結論の手前にある見えない扉についての対話
ゼミで議論が噛み合わない。Aさんは「それは間違っている」と言い、Bさんは「いや、正しい」と言う。30分後、どちらも同じことを言っていたと気づく。前提が違っていただけだった。
この30分は無駄だったのか。無駄だった。だが、ほとんどのグループ議論でこの種の無駄は日常的に発生している。
結論が違うのではなく、前提が違う
議論が噛み合わないとき、多くの人は「相手の結論が間違っている」と考える。だが実際には、結論が違うのではなく、前提が違っていることのほうが圧倒的に多い。
「大学の授業は役に立たない」という主張を例にする。これに対して「いや、役に立つ」と反論する前に、確認すべきことがある。「役に立つ」とは何を意味しているのか。就職に直結するスキルのことか、思考力の訓練のことか、教養としての知識のことか。この定義が揃っていなければ、議論は永遠に平行線だ。
会話で賢く見える人は、この前提のズレに最初に気づく人だ。正しい結論を持っているからではなく、結論の前に前提を確認するからだ。
前提を確認する技術
前提の確認は、具体的には「問い返し」の技術だ。相手の発言を受けて、その背後にある前提を言語化する。
「それってどういう意味で使っていますか?」。もっとも基本的な前提質問だ。相手が使っている言葉の定義を確認する。「コスパが悪い」と言われたとき、何のコストと何のパフォーマンスを比べているのかを確認する。
「こういう理解で合っていますか?」。相手の発言を自分の言葉で言い換えて確認する。これは前提の確認であると同時に、「あなたの話を聞いています」というメッセージでもある。
「前提として何を想定していますか?」。やや直接的だが、議論の方向を根本から修正できる。相手が暗黙に置いている前提を可視化する。
「もしかして、前提が違うかもしれないのですが」。自分と相手の前提が違う可能性を示唆する。断定を避けることで、相手の防御反応を起こさずに済む。
弱い言い方の技術
前提の確認で重要なのは、「弱い言い方」を使うことだ。
「それは違います」と言えば、相手は防御態勢に入る。だが「こういう理解で合っていますか?」と言えば、相手は「確認に答える」という態勢になる。内容はほぼ同じなのに、反応が全く違う。
弱い言い方のコツは、断定を疑問に変えることだ。「AはBだ」を「AはBだと思うんですが、どうですか?」に変える。「それは間違いだ」を「もしかして前提が違うかもしれないのですが」に変える。
これは議論を避けることではない。議論の土台を揃えることだ。前提が揃った上での反論は生産的だが、前提が揃っていない状態での反論は空転するだけだ。
場面による使い分け
前提の確認には場面に応じたフォーマルさのグラデーションがある。
ゼミ。 もっともフォーマルな場だ。「先生のおっしゃる『自由』は、消極的自由と積極的自由のどちらの意味でしょうか」のように、術語を使って正確に確認する。ここでの前提確認は、むしろ歓迎される。教授は「よい質問だ」と言うだろう。
友人との雑談。 フォーマルさを下げる必要がある。「え、それってどういうこと?」「つまりこういうこと?」くらいの軽さがちょうどいい。あまり精密に前提を確認すると、「なんで普通に話してるのに詰められてるの」と思われる。
バイト先。 実務的な文脈では、前提確認は確認作業として自然に行える。「この作業、今日中ということでいいですか?」「このやり方であってますか?」。ここでは前提確認が「丁寧な仕事」として評価される。
前提の確認が「賢く見える」理由
前提を確認する人が賢く見えるのには、構造的な理由がある。
第一に、相手の話を正確に聞いていることの証明になる。前提を確認するためには、相手が何を言ったかを正確に把握している必要がある。「ちゃんと聞いている」と感じさせるだけで、相手からの評価は上がる。
第二に、議論の見通しがよくなる。前提が揃えば、どこが合意点でどこが対立点かが明確になる。議論が整理される。整理できる人は賢く見える。
第三に、無駄な対立を避けられる。前提が違うだけの「疑似的な対立」を解消できるので、本当に意見が分かれる論点に集中できる。
ソクラテスは問いを返すことで相手の前提を明らかにし、対話を通じて真理に近づこうとした。ソクラテス的問答法の核心は「正しい答えを知っていること」ではなく、「正しい問いを投げること」だった。
前提の確認ができない場面
ただし、前提の確認が常に可能なわけではない。
相手が感情的になっているとき、前提の確認は逆効果になることがある。「そういう意味じゃないんだけど」と余計に怒らせる。感情の渦中にある人は、論理ではなく共感を求めている。
また、権力勾配が大きい関係では、前提の確認が「反抗」と受け取られるリスクがある。上司に「それはどういう意味ですか?」と聞くことが、場合によっては「指示に従わない」と解釈される。
前提の確認は万能ではない。だが、少なくとも対等な関係における議論においては、もっとも効果的な技術のひとつだ。賢い人は答えを知っているのではなく、問いの立て方を知っている。そして問いの中でもっとも基本的なものが、「前提は何ですか?」という問いだ。