小さなブログにコメント欄もアナリティクスもいらない

小さな、熱意のあるサイト運営者へ。

ブログのコメント欄は閉じよう。まだ導入していないなら、導入しなくていい。

そしてアナリティクスも入れなくていい。少なくとも、Google Analytics(GA4)は入れるべきではない。

突拍子もないことを言っているように聞こえるかもしれない。でも、これは思いつきでも逆張りでもなく、実際に小規模ブログを運営してきた多くの人たちが、試行錯誤の末にたどり着いた結論だ。

コメント欄を閉じよう

そもそも誰もコメントしない

まず、厳しい現実から始めなければならない。

Jakob Nielsenが2006年に提唱した「参加の不平等(Participation Inequality)」の法則によると、オンラインコミュニティではユーザーの90%が閲覧のみ、9%がたまに参加し、積極的に投稿するのはわずか1%にとどまる。ブログのコメント欄ではこの偏りがさらに極端になり、95対5対0.1ほどになるとも指摘されている。

Participation Inequality: The 90-9-1 Rule for Social Features
In most online communities, 90% of users are lurkers who never contribute, 9% of users contribute a little, and 1% of users account for almost all the action.

Redditのブロガー向けコミュニティでも、この構造的な現実を裏付ける声は数多い。「コメントなんて誰もしない」、「ブログにコメント? 2014年の話だろ」。コメント欄を用意しても書き込む人はほとんどいないというのは、個人の不運ではなく、インターネットの構造的な性質だ。

Do you have comments enabled on your blog? Why or why not?
by u/Available_Rule_4246 in Blogging

来るのはスパム

コメントが来ないだけならまだいい。問題は、来るコメントの大半がスパムだということだ。

「6か月間コメントを有効にしていたが、来たのはスパムだけだった」、「一日に500件以上のスパムを手動で削除しなければならなかった」。Redditにはこうした報告が繰り返し投稿されている。コメント欄を開放しておくことは、読者との対話の窓を開けているのではなく、スパムボットに入り口を提供しているだけだ。

Do you think that having a commenting system on a blog offers value to the blog ?
by in Blogging

会話はもう別の場所で起きている

では、コメント欄がなかったら読者の声は永遠に届かないのか。そんなことはない。会話はすでにブログの外に移動している。

ソフトウェア開発者でブロガーのBozhidar Batsovは、自身のブログ記事がRedditで100件以上のコメントを集めても、ブログ本体のコメント欄には3件しかつかないという現実に直面し、コメント欄を完全に廃止した。

(think)
Bozhidar Batsov’s personal blog

議論はRedditで、感想はSNSで、質問はメールで。プラットフォームが分化した現在、ブログのコメント欄は会話の場としての役割をすでに終えている。これは衰退ではなく、インターネットの構造変化だ。

運営コストという深淵

コメント欄を維持するということは、モデレーションという終わりのない仕事を引き受けるということだ。

スパムの削除、不適切なコメントへの対応、返信の管理。あるブロガーは、コメント欄を運用していた頃は週に25時間から35時間をコメント管理に費やしていたが、閉じてからは週8時間で運営できるようになったと報告している。

小規模なブログ運営者にとって、このコストは致命的だ。書くことに使うべき時間とエネルギーが、コメントの管理に吸い取られてしまう。

さらに深刻なのは精神的なコストだ。荒らし、的外れな批判、敵意むき出しのコメント。コメント欄は善意の読者より、攻撃的なユーザーを引き寄せやすい構造を持っている。Redditのモデレーション系コミュニティでも、「モデレーションに疲弊して燃え尽きた」という声は非常に多い。

How do you deal with the effects of moderation on your mental health
by u/ZookeepergameFit2918 in modhelp

コメントシステム自体の時代遅れ感

一度、既存のブログ用コメントシステムを調べてみるといい。DisqusやCommentoといったサービスが主なものだが、現代的なUI/UXの水準に照らすと、率直に言って設計が古い。レスポンシブデザインやアクセシビリティの面でも、2020年代の基準を満たしていると言い難いものが多い。

裏を返せば、コメントシステムという領域自体が、もはやイノベーションの対象になっていないということだ。開発者もユーザーも、そこにあまり価値を見出していない。

コメント欄を閉じても何も失わない

「コメント欄を閉じたらSEOに悪影響があるのでは」という懸念を持つ人もいるかもしれない。しかし、コメントの数と閲覧数や被リンク数のあいだに有意な相関があるという証拠は見当たらない。コメント欄を閉じてもトラフィックへの影響はなかったという運営者の報告は、Redditでも複数確認できる。

Should I keep the comments open on my blogs?
by in Blogging

本当に記事に感動した人、本当に伝えたいことがある人は、コメント欄がなくてもメールを送ってくれる。むしろ、ある程度のハードルがあった方が、届く声の質は上がる。だからメールアドレスくらいは載せておくといいかもしれない。

本当のファンは、静かに支えてくれるものだ。

もしコメント欄を残すなら

全面的に閉じることに抵抗があるなら、限定的な運用を検討する手はある。たとえば、記事公開後14日間だけコメントを受け付けて、それ以降は自動的に閉じる。あるいは、コメント欄の代わりに専用のRedditスレッドやDiscordサーバーへのリンクを貼る。こうした方法なら、読者の声を完全に遮断することなく、運営コストを大幅に下げられる。

