大学生になったら使うことを検討すべきアプリ

大学に入ると、管理すべきアカウントが一気に増える。大学のポータル、履修登録システム、学内メール、図書館、各種Webサービス。高校までとは比較にならない数のIDとパスワードを扱うことになる。

ここで紹介するのは「便利なアプリ一覧」ではない。大学生活で必要になる情報管理の習慣と、それを支える道具の話だ。

パスワードマネージャー

最初に導入すべきはパスワードマネージャーだ。理由は単純で、大学生活ではアカウントの数が爆発的に増えるからだ。

大学のポータル、学内メール、LMS(学習管理システム)、図書館のオンラインサービス、就活サイト、各種SNS。これらすべてに異なるパスワードを設定し、頭で覚えるのは現実的ではない。結果として、同じパスワードを使い回すか、覚えやすい短いパスワードに落ち着く。どちらも危険だ。

令和最新版のパスワード要件で整理した通り、NISTのガイドライン(SP 800-63B-4)はパスワードマネージャーの利用を積極的に支持している。サービス側にはパスワードの貼り付けやオートフィルを許可することが求められており、パスワードマネージャーの利用は現代のセキュリティ基準に沿った行動だ。

具体的な選択肢として、Bitwardenを勧める。オープンソースで、無料プランでもパスワードの保存数とデバイス数に制限がない。パスキーにも対応しており、ブラウザ拡張とモバイルアプリの両方で動作する。

Appleのように使いやすいサービスを探していて、少しばかりお金を払ってもいいというのなら、1Passwordを強く推奨する。直感的なUIと、パスワードの生成・保存・自動入力がストレスなく動く点で、使い勝手は頭ひとつ抜けている。無料プランはなく、個人プランは月額およそ4ドル(年払い)だが、安全を買うコストとしては妥当だ。Bitwardenと1Passwordのどちらを選んでも、パスワード管理の本質的な課題は解決できる。無料で始めたいならBitwarden、使い心地に投資できるなら1Password。迷ったら、まずBitwardenから始めて不満が出たら乗り換えればいい。

パスワードマネージャーを導入したら、既存のアカウントのパスワードをすべて見直す。使い回しているものは、一つずつ変更していく。面倒だが、最初の一回だけだ。以降は、新しいアカウントを作るたびにパスワードマネージャーで自動生成すればいい。

ノートアプリ

大学の学びは、講義を聞いて終わりではない。聞いたことを自分の言葉で整理し、考えを積み重ねていく過程が本質だ。そのためには、情報を蓄積し、構造化できる道具が必要になる。

紙のノートには紙の良さがある。しかし、検索できない、並べ替えられない、リンクで繋げられないという制約は無視できない。デジタルのノートは、これらの制約を取り払う。

選択肢はいくつかあるが、重要なのは「何を使うか」より「使い続けられるか」だ。高機能なアプリを入れても、使いこなせなければ白紙のノートと変わらない。

最初はシンプルに始めればいい。大学が提供しているMicrosoft 365のOneNoteでもいいし、Google WorkspaceのGoogle Docsでもいい。まずは講義ノートをデジタルで取る習慣をつけることが先だ。その過程で「もっとこうしたい」という欲求が出てきたら、NotionやObsidianのような専用のノートアプリを検討すればいい。

ノートアプリに蓄積した記録は、単なる備忘録にとどまらない。講義の要点、自分の疑問、調べたこと。これらを丁寧に残しておけば、レポート執筆のとき、就活のとき、あるいは数年後に振り返るとき、自分が何を学び、どう考えてきたかの軌跡になる。

クラウドストレージ

レポート、課題、プレゼン資料。大学生活で作成するファイルは多い。これらをパソコンのローカルだけに保存していると、パソコンの故障や紛失ですべてを失う。

多くの大学は、学生にMicrosoft 365 EducationまたはGoogle Workspace for Educationを提供している。これらにはクラウドストレージ(OneDriveまたはGoogle Drive)が含まれており、在学中は無料で利用できる。まずは大学が何を提供しているかを確認し、それを最大限に活用するのが合理的だ。

ここで注意すべきことがある。大学提供のサービスは、卒業と同時にアクセスを失う可能性が高い。4年間蓄積したファイルが突然消えるのは避けたい。卒業前にデータを移行する計画を、頭の片隅に置いておくべきだ。

もうひとつ。スマートフォンだけですべてを完結させようとする学生がいるが、これは早晩破綻する。レポートの執筆、資料の整理、ファイルの管理。スマートフォンの画面と操作性では、これらの作業に限界がある。パソコンとクラウドストレージの組み合わせを基本にして、スマートフォンは閲覧と軽い編集に限定するのが現実的だ。パソコンを主力にするなら、タイピングは早めに身につけておいたほうがいい。入力速度は、そのまま思考をアウトプットする速度に直結する。

タスク管理とカレンダー

大学の生活は、高校までのように誰かが時間割を管理してくれるわけではない。履修登録、課題の締め切り、試験日程、就活のエントリー。すべて自分で把握し、自分で動く必要がある。

カレンダーアプリは必須だ。Google CalendarでもOutlookでも構わない。大切なのは、予定を一元管理する場所を決めることだ。大学のポータルに載っている締め切りも、友人との約束も、すべて同じカレンダーに入れる。分散すると見落とす。

タスク管理は、カレンダーとは別に用意したほうがいい。カレンダーは「いつ」を管理する道具であり、「何をすべきか」を管理する道具ではない。シンプルなTo-Doリストで十分だ。重要なのは、頭の中にある「やらなきゃいけないこと」をすべて外に出すことだ。頭の中で管理しようとする限り、常に何かを忘れている不安がつきまとう。

