カントにおける分析的判断と総合的判断
カントは『プロレゴーメナ』§2において、「綜合的判断と分析的判断の一般的区別」を論じている。この区別はカント哲学の出発点をなす概念装置であり、近代認識論の理論的基盤となっている。
分析的判断
分析的判断とは、述語が主語の概念の中にすでに含まれている判断のことである。カントは次のように定義する。
分析的判断は述語において、主語の概念のうちでそれほど明瞭に等しく意識されてではないにせよ、実際にすでに考えられていたもの以外のことは何も述べない。(『プロレゴーメナ』、25頁)
たとえば、「すべての物体は延長している」という判断において、「私は物体の概念を少しも拡張したのではなく、ただこの概念を分解しただけである。延長ということははっきりと述べられてはいないが、その物体という概念によってすでに判断より以前に実際上考えられていたのだからである」(同上、25頁)。物体という概念そのものに空間的な広がりという意味が含まれており、新しい情報は何も付け加えられていない。日常的に言い換えれば、「独身者は結婚していない」と言うのと同じで、「独身者」の定義そのものに「結婚していない」が含まれているため、これは単なる言い換えにすぎない。
カントによれば、「すべての分析的判断はまったく矛盾律にもとづいており」(同上、25頁)、分析的判断の真偽は矛盾律だけで判定できる。「物体は延長していない」と言えば「物体」の概念と矛盾するため、偽であることがただちにわかるのである。
総合的判断
一方、総合的判断とは、主語の概念の中に含まれていない新しい内容が述語として付加される判断である。
いくつかの物体は重い、という命題は、物体の一般の概念において実際に考えられていない或ることを述語のうちに含んでおり、したがってこの命題は私の概念に或ることを付け加えることによって私の認識をさらに拡張する。(同上、25頁)
「物体」の概念を分析しても「重さ」は必然的に導き出されない。重さは経験を通じて初めて知られる新しい情報であり、この判断は認識を拡大する。総合的判断は「矛盾律とは別の原理を必要とする」(同上、26頁)。
四つの判断類型
ここで、ア・プリオリ(経験に先立つ)とア・ポステリオリ(経験による)という区別を導入すると、論理的には四つの類型が考えられる。
- ア・プリオリな分析的判断。 分析的判断は主語概念の内容を述語として繰り返すだけであり、経験が関与する余地がない。したがって分析的判断はすべてア・プリオリである。
- ア・ポステリオリな分析的判断。 上と同じ理由で成立しない。
- ア・ポステリオリな総合的判断。 私たちが日常的に行う認識行為そのものであり、経験によって主語の内容に新しい情報を加える。ただし、カントが学的認識に求める普遍性と必然性をもたない。
- ア・プリオリな総合的判断。 経験に依存せず、かつ認識を拡大する判断。これこそがカントにとっての中心問題である。
ア・プリオリな総合判断
カントが提示した最も革新的な概念が「ア・プリオリな総合判断」である。ア・プリオリであるという点で経験によって左右されず、かつ総合判断であるという点で主語概念に新しい内容を付加する。一見すると、ア・プリオリと総合という二つの要素は両立しないように思える。
カントはこの概念を「7+5=12」という数学的判断で例示する。
七と五の和の概念が含んでいるのは二つの数を或る一つの数へ結合するということだけで、両方の数を総括するこの一つの数が何であるかは、その結合によってはまったく考えられていない。(同上、28頁)
「7+5」という表現には「7」と「5」と「+」(結合するという操作)しか含まれていない。これをいくら分析しても「12」という結果は導き出されない。もし「7+5=12」が分析的判断であるならば、それは同語反復にすぎないことになるが、明らかにそうではない。加算という操作を実際に遂行することではじめて「12」という新しい認識が得られるのであり、この点で総合的判断である。
しかし同時に、この判断は「つねにそれ以外ではありえないという意味で学的な普遍性と確実性をもっている」(福谷茂『哲学の歴史 第7巻』、127頁)。7個のりんごと5個のりんごを合わせれば必ず12個になるという事実は、実際に数えて確かめる必要がなくその正しさが保証されている。この意味でア・プリオリなのである。
同様に、「直線は二点間を結ぶ最短線である」という幾何学の命題も、「直線」の概念には質的規定(方向の一様性)しか含まれていないのに、「最短線」という量的規定が付加されている点で、ア・プリオリな総合判断である。
ヒュームの因果律批判への応答
カントがこの区別を精密化した歴史的背景には、ヒュームの因果律批判への応答がある。ヒュームは、原因とされる事象と結果とされる事象は単に連接しているだけであって必然的に連結されてはいないと主張し、因果関係の必然性を否定した。
カントはヒュームの批判を受け入れ、因果性が主語概念に内包された分析的関係ではないこと、つまり総合的な性格をもつことを承認した。そのうえで、なお学的認識の基礎を確保するために、経験そのものにア・プリオリな次元があることを明らかにしようとした。因果律そのものを「ア・プリオリな総合判断」として基礎づけることが、カントの究極の狙いであった。
この問題設定は現代の分析哲学においても、「カント研究者とカント主義の枠をはるかに超えて」(福谷茂『哲学の歴史 第7巻』、129頁)論じられ続けている。
参考文献
- カント, I.『プロレゴーメナ』岩波文庫.(原著: Kant, I. (1783). Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik.)
- 福谷茂「カント」『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場【18-19世紀】』加藤尚武編, 中央公論新社.