写真の物理学 ⑯ 収差の物理学
このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。
薄肉レンズの結像公式は、光線が光軸に対して小さな角度で入射するという「近軸近似」の上に成り立っている。現実のレンズでは光軸から離れた光線がこの近似を破り、さらにガラスの分散によって波長ごとに焦点位置がずれるため、像は理想的な一点に集まらなくなる。本記事では、このずれを総称する「収差」を、スネルの法則の非線形性と分散の両面から体系的に整理し、非球面レンズによる補正戦略と収差がボケの質に与える影響までを論じる。
スネルの法則の非線形性と近軸近似の限界
光と物質の相互作用で導いたスネルの法則は $n_1 \sin\theta_1 = n_2 \sin\theta_2$ である。薄肉レンズの結像公式を導出するとき、私たちは $\sin\theta \approx \theta$ という近似を使った。これが近軸近似であり、光軸に近い、角度の小さな光線だけを扱う限りにおいて成立する。
しかし $\sin\theta$ をテイラー展開すると、
$$ \sin\theta = \theta - \frac{\theta^3}{6} + \frac{\theta^5}{120} - \cdots $$
であるから、$\theta$ が大きくなると $\theta^3$ 以降の項が無視できなくなる。近軸近似とは、この級数の第1項だけを取る「1次近似」にほかならない。3次の項まで含めたときに初めて現れるのが、ザイデルの5収差である。つまり収差とは、スネルの法則の非線形性がレンズの結像に及ぼす影響を、展開の次数ごとに分類したものにほかならない。
5次以降の項を含めればさらに高次の収差が現れるが、実用上は3次収差(ザイデル収差)の理解がレンズ設計の基盤となる。
ザイデル5収差の体系
ルートヴィヒ・ザイデルは1856年、3次の収差を5つに分類した。光線の入射高 $\rho$(光軸からの距離、すなわち瞳上での位置)と像高 $h$(光軸からの像点の距離)を使って、各収差の依存性を整理すると次のようになる。
- 球面収差 : $\rho^3$ に比例。像高 $h$ に依存しない。
- コマ収差 : $\rho^2 h$ に比例。
- 非点収差 : $\rho h^2$ に比例。
- 像面湾曲 : $\rho h^2$ に比例(非点収差と同じ次数だが物理的意味が異なる)。
- 歪曲収差 : $h^3$ に比例。入射高 $\rho$ に依存しない。
$\rho$ の冪が大きい収差ほど絞りの影響を強く受け、$h$ の冪が大きい収差ほど画面周辺で顕著になる。球面収差は絞れば改善するが画面全域に影響し、歪曲収差は絞っても改善しないが画面中央には影響しない。このように、5つの収差はそれぞれ異なる振る舞いを持ち、レンズ設計において独立した課題を突きつける。
以下、各収差を順に見ていく。
球面収差
球面収差は、収差のなかで最も基本的なものである。光軸上の点光源から出た光であっても、レンズの周辺部を通る光線(マージナル光線)と光軸近くを通る光線(パラキシャル光線)とでは、屈折角の差によって焦点位置がずれる。
球面レンズの表面は、名前のとおり球面である。球面は製造が容易だが、光学的には理想的な形状ではない。光軸から離れた位置でレンズに入射する光線ほど、球面の曲率によって強く屈折される。その結果、周辺光線の焦点は近軸光線の焦点よりもレンズ側に寄る。この焦点のずれが球面収差である。
球面収差の量は入射高 $\rho$ の3乗に比例する。すなわち、レンズの有効口径を半分にすれば(2段絞れば)、球面収差は $1/8$ に減少する。絞りと有効口径の物理的意味で論じたF値の物理を踏まえると、絞りが球面収差の最も直接的な制御手段であることがわかる。もっとも、絞りすぎると回折限界が解像力を支配するため、収差低減と回折のあいだには最適絞りが存在する。
球面収差には像高 $h$ が含まれないから、画面中央でも周辺でも同じように現れる。開放でのフレアやにじみが画面全体にわたって観察されるのは、この性質による。
コマ収差
コマ収差は、光軸から外れた点光源の像が彗星(コメット)のように尾を引いて崩れる現象である。名前もラテン語の「coma(髪)」に由来する。
軸外の点光源からレンズに入射する光束を考える。この光束のうち、瞳の中心を通る光線(主光線)と瞳の周辺を通る光線では、レンズ面に対する入射角が異なる。球面収差は軸上でも発生したが、コマ収差は光束が光軸に対して斜めに入ることで、瞳上の位置による収差量の非対称性が加わったものといえる。
