日本語の語彙と意味

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

日本語の語彙は、その成り立ちや意味関係において豊かな体系を持っている。本稿では語の構造や出自、意味関係、そして比喩やオノマトペまで、日本語の語彙の世界を広く見渡す。

語彙の基本概念

「語」と「語彙」は区別が必要である。「語」は意味を持った、文を組み立てる最小の独立した単位であり、語形(音や文字)と語義(意味)、そして指示対象(実際のもの)から成り立つ。一方「語彙」は一定の範囲における語の集合を指す。「範疆という語を習った」と言えば個々の単語を指し、「新聞を読むのにどのくらいの語彙が必要か」と言えば語の集合を指す。

機能による分類として、名詞・動詞・形容詞・副詞など実質的な意味を持つ「実質語(内容語)」と、助詞・助動詞・接続詞など主に文法機能を担う「機能語」がある。「私は日本人だ」という文では、「私」「日本人」が実質語、「は」「だ」が機能語である。

日本語学習に必要な語彙量の目安としては、初級前半(N4相当)で約800語、初級後半(N3相当)で約1500語、上級(N1相当)で約10000語、そして現代日本語の成人母語話者の理解語彙は約40000語とされている。

語構成: 語はどう作られるか

語を構成する最小単位を「形態素(morpheme)」という。単独で語として使える「自由形態素」(私、日本)と、他の形態素と一緒でないと使えない「拘束形態素」(~人、~た)がある。

単純語は形態素が単独で構成される語で、「車」「手」「花」などがこれにあたる。合成語は自由形態素が複数結びついたもので、そのうち自由形態素同士の結合を「複合語」と呼ぶ。複合語の内部構造には、主語述語の関係(「雪解け」=雪が解ける)、修飾関係(「深海」=深い海)、並列構造(「衣服」「新旧」)といった様々なパターンがある。

派生語は自由形態素と接辞(拘束形態素)の結合である。接頭辞には否定を表す「無」「不」「非」「未」(無責任、不安、非日常、未来)や、程度を表す「大」「スーパー」などがある。接尾辞には職業を表す「~員」「~家」「~師」や、性質を表す「~的」「~化」、動詞化する「~がる」「~ぶる」「~つく」「~っぽい」などがある。なお否定の接頭辞「不」「無」「非」は似ているが微妙な使い分けがあり、入れ替えが困難な場合が多い。

畳語は同じ形態素を繰り返す語で、「国々」「重ねがさね」「ますます」「泣く泣く」などがある。

語種: 出自による分類と位相の違い

日本語の語彙は出自によって4つに分類される。**和語(やまとことば)**は古来からの日本固有の語、漢語は中国から借用された語、外来語は中国以外から借用された語、混種語は異なる語種の組み合わせである。

同じ概念を表す語でも、語種によって使用場面やニュアンスが異なる。宿泊施設を例にすると、和語「宿」は伝統的で親しみやすく、漢語「旅館」は格式的で日本的、外来語「ホテル」は現代的で国際的な印象を与える。同様に「台所」(和語・家庭的)、「厨房」(漢語・業務用)、「キッチン」(外来語・現代的)というように、語種の違いはそのまま使用場面の違い(位相)に結びつく。

なお、近代以降に西欧語の訳語として日本で作られた「和製漢語」も存在する。「市民」「哲学」「経済」「物理」「恋愛」などがその例である。

造語法と合成語の音韻変化

新しい語が作られる仕組み(造語法)には様々な方法がある。合成は既存の語を結合するもの(ストーカー行為、あおり運転)。**混淆(混成)**は2つの語の一部ずつを組み合わせるもので、「ブランチ」(breakfast + lunch)、「ブログ」(web + log)、「ワーケーション」などがある。縮約は長い語を短縮したもの(「コスパ」「就活」「AI」)。転成はある品詞が別の品詞として使われるもの(「まわり」: 動詞「回る」→名詞)である。

合成語が形成される際には、興味深い音韻変化が生じることがある。

連濁は後要素の語頭の清音が濁音に変化する現象で、「ひと+ひと→ひとと」「ほん+はこ→ほんこ」などに見られる。転音は前要素の末尾母音が別の母音に交替する現象で、「あめ+かさ→あがさ」「さけ+や→さや」などがこれにあたる。音便は前要素の末尾が促音や撥音に変化するもので、「とり+かかる→とかかる」などがある。

