「いい写真」という言葉がすれ違うとき
「いい写真だね」。この一言に、どれだけの誤解が含まれているか。
あなたが「いい写真だね」と言ったとき、相手も同じ意味で受け取っているとは限らない。あなたは構図の美しさを褒めたつもりなのに、相手は「記録として価値がある」と受け取っているかもしれない。あるいはその逆。
「いい写真」の定義が会話で噛み合わないのは、感性の問題ではない。評価軸の問題だ。
5つの評価軸
写真を評価する軸は、少なくとも5つに分けられる。
記録。 何が写っているか。祖父母の若い頃の写真。震災の直後の街並み。もう取り壊された建物。記録としての写真は、そこに写っている「事実」に価値がある。構図が多少傾いていても、ピントが甘くても、そこに何が記録されているかが重要だ。
情報。 何を伝えているか。報道写真、商品写真、料理写真。これらの写真は、見る人に特定の情報を伝達することが目的だ。ニュースの現場で何が起きていたか、この料理がどれほど美味しそうか。情報としての写真は、伝達の正確さと効率が評価基準になる。
感情。 何を感じさせるか。子どもの笑顔、夕焼けの風景、祭りの熱気。感情としての写真は、見る人の心を動かすことに価値がある。技術的に完璧でなくても、感情を喚起する写真は「いい写真」と感じられる。SNSで「いいね」がつきやすいのは、この軸が強い写真だ。
造形。 構図、光、色の美しさ。写真を造形物として見る軸だ。三分割法、リーディングライン、色彩の調和。造形としての写真は、視覚的な美しさそのものが評価される。美術館に展示される写真は、多くの場合この軸が強い。
物語。 文脈や背景を含んだ意味。一枚の写真がどんな物語を語っているか。戦場カメラマンの一枚、家族アルバムの一枚、路上で偶然撮れた一枚。写真の前後に何があったか、なぜその瞬間にシャッターを切ったか。物語としての写真は、写真単体ではなく文脈とセットで評価される。
軸が違うと噛み合わない
この5つの軸を意識すると、なぜ写真の評価が噛み合わないかが見えてくる。
報道写真を「構図が悪い」と批判する人がいる。これは情報軸や記録軸で撮られた写真を、造形軸で評価している。報道の現場で三分割法を意識する余裕はないし、そもそもそれは目的ではない。
逆に、構図が完璧なスタジオポートレートを「何も感じない」と言う人がいる。造形軸では満点でも、感情軸や物語軸では何も響かない、ということだ。
スナップ写真を「何を撮りたかったのかわからない」と言われることがある。これは情報軸で評価しているのだが、撮った側は感情軸や物語軸で撮っている。撮った瞬間の空気感や偶然性に価値を感じているのに、「何が写っているか」で判断される。
同じ写真が180度変わる
一枚の写真を5つの軸で評価すると、評価が180度変わることがある。
たとえば、ブレた写真。記録軸では失敗だ。情報軸でも伝達に支障がある。だが感情軸では、ブレが動きや緊迫感を伝えることがある。造形軸では、意図的なブレが表現技法として評価される。物語軸では、撮影者が動揺していたことの証拠になりうる。
ピントが合っていない写真も同様だ。技術的には失敗だが、ボケが生み出す雰囲気や、ピントが合っていないことで逆に強調される何かがある。評価軸が変わると、欠点が長所に反転する。
コンテストの不透明さ
写真コンテストの結果に納得がいかないことがある。「なぜこの写真が入賞するのか」、「自分の写真のほうがいいのに」という不満。この不満の多くは、審査員と応募者の評価軸のズレから生まれる。
審査員が物語軸を重視しているとき、造形軸に自信がある応募者は納得できない。審査基準が明文化されていない場合、このズレは解消されない。
さらに、審査員が複数いる場合、審査員同士の評価軸もズレている。ある審査員は造形を重視し、別の審査員は感情を重視する。最終的な入賞作は、複数の異なる軸の妥協点として選ばれることになる。
「好み」の手前にある問題
写真の評価が噛み合わないとき、「まあ、好みだからね」で終わらせることが多い。確かに最終的には好みの問題ではある。だが、「好み」で片付ける前に整理できることがある。
評価軸が違うことを自覚するだけで、不毛な議論が減る。「あなたは造形軸で評価していて、私は感情軸で評価している。だから評価が違うのは当然だ」と整理できれば、相手の評価を否定する必要がなくなる。
これは写真に限った話ではない。映画の評価、音楽の評価、料理の評価。あらゆる「良し悪し」の議論で、評価軸の不一致が無自覚のまま放置されている。「好みが違う」の手前に、「軸が違う」という構造的な問題がある。
自分の軸を知る
最後に、自分自身の評価軸を知ることについて。
あなたが写真を撮るとき、5つの軸のうちどれを重視しているか。それを自覚しているかどうかで、他人の評価への反応が変わる。
もし自分が感情軸で撮っているなら、造形軸での批判は参考にはなっても、自分の写真の否定にはならない。もし自分が記録軸で撮っているなら、「芸術性がない」という指摘は的外れだ。
自分の軸を知ることは、他人の評価から自分を守ることではない。自分が何を大事にしているかを言語化することだ。言語化できると、他人との評価軸の違いを「対立」ではなく「差異」として受け入れられるようになる。
「いい写真」は一つではない。評価軸の数だけ「いい写真」がある。