。大江健三郎、島尾敏雄といった純文学の作家たちにもその影響は及んでいる。

さらに文学の外にもポーの射程は広がっている。音楽ではクロード・ドビュッシーやルー・リード、美術ではオーブリー・ビアズリー、ルネ・マグリット、ヤン・シュヴァンクマイエル、漫画では萩尾望都にまでその影響が認められる。

一人の作家がわずか五つの短編でこれほどの影響を残した例は、文学史上でも稀有と言えるだろう。ポーは「ミステリの父」であると同時に、近代における「読むこと」の可能性をもっとも早く見抜いた作家でもあった。

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Dependabotの対応が面倒なのでRenovateを導入する

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