技術

A tool was configured, tested, broken, and sometimes fixed. These entries document what worked and what didn't: recording setups, network infrastructure, text editors, file formats, and the quiet satisfaction of making something behave.

光と写真

Capture Oneに待望のネガフィルム変換機能が来た

2026年4月3日、Capture One 16.7.4 がリリースされた。目玉はなんといっても Negative Film Conversion(ネガフィルム変換) の搭載だ。これまで Cultural Heritage エディション限定だったネガ反転処理が、ついに通常の Capture One Pro / Studio でも使えるようになった。 何が変わったのか 従来、Capture One でネガフィルムをポジに変換するには、Cultural Heritage(CH)エディションを使う必要があった。CH は文化財デジタル化向けの専用製品で、Base Characteristics ツールに Film Negative / Film Positive モードが用意されていた。しかし一般の写真愛好家がフィルムスキャンのためだけに CH を導入するのは現実的ではなく、多くのユーザーは Lightroom とそのプラグイン(Negative Lab

By Sakashita Yasunobu

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クジラはなぜがんにならないのか

体が大きい動物ほど細胞の数が多い。細胞が多ければ、そのうちどれかががん化する確率も高くなるはずだ。ところが現実には、クジラやゾウのがん発生率はヒトよりも低い。1977年、疫学者リチャード・ピートがこの矛盾を指摘した。以来この問いは「ピートのパラドックス」と呼ばれ、比較腫瘍学における最大の謎のひとつであり続けている。 種の中では予測通り、種の間では崩れる 同じ種の中では、直感どおりの傾向が確認されている。身長の高いヒトはそうでないヒトよりがんの発生率がやや高く、年齢を重ねるほどがんは増える。細胞の数が多いほど、細胞分裂の回数が多いほど、がん化の確率は上がる。 しかし種を超えて比較すると、この関係が崩壊する。シロナガスクジラの細胞数はヒトの約1000倍にのぼるが、がんの発生率がヒトの1000倍になるわけではない。哺乳類全体を見渡しても、体サイズとがんリスクの間に明確な正の相関は長い間見つかっていなかった。がんの発生率は種が異なっても約2倍の範囲にしか収まらないとされてきた。体サイズの差は100万倍を超えるにもかかわらず。 ゾウが持つ余分ながん抑制遺伝子 最もよく知られた説明は

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電脳空間のハエ

ショウジョウバエの脳がコンピュータの上で再現され、仮想の体に接続されたら、歩き始めた。強化学習で訓練されたわけでも、行動規則をプログラムされたわけでもない。ニューロンの接続パターンをコピーしただけで、ハエは動いた。 何が起きたのか 2026年3月7日、サンフランシスコに拠点を置くEon Systems PBCが、デモンストレーション映像を公開した。同社の共同創設者であるAlex Wissner-Grossによれば、世界初の「身体を持つ全脳エミュレーション(embodied whole-brain emulation)」だという。 「全脳エミュレーション」とは、生物の脳の神経回路をニューロン単位、シナプス単位でコンピュータ上に再現し、動作させることを指す。「身体を持つ」とは、その脳のシミュレーションが物理法則に従う仮想の体に接続され、感覚入力を受け取り、運動出力を返す閉じたループを構成していることを意味する。 これまでにも脳のシミュレーションや体のシミュレーションは個別に存在した。線虫(C. elegans)の神経系を再現するOpenWormプロジェクトは約302個のニューロン

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エンジニアを目指す大学生が取るべき資格

「資格なんていらない、実力があればいい」。エンジニア志望の大学生がSNSで一度は目にする言葉だ。一方で「資格を取っておけ」と勧める声もある。どちらにも一理ある。しかし、どちらも半分しか正しくない。 「資格は意味ない」の半分だけ正しいところ 「資格より実務経験」。これは事実だ。採用の現場で重視されるのは、何ができるかであって、何を持っているかではない。資格の有無だけで採否が決まることは、まずない。 しかし、大学生には実務経験がほとんどない。インターンで多少の経験を積んでいたとしても、実務を何年も積んだエンジニアと同じ土俵には立てない。実務経験がない段階で「実力で示す」と言っても、示す手段が限られている。 資格は、その限られた手段のひとつだ。特に新卒採用では、応募者の技術レベルを短時間で判断する必要がある。そのとき「基本的な知識がある」ことの客観的な証拠として、資格は機能する。 ただし、すべての資格が同じ価値を持つわけではない。取る意味のある資格と、学生のうちには取っても意味が薄い資格がある。ここからは、その区別を整理する。 まず取るべき国家資格 IT系の国家資格は、IP

