商品撮影で柔らかい光を作るモディファイヤー選び

商品撮影の仕上がりは、ストロボ本体の選択と同じくらいモディファイヤーの選択に左右される。本記事では「柔らかい光」を求める商品撮影の文脈で、モディファイヤーの選び方を原理から整理する。

光の柔らかさを決める原理

光の柔らかさ(影の境界がどれだけ滑らかか)は、被写体から見た光源の見かけの大きさで決まる。これは2つの要素に分解できる。

  • 光源の物理的な大きさ: モディファイヤーが大きいほど光は柔らかくなる
  • 光源から被写体までの距離: 近いほど見かけの大きさが増し、柔らかくなる

どれほど大きなモディファイヤーを使っても、被写体から遠ざければ見かけの大きさは縮小し、硬い光に近づく。モディファイヤーの選択と配置はセットで考える必要がある。

ソフトボックスの形状比較: スクエア vs. オクタゴン

よくある比較として、60×90cmのスクエア(長方形)と直径95cmのオクタゴン(八角形)がある。

発光面積

スクエア60×90cmの面積は5,400cm²。オクタゴン95cmは八角形としてスクエアよりひとまわり大きい面積を持つ。面積が大きいほど光源の見かけのサイズが増すため、同じ距離ならオクタゴンの方がわずかに柔らかい光になる。

映り込みの形状

金属やガラスなど光沢のある商品では、モディファイヤーの形状がそのまま映り込む。丸みのある八角形は、四角い反射よりも自然に見えることが多い。これは特にジュエリーや化粧品のパッケージなど、小さく光沢の強い商品で顕著になる。

光の均一性

八角形は各方向への光の広がりが比較的均一である。スクエアは長辺方向と短辺方向で光の伸びに差があり、影の出方に方向性が生じやすい。

スクエアが向く場面

一方で、ワインボトルやスプレー缶のような縦長の商品を縦構図で撮る場合や、窓からの自然光を模した方向性のある光を意図的に作りたい場合には、スクエアの長辺を活かした配置が有利になることもある。汎用的に使うなら、映り込みの自然さと光の均一性からオクタゴンが扱いやすい。

ランタン型ソフトボックス

「影をできる限り消したい」「被写体を均一に照らしたい」という目的に最も適したモディファイヤーの一つがランタン型である。

構造と特性

ランタン型は球状に近い形状をしており、光を360度方向に拡散する。通常のソフトボックスが前方に光を放射するのに対し、ランタン型は被写体の周囲を包み込むように照らす。影が「薄くなる」というよりも「あらゆる方向から光が回り込むことで影自体が生じにくくなる」という表現が正確である。

多くの製品は内部ディフューザーと外側の球体生地によるダブルディフューズ構造を持ち、光源のホットスポット(ストロボの発光点が透けて見える現象)を効果的に抑える。

運用上の利点

商品の真上から吊り下げるオーバーヘッドのセッティングと相性が良く、テーブルトップの小物撮影で特に力を発揮する。直径90cm程度の製品であれば組み立てと収納も比較的簡単である。

光量ロスへの注意

360度に光を放射する構造上、被写体に到達する光量の割合は通常のソフトボックスよりも低い。また、ダブルディフューズによるロスも加わるため、ストロボには相応の出力が必要になる。

パラボリック型ソフトボックスとの違い

直径120cm級のパラボリック型ソフトボックスも大型で柔らかい光を得られるモディファイヤーである。パラボリック型はその名の通り放物面の反射構造を持ち、光にある程度の指向性を与える。ランタン型が「全方向に拡散して影を消す」のに対し、パラボリック型は「大きな面光源でありながら光の方向をコントロールできる」点に特徴がある。影を完全に消すことよりも、柔らかい光で立体感を表現したい場合に向く。

柔らかすぎる光の注意点

極端に柔らかい光だけで撮影すると、被写体の陰影がなくなり立体感が失われる。曇天の屋外で撮影した写真がのっぺりして見えるのと同じ原理である。

スタジオ撮影の利点は、光の方向と強さを自在に組み合わせられることにある。例えばメインライトにランタン型で全体を柔らかく照らし、サブライトにオクタゴンやスクエアで方向性のある光を加えるといった組み合わせにより、「柔らかいが平坦ではない」ライティングが構築できる。

最初の1灯でランタン型を選ぶなら、将来の2灯目にはやや方向性のあるモディファイヤーを組み合わせることを見据えておくと、ライティングの幅が広がる。

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