大学生は下手に履修するより聴講をしろ
大学の授業を受けるには履修登録が必要だ。当たり前のように聞こえるが、実はそうでもない。
履修登録をして単位を取ることと、何かを学ぶことは、本来まったく別の行為だ。この二つを同一視しているかぎり、大学の時間の使い方は窮屈なままだ。
「単位のための勉強」という歪み
履修登録をした瞬間、その科目の成績はGPAに反映される。良い成績を取ればGPAは上がり、悪い成績を取れば下がる。不合格であっても分母に算入される。履修登録とは「この科目で評価を受けます」という宣言であり、同時にGPAを賭ける行為でもある。
問題は、学びたい科目と良い成績を取れる科目が、必ずしも一致しないことだ。
興味はあるが自分の専門から遠い科目。面白そうだが厳しいと聞く講義。他学部で開講されている、基礎知識が足りないかもしれない授業。こうした科目を正規に履修すれば、GPAを賭けた博打になる。
結果として多くの学生は、成績がつきやすい科目を選ぶようになる。合理的な判断だ。しかし合理的な判断を重ねた先に残るのは、合理的だが退屈なカリキュラムだ。指標が目標に変わると、その指標が測ろうとしていたもの自体が歪む。GPAを守ろうとするほど、学びの幅は狭まる。
聴講という選択肢
ここで「聴講」の話をしたい。聴講とは、正規の履修登録をせずに授業に出席することだ。単位は出ない。成績もつかない。GPAにまったく影響しない。
在学生が自分の大学の授業を聴講する場合、多くは担当教員に事前に連絡して許可を得るという形をとる。制度として明文化されている大学もあれば、教員の裁量に委ねられている大学もある。対応は大学や教員によって異なるが、学ぶ意欲のある学生を拒む教員は少ない。
聴講にはCAP制(履修上限)が適用されない。正規の履修登録枠がすべて埋まっていても、聴講であれば授業に参加できる。「もっと学びたいが枠が足りない」という悩みに対して、聴講は現実的な解になる。
成績のない自由
聴講の最大の利点は、成績のプレッシャーがないことだ。
試験のために暗記する必要がない。レポートの締め切りに追われない。「この科目で良い成績を取らなければ」という心理的な負荷から完全に解放される。
その結果、何が起きるか。純粋に考える余裕が生まれる。教員の話を聞きながら、自分の頭で問いを立てる時間ができる。わからないことがあっても焦らなくていい。わからないまま持ち帰って、あとでじっくり調べればいい。答えを出すことを要求されない環境で、問いそのものに向き合える。
満足した豚より不満足なソクラテスであるほうがよいとミルは書いた。しかし「不満足なソクラテス」であり続けるには、問いに没頭する余裕が要る。成績に追われる正規の履修の中では、その余裕はなかなか生まれない。聴講は、その余裕を取り戻すひとつの方法だ。
聴講のやり方
聴講に複雑な手続きは必要ない。
まず、興味のある授業を見つける。シラバスを読んで、聴いてみたい講義を選ぶ。正規の履修であれば単位数や時間割の制約を考えなければならないが、聴講にはそうした計算が要らない。純粋に「聴きたいかどうか」で選べばいい。
次に、担当教員に連絡する。初回の授業前にメールで事情を伝えるか、初回の授業後に直接声をかけるのが一般的だ。「正規の履修ではありませんが、聴講させていただけないでしょうか」と伝えれば十分だ。
許可を得たら、あとは出席するだけだ。正規の履修者と同じように授業を聴き、ノートを取り、必要に応じて質問する。課題やレポートの提出は求められないことが多いが、自主的に取り組むのも自由だ。
注意点がひとつある。教室の定員に余裕がない場合や、演習・実験など参加人数に制限のある授業では、聴講が認められないこともある。教員の判断を尊重し、断られた場合は潔く引き下がる。これは最低限のマナーだ。
試してから選ぶ
聴講にはもうひとつの使い方がある。お試しだ。
興味はあるが自分に合うかわからない科目。いきなり正規に履修するのはリスクが高い。聴講で数回出席してみて、内容が合うと感じれば翌学期に正規に履修すればいい。合わなければ離れればいい。GPAへのダメージはゼロだ。
特に他学部の授業や自分の専門外の分野では、この「試してから選ぶ」アプローチが有効だ。正規の履修では躊躇するような選択も、聴講なら気軽に踏み出せる。
単位にならないことをする余裕
大学生活の質を左右するのは、単位になることだけではない。
単位にならないことをする余裕があるかどうか。それが、卒業後に振り返ったとき「大学で何を学んだか」の答えを大きく変える。聴講は、その余裕を実現する手段のひとつだ。履修登録の枠の外で、自分の好奇心に従って学ぶ時間。効率や成果とは無縁の、純粋に知的な時間だ。
成績に追われて「取りやすい科目」ばかりを選ぶ4年間と、聴講を織り交ぜながら関心を探索する4年間。GPAの数字は同じかもしれない。しかし大学という場で何を得たかへの答えは、まるで違うものになるだろう。
学ぶ方法は、単位を取ることだけではない。