結果として、瞳の異なる環状領域を通過した光線群はそれぞれ異なる大きさの円として像面に到達し、それらの円の中心が像高方向にずれる。全体を重ね合わせると、点光源の像は三角形状に広がった「コマフレア」となる。
コマ収差の量は $\rho^2 h$ に比例する。したがって、絞ることで軽減されるが($\rho^2$ の項)、像高が大きい画面周辺ほど目立つ($h$ の項)。星景写真で画面隅の星が「鳥が飛んでいるような」形に崩れるのは、コマ収差の典型的な現れである。
非点収差
非点収差は、軸外の点光源の像が、方向によって異なる位置に焦点を結ぶ現象である。
軸外の光束がレンズを通過するとき、光軸を含む平面(メリジオナル面)内の光線と、それに直交する平面(サジタル面)内の光線では、レンズ面に対する曲率が異なる。メリジオナル面内ではレンズの曲率が急で強く屈折され、サジタル面内では曲率が緩やかで弱く屈折される。その結果、メリジオナル光線はより手前に焦点を結び、サジタル光線はより奥に焦点を結ぶ。
両者の焦点位置が一致しないため、どちらの焦点面にセンサーを置いても点光源の像は点にはならない。メリジオナル焦点面では像はサジタル方向に伸びた線になり、サジタル焦点面ではメリジオナル方向に伸びた線になる。両焦点面の中間に「最小錯乱円」が形成されるが、それでも点像にはならない。
非点収差は $\rho h^2$ に比例する。像高の2乗に依存するから、画面周辺で急速に増大する。一方、入射高 $\rho$ にも依存するため、絞ることである程度軽減できる。
ペッツヴァルの像面湾曲
像面湾曲は、非点収差がまったく補正された理想的な状態でもなお、最良像面が平面にならず湾曲する現象である。
1843年にヨーゼフ・ペッツヴァルが導いた条件式(ペッツヴァル和)によれば、レンズ系の像面の曲率半径 $R_P$ は各レンズ要素の屈折率 $n_i$ と焦点距離 $f_i$ によって
$$ \frac{1}{R_P} = \sum_i \frac{1}{n_i \cdot f_i} $$
と決まる。像面を平坦にするにはペッツヴァル和をゼロにする必要があるが、正の屈折力を持つレンズだけでこれを達成することはできない。負のレンズを組み合わせてペッツヴァル和を打ち消す必要がある。
像面湾曲は $\rho h^2$ に比例し、非点収差と同じ次数を持つ。しかし物理的な意味は異なる。非点収差はメリジオナル焦点面とサジタル焦点面が分離する現象(両者の「差」)であり、像面湾曲はそれらとは独立に、像面の基底そのもの(ペッツヴァル面)が湾曲する現象である。非点収差をゼロに補正して両焦点面を一致させても、ペッツヴァル和がゼロでなければ、その一致した像面は平面にならない。
平面のセンサーやフィルムに結像させる写真レンズにとって、像面湾曲は本質的な課題である。ペッツヴァル和を小さくするために、レンズ設計では正群と負群を組み合わせた対称型やレトロフォーカス型の構成が採用される。
歪曲収差
歪曲収差は、5つのザイデル収差のなかで唯一、像の「鮮鋭さ」を損なわない収差である。点光源の像は点のまま結ばれるが、その位置が理想的な位置からずれる。すなわち、像の幾何学的な形が歪む。
歪曲収差は $h^3$ に比例し、入射高 $\rho$ に依存しない。したがって、絞りを絞っても改善しない。これは5収差のなかで歪曲だけが持つ特徴である。
歪曲には2つの典型的な型がある。
- 樽型(バレル)歪曲 : 像の倍率が画面中央より周辺で小さくなり、正方形が樽のように膨らんで見える。広角レンズに多い。
- 糸巻き型(ピンクッション)歪曲 : 像の倍率が画面中央より周辺で大きくなり、正方形の辺が内側に凹んで見える。望遠レンズに多い。
建築写真で直線が曲がって写るのは歪曲収差の影響であり、現在ではRAW現像の信号処理で詳述するソフトウェアによる後補正が広く行われている。ただし、ソフトウェア補正は画素の再配置を伴うため、画面周辺部では実効的な解像力がわずかに低下する。
色収差
ここまでの5つのザイデル収差は、単一波長の光(単色光)に対して定義される単色収差である。電磁波としての光で論じたように、現実の光は複数の波長を含む。ガラスの屈折率が波長によって異なること(分散)に起因するもうひとつの収差群が存在する。これが色収差である。
軸上色収差(縦色収差)
ガラスの屈折率は短波長(青)ほど大きく、長波長(赤)ほど小さい。そのため、同じレンズでも青い光は赤い光より強く屈折され、焦点距離が短くなる。結果として、光軸上の白色点光源の像は波長ごとに異なる位置に焦点を結ぶ。これが軸上色収差である。
