大学の戦略的ガバナンス

📝
本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

社会は変わり、大学を取り囲む環境も大きく変わった。これにより大学もよりよいあり方をそれぞれが自問する時期を迎えている。大学が象牙の塔であり続けることは時代に合わなくなっており、効率的な経営が求められるようになった。効果的な経営を戦略的に進めていくうえで、統制には内的なものと外的なものがある。本稿では内的な統制としてガバナンスに着目し、戦略的なガバナンスが求められる背景と今後の展望について論じる。

大学のガバナンスの現在

大学のガバナンスの必要性が生じた背景を、経営という視点と組織モデルという二つの視点から考察する。

経営から見たガバナンスの必要性

Michael Shattock によれば、大学経営の手法は university administration(大学管理)から university management(大学経営)へ、そして現代では strategic management(戦略的経営)へと段階を経て移行しているという(1)。また、Shattock は戦略的経営が注目され始めた背景には「大学の財政が安定してきたことに加え、高等教育への投資に対する責任が生じるという仮定に基づいている」と考察している(2)。

さらに宮嶋によれば「現代社会は、グローバル化や情報化、少子高齢化などの大きな環境の変化の中にあり、大学においても、この環境の変化に迅速に対応できる組織運営体制の構築が必要となってきた」と、社会が大学へ改革を促したという視点からの考察がなされている(3)。

大森はこうした諸変化を踏まえつつ、「これらの諸変化は、総じて、高等教育機関の全学的マネジメントの必要性を強め、学部・研究科や学科・専攻等の教育研究組織単位の自立性を弱める方向に働く」と指摘している(4)。つまり、大学に対する外的な管理が強まる一方で、内的な統制が弱まる傾向があるということである。

大学組織モデルの視点から

McNay(1995)によって提唱された同僚制、官僚制、法人制、企業制の四区分のうち、両角によると「世界の大学は同僚制・官僚制から法人制・企業制に向かっている」とされる(5)。

Martin Trow(1973)の提唱した大学の段階区分において、日本はいまやユニバーサル型に移行しており、人口の半数以上が大学に進学することが可能な社会となっている。文部科学省の学校基本調査(6)によれば、私立大学の数と在学者数はともに全体の80%近くを占めている。これは自由な経営が求められる現代社会の要求が経営方針として現れたとみることもできるだろう。こうした経営方針の転換は外的な統制の表れと考えることができる一方で、内的な統制も不透明ながら生じていると考えるのが妥当である。

ガバナンスの今後

Maurice Kogan は、大学における学生の学びに変化が起きていると主張している(7)。社会全体として多様性(diversity)が尊重されるようになり、大学においても学生の多様性を認めていく方向へ舵を切る必要があるということである(8)。学生の多様化は大学のユニバーサル化に伴い生じたものであり、大学のステークホルダーの多様化も同様に進行していると考えられる。つまり現代において「多様化」がキーワードとなっており、大学のガバナンスはこの多様化にどう対処していくかが問われている。

組織モデルの選択

法人制では厳格な規制がはたらくため、多様性を抑圧してしまう可能性がある。そのため企業制への移行が望ましいと考える。しかし企業制をとるうえで、ガバメント(外的統制)の軽視があってはならない。地域連携や生涯学習を担う一端としての大学を考えると、ステークホルダー側からの統制も必要であるからだ。大学を自律のままにせず、外からの圧力があることで、よりよい大学のあり方を模索することが可能になるのではないだろうか。

権力の集中と分散

自由度のある政策を素早く浸透させることを目的として、経営の権限は学長などに集約される方向で近年は進んでいる。たしかに権力が集中することは意思決定の迅速さにつながる一方で、少なくない経営失敗のリスクを負うことも忘れてはならない。このことは宮嶋によっても指摘されている(9)。そこで、ある程度の自由度を有する経営方法として、部署ごとにも一定の権限を残していくことで権力の分散を図り、健全なガバナンスを目指していくべきだと考える。

戦略的ガバナンスの先にあるもの

ガバナンスから戦略的な経営方針が定められるため、戦略的ガバナンスへの移行は、宮嶋が述べている(10)教育政策やマーケティング政策などの運営手段をも変えていくことが期待できる。ガバナンスの改革がその先にある種々の課題解決につながるきっかけとなる可能性を秘めている。

インターネットによる授業も普及し始め、デジタル化に関しては明らかに過渡期にある。そうした社会のなかで、常に大学のあり方を模索し続けることが重要である。戦略的ガバナンスの確立は、大学が変化する社会に柔軟に対応しながら、その本来の使命を果たしていくための基盤となるだろう。


  • (1) Shattock, Michael. "Strategic Management in European Universities in an Age of Increasing Institutional Self Reliance." Tertiary Education and Management 6, no. 2 (2000): 93-94
  • (2) Ibid. p. 94
  • (3) 宮嶋恒二「第2章 大学の戦略的経営を支えるガバナンス」『大学の戦略的経営手法』岩崎保道 編、大学教育出版、2016年、pp. 15-27
  • (4) 大森不二雄「第11章 大学のガバナンス」『大学経営・政策入門』東京大学大学経営・政策コース 編、東信堂、2018年、pp. 209-232
  • (5) 江原武一・杉本均『大学の管理運営改革: 日本の行方と諸外国の動向』東信堂、2005年
  • (6) 文部科学省「令和3年度学校基本調査(確定値)報道発表資料」令和3年12月22日
  • (7) Kogan, Maurice. Governing Knowledge: A Study of Continuity and Change in Higher Education. Springer Netherlands, 2005, pp. 81-94
  • (8) Ibid. pp. 81-94
  • (9) 宮嶋恒二、前掲書、pp. 15-27
  • (10) 同書、p. 16

Read more

暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

By Sakashita Yasunobu

優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

By Sakashita Yasunobu

何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

By Sakashita Yasunobu