大学の理念と個性

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本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。

本稿では大学の理念に着目し、その経営機能としての広報活動を明らかにすることとする。なお、本稿では上智大学について調査を行った。

大学の理念:上智大学から

以下は上智大学の理念をホームページから引用したものである(1)。

上智大学は、キリスト教精神を基底とし、真実と価値を求めて、人間形成につとめるものの共同社会である。したがって、本学は、構成員のおのおのが、人格の尊厳と基本的人権を認め合い、責任ある連帯感と謙虚な心構えをもって、それぞれの持ち場で、大学の形成に参加することを期待する。
教授は、学術の研究を尊重し、みずからの研究を深めることを通して、人類の精神的・知的文化を新しい世代に伝達するとともに、現代に生起する諸問題に目をそそぎ、人類の当面する課題について、意識を喚起するよう心掛けることが必要である。
学生は、専攻の学問を研究すると同時に、現代社会に対する鋭敏な問題意識と判断力を養成することが必要である。これによって、学生はみずからの人格を形成し、社会の建設に貢献する力を身につけることができるのである。
本学は、その特色をいかして、キリスト教とその文化を研究する機会を提供する。これと同時に、本学は思想の多様性を認め、多種の思想の学問的研究を奨励する。このようにして、人間と世界の問題についての洞察力と批判的精神が養われる。
学問の発展のためには、思想と研究の自由が保障され、厳正な学問的態度が堅持されなければならない。したがって、本学は思想と研究に対して加えられる政治的、イデオロギー的圧力及びいかなる権力の介入も、これを許さない。
われわれは、激動する現代世界に向かって広く窓を開き、人類の希望と苦悩をわかちあい、世界の福祉と創造的進歩に奉仕することを念願する。

考察

キリスト教精神を基底とし人間性の教育に力を入れていることがわかる。一方で学問研究の上では、「本学は思想の多様性を認め、多種の思想の学問的研究を奨励する。学問の発展のためには、思想と研究の自由が保障され、厳正な学問的態度が堅持されなければならない。したがって、本学は思想と研究に対して加えられる政治的、イデオロギー的圧力及びいかなる権力の介入も、これを許さない」と、思想と学問態度は分離されている。キリスト教精神は人格の形成として用いられており、大学の個性を色濃く表していると考えられる。そして、学問の自由のために大学は外部からの圧力の介入を許さず、学問の府としての自覚を強く有していると考えられる。

国立大学である高知大学の理念では地域貢献などの目標が見られたのとは対照的に、私立大学である上智大学では在学者の教育や大学としての態度についてより詳細に言及されていた。この違いは国立大学と私立大学の設立目的や社会的役割の違いから生じているのではないかと考えられる。国立大学は国の財政支出によって運営されるため、地域や国全体への貢献が強く求められる一方、私立大学は建学の精神に基づいた独自の教育理念を前面に打ち出すことで個性を発揮している。大学の理念は大学の活動に色濃く反映されるものであり、こうした理念の違いによる大学ごとの個性について理解を深めることは、大学選びや大学政策を考える上で重要な視座を与えてくれる。

脚注

  1. 上智大学「上智大学の教育理念」(リンク、2022年6月28日閲覧)

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暇が怖いだけ

今日あなたが「忙しい」と口にした回数を数えてみるといい。三回を超えていたら、それはもう事実の報告ではない。呪文だ。唱え続けることで、自分に存在価値があると確認するための。 忙しさは現代における最も手軽な自己証明になった。忙しくしていれば、少なくとも何かをしていることにはなる。何かをしていれば、生きている意味を問わなくて済む。逆に言えば、暇になった途端に、その問いが戻ってくる。だから人は忙しくする。忙しくあろうとする。忙しいと言いたがる。鎖を愛した動物のように、自分でかけた拘束を手放せない。 ここに一つ、居心地の悪い問いを置いておく。あなたが一日のなかで一番多くの時間を費やしていることは、あなたが一番大切にしていることと一致しているか。一致していないとしたら、その時間は誰のものなのか。 守られない時間 約二千年前、ストア派の哲学者セネカは『人生の短さについて』でこう嘆いた。人は財産や金のことになると吝嗇になるのに、時間を浪費することには驚くほど無頓着だ、と。時間こそ、最も惜しむべきものであるにもかかわらず。 この指摘は二千年経っても古びていない。むしろ悪化している。 財布か

