ロック『人間知性論』における単純観念と固性
ジョン・ロック(1632-1704)の『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding, 1689)は、経験主義哲学の基礎を築いた主著である。ロックは第1巻で生得観念を否定し、第2巻で人間のあらゆる知識の素材である「観念」(idea) がどのように経験から生じるかを論じる。本稿では第2巻第2章から第7章を読解し、「単純観念」(simple idea) の概念とその分類を考察する。
単純観念とは
ロックによれば、観念は単純なものと複雑なものの二つに分けられる。氷の冷たさと硬さ、ゆりの匂いと白さを例にとれば、物の性質が感官を感発して生む観念はそれぞれ単純である。冷たさの知覚の中に硬さは含まれず、匂いの中に色は含まれない。こうした単純観念は「心での一つの均質な現象態ないし想念」のみを含む。
単純観念は一切の知識の材料であり、感覚と内省だけによって生じる。知性は蓄積した単純観念から複雑観念を作り出す力能を持つが、経験によって得られない単純観念を新たに作り出すことはできない。見たことのない色や食べたことのない味を想像できないという事実が、この限界を端的に裏付ける。
なお、人間が五つの感官を持つことは経験的な事実であり、仮に第六の感官があればそこから新たな単純観念が得られる可能性はある。しかしロックはこの問題を本論にとっては些末なものとして退け、五官を前提に議論を進める。
単純観念の四分類
ロックは単純観念を知覚の経路に応じて四種類に分ける。
- 特定の感官のみから得られるもの(色、音、匂い、味、熱、固性など)
- 複数の感官から得られるもの(空間、形、静止、運動)
- 内省のみから得られるもの(知覚、有意)
- 感覚と内省の双方から得られるもの(快苦、力能、存在、単一、継起)
特定の感官からの単純観念
色は視覚から、音は聴覚から、匂いは嗅覚から、味は味覚(上顎)からのみ得られる。触覚に固有のものとしては熱と固性が挙げられる。質感のようなものは触覚以外からも感知でき、多くは物質部分の固着度の程度に帰せられるため、触覚固有の単純観念とは区別される。
各感官に固有の単純観念は列挙しきれないほど多様であり、たとえば嗅覚ひとつをとってもバラとスミレの匂いは明確に異なる。ロックはすべてを列挙する代わりに、複雑観念の構成に広く用いられながら顧みられにくい「固性」(solidity) を重点的に考察する。
固性
固性の議論はロックの単純観念論の中でもとりわけ精密な分析が展開される箇所である。
定義
固性の観念は触覚によって受け取られる。ロックの定義によれば、固性とは「ある物体がその占有する場所を去るまで、この場所へ他の物体が入らないようにする、その物体に見出される抵抗から生ずる」観念である。物体同士を押し付けたときに感じる反発が、固性の端的な経験にあたる。
この性質を「不可入性」(impenetrability) と呼ぶこともできるが、ロックは不可入性を固性そのものではなくその帰結と見なし、より積極的な名称として固性 (solidity) を選んでいる。固性は物質にのみ見出される観念であり、物質に固有で分離できない本質的なものとされる。
固性と空間
固性は「物体に属して、物体が空間を満たすと想念させる観念」である。三つの物体を一直線に並べて衝突させるとき、中間の物体がはじき出されない限り両端の物体は接触しえない。物体の固性はその占有する空間を隙間なく満たしている。
柔軟な水滴でさえ体積を圧縮することは困難である。また、物体が運動した後に何も占有しない場所、つまり虚空を想定すれば、そこには空間的な広がりだけが固性を伴わずに存在すると考えられる。このような空間をロックは純粋空間 (pure space) と呼ぶ。
ここで問題になるのは「一つの物体が運動するとき、他の物体が静止したままであり得るか」という点であり、ロックはこれを肯定する。世界がすべて物質で充満しているという前提(充満説)に立つからこそ、ある物体の運動には隣接するすべての物体の連動が必要だという発想に至るのであって、固性の概念を正しく理解すれば、物体が去った後に純粋空間が残ることに問題はない。
固性と硬さの区別
ロックがここで特に力を入れて論じるのが、固性 (solidity) と硬さ (hardness) の違いである。この区別はロックの議論全体にとって決定的に重要である。
- 固性とは「充実していること」、すなわち「その占有する空間から他の物体をあくまで排除すること」。
- 硬さとは「物質部分がしっかり凝集して、全体がその形をたやすく変えないこと」。
机が他の物体と空間的に重なり合わないのは固性の働きであり、机が形を変えにくいのは硬さの働きである。
水は柔らかいが、その体積を圧縮することは極めて困難である。これは水が固性を持つことにほかならない。手を水に入れると手の部分の水は別の場所へ移動するが、水が消滅して手と同一の空間を共有するわけではない。机が硬いのは、机の構成物質の結合が強いため、触った程度ではその部分の物質が他の場所に移動しにくいというだけの話であり、水より多くの固性を持っているからではない。水は触った部分の物質が容易に他の空間に移動するにすぎない。
空気とダイアモンドは硬さにおいて大きく隔たっているが、どれほど圧力をかけても両者を同一の空間に押し込むことはできない。空気と水のように柔らかい物質同士でも事情は変わらない。固性はあらゆる物質が等しく持つ性質であり、硬さや柔らかさといった程度の問題とは根本的に異なる。
物体の延長と空間の延長
