エンジニアを目指す大学生が取るべき資格

「資格なんていらない、実力があればいい」。エンジニア志望の大学生がSNSで一度は目にする言葉だ。一方で「資格を取っておけ」と勧める声もある。どちらにも一理ある。しかし、どちらも半分しか正しくない。

「資格は意味ない」の半分だけ正しいところ

「資格より実務経験」。これは事実だ。採用の現場で重視されるのは、何ができるかであって、何を持っているかではない。資格の有無だけで採否が決まることは、まずない。

しかし、大学生には実務経験がほとんどない。インターンで多少の経験を積んでいたとしても、実務を何年も積んだエンジニアと同じ土俵には立てない。実務経験がない段階で「実力で示す」と言っても、示す手段が限られている。

資格は、その限られた手段のひとつだ。特に新卒採用では、応募者の技術レベルを短時間で判断する必要がある。そのとき「基本的な知識がある」ことの客観的な証拠として、資格は機能する。

ただし、すべての資格が同じ価値を持つわけではない。取る意味のある資格と、学生のうちには取っても意味が薄い資格がある。ここからは、その区別を整理する。

まず取るべき国家資格

IT系の国家資格は、IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)が実施する情報処理技術者試験が中心だ。試験区分はレベル1からレベル4まであり、受験料はいずれも7,500円(税込)と手頃だ。

基本情報技術者試験

IPAの試験体系でレベル2に位置する、ITエンジニアの登竜門的な試験だ。科目Aと科目Bに分かれ、CBT方式で通年受験できる。合格率はおおむね40%前後で推移している。

出題範囲はハードウェア、ソフトウェア、ネットワーク、データベース、セキュリティ、アルゴリズム、プログラミングなど、ITの基礎を幅広くカバーする。科目Bではアルゴリズムと情報セキュリティが問われ、プログラミング的な思考力が試される。

この試験の価値は、合格そのものよりも学習過程にある。試験範囲がIT全般の基礎知識を網羅しているため、勉強する過程で自分の知識の穴が見える。「ネットワークは理解しているがデータベースが弱い」といった自己診断ができるようになる。

大学生が最初に目指すIT国家資格としては、もっとも現実的な選択だ。

情報処理安全確保支援士(登録セキスペ)

IPAの最高難度であるレベル4に位置するセキュリティの専門資格だ。合格すると、所定の登録手続きを経て「情報処理安全確保支援士」という国家資格の保持者になれる。情報処理技術者試験の中で唯一の登録制「士業」であり、名称独占資格だ。2025年10月時点での登録者数は約25,000名にとどまる。

「大学生にレベル4は早いのでは」と思うかもしれない。実際、難しい。午後試験では記述式の問題が出題され、セキュリティインシデントへの対応や、システムの脆弱性分析といった実践的な思考力が求められる。

それでも、大学生のうちに挑戦する価値がある理由は明快だ。セキュリティは、あらゆるIT領域に共通する基盤である。Webアプリケーション開発であれ、インフラ構築であれ、データ分析であれ、セキュリティの知識なしに安全なシステムは作れない。どの分野に進んでも無駄にならない知識が身につく。

2026年度からはCBT方式に移行予定で、従来のペーパー試験から受験方法が変わる。ただし出題形式や試験で問う知識・技能の範囲に変更はない。

なお、基本情報を飛ばしていきなり登録セキスペに挑んでも問題はない。IPAの試験には受験資格の制限がないため、どの試験区分からでも受けられる。基礎力に自信があるなら、最初から上位の試験を狙うのも合理的だ。

ベンダー資格は目的に合わせて

ベンダー資格は、特定の製品やサービスに関する知識を証明する民間資格だ。国家資格と異なり、受験料が高い。目的を明確にしてから取りにいくべきだ。

Java Silver

Oracle認定のJavaプログラマ資格で、正式名称は「Oracle Certified Java Programmer, Silver SE 17」だ。Javaの基本的な文法、オブジェクト指向プログラミング、例外処理、APIの使用方法などが出題される。

試験時間は90分、60問の選択式で、合格ラインは65%。受験料は税込41,773円(SE 17の場合。為替レートにより変動する)。

Javaを使う企業への就職を考えているなら、有力な選択肢だ。試験勉強を通じてJavaの言語仕様を体系的に学べるため、独学でなんとなく書けている状態から、仕様を理解して書ける状態への移行を後押しする。