By Sakashita Yasunobu

意味という病

あなたの人生に意味があるかどうか、宇宙は一度も気にしたことがない。 太陽は46億年前から燃えている。地球は回り続けている。そのどこにも、あなたの存在を前提とした設計図はない。もし明日、人類がまるごと消えたとしても、星は瞬き続ける。海は満ちて引く。何も変わらない。 それなのに、人は意味を求める。仕事に意味を、人間関係に意味を、生きていること自体に意味を。朝起きるたびに、意識するにせよしないにせよ、「なぜ」という問いがどこかで回っている。 これは病だと思う。 治す方法があるのかどうかも分からない、厄介な病だ。 観客のいない劇場 一つ、思考実験をしてみる。 もし宇宙のどこにも、人間以外の知的生命体がいなかったとしたら。誰も人類の存在を知らず、誰も観察しておらず、誰も記録していなかったとしたら。人間がこの星の上で営んできたすべてのこと、文明、芸術、戦争、愛、それらに意味はあるだろうか。 直感的には「ある」と言いたくなる。でも、その「ある」の根拠を言語化しようとすると、途端に足元が崩れる。 意味というのは、誰かがそれを認識して初めて成立するものだという立場がある。であれば、宇

By Sakashita Yasunobu

優しい人から壊れる

友人が泣いている。あなたはその隣に座って、背中をさする。言葉が見つからないまま、ただそこにいる。胸が詰まる。相手の苦しみが、自分の胸にも流れ込んでくるような気がする。 それは美しい光景だ、と誰もが言う。 ただ、もう少しだけ先を考えてみてほしい。あなたが感じているその痛みは、本当に相手の痛みだろうか。それとも、相手の痛みに触発された、あなた自身の別の何かだろうか。そして、その区別がつかなくなったとき、壊れるのはどちらだろう。 スポットライトの外は暗い 共感には奇妙な性質がある。近くにあるもの、目に見えるもの、名前と顔があるものに、不釣り合いなほど強く反応する。 イェール大学の心理学者ポール・ブルームは2016年の著書 Against Empathy で、共感をスポットライトに喩えた。照らされた一点だけが鮮やかに浮かび上がり、その外側は真っ暗なままだ。一人の子どもが井戸に落ちれば世界中が涙を流すが、統計の中で消えていく数万の子どもたちには何も感じない。 ブルームの指摘はさらに厄介な方向へ進む。共感はバイアスに満ちている。自分に似た人、魅力的な人、同じ民族や国籍の人に対して、よ

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何も起きなかった日

先月の火曜日に何をしていたか、思い出せるだろうか。 おそらく思い出せない。それは記憶力の問題ではなく、何も起きなかったからだ。何も起きなかった日は記憶に残らない。記憶に残らない日は、振り返ったとき、最初からなかったのと区別がつかない。 人生の大半は、こういう日でできている。 溶けていく曜日 子供の頃の夏休みは果てしなく長かった。35日間が、体感では半年くらいあった。ところが大人になると、半年が体感で35日くらいになる。時間の流れ方が、どこかで反転している。 神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、この現象を記憶の密度から説明している。脳は新しい経験に遭遇すると、より多くの情報を符号化する。記憶が密であれば、あとから振り返ったとき、その期間は長く感じられる。逆に、毎日が同じパターンの繰り返しなら、脳は記録すべきものをほとんど見つけられない。記憶はスカスカになる。スカスカの記憶を振り返ると、時間はあっという間に過ぎたように感じる。 つまりルーティンは、主観的な人生を縮めている。比喩ではない。知覚の構造として、そうなっている。毎日同じ道を歩き、同じ時間に同じ席に座り、同じもの

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