国際貿易体制と自由貿易の理念
第二次世界大戦の背景の一つに、戦間期における保護貿易の連鎖があった。この反省に立ち、戦後はGATTを起点とする多角的貿易体制が構築された。本稿では、保護貿易がいかにして世界大戦の遠因となったか、その反省から生まれたGATT/WTO体制の理念と原則、そして途上国への配慮としての一般特恵制度を整理する。あわせて、戦後の途上国の経済成長がもたらした世界史的意義にも触れる。
保護貿易の悪循環
戦前の経済危機のもとで、各国は自国産業を保護するために保護貿易に走った。この過程は深刻な連鎖を生んだ。
植民地帝国による関税自主権の濫用が自国中心主義を強め、市場の分断と対立をもたらした。各国が輸入関税を引き上げると、それに対抗して他国も関税を引き上げるという連鎖反応が生じた。さらにはブロック経済化が進行し、域内国には低い関税を、域外国には高い関税を課すという差別的な貿易構造が形成された。
この市場の囲い込みと対立が深刻化した結果、最終的には第二次世界大戦へとつながっていったのである。
GATT/WTO体制の成立
保護貿易がもたらした惨禍への反省から、戦後には関税自主権の濫用を防止する国際的なルールが整備された。その中核をなすのが、自由、無差別、互恵、多角を理念とする多角的貿易協定である。
1947年に締結されたGATT(関税及び貿易に関する一般協定)は、その後1995年にWTO(世界貿易機関)へと発展した。WTOの加盟国数は164に達しており、多角的貿易体制は着実に拡大してきた。
GATT/WTO体制の目的は、自国中心主義や市場の囲い込みとは正反対の方向、すなわち協調的で互恵的な発展の実現にある。根底には「平和のための貿易自由化」という明確な理念がある。
四つの理念と具体的な貿易原則
自由
第一の理念は「自由」であり、具体的には二つの原則として実現される。一つは数量制限の禁止であり、輸出入を数量で直接制限することを禁じるものである。もう一つは関税の引下げであり、関税を課すこと自体は認めつつも、その水準を段階的に引き下げることを求める。この二つが狭義の貿易自由化にあたる。
無差別
第二の理念は「無差別」であり、これも二つの原則に具体化される。
一つは内国民待遇であり、国産品を輸入品より優遇することを禁止することで、国内市場における内外無差別を実現する。もう一つは最恵国待遇であり、ある加盟国に与えた最も有利な貿易条件を他のすべての加盟国にも等しく適用することを義務づけるものである。これにより、相手国による差別が排除される。
互恵
第三の理念は「互恵」である。各国が相互にとって利益となる貿易関係を追求するという考え方であり、一方的な譲歩ではなく、双方にとっての利益を目指す。
多角
第四の理念は「多角」である。二国間の交渉では利害対立の調整が困難なため、多国間で利害を調整することで互恵的な結果を実現しようとするものである。これが多角的貿易交渉(ラウンド)と呼ばれる方式に結実した。
一般特恵制度と実質的平等
1971年、GATT体制のもとで無差別原則の例外として一般特恵制度が導入された。これは途上国からの輸入に対し、加盟国の判断で関税を減免することを可能とする制度である。
この制度が設けられた背景には、形式的な平等と実質的な平等の乖離がある。競争力に大きな差がある先進国と途上国に同一のルールを適用すれば、形式的には平等であっても、実質的には不平等な結果をもたらす。途上国の産品が先進国の産品と対等に競争することは、現実には困難だからである。
一般特恵制度は、この形式的な公平性を修正し、相手との貿易を実質的に公平なものにすることを目指す措置である。真の平等とは同じ扱いをすることではなく、実質的に公平な結果を実現することだという考え方がその根底にある。
戦後の途上国の経済成長とその世界史的意義
第二次世界大戦後、かつての植民地であった途上国が独立し、経済成長の道を歩み始めたことは、世界経済に大きな変化をもたらした。
途上国の経済成長は先進国にとって二つの意味を持った。第一に、途上国の人々が商品を購入できる経済力を持つようになり、先進国企業にとって販売市場が拡大した。第二に、途上国に雇用を求める多数の労働者が生まれたことで、先進国企業が安価で優秀な労働力を利用する可能性が広がった。これらは先進国の経済成長を支えるとともに、資本主義の世界的な発展を促す条件となった。
しかし、この変化の世界史的意義はさらに大きい。産業革命以来、世界経済は先進国が工業品を生産し、植民地や途上国が農産物や鉱物資源を供給するという農工国際分業の構造をとっていた。戦後、途上国が自ら工業化を進めたことは、この構造の根本的な変容を意味する。
とりわけ重要なのは、この工業化が「植民地を作ることなき工業化」であったという点である。歴史上、工業化は植民地からの原料供給と植民地市場を前提として進められてきた。途上国が植民地を持つことなく独自に工業化を達成したことは、人類の経済史における画期的な転換であった。