SE 11とSE 17の二つのバージョンが存在するが、特別な理由がなければSE 17を選ぶべきだ。新しいバージョンのほうが、現行のJavaの仕様に沿っている。SE 17は試験時間が90分と短くなった一方で問題数は60問と、1問あたりの時間的余裕が減っている。集中力と正確な知識が問われる構成だ。

ただし、受験料が高額である点は無視できない。学生にとって約4万円は小さくない出費だ。確実に合格できる準備を整えてから受験するのが賢明だ。

AWS認定資格

AWSが提供するクラウドサービスに関する知識を認定する資格群だ。Foundational(基礎)、Associate(中級)、Professional(上級)、Specialty(専門)の4カテゴリに分かれ、2025年時点で全12種類の試験がある。

大学生がまず目指すなら、AWS Certified Cloud Practitioner が入口になる。AWSの基本的なサービス、クラウドの概念、セキュリティ、料金体系に関する理解が問われる基礎レベルの試験だ。

クラウドに触れたことがあり、もう一歩踏み込みたいなら、AWS Certified Solutions Architect - Associate に挑戦する価値がある。AWSの主要サービスを使ったシステム設計の知識が求められる中級資格だ。

AWS資格の学習過程では、実際にAWSのサービスに触れることが推奨される。AWSには無料利用枠があり、一定の範囲内であれば費用をかけずにサービスを試せる。座学だけでなく手を動かしながら学べる点で、資格勉強と実践的なスキル習得が同時に進む。これは、受験料の高さを補って余りある利点だ。

優先順位の考え方

すべてを同時に取る必要はない。限られた時間の中で、どこから手をつけるかが重要だ。

まずはこれ。 基本情報技術者試験。IT全般の基礎を固める意味で、もっとも費用対効果が高い。受験料も7,500円と安く、学習教材も豊富だ。プログラミング経験があるなら、集中して勉強すれば数ヶ月で合格圏内に入れる。

余裕があれば。 情報処理安全確保支援士、または自分の志望する分野に関連するベンダー資格。Javaを主軸にするならJava Silver、クラウドに関心があるならAWS Cloud Practitioner。両方取れるに越したことはないが、資格の数を増やすことより、一つひとつの学習を深めることのほうが大切だ。

資格より先にやるべきこと

資格は武器のひとつだが、唯一の武器ではない。大学生のうちに資格を取ることには意味があるが、それだけで十分ということにはならない。

資格は「知識がある」ことの証明にはなるが、「何かを作れる」ことの証明にはならない。エンジニアとして採用されるために本当に必要なのは、自分が何を考え、何を作り、何を学んだかを示す具体的な記録だ。それがポートフォリオであり、資格と並行して、あるいは資格よりも先に取り組むべきものだ。

資格勉強で得た知識を使って何かを作る。作ったものをポートフォリオに載せる。この循環が回り始めれば、資格も制作物も、互いの価値を高め合う。

まとめ

「資格は意味ない」は半分だけ正しい。実務経験のない大学生にとって、資格は自分の技術力を示す限られた手段のひとつとして機能する。ただし、取ればいいというものではない。自分の学びになる資格を、必要なものから順に取っていくことだ。

まず基本情報技術者試験で土台を固める。その先は自分の志望に応じて、登録セキスペ、Java Silver、AWS認定のいずれかに進む。そして、資格で得た知識を実際に手を動かして形にする。

資格は履歴書に書ける。しかし履歴書だけでは仕事は来ない。資格の先にあるものを見据えて、今日から動き出そう。

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怪物の口に幸福が吸い込まれる

幸福の総量を最大化する。それが正しいと言われてきた。しかし1974年、ロバート・ノージックはたった一つの問いでその前提を破壊した。もしある存在が、他の全員よりも圧倒的に多くの快楽を得られるなら、功利主義は全員の取り分をその「怪物」に差し出すことを要求する。 あなたの幸福は計算の端数だった。切り捨てられた。 幸福を貪る口 1974年、ロバート・ノージックは『アナーキー・国家・ユートピア』のなかで一つの思考実験を置いた。 功利主義は、効用の怪物の可能性によって困惑させられる。怪物は、他の人々の犠牲から、その人々が失う以上に圧倒的に大きな効用の増加を得る。 仕組みは単純だ。功利主義の原則に従えば、社会全体の幸福を最大化する資源配分が「正しい」。ここに一人、あらゆる資源からとてつもない快楽を引き出す存在が現れたとする。りんご一個で他の百人分の快楽を得る。映画を一本見れば千人分の歓喜を感じる。 功利主義はこの怪物にすべてを差し出すことを要求する。他の全員が飢えても、怪物の快楽が総量を上回る限り、それが「最善」だと計算は告げる。 ノージックが示したかったのは、功利主義が論理的に正し

