大学構成員の多様化

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

多様化する大学構成員への対応によって、大学のあり方にも変化が生じている。大学には学問の研究を目的とする教授などのほかに、一般事務を行うその他の職員も存在する。そのどちらも巨大な組織である大学の運営に欠かせないものであるが、組織内での立ち位置や具体的業務は異なる。本稿では大学の主たる構成員を教員、職員、学生の三者に分けて整理し、それぞれの多様化が大学の組織運営にもたらす課題について考察する。

教員の役割と変化

大学教員は教育と研究の両方を担う存在であり、それが大学教員の最大の特徴である。近年では従来の研究・教育に加えて、産学連携や地域貢献、大学運営への参画など、教員に求められる役割は拡大している。また、任期付きポストの増加やテニュアトラック制度の導入など、雇用形態の多様化も進んでいる。こうした変化は教員のキャリアパスに影響を及ぼすだけでなく、大学全体の研究力や教育力にも関わる問題である。

職員の専門化

大学職員についても、その業務内容は大きく変化している。かつては教員の補助的な事務作業が中心であったが、現在ではIR(Institutional Research)、国際交流、広報戦略、産学連携のコーディネートなど、高度な専門知識を要する業務が増えている。大学経営が企業的な手法を取り入れるにつれて、職員の果たす役割はより戦略的なものへと変化しつつある。

学生の多様化

大学の組織の中には運営側だけでなく、大学が育成する学生という集団も存在する。社会から見れば、大学における学生の教育は人材育成事業としての側面も持つ。高等教育のユニバーサル化に伴い、入学する学生の背景や目的、学力は以前よりも多様になっている。留学生の増加、社会人学生の受け入れ、障がいのある学生への支援体制の整備など、学生の多様化に対応するための施策は多岐にわたる。

まとめ

大学の中でも種々の集団が入り交じり、それぞれが役割を分担しながら大学を組織している。そのなかでの働きの多様化に対して、大学としてはどのように対応していくことが求められているのか。教員・職員・学生のそれぞれが変化する社会の要請に応じて多様化するなかで、大学組織としての一体性を保ちつつ、各構成員の力を最大限に引き出すガバナンスのあり方が問われている。

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暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

By Sakashita Yasunobu

優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

By Sakashita Yasunobu

何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

By Sakashita Yasunobu