Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

生きること

善も正義もない

あなたは善人ではない。正義の味方でもない。そんなことはとっくに知っている。知っていて、毎朝、善人と正義の味方のふりをして家を出る。その茶番を哲学は2500年かけて証明してきた。以下はその記録だ。読み終えても何も解決しない。むしろ、知らないふりが少しだけ難しくなる。 三等分の絶望 ケーキを三人で分けることを考える。 数学的には精密に三等分できる。しかし、ひとりが「チョコレートの側がいい」と言い、もうひとりが「大きいほうがいい」と言い、最後のひとりが「そもそもケーキなんていらなかった」と言ったとき、三等分という概念は崩壊する。欲望の形が違う人間たちに、ひとつの基準で「公平」を割り当てること自体が、最初から破綻した企てなのだ。 割り勘もそうだ。少食な人間が大食いの人間と同じ金額を払う。「不公平だ」と感じる。その感覚は素朴で、おそらく正当だ。しかし「正当な不満」が存在するなら、不満を解消する「正当な方法」も存在するはずで、その方法が何かについて、三人は永遠に合意できない。 正義とは、要するにそういうものだ。 無知は誰も救わない ジョン・ロールズは1971年の『正義論(

By Sakashita Yasunobu

生きること

人生に筋書きはない

あなたがこの文章を読んでいるのは、偶然だ。 あなたがこの国に生まれたのも、この言語を読めるのも、今日という日にこの画面を開いたのも、すべて偶然だ。もちろん、あなたはそうは思わないだろう。人間はそう思わないようにできている。何かの意味がある、と。ここに至るまでの道のりには筋書きがある、と。 でも、本当にそうだろうか。 この文章は「運命」と「偶然」について考える。考えた結果、何か明確な結論にたどり着くつもりはない。たどり着けるとも思っていない。ただ、考えるほどに足場が崩れていく、その感覚を正直に書き残しておきたいと思った。 「運命」は後から書かれる 「あの出来事がなければ今の自分はいない」。誰もが一度は口にしたことがあるだろう。失敗も、偶然の出会いも、振り返ればすべてが一本の線でつながっているように見える。 だが、それは本当につながっているのだろうか。 ここで起きているのは、おそらく遡行的な意味づけだ。出来事が先にあり、物語は後から来る。私たちは過去の偶然を「あれは必然だった」と語り直すことで、人生に一貫性を与えようとする。だが、それは出来事そのものの性質ではなく、人間の認

By Sakashita Yasunobu

生きること

未来の自分は答えない

「もし未来の自分にひとつだけ質問できるとしたら?」 SNSで定期的に浮上するこの話題。コメント欄はいつも賑やかだ。宝くじの番号、株価、結婚相手の名前。楽しそうでいい。誰も深く考えていないし、たぶんそれが正解だ。 少しでも真面目に向き合うと、思った以上に深いところまで連れていかれる。 質問は自白だ たったひとつしか聞けないとき、あなたは何を選ぶだろうか。 「幸せですか?」と聞く人は、今、幸せかどうかわからずにいる。「仕事は続けていますか?」と聞く人は、今、仕事に不安を抱えている。「まだ生きていますか?」と聞く人のことは、ちょっと心配したほうがいい。 つまり、あなたが未来の自分に投げかける質問は、未来について何かを明らかにするのではなく、今この瞬間のあなたの不安の輪郭を、驚くほど正確になぞる。 未来を覗いているつもりで、覗き返されているのは自分のほうだ。 どう答えても壊れる 仮に「幸せですか?」と聞いたとする。 未来の自分が微笑んで「はい」と答える。安堵する。でも、その瞬間から何かがずれはじめる。「幸せになれる」と知ったあなたは、今の苦しみに耐える根拠を手に入れる代

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

AIの文章に価値はあるか

AIが生成した記事や、AIとのチャット履歴がネットに溢れている。そしてその大半は、正直なところ、読む気にならない。 AIの記事はなぜ退屈なのか 不思議なことに、AIとの対話は当人にとっては有意義であることが多い。問いを投げ、応答を得て、考えを整理する。その過程には確かな手応えがある。だが、同じやり取りを第三者が読むと、途端に退屈になる。 この落差はどこから来るのか。 AIとの対話で当人が得ているのは、「自分の問い」に対する応答だ。その問いの背後には、これまで何を考え、何に引っかかり、何を言語化できずにいたかという厚い文脈がある。応答がその文脈の上に載ることで、初めて対話に意味が宿る。 第三者にはその文脈がない。文脈を欠いた応答は、ただの情報の羅列だ。 ここに本質的な理由がある。多くのAI生成記事は「誰かの視点」を持たない。何を選び、何を捨てたかという編集の痕跡がなく、あらゆる方向に平等に情報が並ぶ。結果として、誰が書いても同じになるような文章が量産される。誰のものでもない文章は、読者に語りかけない。 シェイクスピアと猿 視点を変えてみよう。 有名な思考実験がある。