まとめ

ここで紹介したのは、特別なアプリではない。パスワードマネージャー、ノートアプリ、クラウドストレージ、カレンダー。どれも地味な道具だ。

しかし、大学生活の質を分けるのは、派手なアプリではなく、こうした基盤的な道具を使いこなせるかどうかだ。情報を管理する習慣は、大学を卒業した後も、ずっと使い続けるものだ。

アプリを入れることがゴールではない。情報を整理し、管理する習慣を、大学生活の早い段階で身につけること。それが、ここで伝えたかったことだ。

Read more

怪物の口に幸福が吸い込まれる

幸福の総量を最大化する。それが正しいと言われてきた。しかし1974年、ロバート・ノージックはたった一つの問いでその前提を破壊した。もしある存在が、他の全員よりも圧倒的に多くの快楽を得られるなら、功利主義は全員の取り分をその「怪物」に差し出すことを要求する。 あなたの幸福は計算の端数だった。切り捨てられた。 幸福を貪る口 1974年、ロバート・ノージックは『アナーキー・国家・ユートピア』のなかで一つの思考実験を置いた。 功利主義は、効用の怪物の可能性によって困惑させられる。怪物は、他の人々の犠牲から、その人々が失う以上に圧倒的に大きな効用の増加を得る。 仕組みは単純だ。功利主義の原則に従えば、社会全体の幸福を最大化する資源配分が「正しい」。ここに一人、あらゆる資源からとてつもない快楽を引き出す存在が現れたとする。りんご一個で他の百人分の快楽を得る。映画を一本見れば千人分の歓喜を感じる。 功利主義はこの怪物にすべてを差し出すことを要求する。他の全員が飢えても、怪物の快楽が総量を上回る限り、それが「最善」だと計算は告げる。 ノージックが示したかったのは、功利主義が論理的に正し

By Sakashita Yasunobu

綱を引く手が一本ずつ消えていく

あなたは集団のなかで、少しずつ消えている。 それは比喩ではない。測定可能な事実だ。19世紀末、フランスの農学者マクシミリアン・リンゲルマンは、人が集団で綱を引くとき、一人あたりの力が確実に減少することを発見した。人数が増えるほど、個人は薄まる。誰のせいでもなく、誰も怠けているわけではなく、ただ構造がそうさせる。 もしあなたがいま、何かのチームに属しているなら、あなたはすでに全力を出していない。そしてそのことに、おそらく気づいてもいない。 綱を引く手が教えたこと リンゲルマンの実験は素朴だった。 1880年代から1900年代初頭にかけて、彼は農業機械の効率を研究する過程で、人間が集団で水平方向に荷を押したり引いたりする際のパフォーマンスを測定した。その結果は1913年に報告されている。一人で綱を引くとき、その人間は持てる力をすべて発揮する。二人になると、一人あたりの出力は約93%に落ちる。三人で85%。八人になると、49%。半分以下だ。 この数字の意味を考えてみてほしい。八人で綱を引いているとき、あなたは一人のときの半分も力を出していない。しかもそのことに自覚がない。全員が

By Sakashita Yasunobu

嘘が真実を食い尽くす朝

「この文は嘘である」 この一文を前にして、あなたは立ち往生する。もし真だとすれば、文の内容に従って偽になる。もし偽だとすれば、「嘘である」という主張が間違っていることになり、真になる。真だと仮定しても偽だと仮定しても、反対の結論にたどり着く。出口がない。 これは言葉遊びではない。2300年以上にわたってこの問いに取り組んできた哲学者と論理学者たちは、いまだに合意に至っていない。解決策はいくつも提案されてきた。どれも、別の問題を抱えている。 あなたが自分自身について何かを語ろうとするとき、同じ構造がそこにある。 循環の入口 試しにやってみてほしい。「この文は嘘である」が真か偽か、判定する。 真だと仮定する。この文は「嘘である」と主張しているのだから、偽になる。仮定と矛盾する。 では偽だと仮定する。「嘘である」という主張が偽ということは、嘘ではない。つまり真になる。やはり仮定と矛盾する。 どちらに転んでも矛盾する。そしてこの矛盾は、推論のどこかでミスを犯したから生じたのではない。前提そのものに埋め込まれている。 エピメニデスの不発弾 よく混同されるが、古代ギリシアの

By Sakashita Yasunobu

何でも飾れる額縁だけが残った

1917年、マルセル・デュシャンは既製品の男性用小便器に「R. Mutt」と署名し、「泉(Fountain)」と名づけてニューヨーク独立芸術家協会の展覧会に出品した。拒否された。それだけの話だ。だが「それだけ」のはずの出来事が、それ以降のすべての芸術を汚染した。美しさも技巧も素材の選択も関係ない。署名ひとつ、提示の身振りひとつで、便器が「芸術」を名乗れる。そしてその瞬間から、「芸術とは何か」という問いは回答不能になった。回答不能のまま、100年以上が過ぎている。 目で見えないものが芸術を決める 1964年、アンディ・ウォーホルはスーパーマーケットに並ぶブリロの箱と見た目がまったく同じ「ブリロ・ボックス」をギャラリーに置いた。哲学者アーサー・ダントーは、この事態に根本的な問いを見出した。視覚的に区別できない二つの対象のうち、片方だけが芸術である。では芸術を芸術にしているのは何なのか。 ダントーの答えは「アートワールド」だった。芸術作品を芸術たらしめるのは知覚可能な性質ではなく、理論と批評と歴史が編み上げた解釈の共同体、その「理論的雰囲気」なのだと。あなたには何も見えていない。文字

By Sakashita Yasunobu