生きること
ぼくと石ころ
道ばたの石ころと、ぼく。構成元素も、いずれ塵に還る運命も、たいして変わらない。それでもぼくは「違う」と言い張る。根拠はないのだが。 問いの在り処 道を歩いていて、ふと足元の石ころが目に入る。 灰色で、角が丸くて、誰にも拾われない。雨に濡れても乾いても、そこにある。ぼくが見ていようが見ていまいが、そこにある。 ぼくもそこにいる。心臓が動いていて、呼吸をしていて、何か考えている。石ころにはそれがない。だから、ぼくのほうが上位の存在だ。 ......本当にそうだろうか。 「意識がある」ことが偉いというのは、意識の側の言い分にすぎないかもしれない。石ころはそんな序列に異議を唱えない。異議を唱えないのは、反論できないからではなく、そもそも序列という概念が石ころの存在様式には無関係だからかもしれない。 この記事は、「ぼくと石ころは何が違うのか」という素朴な問いを出発点にして、その「違い」がどこまで本当に成立するのかを、少しずつ剥がしていく試みになる。 同じ原子、違う配置 物理学の言葉で言えば、ぼくも石ころも原子の集まりだ。 石ころはケイ素や酸素、鉄やマグネシウムでできている