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翻訳が限りなく安くなる世界で言葉はどこへ向かうのか

翻訳は長い間、贅沢品だった。 日本語の文書を英語にする。プロの翻訳者に依頼すれば、日英翻訳で1文字あたりおよそ10円から20円が相場だ。1,000文字の文書で1万円前後。書籍1冊分(10万文字)なら100万円を超えることも珍しくない。この価格は、二つの言語の構造を理解し、文脈を読み、文化的なニュアンスを調整する知的労働への対価だ。安くはない。しかし不当でもない。 ところが、この構造が揺らぎ始めている。大規模言語モデル(LLM)の登場によって、翻訳コストに3桁の変動が起きた。 桁が違う コストを並べてみる。 プロの人間翻訳は、日英で1文字あたり10円から20円。専門分野(法務、医療、特許)ではさらに上がることもある。品質保証と校正を含めた価格だ。 ニューラル機械翻訳サービス(DeepLやGoogle翻訳の有料版など)は、月額制のサブスクリプションで大量のテキストを処理できる。1文字あたりのコストに換算すると、人間翻訳の数百分の一以下になる。 LLMのAPIはさらに話を複雑にする。料金は入力トークンと出力トークンの量で決まるが、日本語は英語に比べてトークン効率が低い。英語な

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まぶたの裏に残る灰色の光

今すぐ目を閉じてみてほしい。 真っ暗になるはずだ。少なくとも、そう期待する。ところが実際に見えるのは、完全な黒ではない。うっすらとした灰色。ちらちらと揺れる微細な光の粒。ときどき、色のついた模様のようなものが浮かんでは消える。 これは故障ではない。あなたの目は、正常に動作している。正常に動作しているからこそ、暗闇の中でも「何か」を生み出してしまう。人間の視覚には、常にノイズがある。そしてそのノイズを完全にオフにする方法は、存在しない。 あなたは黒を見たことがない 完全な暗闇で目を閉じたとき知覚されるあの暗灰色には、名前がある。ドイツ語でEigengrau(アイゲングラウ)。「固有の灰色」という意味だ。19世紀のドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングがこの語を用いたとされる。 Eigengrauは、外部からの光がまったくない状態でも網膜の視細胞が自発的に発火することで生じる。光受容体である錐体細胞や桿体細胞の中にある視物質(ロドプシンなど)は、光を受けなくても熱エネルギーによってごくまれに異性化を起こす。これが「熱ノイズ」と呼ばれる現象で、脳はこの微弱な信号を「光が来た」と解釈

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星空を眺める

夜空を見上げて、明るい星をじっと見つめる。よく見えるはずだと思って目を凝らすのに、なぜかぼんやりして、はっきりしない。ところが、ほんの少し視線をずらした瞬間、さっきまで見えなかった淡い星がふっと浮かび上がる。 これは錯覚ではない。目の構造がそうさせている。 網膜の二つの顔 人間の網膜には、光を受け取る細胞が二種類ある。錐体細胞と桿体細胞だ。 錐体細胞は網膜の中心部、中心窩と呼ばれる領域に密集している。色を識別し、細かい形を捉える。日中の視覚を担う主役だ。一方、桿体細胞は網膜の周辺部に多く分布している。色はほとんど感じ取れないが、わずかな光にも反応する。暗い場所での視覚は、こちらが支えている。 つまり、目の真ん中は明るい場所に強く、目の端は暗い場所に強い。昼と夜で、網膜の中で主役が入れ替わっている。 星空を眺めるとき、暗い星を直視するということは、光に対して鈍感な中心窩で捉えようとしていることになる。見えないのは当然だ。 逸視という技術 天文観測の世界には「averted vision」という技法がある。日本語では「逸視」と訳されることが多い。やり方は単純で、見たい天