By Sakashita Yasunobu

技術

EthernetポートのLEDが示すもの

PCやルーターのEthernetポート(RJ45コネクタ)には、小さなLEDが2つ付いていることが多い。何気なく目にする光だが、それぞれが異なる情報を伝えている。 リンク状態と通信アクティビティ 一方のLEDは、物理的な接続の有無と、データの送受信状況を示す。 * 点灯していれば、ケーブルが正しく接続され、リンクが確立している * 点滅していれば、データパケットの送受信が行われている * 消灯していれば、ケーブルが抜けているか、相手側の機器が応答していない この点滅は一見すると何らかの規則的なパターンに見えることがあるが、実際にはネットワーク上のトラフィック(パケットの送受信)に応じて不規則に発生しているだけであり、点滅のパターン自体に意味はないことがほとんどである。点滅していない場合は、単に通信が発生していない状態である。 通信速度の表示 もう一方のLEDは、リンク確立時にネゴシエーションされた通信速度を色で示す。10/100/1000 Mbps対応のポートでは、一般的に以下のような構成になっている。 * ある色で1000 Mbps(ギガビット)接続を示す

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

日記を書こう

日記を書こう。 そう言ったところで、何を書けばいいかはわからない。何のために書くのかも、よくわからない。ただ、今日あったことを、今日感じたことを、どこかに書き留めておきたいという素朴な衝動がある。たぶんそれだけでいい。 断片を並べる場所 ブログの記事や論文には構成がある。伝えたいことがあって、それに向かって文章が組み立てられている。素材を選び、順序を決め、不要なものを削り、必要なものを足す。それは編集された自己の表出だと言えるかもしれない。 日記は、その手前にある。 編集する前の断片を並べる場所。まだ何が重要かわからない。何と何がつながるのかも見えていない。その日あった出来事、ふと頭をよぎった考え、目に入った光景。それらをただ、順不同で、脈絡もなく、並べておく。 そしてその断片は、書いた瞬間にはほとんど意味を持たない。 宛先のない手紙 日記の不思議なところは、書くときと読み返すときで、まったく違うものになるということだ。 書いている瞬間は、ただの記録にすぎない。今日こんなことがあった、こう思った。それだけのこと。でも三か月後、あるいは三年後に読み返すと、書いたとき

By Sakashita Yasunobu

技術

NTPのStratum階層とGPS時刻同期の仕組み

Windowsの時刻がずれやすいと感じたことをきっかけに、NTPの仕組みやStratum階層、GPSを用いた時刻同期について調べた内容をまとめる。 NTPとは NTP(Network Time Protocol)は、ネットワーク上の機器間で時刻を同期するためのプロトコルである。現在広く使われているのはNTPv4(RFC 5905)で、1985年の初版から改良が重ねられている。 NTPはStratum(階層)と呼ばれるツリー構造で時刻を配信する。上位の正確な時刻源から下位へ順に同期することで、ネットワーク全体の時刻精度を維持している。 Stratum階層 NTPのStratum階層は以下のように定義される。 * Stratum 0 : 基準時刻源そのもの。原子時計やGPS受信機などのハードウェアデバイスが該当する。Stratum 0はネットワーク上のサーバではなく、シリアルポートやUSBなどでStratum 1サーバに直接接続される * Stratum 1 : Stratum 0に直接接続されたNTPサーバ。プライマリタイムサーバとも呼ばれる * Stratum 2

By Sakashita Yasunobu

技術

Ghost CMSでKaTeXを使って数式を表示する方法

Ghost CMSには数式レンダリング機能が組み込まれていないため、外部ライブラリを導入する必要がある。本記事では、Khan Academyが開発した軽量な数式レンダリングライブラリであるKaTeXをGhostに導入する手順を解説する。 KaTeXの読み込み GhostのCode Injection機能を使い、サイト全体のヘッダーにKaTeXのCSSとJavaScriptを追加する。 Settings > Code injection > Site Header に以下のコードを貼り付ける。 <link rel="stylesheet" href="<https://cdn.jsdelivr.net/npm/katex@0.16.25/dist/katex.min.css>" integrity="sha384-WcoG4HRXMzYzfCgiyfrySxx90XSl2rxY5mnVY5TwtWE6KLrArNKn0T/mOgNL0Mmi" crossorigin="anonymous&