いいねボタンについて

コメント欄の代替として「いいねボタン」を検討する人もいるだろう。一見すると手軽で害のない機能に見える。

しかし、結果は火を見るより明らかだ。いいねの数を気にし始めれば、それはSNSの構造をブログに持ち込んでいるのと同じことになる。インプレッションを追い、数字に一喜一憂するブログにしたいだろうか。

いいねボタンひとつで、あなたのブログは「書く場所」から「評価される場所」に変質する。

アナリティクスも手放そう

GA4の問題

Google Analytics 4(GA4)は、個人ブログには明らかに過剰なツールだ。そして過剰なだけでなく、構造的な問題を抱えている。

GA4はユーザーの行動データを詳細に収集し、そのデータはGoogleのサーバー(主に米国)に送信・処理される。2022年、オーストリアのデータ保護当局(DSB)が、Google Analyticsを介した個人データの米国への移転がEU一般データ保護規則(GDPR)に違反すると判断した。その後、フランスのCNIL、イタリアのGaranteも同様の判断を下している。

NOYB enforces your right to privacy everyday
Noyb - European Center for Digital Rights is a non-profit organization based in Vienna, Austria.
Is Google Analytics a privacy risk in 2024?
by u/Grubnenark in privacy

「日本のサイトだから関係ない」と思うかもしれない。しかし、GDPRはEU域内の個人を保護する規則であり、サイトの所在地ではなくアクセス元が基準になる。EUからのアクセスがゼロであることを保証できない限り、無関係とは言い切れない。

そもそも、法的リスクの有無にかかわらず、読者のプライバシーを犠牲にしてまで得たいアクセスデータが個人ブログにどれほどあるのか、一度冷静に考えてみる価値はある。

数字の呪縛

GA4の問題は、プライバシーやコンプライアンスだけではない。もっと根深い問題がある。

ページビュー、直帰率、平均滞在時間。アナリティクスが提供する数字は、一見すると有用な経営指標に見える。しかし小規模な個人ブログにおいて、これらの数字は書き手の精神を静かに蝕む。

「あの記事は100PVしかなかった」、「今月はアクセスが減った」。数字を見れば、必ず何らかの自己評価が生まれる。それは学校の成績表と同じ構造だ。結果が良ければ一時的に安心し、悪ければ落胆する。やがて、書きたいことを書くのではなく、数字が伸びそうなことを書くようになる。

Redditのr/nosurf(デジタルデトックス系コミュニティ)では、個人ブログを「現代のSNSに対する解毒剤」として位置づける議論が活発だ。そこで繰り返し語られるのは、「アナリティクスを入れないことこそが、ブログをSNS化させない最大の防衛策だ」という主張だ。

Personal blogging as an antidote to modern social media
by u/Dunnersstunner in nosurf
Growing and not caring about Analytics
by u/MattKingwashere in Blogging

世の中には「10記事で月○万PV」、「ブログで月収○万円」といった情報があふれている。そんなものは無視していい。あなたのブログの価値は、数字では測れない。

プライバシー重視の代替手段

とはいえ、ビジネス上の理由などでアクセス状況をまったく把握できないのは困るという場合もあるだろう。

その場合は、PlausibleやSimple Analyticsといったプライバシー重視の軽量アナリティクスを検討するといい。これらのサービスはCookieを使用せず、個人を特定するデータを収集しない設計になっている。EU圏でも法的な懸念なく利用でき、Cookieバナーの表示も不要だ。

Simple, privacy-focused website analytics without cookies or personal data collection
by u/DRXIDexe in webdev

GA4とは根本的に設計思想が異なる。必要最小限の情報を、読者のプライバシーを尊重しながら取得できる。どうしてもアクセス解析が必要なら、こちらを選ぶべきだ。

あなたのブログはあなたの場所だ

ここまで、コメント欄とアナリティクスを手放すべき実務的な理由を述べてきた。スパム、運営コスト、プライバシー、SEOへの影響のなさ。どれも現実的で重要な論点だ。

でも、もっと大切なことがある。

小さなブログを運営しているあなたは、おそらくお金のためだけに書いているわけではないだろう。世界を少しでもよくしたいとか、誰かの役に立ちたいとか、あるいはすごく美しい詩を届けたいのかもしれない。そういう動機で書いているのだと思う。

だからこそ、書くことそれ自体に満たされてほしいんだ。つらく思ってほしくない。

コメントの数、いいねの数、PVの推移。こうした外部からの信号に頼って自分を奮い立たせるのではなく、書くこと自体から力を得てほしい。それは難しいことだと思う。でも、ブログなんて究極的には日々の学びや考えをもったいぶって書いているだけのものだ。SNSとそこまで違うものでもない。

コメント欄を閉じることは、議論から逃げることではない。アナリティクスを入れないことは、現実から目をそらすことではない。それは、自分の場所を守るための選択だ。

あなたのブログ、あなたのサイト、あなたのオンラインの居場所。そこでは、静かに自分の意見をそよ風に載せるように、好きに、穏やかに、自由にしたらいい。

大草原の中で、口笛を吹くようにさ。

Read more

暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

By Sakashita Yasunobu

優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

By Sakashita Yasunobu

何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

By Sakashita Yasunobu