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綱を引く手が一本ずつ消えていく

あなたは集団のなかで、少しずつ消えている。 それは比喩ではない。測定可能な事実だ。19世紀末、フランスの農学者マクシミリアン・リンゲルマンは、人が集団で綱を引くとき、一人あたりの力が確実に減少することを発見した。人数が増えるほど、個人は薄まる。誰のせいでもなく、誰も怠けているわけではなく、ただ構造がそうさせる。 もしあなたがいま、何かのチームに属しているなら、あなたはすでに全力を出していない。そしてそのことに、おそらく気づいてもいない。 綱を引く手が教えたこと リンゲルマンの実験は素朴だった。 1880年代から1900年代初頭にかけて、彼は農業機械の効率を研究する過程で、人間が集団で水平方向に荷を押したり引いたりする際のパフォーマンスを測定した。その結果は1913年に報告されている。一人で綱を引くとき、その人間は持てる力をすべて発揮する。二人になると、一人あたりの出力は約93%に落ちる。三人で85%。八人になると、49%。半分以下だ。 この数字の意味を考えてみてほしい。八人で綱を引いているとき、あなたは一人のときの半分も力を出していない。しかもそのことに自覚がない。全員が

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嘘が真実を食い尽くす朝

「この文は嘘である」 この一文を前にして、あなたは立ち往生する。もし真だとすれば、文の内容に従って偽になる。もし偽だとすれば、「嘘である」という主張が間違っていることになり、真になる。真だと仮定しても偽だと仮定しても、反対の結論にたどり着く。出口がない。 これは言葉遊びではない。2300年以上にわたってこの問いに取り組んできた哲学者と論理学者たちは、いまだに合意に至っていない。解決策はいくつも提案されてきた。どれも、別の問題を抱えている。 あなたが自分自身について何かを語ろうとするとき、同じ構造がそこにある。 循環の入口 試しにやってみてほしい。「この文は嘘である」が真か偽か、判定する。 真だと仮定する。この文は「嘘である」と主張しているのだから、偽になる。仮定と矛盾する。 では偽だと仮定する。「嘘である」という主張が偽ということは、嘘ではない。つまり真になる。やはり仮定と矛盾する。 どちらに転んでも矛盾する。そしてこの矛盾は、推論のどこかでミスを犯したから生じたのではない。前提そのものに埋め込まれている。 エピメニデスの不発弾 よく混同されるが、古代ギリシアの

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何でも飾れる額縁だけが残った

1917年、マルセル・デュシャンは既製品の男性用小便器に「R. Mutt」と署名し、「泉(Fountain)」と名づけてニューヨーク独立芸術家協会の展覧会に出品した。拒否された。それだけの話だ。だが「それだけ」のはずの出来事が、それ以降のすべての芸術を汚染した。美しさも技巧も素材の選択も関係ない。署名ひとつ、提示の身振りひとつで、便器が「芸術」を名乗れる。そしてその瞬間から、「芸術とは何か」という問いは回答不能になった。回答不能のまま、100年以上が過ぎている。 目で見えないものが芸術を決める 1964年、アンディ・ウォーホルはスーパーマーケットに並ぶブリロの箱と見た目がまったく同じ「ブリロ・ボックス」をギャラリーに置いた。哲学者アーサー・ダントーは、この事態に根本的な問いを見出した。視覚的に区別できない二つの対象のうち、片方だけが芸術である。では芸術を芸術にしているのは何なのか。 ダントーの答えは「アートワールド」だった。芸術作品を芸術たらしめるのは知覚可能な性質ではなく、理論と批評と歴史が編み上げた解釈の共同体、その「理論的雰囲気」なのだと。あなたには何も見えていない。文字

By Sakashita Yasunobu