設置者別の大学の差異

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

本稿では、大学の設置者別にみた活動の違いとして、大学のガバナンスに着目し論じていく。

大学の設置方法:グローバルな視点から

まず設置者別による違いへと入る前に、大学の設置方法についてグローバルな視点から論じる。

天城、新堀らによると大学の設置及びその基準・水準の維持、向上の方式は主として3つある[1]。続けて、「第1はチャータリング方式、第2は政府統制方式、第3がアクレディテーション方式」と大別したうえで、日本の大学制度は欧米の大学を手本としているため、とくに欧米の方式に注目したと説明している。チャータリング方式は国王ないし国家が大学へ承認勅許状(charter)により学位授与権を与える方式であり、特にイギリスで発展してきた。政府統制方式は大学が国家の統制下に置かれ、国家が大学の基準維持の責任を持つ制度であり、特にドイツ及びフランスで発展してきた。アクレディテーション方式はある教育機関が専門職集団又は法律の定める団体によって定められた最低基準を満たしたことを認定する方式であり、特にアメリカにおいて発展してきたという。

ところで日本の大学の制度については、飯島らも天城らと同様の見解を示しており、「アクレディテーション方式の導入を意図したものと考えられる」としている。つまり、日本の大学が欧米の制度をならったものである、ということは研究者の中で見解が一致しているとわかる。もっとも飯島らは日本の大学制度に対し、現状ではアクレディテーション方式を徹底できておらず、さらなる体制の強化と同時にイギリスのCNAA方式の経験、フランスの全国評議委員会の事業のあり方を参考に、体制の強化とともに評価方法も見直すことで、日本の大学における現状の問題点を改善することができるだろうと示唆している[2]。

政府と大学の関係 大学の内部 具体的な形態
国家支持型 政府は直接に大学を設置し、経済的に支援する。大学は国家の施設の一つ。近年、政府統制の間接化が進みつつある。 教員の合議体としての教授会が基本的な権限を持つ(ギルドとしての大学)。学長は教授によって選出。教授の代表で任期も短く、任期後は教員の一員に戻るのが通常である。 ヨーロッパ大陸の大学、東アジアの国立大学
政府支持型 政府によって設置されるが、大学運営に対する政府の統制は間接的で、何らかの媒介機関を通じて行われる。 個別大学は独自の組織で、学長はそのガバナンスに責任を持つ。大学の意思決定組織には公益を代表する成員が参加する。 アメリカの州立大学、イギリスの大学
私立型 基本的に有志の寄付によって形成される基本財産を基礎として運営される。ただし、政府も大学の質の維持や、社会教育機会への需要を勘案し、私立大学の設置を促進ないし制限することは可能。 基本財産を寄付目的の実現のために使い、維持することを委託された理事会によって運営されることが原則である アメリカの私立大学、東アジアの私立大学

大学ガバナンスの類型

次に、大学をガバナンスという視点から見ていく。両角は金子らによる研究[3]を参考にし、大学ガバナンスの類型をまとめ直した[4]。

両角[5]によれば、日本の国立大学はこの類型において国家施設型にあたり、政府は大学の法人化により大学運営の自由度拡充を目指した。これにより学長の権限が極めて強まった。これは世界でも類を見ないほどであると両角は指摘している。さらには学長の権限増強に伴い、事務局の多くの権限が同時に学長に移譲されることとなり、結果として事務局の再編が各大学で行われている。公立大学も基本的な枠組みは国立大学に類似しているが、法人化が選択制であることからわかるように、国立大学に比べ制度に柔軟さがある。一方、私立大学では「私立大学の自主性」をキーワードとして、行政介入を排除する制度設計となっている。具体的には、学校法人と大学が組織的に分離しており、依拠する法律も私立学校法、学校教育法に分かれているといった具合である。もちろん私立大学の公共性を担保するための自制はあるが、「法的な規定は緩やかで、大学による多様性が大きい」と金子[3]を援用しながら両角は、現在の日本における大学について整理している。なお、私立大学に着目した国公立大学との違いについては丸山[6]による解説が詳しい。

ユニバーサル型の教育への移行

講義内で岩崎はユニバーサル型の学びの環境の利点と欠点について言及していたが、トロウも高等教育のユニバーサル化に伴う問題について認知しており、大学の多様性の進行と教育のクオリティの両立は不可能といってもいいと分析している。そしてまた、エリート・マス型からユニバーサル型への大学教育移行がもたらす影響について、トロウはこれを非常に重要な問題であると述べたうえで、過渡期である今を見つめなおすことの重要性を強調した。そしてそれに密接に関わる情報技術(IT)に関しては、実験的であると捉えていながらも「われわれは将来に向けて、研究の成果と洞察から示唆を導き出そうと努力を重ねている」段階であると説明している[7]。

今回の調査によって、世界的な高等教育がユニバーサル型への一歩を踏み出しており、日本もまたその一員であることを知った。教育現場へのITの急速な普及に伴うトロウの主張したユニバーサル型へ近づきつつあることも学んだ。しかしながら、ユニバーサル型のあるべき姿を夢見るだけで受動的に社会の進歩を待つのではなく、むしろ現在を分析し、時には過去から学び、高等教育のありかたの実現に向けてより一層能動的に努めていくことが大切であると考える。

参考文献

  • [1] 天城勲 ほか『大学設置基準の研究』初版、東京大学出版会.
  • [2] 飯島宗一 ほか『大学設置・評価の研究』初版、東信堂、1990年.
  • [3] 金子元久「大学の設置形態に関する調査研究」第9章、2010年10月(PDF、2022年5月8日閲覧)
  • [4] 両角亜希子「大学の組織」『大学経営・政策入門』初版、東信堂、2018年、pp. 65-74.
  • [5] 両角亜希子『大学経営・政策入門』初版、東信堂、2018年.
  • [6] 丸山高央『大学改革と私立大学』初版、柏書房、1992年.
  • [7] マーチン・トロウ『高度情報社会の大学:マスからユニバーサルへ』玉川大学出版部、2000年.

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暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

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優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

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何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

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