生きること
善も正義もない
あなたは善人ではない。正義の味方でもない。そんなことはとっくに知っている。知っていて、毎朝、善人と正義の味方のふりをして家を出る。その茶番を哲学は2500年かけて証明してきた。以下はその記録だ。読み終えても何も解決しない。むしろ、知らないふりが少しだけ難しくなる。 三等分の絶望 ケーキを三人で分けることを考える。 数学的には精密に三等分できる。しかし、ひとりが「チョコレートの側がいい」と言い、もうひとりが「大きいほうがいい」と言い、最後のひとりが「そもそもケーキなんていらなかった」と言ったとき、三等分という概念は崩壊する。欲望の形が違う人間たちに、ひとつの基準で「公平」を割り当てること自体が、最初から破綻した企てなのだ。 割り勘もそうだ。少食な人間が大食いの人間と同じ金額を払う。「不公平だ」と感じる。その感覚は素朴で、おそらく正当だ。しかし「正当な不満」が存在するなら、不満を解消する「正当な方法」も存在するはずで、その方法が何かについて、三人は永遠に合意できない。 正義とは、要するにそういうものだ。 無知は誰も救わない ジョン・ロールズは1971年の『正義論(