生きること

We die, and we know it. These entries sit with what that means: freedom, solitude, happiness, time, memory, choice. None of them arrive at comfort. They ask what it is to remain here, awake to the weight of it, without turning away.

生きること

美しさに応えるということ

日常が美しいのは、それが過ぎ去るからではない。 それ自身として美しい 季節の移り変わり、窓から差す午後の光、何気ない食卓の風景。こうしたものに心を動かされるとき、「儚いから美しい」という説明がよく使われる。やがて失われるから、今この瞬間が尊い、と。 その感覚はわかる。だが、どうしても違和感が残る。 儚さに美の根拠を置くと、美しさは「失われること」の副産物になってしまう。永遠に続く穏やかな日々があったとして、それは美しくないのか。変化しない安らぎは、美の資格を持たないのか。 そうではないと思う。日常はそれ自身として美しい。失われるから美しいのではなく、ただそこにあることが、すでに美しい。 鑑賞者がいなくても ここで一つの思考実験をしてみる。 美しさには通常、見る側と見られる側がある。鑑賞者と対象。だが、「それ自身として美しい」と言うとき、鑑賞者の存在は本当に必要だろうか。 誰もいない森の中で、光が木漏れ日となって地面に落ちている。それは美しいか。 「美しいと感じる人がいなければ美しくない」と言うこともできる。だが直感的には、誰もいなくても、あの光は美しいと思える。

By Sakashita Yasunobu

生きること

なぜ私たちは書くのか

何かを問うとき、私たちはしばしば、すでに答えを知っている。 問いの逆説 たとえば、議論の場で質問が出ない光景を思い浮かべてほしい。参加者は質問を考えているようで、実は探しているのは問いではなく、期待する答えの方だ。「こう言ってほしい」という感覚がまずあって、それを質問の形に翻訳しようとしている。少し考えれば自力で辿り着けそうだと気づけば、結局聞かない。 これは怠惰ではない。問いの構造そのものがそうなっている。 一方で、純粋に知らないことを尋ねる場面もある。明日の天気。専門外の事実。自分の経験の外にある情報。これらは情報の要求であり、検索すれば事足りる。便利ではあるが、そこに対話としての深みはない。 この二種類の間に、もう一つの問いがある。答えの輪郭はぼんやり見えている。しかし言葉にならない。自分が何を考えているのか、書いてみるまでわからない。この第三の問いにこそ、書くことの核がある。 自己との対話 書くとは、自分の中の曖昧な感覚を言語に変換する作業だ。変換の過程で、自分が何を考えていたかが初めて明らかになる。言語化された考えに対して、今度は自分自身が批判者として応答す

By Sakashita Yasunobu

生きること

電子のゴミ

私は自分がつくるものをすべて「電子のゴミ」と呼んでいる。 別に気取っているわけでも、深刻ぶりたいわけでもない。ただ、少しだけ正直に言ってみただけだ。 文章を書く。写真を撮る。何かをつくる。それらはすべてデジタル機器の上で行われている。物理的に見れば、CPUの演算、RAMに保持された一時的な電荷、ストレージ上の微小な磁気パターン、ネットワークを流れる電気信号。いってしまえば、電子がどこかに移動して、どこかに留まって、その程度のことだ。 もちろん、厳密にはそう単純ではない。デジタルとはいえ、その土台にはアナログな物理過程がある。何かを書く行為が世界にまったく影響を及ぼさないとは言い切れないし、ちょっとした発信が思わぬ波紋を呼ぶことだってある。 でも、と思う。 画面に映る文字は液晶の発光パターンだ。紙に印刷すればインクの染みだ。ディスプレイの電源を落とせば、表示されていたものは消える。LEDが光を放つのも、インクが紙に定着するのも、結局は物理現象に過ぎない。 自分がそのとき抱いた価値。それは、LEDのちらつきだったのかもしれないし、インクのシミだったのかもしれない。 だから、電

By Sakashita Yasunobu

生きること

おそらく人生でもっとも暇な時を過ごす君たちへ

大学受験を終えた高校生。就活を早々と終えた大学生。 何年ものあいだ、勉強や準備に打ち込んできたのだろう。結果がどうであったにせよ、まずはお疲れ様だ。 これから過ごす時間は、おそらく君たちにとって素晴らしい、かけがえのない時間になる。もちろん、そうなるように日々を過ごしていくのは君たち自身だけれど、それでも「やっぱり違った」というなら、そのときは一言文句を言ってくれて構わない。 まだ後期の試験を控えている人、来年に向けてもう一年頑張らなければいけない人もいるだろう。心から応援している。 たぶん人生の前半で、今がもっとも暇で、もっとも目的がなく、もっとも圧力がない。あらゆる意味でもっとも解放された自由な時間だ。人生全体を見渡しても、こうした時間はそう何度も訪れるものではない。 で、大事なのは、この時間をどう使うかだ。 おすすめは美術館に行くことである 唐突だと思う。 普段から美術館に足を運ぶ趣味をお持ちの方には、釈迦に説法だろう。そういう方にはぜひ、お気に入りの過ごし方を教えていただけると嬉しい。 さて、美術と聞くと、なんだか遠い世界のように感じないだろうか。 現代ア

By Sakashita Yasunobu