固性の概念によって、物体の延長 (extension of body) と空間の延長 (extension of space) が区別される。
- 物体の延長は固性を持ち、分離可能で運動できる部分の集合ないし連続である。
- 空間の延長は固性を持たず、分離不可能で運動できない部分の連続である。
二つの物体がぶつかったときに衝撃を生み、他方を押し出し、抵抗を生むのは物体が固性を持つからである。鉄球同士であれ羽毛同士であれ、程度の差はあっても衝撃は生じる。仮に衝撃の原因が硬さだとすれば、柔らかい物体同士では衝撃が全く生じないはずだが、実際にはそうならない。衝撃の原因は物体の硬さではなく固性なのである。
固性のある空間(物体が占有する空間)を認めた以上、固性のない空間、すなわち「物体に押し出される事物のない空間」も認められる。これが先に述べた純粋空間にあたる。
固性の経験的性格
最後にロックは、固性を確かめるには物体を手で押し合わせればよいと述べる。単純観念は経験によって教えられるものであり、経験なしに言葉だけで理解させることは、盲人に色を教えるようなもので不可能である。この比喩はロックの経験主義を端的に象徴している。
複数の感官からの単純観念
一つ以上の感官によって得られる単純観念には、空間(延長)、形、静止、運動の観念がある。これらは視覚からも触覚からも知覚できる。ロック自身、詳細な考察を後の章(第13章、第14章)に委ねている。
内省の単純観念
感覚が外部の対象から観念を受け取るのに対し、内省 (reflection) は心が「自分自身の作用を観察する」ことで観念を生む。
内省によって覚知される心の働きは大きく二つある。知覚 (perception) と有意 (volition)、すなわち思考することと意志することである。思考する力能が知性 (understanding)、有意の力能が意志 (will) にあたる。これらの働きから派生する観念の例としては、憶測、識別、推理、判断、真知、所信などが挙げられる。
感覚と内省の双方からの単純観念
外部の感覚からも内省からも得られる単純観念として、ロックは快苦、力能、存在、単一、継起を挙げる。
快苦
ほとんどあらゆる観念には快と苦の観念が結びついている。ロックのいう快苦とは「およそ私たちを心地よくさせ、あるいは、いらいらさせるいっさいを意味表示する」ものであり、感覚においても内省においても、ほぼすべての観念にこの快苦が付随する。
快は何かを積極的に行う方向へ、苦は何かを避ける方向へと人を動かす。ロックによれば、快苦は人間の保存、それも単なる保存ではなく完全な保存を意図した仕組みである。高温も低温も苦痛であるが、強い光は目を痛める一方で暗闇は目を痛めない。こうした非対称性は、苦が単なる回避反応ではなく特定の危害を回避するための合目的的な仕組みであることを示唆している。
さらにロックは、この世界に快苦が入り混じり常に不完全さが存在することにも意味を見出す。それは人間を「完全無欠な幸福のある世界」へ向かわせるための導きであるという。快苦の観念がさまざまな観念と広く結びついている根拠として、ロックは「万物の至高管理者を知って尊ぶことは私たちのいっさいの思惟の主な目的」であり「あらゆる知性の本来の仕事」であるからだと結論づける。ここにはロックの神学的な前提が明確に現れている。
存在と単一
観念が心にあると認めるとき、それに対応する事物の存在を自然と認めることになる。りんごの観念を持つとき、りんごに対応する何かが実在するのだろうと考える。あらゆる知覚は「存在」(existence) の観念を提示する。それと同時に、知覚される物は特定のある物であるから「単一」(unity) の観念も示唆される。「りんごが存在する」と同時に「このりんごが存在する」のである。
力能
身体を自分の好きなように動かせること、あるいは自然のうちに一つの物体が別の物体に働きかける能力を見出すこと。これが力能 (power) の観念である。火が水を沸騰させ、磁石が鉄を引き寄せるように、物体間に見出される作用の能力であり、今日の言葉で言えば因果関係の観念に近い。
継起
「何か思惟をする間は、いつも観念が列をなして過ぎゆき、切れ目なしに行ったり来たりするのを見いだす」とロックは述べる。外部の感覚においても内省においても、観念が次々と現れては去ることを見出す。これが継起 (succession) の観念である。
注目すべきは、ロックが外部に独立して流れる絶対的な時間から出発するのではなく、心の中で観念が次々と交替する内的経験から継起の観念を導き出している点である。時間は外から与えられるものではなく、知覚の連なりとしてまず内的に経験されるのだ。
おわりに
心はこれらの単純観念を感覚と内省によって受け取り知識として蓄える。そこから作り出される複雑観念は人間の思惟にとって無尽蔵だとロックは述べる。
第2巻第2章から第7章は、ロックの認識論の基礎工事にあたる。すべての知識が感覚と内省に由来する単純観念に遡るという主張は、第1巻の生得観念批判を受けて経験主義的な知識論の出発点を確立するものである。
とりわけ固性の議論は重要である。固性と硬さの区別を通じてロックは、物質が必ず持つ本質的性質とは何かという問いに一つの回答を与えている。この議論は後の第8章以降で展開される一次性質と二次性質の区別の伏線でもある。固性、延長、形、運動、静止は物体から分離不可能な一次性質として、色、音、味などの二次性質(一次性質が感官に作用した結果生じる観念)から区別されることになる。単純観念の分析は、ロックの経験主義を支える不可欠な基盤なのである。
本稿の引用は大槻春彦訳『人間知性論』(岩波文庫)に基づく。