軸上色収差は、フリンジ(色の縁取り)として観察される。焦点面をどこに置いても、ある波長にはピントが合うが、別の波長にはピントが合わず、にじんだ色の輪が重なる。
倍率色収差(横色収差)
波長によって焦点距離が異なるということは、倍率も異なるということである。軸外の点光源は、波長によって像面上で異なる位置に結像する。これが倍率色収差であり、画面周辺でのみ顕著になる。
画面中央では倍率色収差は現れない(像高がゼロだから倍率差が位置ずれを生まない)。画面周辺で色ずれが放射状に現れるのが特徴であり、高コントラストのエッジ部分で色のフリンジとして目立つ。
色収差の補正
色収差の補正には、分散の異なるガラスを組み合わせる方法が用いられる。クラウンガラス(低分散)とフリントガラス(高分散)の凸レンズ・凹レンズを貼り合わせたアクロマートレンズは、2つの波長で焦点を一致させる。3つの波長で一致させたものをアポクロマートレンズと呼ぶ。
ガラスの分散特性はアッベ数 $V_d$ で定量化される。アッベ数が大きいほど分散が小さい。通常の光学ガラスのアッベ数は20から70程度だが、EDガラス(特殊低分散ガラス)は80以上、蛍石(フッ化カルシウム、CaF₂)は約95と極めて大きい。望遠レンズや高性能レンズにEDガラスや蛍石が採用されるのは、少ないレンズ枚数で色収差を高度に補正できるからである。
非球面レンズと収差補正の戦略
ザイデル収差の根本原因は、球面が光学的に理想的な曲面ではないことにある。理論上、点光源からの光を完全に一点に集束させる曲面は存在する(たとえば軸上の点に対しては放物面や双曲面)。しかし、あらゆる条件の光線を同時に一点に集束させる単一の曲面は存在しない。
非球面レンズは、球面からわずかに逸脱した面形状を持つレンズである。曲面の方程式に高次の項を加えることで、球面では達成できない光線制御を実現する。非球面レンズ1枚で球面レンズ数枚ぶんの収差補正効果が得られるため、レンズの小型化・軽量化にも寄与する。
レンズ設計における収差補正の戦略は、本質的にはトレードオフの管理である。5つのザイデル収差と色収差はそれぞれ独立したパラメータを持ち、ひとつを完全に消そうとすると別の収差が増大することがある。設計者はレンズの用途(ポートレート、風景、マクロ、天体など)に応じて、どの収差をどの程度まで許容するかを決定し、面の曲率、間隔、硝材の組み合わせを最適化する。
収差とボケの質
収差は通常「除去すべきもの」として語られるが、写真表現においては意図的に残される場合がある。その代表的な例が、球面収差とボケの関係である。
球面収差が残ったレンズでは、ボケの円を関数で記述するで定式化したボケ像が、ピント面の前後で非対称な構造を示す。周辺光線と近軸光線の焦点位置がずれているため、ピント面の前方ではボケ像の周辺が明るくなり(硬いボケ)、後方では中央が明るくなる(柔らかいボケ)。あるいはその逆の特性を示すこともある。これは球面収差の補正状態(過剰補正か不足補正か)によって決まる。
不足補正の球面収差(周辺光線がより手前に焦点を結ぶ場合)が残されたレンズでは、後ボケが柔らかくなる傾向がある。多くの「ボケが美しい」と評されるポートレートレンズは、意図的に球面収差の不足補正を残す設計がなされている。
一方、完全に球面収差を補正したレンズでは、前ボケも後ボケも均質な円盤(いわゆる「玉ボケ」のエッジが明瞭な円)になるが、背景のハイライトが硬い輪郭を持つため「騒がしい」ボケになることがある。
コマ収差もボケの質に影響する。画面周辺でボケ像が放射方向に伸びた楕円や三角形になるのは、コマ収差による非対称な光束の集束が原因である。
このように、収差の「残し方」がレンズの描写特性を決定する。レンズの個性とは、つまるところ収差の設計思想の違いにほかならない。
まとめ
収差とは、レンズの結像が理想から系統的にずれる現象を体系的に記述したものである。近軸近似の範囲内では理想的に機能するレンズが、現実の光線に対しては2つの異なる原因からずれを生じる。ザイデルの5収差(球面収差、コマ収差、非点収差、像面湾曲、歪曲収差)は3次の展開項から導出される単色収差であり、色収差はガラスの分散という別の物理現象から生じる。
これらの収差は、入射高 $\rho$ と像高 $h$ への依存性が異なるため、絞りや画面位置との関係もそれぞれ異なる。収差の理解は「なぜこのレンズはこのように写るのか」という問いに対する、物理学からの回答である。
次回の写真の物理学 ⑰では、こうした収差を含むレンズの総合的な結像性能を定量化する手法として、MTF(変調伝達関数)を扱う。