その他にも、音韻添加(「はる+あめ→はるめ」)、音韻脱落(「かわ+はら→かわら」)、連声(れんじょう)(「観音→かんのん」「因縁→いんねん」)といった現象がある。

意味関係: 語と語のつながり

語彙の世界では、語と語の間に様々な意味関係が存在する。

類義語は意味特徴を共有しつつ微妙に異なる語の組み合わせである。「教師」はピアノの教師など民間も含む広い概念だが、「教員」は主に学校教育機関に限定される。温度表現でも、「冷たい」は物の温度、「寒い」は気候・環境、「涼しい」は程度の軽い寒さと、細かな使い分けがある。

対義語は特定の1点において正反対の意味を持つ組み合わせである。相補関係(生と死、男と女)、程度性のある関係(高い↔低い、大きい↔小さい)、視点の違いによる関係(貸す↔借りる、教える↔習う)、相互依存関係(医者↔患者、親↔子)など、多様な反義関係がある。

上位語・下位語は、ある語の範囲が他の語の範囲をすべて含む関係である。「花」の下位語として「バラ」「菊」「ひまわり」があり、「動物」の下位語として「犬」「猫」、さらに「犬」の下位語として「チワワ」「柴犬」という階層構造がある。

多義語・コロケーション・慣用句

多義語は1つの語が複数の意味を持つものである。「落とす」は「高いところから移動させる(コップを落とした)」「なくす(財布を落とした)」「取り去る(汚れを落とした)」「下げる(順位を落とした)」など、文脈によって意味が大きく変わる。

**コロケーション(連語)**は、ある程度固定的な語の組み合わせのことだ。「傘をさす」「シャワーを浴びる」「約束を守る(破る)」「歯を磨く」など、共起する語が大体決まっている。学習者が「宿題を書く(正: する)」「シャワーに入る(正: 浴びる)」「薬を食べる(正: 飲む)」のような誤用をするのは、このコロケーションの習得が不十分なためである。

慣用句は連語全体で慣用的な意味を表すもので、「顔が広い(知り合いが多い)」「足を洗う(悪いことをやめる)」「さじを投げる(あきらめる)」などがある。

比喩表現: 言葉で世界を描く

日本語の比喩表現には4つの種類がある。直喩は「~ようだ」「~みたいだ」を使って類似性を明示する(「石みたいに固い」)。隠喩は比較語を使わずに一方の語で他方を表現する(「人生は旅だ」「曲の頭から歌う」)。換喩は関係ある別のもので言い表す(「お風呂が沸く」=お風呂の湯が沸く、「村上春樹を読んだ」=作品を読んだ)。提喩は上位語や下位語を使って表す(「花見」=桜の花見、「お茶でも飲みましょう」=飲み物全般)。

オノマトペ: 音で描く表現

日本語のオノマトペは、擬音語(無生物の音: ガシャン、ドンドン)、擬声語(生物の声: ワンワン、コケコッコー)、擬態語(音のしない状態や様子: のそのそ、じろじろ、キラキラ)に分類される。

オノマトペの興味深い点は、その体系性にある。語形パターンによって意味が変化する。語根の繰り返し(コロコロ)は連続性を、語根+「リ」(コロリ)は滑らかさやゆっくりした感じを、語根+「ッ」(コロッ)は瞬間性や一回性を表す。また音韻の清濁による意味の差異もあり、「コロコロ」(軽やか)と「ゴロゴロ」(重い)、「きらきら」(美しい輝き)と「ぎらぎら」(強烈な輝き)のように、濁音はより重く粗い印象を与える。

医療・介護の場面でもオノマトペは多用される。「ぞくぞく(悪寒)」「がんがん(頭痛)」「きりきり(鋭い痛み)」「ちくちく(針で刺すような痛み)」「しくしく(持続的な痛み)」など、体調を表現するオノマトペは日本語でのコミュニケーションに欠かせない。

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暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

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優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

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何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

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