考古学の自然科学的分析

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

遺跡の調査においては、遺物や遺構そのものの分析に加えて、遺跡周辺にどのような環境が広がっていたか、人々がその環境にどう働きかけていたか、遠隔地とどのようなつながりを持っていたかを解明することが重要な課題となる。本稿では、こうした課題に取り組むための手法として、珪藻分析、蛍光X線分析、および動物遺存体の分析を概説する。

珪藻分析

珪藻分析は、珪藻(けいそう)の種構成が水域環境によって異なることを利用し、遺跡の土壌から検出された珪藻を分析することで当時の水環境を復元する手法である。

珪藻は二酸化ケイ素(ガラス質)の殻を持つ単細胞の植物プランクトンであり、この殻が土壌中に長期間保存される性質を持つ。珪藻は水環境に敏感に反応し、水質の清濁、流水か停水か、塩分濃度の高低、水深の深浅といった条件によって生息する種が変化する。遺跡の土壌から検出された珪藻の種構成を既知の生態データと比較することで、その場所の過去の水環境を推定できる。

具体的な応用としては、環濠に水が流れていたか否かの判定、水田耕作の有無の推定、海進期における海岸線の復元などがある。分析にあたっては、特定の珪藻群が突出して検出される場合はその場所の当時の水域環境を直接反映していること(現地性)を示し、多様な種が均等に混在する場合は異なる場所から運ばれた珪藻が混ざっている(再堆積)可能性を示唆する。

蛍光X線分析

蛍光X線分析(XRF)は、試料にX線を照射し、試料から放出される蛍光X線の波長と強度を測定することで、含有元素の種類と量を同定する分析法である。

X線が試料中の原子に照射されると、内殻の電子が弾き出される。その空席を外殻の電子が埋める際に、元素固有のエネルギーを持つ蛍光X線が放出される。蛍光X線の波長は元素ごとに固有であるため、波長から元素の種類を、強度からその含有量を特定できる。

考古学における主な用途は、石器石材の産地同定である。同種の岩石であっても、産地によって含まれる微量元素の組成が異なる。特に黒曜石サヌカイトなどについては各産地の元素組成データベースが整備されており、出土石器の分析値と比較することで原料の産出地を高精度に推定できる。この結果から、古代の人々がどの地域から石材を入手していたかが明らかとなり、当時の移動経路や交易ネットワーク、地域間の社会的つながりを考察する手がかりが得られる。

動物遺存体の分析

動物遺存体の分析は、遺跡から出土した動物の骨や歯を形態学的に同定し、種や部位を特定することで、当時の食生活や人間活動を復元する手法である。

具体例として、ある中世遺跡の水路の土手から出土した骨の分析では、体高約120cmの馬の中手骨であることが判明した。この骨を放射性炭素年代測定に供することで、土手の構築年代が15世紀半ばから後半と確定された。このように、動物遺存体は食生活の復元だけでなく、遺構の年代を推定する試料としても活用される。

また、出土した動物の種類と部位の構成からは、その地域で飼育されていた家畜、狩猟の対象となった動物、儀礼に用いられた動物など、人間と動物の多様な関係を読み取ることができる。

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暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

By Sakashita Yasunobu

優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

By Sakashita Yasunobu

何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

By Sakashita Yasunobu