日本語の音声体系

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

日本語の音声には、他の言語にはない独特の特徴がいくつもある。本稿では「外国語としての日本語」という視点から、日本語の音声体系を拍・アクセント・プロソディ・調音の各側面から概観する。

拍(モーラ): 日本語のリズムを支える単位

日本語の音声を特徴づける最も基本的な単位が「拍」(モーラ)である。拍とは、日本語話者にとって長さがほぼ等しいと認識される音韻的な時間単位のことだ。子どもの遊び「グリコ」で一歩ずつ手をたたくリズムに、この拍感覚が如実に現れている。

拍を数える基本原則は「仮名1文字=1拍」である。ただし例外がいくつかある。拗音(「ちゃ」「しゅ」「きょ」など)は仮名2文字で1拍として数える。また特殊拍として長音「ー」、促音「ッ」、撥音「ン」はそれぞれ独立した1拍である。「びょういん」は「び・ょう・い・ん」で4拍、「きっぷ」は「き・っ・ぷ」で3拍、「アンパンマン」は「ア・ン・パ・ン・マ・ン」で6拍となる。

日本語学習者にとって特殊拍は習得が難しく、撥音や長音を落としてしまう傾向がある。「こんにちは」が「こにちは」に、「りょこう」が「りよこ」になるといった誤りは典型的だ。

拍と音節の違い

拍と似て非なる概念に「音節(シラブル)」がある。音節は聞こえのまとまりを表す単位であり、特殊拍は先行する子音や母音と結びついて1つの音節を形成する。軽音節はCV(子音+母音)やV(母音のみ)の構造をとり、重音節はCVC(子音+母音+子音)やCVV(子音+母音+母音)の構造をとる。

「アンパンマン」を例にすると、拍で数えれば「ア・ン・パ・ン・マ・ン」の6拍だが、音節で数えれば「アン・パン・マン」の3音節になる。「こうつうあんぜん」も拍では8拍だが音節では4音節だ。

この差異は、日本語母語話者が外国語を聞き取る際にも影響する。英語の「McDonald's」を「マクドナルド」として聞き取ってしまうのは、日本語の拍感覚で音を処理するためである。

フット: 流暢さのためのリズム単位

初学者には拍を意識させることが重要だが、日本語らしい流暢さを養成するには「フット」というリズム単位が有効だとされている。フットは基本的に2拍を1まとまりとする韻律単位で、優先順位に従って構成される。まずCV+特殊拍(重音節)が2拍フットとなり、次に隣り合う仮名2文字が2拍フットを形成し、余った拍は半フットとなる。「おはようございます」をフットで区切ると「おは・よう・ござ・いま・す」となり、リズムは「タン・タン・タ・タン・タン」のようになる。

アクセント: 高低で意味を区別する仕組み

日本語のアクセントは英語のような強弱アクセントではなく、音の高低で区別する「ピッチアクセント」である。いくつかの重要な特徴がある。第一に、アクセントは拍単位で配置される。第二に、1拍目と2拍目は必ず高さが異なるという「初頭制約」がある。第三に、「高い→低い」の下がり目(アクセント核)が単語ごとに社会的習慣として決まっており、一度下がったら二度と上昇しない。

アクセント核の位置によって4つの基本型に分類される。頭高型は1拍目の後にアクセント核があり、「ジショ」「トイレ」などが該当する。中高型は語の中間部分にアクセント核があり、「アナタ」「日本」が例として挙げられる。尾高型は語の最後の拍にアクセント核があり、「花(はな)」「ナカマ」がこれにあたる。平板型はアクセント核がなく下がり目が存在しないもので、「鼻(はな)」「ワタシ」「ダイガク」などがこのパターンをとる。

アクセントには弁別機能もある。「アメ(飴)」と「アメ(雨)」、「ハナ(花)」と「ハナ(鼻)」のように、アクセントの違いが意味の区別に直結する場合がある。なお現代日本語では「彼氏」「サーファー」「図書館」など多くの語彙で平板化が進行する傾向がある。

