出版がブログに代替されない理由
インターネットが普及し、誰でも無料でブログを公開できる時代になった。にもかかわらず、書籍という形態はいまだに選ばれ続けている。技術的にはブログで全文公開すれば済む話なのに、なぜわざわざ出版するのか。この問いを整理してみる。
出版が果たしている機能
編集・校正という品質保証
ブログは基本的に著者一人で完結する。一方、出版には編集者・校正者が介在し、構成の見直しや論理的な矛盾の指摘が行われる。文章が長くなるほど、著者自身では気づけない問題が増えるため、第三者による検証の価値は高まる。
これは学術論文における査読(peer review)と同じ構造であり、公開前に一定の品質フィルタを通すことで、読者が内容を信頼しやすくなる。
「読了される」確率の違い
ブログに長文を掲載しても、最後まで読まれるとは限らない。書籍の場合、読者は購入という金銭的コストを払っている。行動経済学でいうサンクコスト(埋没費用)の影響もあり、購入した本は最後まで読もうとする動機が働きやすい。
もちろんこれは「必ず読了される」ことを意味しない。しかし、無料のブログ記事と比較すれば、書籍のほうが読者の注意を長く保持しやすいのは確かだろう。
完結した成果物としての形式
書籍には「これで完成」という区切りがある。ブログはいつでも修正・追記が可能であり、それ自体は利点だが、裏を返せば「確定版」が存在しない。
学術的な文脈では、引用元が事後的に変更される可能性があると、議論の土台が不安定になる。書籍やDOIつきの論文が好まれるのは、内容が固定されており引用先として安定しているからでもある。
発見可能性(Discoverability)
自分のブログやInternet Archiveに全文を置いたとして、そこにたどり着く導線はどれほどあるだろうか。出版社は流通網を持ち、書店やAmazonなどのプラットフォームを通じて読者との接点を作る。書評やメディア露出も、出版という仕組みに乗ることで初めて得られるものが多い。
個人ブログでもSEOやSNSで流入を得ることは可能だが、長文の専門的コンテンツにおいては、出版の流通網が持つリーチにはまだ及ばない場面が多い。
では、なぜブログ全公開は広まらないのか
技術的には、ブログで全文公開し、多言語翻訳を添え、Internet Archiveに登録すれば、広く長期的に情報を届けることは可能だ。しかし、これを実践している人は極めて少ない。
理由はいくつか考えられる。
- 社会的承認の仕組みに乗れない。 出版は「出版社が認めた」「書店に並んだ」という社会的シグナルを伴う。学術分野では業績として計上される。ブログにはこれがない。
- 経済的リターンがない。 専門書は部数が少なく大きな収益にはならないことが多いが、それでもゼロではない。無料公開は収益を完全に放棄することになる。
- 長期保存の確実性に限界がある。 Internet Archiveは有用なサービスだが、法的紛争やサーバ障害のリスクはゼロではなく、恒久的な保存を完全に保証するものではない。ISBN付き書籍は国立図書館での納本制度により、制度的に長期保存される。
まとめ
出版は単なる「紙に印刷して売る」行為ではなく、品質保証・読了率・完結性・発見可能性・社会的承認・制度的保存を一括で提供するシステムである。ブログ全公開はこれらの一部を代替できるが、すべてを置き換えるには至っていない。
とはいえ、個人が専門知識を公開する手段としてブログの価値は確実にある。出版とブログは対立するものではなく、目的に応じて使い分けるべきものだろう。