By Sakashita Yasunobu

大学生活

図書館をもう少し身近に

本を読むことのハードルは、思っているよりも高い。 「本を読め」と言われる機会は多いけれど、ではなぜ多くの人が読まないのかという問いに正面から答えるのは案外難しい。忙しいから、何を手に取ればいいのかわからないから、そもそも読書という行為が日常から遠いから。理由はいくらでも挙がるし、そのどれもがたぶん本当だ。 大学の図書館には膨大な蔵書がある。自由に手に取って、好きなだけ読める。それだけでも恵まれた環境のはずなのに、実際には試験前の自習スペースとして使われていることが多い。本棚の前を通り過ぎて、席に着いて、ノートを開く。蔵書は風景の一部になってしまっている。 もったいない、と思う。 ただ、「もっと本を読みましょう」という呼びかけだけでは、たぶん何も変わらない。読書の勧めは、すでに読書が好きな人には響くが、そうでない人にはなかなか届かない。必要なのは、呼びかけよりも手前にある、ちょっとした仕掛けなのだと思う。 三つの条件 仕掛けを考えるにあたって、大事にしたい条件が三つある。 誰かの負担にならないこと。 特定の誰かが毎日頑張り続けないと回らない仕組みは、早晩息切れする。できる

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

出版がブログに代替されない理由

インターネットが普及し、誰でも無料でブログを公開できる時代になった。にもかかわらず、書籍という形態はいまだに選ばれ続けている。技術的にはブログで全文公開すれば済む話なのに、なぜわざわざ出版するのか。この問いを整理してみる。 出版が果たしている機能 編集・校正という品質保証 ブログは基本的に著者一人で完結する。一方、出版には編集者・校正者が介在し、構成の見直しや論理的な矛盾の指摘が行われる。文章が長くなるほど、著者自身では気づけない問題が増えるため、第三者による検証の価値は高まる。 これは学術論文における査読(peer review)と同じ構造であり、公開前に一定の品質フィルタを通すことで、読者が内容を信頼しやすくなる。 「読了される」確率の違い ブログに長文を掲載しても、最後まで読まれるとは限らない。書籍の場合、読者は購入という金銭的コストを払っている。行動経済学でいうサンクコスト(埋没費用)の影響もあり、購入した本は最後まで読もうとする動機が働きやすい。 もちろんこれは「必ず読了される」ことを意味しない。しかし、無料のブログ記事と比較すれば、書籍のほうが読者の注意

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

感想文に何を書けばいいかわからない君たちへ

読書感想文を書けと言われて、一冊の推薦図書を読み終えたとする。読んでいるあいだは、まあ眠くならない程度には面白かった。でも本を閉じた瞬間に出てくる感想は「ふーん」だ。そこから800字を埋めろと言われて、途方に暮れる。 その気持ちは、よくわかる。 でも、ここでひとつだけ伝えたいことがある。感想文は、本当に何を書いてもいい。好き放題、何を書いたっていい。 少し昔の話をさせてほしい。 AIがまだ身近ではなかった頃、自分の思ったことを「それっぽく」見せるために、ちょっとした変換リストのようなものを持っていた。「なんかすげえな」と思ったら「感銘を受けた」と書く。「よく知らないけど、どうやらすごいらしい」は「心の琴線に触れた」になる。そうやって書き換えるだけで、まるで自分の感覚の解像度が上がったような気がしてくる。文筆家でもなんでもないし、自分の文章が上手いとも思っていない。ある種の処世術だ。下手くそで何が悪い、と開き直ってやっていた。 今なら、このくらいのことはAIがやってくれる。思いつくままにぽんぽんと言葉を並べて、あとはいい感じの体裁に仕上げてもらえばいい。 ただ、ここでちょっと

By Sakashita Yasunobu

技術

Markdownで文献出典を扱う実用的な方法

Markdownで文章を書いていると、学術的な小論や技術記事など、ある程度の正確さを求められる文書で文献出典をどう扱うかという問題に直面する。Markdownの仕様には脚注や参考文献を管理する標準的な仕組みがなく、エディタごとの独自拡張に頼ると将来の移行時に困る。本稿では、プレーンテキストとしての可搬性を保ちながら文献出典を扱う方法を比較し、実用的な選択肢を検討する。 前提と要件 文献出典の記法に求められる性質は以下の通りである。 * 可搬性: 特定のエディタやプラットフォームに依存しない。プレーンテキストとして意味が通じる * 執筆時の効率: 書いている途中で文献リストとの間を行き来する必要がない * 可読性: 出典の挿入が本文の読みやすさを大きく損なわない * 検索性: 後から特定の文献を参照している箇所を検索できる * 自己完結性: リンクや外部参照に依存せず、テキスト単体で出典情報が完結する リンクベースの参照([[]] やハイパーリンク)は、リンク先が移動・消失すると出典情報そのものが失われるため、長期的な文書管理には不向きである。 主な方法の比較

By Sakashita Yasunobu