東京式と京阪式

アクセント体系には地域差もある。東京式アクセントでは1拍目と2拍目の高さが必ず異なるが、京阪式アクセントでは1拍目と2拍目が同じ高さをとることもある。また一型アクセント(アクセントによる語の弁別がない体系)を持つ地域も存在する。

プロソディ: 5つの要素が織りなす韻律

プロソディとは語や文を超えた音声の特徴であり、5つの要素から構成される。

第一はアクセントの下がり目で、単語レベルでの高低変化パターンである。第二は拍の長さとリズムで、等時性を持つ拍のリズム感やフットによる韻律構造がこれにあたる。

第三はプロミネンスで、最も伝えたい部分を声の高さや大きさで際立たせることをいう。「先週 帯屋町で 友人と 映画を見た」という文で、どの部分を強調するかによって時間・場所・相手・行為のいずれに焦点を置くかが変わる。

第四はイントネーションで、文全体に現れる音調の変化である。「山田さんです。」と下降調で言えば断言となり、「山田さんですか。」と上昇調で言えば疑問や確認を表す。イントネーションの形は固定的ではなく、単語のアクセント、文構造、発話意図などによって決まる。

第五はポーズ(休止)の位置で、文の区切りや意味のまとまりを示す無音部分の配置である。「彼は泣きながら走り去る友人を見送った」という曖昧文は、ポーズの位置によって「泣いているのは彼なのか友人なのか」の解釈が変わる典型例である。

調音の3つの基準: 音を分析する枠組み

日本語学習者の発音を分析するには、音がどのように作られるかを理解する必要がある。音の違いは調音点(どこで息を止めるか)、調音法(どのように息を妨害するか)、声帯振動の有無(声帯が震えるかどうか)の3つの基準で特定できる。

調音点には両唇(マ・バ・パ行の子音)、歯茎(サ・タ・ナ・ラ行の子音)、歯茎硬口蓋(シ・チ・ジの子音)、硬口蓋(ヒ・ニの子音)、軟口蓋(カ・ガ行の子音)、声門(ハ・ヘ・ホの子音)がある。

調音法には鼻音(マ・ナ行: 閉鎖しつつ鼻から息を通す)、破裂音(カ・ガ・タ・ダ・パ・バ行: 完全閉鎖から急激に開放)、摩擦音(サ・ザ・ハ行: 狭い隙間を通す)、破擦音(ツ・チ: 閉鎖と摩擦の組み合わせ)、弾き音(ラ行: 舌先で歯茎を軽く弾く)、接近音(ヤ行・ワ行: 母音に近い)がある。

声帯振動については、のどに手を当てて発音することで有声音(濁音、マ・ナ・ラ行、ん)と無声音(清音、半濁音)を体感的に確認できる。

この枠組みを使えば、学習者の発音エラーを体系的に説明できる。「みっちゅ(正: みっつ)」は調音点が歯茎から歯茎硬口蓋にずれたエラー、「はたダきます(正: はたらきます)」は弾き音が破裂音に置き換わった調音法のエラー、「たいがく(正: だいがく)」は有声・無声が逆転した声帯振動のエラーである。

日本語の5母音

日本語には5つの基本母音がある。ア[a]は中央・低母音、イ[i]は前舌・高母音、ウ[ɯ]は後舌・高母音、エ[e]は前舌・中母音、オ[o]は後舌・中母音である。注目すべきは、ウが非円唇母音であることだ。多くの言語では後舌高母音は唇を丸めて発音するが、日本語のウは唇を丸めない。一方、オは日本語で唯一の円唇母音である。赤ちゃんが最初に発する「ママ」「パパ」「マンマ」がすべて両唇音であるのは、最も調音しやすい音が最初に習得されるためであり、学習者指導でも調音の難易度を考慮する必要がある。

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暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

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優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

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何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

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