レンズは一本でいい
カメラを買うと、たいていキットレンズがついてくる。標準ズーム、だいたい焦点距離18mmから55mm、開放F値は3.5から5.6あたり。便利だ。広角から中望遠までカバーして、とりあえず何でも撮れる。「初心者はまずキットレンズで十分」。よく聞く言葉だ。
十分なわけがない。
写りはレンズで決まる
カメラの画質を左右する要素は多い。センサーサイズ、画像処理エンジン、撮影設定。しかし、光がセンサーに届く前に通過するのはレンズだ。どれだけ優秀なセンサーを積んでいても、レンズが光を正確に導けなければ意味がない。
ズームレンズは、複数の焦点距離で一定以上の画質を出すことを要求される。広角端の歪曲収差を抑えれば望遠端の色収差が目立ち始めるといった具合に、設計上のトレードオフが避けられない。キットレンズは、その妥協の集大成だ。低コストで幅広い焦点距離をカバーするために、光学性能のあらゆる面で少しずつ譲歩している。
単焦点レンズは違う。ひとつの焦点距離だけに最適化されている。収差の補正、コントラスト、解像感、そのすべてを一点に集中させて設計できる。同価格帯で比較しても、単焦点レンズがズームレンズを描写力で上回ることは珍しくない。
明るさという決定的な差
キットレンズの開放F値は、だいたいF3.5からF5.6。焦点距離に応じて変動する可変絞りだ。望遠側ではF5.6まで暗くなる。
単焦点レンズなら、手頃な価格帯でもF1.8が当たり前に手に入る。F1.8とF5.6では、取り込める光量におよそ10倍の差がある。
この差が意味するところは大きい。暗い場所でもシャッタースピードを稼げる。ISO感度を上げずに済むからノイズが減る。そして何より、被写界深度が浅くなる。背景がなめらかにとろける、あのボケはキットレンズのF値では物理的に再現できない。
一本で十分な理由
ここからが本題だ。
「単焦点レンズはいい」。ここまでは多くの人が同意するだろう。しかし、もう一歩先がある。単焦点レンズは一本で十分だ。
カメラにはレンズをひとつしか装着できない。どれだけレンズを持っていても、シャッターを切る瞬間に使えるのは一本だけだ。ならば、その一本の描写力を最大にすればいい。
複数の単焦点レンズを持ち歩く選択肢もある。しかし、レンズ交換には時間がかかる。交換のたびにセンサーへの粉塵付着リスクもある。何より、「今どのレンズを使うべきか」を考えている時間は、写真を撮っていない時間だ。
一本のレンズと決めてしまえば、迷いがなくなる。50mmなら50mm。35mmなら35mm。その画角が、そのまま自分の視野になる。「もう少し広く撮りたい」なら後ろに下がる。「もう少し寄りたい」なら前に歩く。足がズームになる。
制約が生む視点
ズームレンズで撮っていると、構図の調整はズームリングの仕事になりがちだ。被写体との距離は変えず、画角だけを動かす。立ち位置が固定されたまま、フレーミングが完結する。
単焦点レンズでは、そうはいかない。構図を変えたければ自分が動くしかない。しゃがむ、立ち上がる、近づく、離れる、回り込む。身体ごと被写体との関係を組み直すことになる。
この違いは思いのほか大きい。レンズ越しに世界を切り取るのではなく、世界の中に入っていって、そこから撮る。カメラを構えた瞬間に「観察者」になってしまう危うさについてそこにいなかった人たちで書いたが、単焦点レンズ一本で撮ることは、その危うさを少しだけ和らげてくれるかもしれない。身体を動かし、距離を測り、光を読む。その一連の動作が、撮影者をその場に引き留める。
まとめ
キットレンズは悪いレンズではない。しかし「十分」とは程遠い。写りの核はレンズにあり、単焦点レンズは同価格帯でも圧倒的な描写力を持つ。
そしてもうひとつ。レンズを一本に絞ると、道具に悩む時間が消え、目の前の被写体だけが残る。何本も持ち歩くことが悪いとは言わない。ただ、一本だけ持って外に出てみると、見える景色が変わる。
自分の足で画角を作る。その不自由さの中にこそ、写真のおもしろさがある。