女性はなぜ「他者」なのか

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本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。

『第二の性』が問うたもの

ボーヴォワールは『第二の性』(1949年)において、女性が歴史的・社会的に「他者」として規定されてきた構造を分析した。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は第二巻に置かれたものだが、第一巻『事実と神話』ではそれに先立つより根本的な問いが展開される。すなわち、なぜ女性は「他者」であり続けるのか、という問いである。

主体と他者

ボーヴォワールによれば、「男は〈主体〉であり、〈絶対者〉である。つまり、女は〈他者〉なのだ」(ボーヴォワール『第二の性』、17頁)。

「他者」という概念は、ヘーゲルやサルトルの哲学に由来する。ヘーゲルの『精神現象学』において、自己意識は他の自己意識との対自によってのみ自己を確立する。サルトルの実存主義もまた、主体は他者のまなざしのもとで自己を意識するという構造を明らかにした。主体は他者との関係においてのみ主体たりうるのである。

通常、この他者性は相互的なものである。レヴィ=ストロースの人類学的研究が示すように、原始的な諸部族においても、ある村にとっての「よそ者」は、自分の村にとっては「われわれ」である。ある集団にとっての「他者」は、別の集団にとっては「主体」である。しかし男女の関係においては、この相互性が成立しない。男は自らを「一者(主体・本質的なもの)」とし、女を「他者(非本質的なもの)」として一方的に位置づけてきた。

他の被抑圧集団との比較

ここでボーヴォワールが問うのは、なぜ女性はこの非対称的な関係を覆さないのかという問題である。歴史を見れば、プロレタリアートは自らを「われわれ」と呼び、ブルジョワジーを「他者」として対置した。アメリカの黒人やユダヤ人も同様の主張を行った。しかし女性は、集合的に自らを「われわれ」と名乗り、男性を「他者」として対置することがなかった。

なぜか。ボーヴォワールは、女性が置かれた状況の特殊性を指摘する。プロレタリアートや被植民地の人々と異なり、女性は支配者である男性と親密な生活を共にしている。女性は男性の伴侶であり、母であり、娘である。この親密さゆえに、他の被抑圧集団のような明確な「われわれ」意識が形成されにくい。

「特典」という罠

しかし、より本質的な理由がある。ボーヴォワールによれば、「主体は対立することによってのみ、自分を定める」(同上、20頁)。他者の存在は主体形成に不可欠であり、男性にとって女性を「他者」に位置づけることは自らの主体性を維持するために必要な行為である。

そして決定的なのは、女性自身が他者の位置に留まることで一定の利益を得ているという点である。ボーヴォワールの言葉を借りれば、女性は「上層カーストとの同盟が与えてくれる特典」(同上、26頁)を享受しているのだ。他者としての地位は抑圧であると同時に保護でもあり、自由を放棄する代わりに安全を得るという取引が成立してしまっている。

これは実存主義の文脈で言えば、「自由からの逃走」である。サルトルが論じたように、人間は自由の重荷から逃れようとする誘惑につねにさらされている。自己を「即自存在(即自的に完結した存在)」のように固定し、選択と責任の不安から逃れたいという誘惑である。女性が「他者」の位置に留まることは、この誘惑に屈することでもある。保護され、規定された役割のなかで生きることは、自由の不安を免れることでもあるからだ。

構造の解明から自由へ

ボーヴォワールの分析の独自性は、女性の抑圧を単なる外的な強制として描くのではなく、構造的な共犯関係として明るみに出す点にある。女性は一方的な犠牲者ではなく、不利な状況のなかで合理的に行動した結果として他者の位置に留まっている側面がある。しかしそれは、実存的な自由の放棄でもある。

ボーヴォワールは、他者化の構造を解明することで、女性が主体として自己を実現し、実存的自由を回復する道を探究した。その道は、保護の代償として自由を差し出すという取引を拒否し、リスクを引き受けつつも自らの主体性を引き受けることにある。『第二の性』は、そのための理論的基盤を提供した著作である。

参考文献

  • S・ド・ボーヴォワール『第二の性 Ⅰ 事実と神話』、『第二の性』を原文で読みなおす会訳、河出書房新社、2023年

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