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光と写真

好きで始めた写真が息苦しさに変わるとき

写真が好きで始めたはずなのに、いつの間にか疲れている。撮ること自体は楽しい。だがSNSに投稿した後の反応を気にし始めると、楽しさの質が変わる。撮影会に行って他の人の機材を見ると、自分のカメラが急に貧相に見える。ベテランの人に「その設定だと」と言われると、楽しかった時間が一気に萎む。 カメラ界隈がしんどいのは、撮影技術の問題ではない。人間関係とインセンティブの構造の問題だ。 経験年数が正しさになる権威勾配 カメラ界隈には、「長くやっている人の意見が正しい」という暗黙の序列がある。これはあらゆる趣味コミュニティに共通する構造だが、カメラ界隈では特に強い。写真には明確な正解がないため、正しさの根拠が「経験年数」に依存しやすいのだ。 技術的な正解はある程度存在するが、「いい写真とは何か」に正解はない。正解がない領域では、経験年数が権威の代替指標として機能する。 結果として起きるのは、「長くやっている人が新しい人に教える」という一方的な関係の固定化だ。教えてもらう側は意見を言いにくくなり、教える側は自分の基準が正しいと確信を深める。フィードバックのループが閉じて、多様な視点が排除され

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光と写真

見えない光が写す もうひとつの風景

見えない光で写真を撮る、という行為がある。 カメラのシャッターを切る。構図を決め、ピントを合わせ、露出を調整する。やることは通常の撮影とまったく同じだ。ただひとつ違うのは、写し取る光が人間の目には見えないということ。赤外線写真は、可視光の向こう側にある世界を画像として定着させる技術だ。 出来上がった写真を見ると、緑の木々は真っ白に輝き、空は暗く沈み、雲だけが不気味なほどのコントラストで浮かび上がる。現実の風景を撮っているのに、現実には見えない。この矛盾が、赤外線写真の核にある面白さだ。 赤外線写真とは何か 人間の目が感知できる光(可視光)の波長は、およそ380nmから780nmの範囲だ。赤外線はその上、約780nm以降の波長を持つ電磁波で、近赤外線(780nm-2500nm程度)は写真撮影に利用できる領域にある。 フィルム時代には、赤外線に感光する専用フィルムが存在した。代表的なのはKodak High Speed Infrared(通称Kodak HIE)で、粒子の粗さと独特のハレーションが赤外線写真の「あの雰囲気」を作っていた。残念ながら2007年に製造終了している。

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光と写真

止まったように見える景色の先へ

5年前のカメラで撮っても、困らない。 これは実感だ。数年前のミラーレスカメラであっても、日常的な撮影で「このカメラでは撮れない」と感じる場面はほとんどない。画素数は十分。高感度も実用的な範囲に収まっている。AFは被写体を見失うことが減った。RAW現像のワークフローも成熟している。 「カメラの技術的進化は頭打ちだ」という言説が繰り返されるのは、この実感が広く共有されているからだろう。だが「困らない」ことと「頭打ち」は、同じことを意味しているのか。 「頭打ち」を分解する 「頭打ち」という言葉は、物理法則的な限界に到達したことを暗示する。しかし実際に何が起きているかを分解してみると、見える景色は変わる。 センサー解像度。 フルサイズセンサーでは6100万画素(ソニーα7R V)クラスが上限に近づいている。一般的な用途、つまりSNSへの投稿やA3サイズまでのプリントであれば、2400万画素で十分すぎる。ただし中判デジタルの領域では1億画素を超える製品が登場しており、科学・産業用途ではセンサーの高解像度化はまだ進んでいる。「頭打ち」に見えるのは、民生用フルサイズという特定の文脈に限っ

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光と写真

星の光がフィルムに届くまで

デジタルカメラで星空を撮るのは、ある意味で素直な作業だ。ISOを上げて、シャッターを開けて、センサーに光を溜める。露光時間を2倍にすれば、記録される光の量も2倍になる。比例関係がきちんと成り立つ。 フィルムでは、そうはいかない。 相反則不軌という厄介者 フィルムの感度には、教科書通りにいかない領域がある。相反則不軌(reciprocity failure)と呼ばれる現象だ。 通常、フィルムの露光は「光の強さ × 時間」で決まる。これを相反則(reciprocity law)という。ISO 400のフィルムで、ある絞りとシャッター速度の組み合わせが適正露出なら、光の強さを半分にしてシャッター速度を2倍にしても、同じ露出が得られるはずだ。 しかし、露光時間が長くなると、この法則が崩れる。フィルムの感光乳剤に含まれるハロゲン化銀の結晶は、光子を受け取って潜像核を形成するが、光子の到達間隔が長くなりすぎると、形成途中の潜像核が安定する前に崩壊してしまう。つまり、弱い光を長時間当てても、計算通りには感光しない。 星空撮影では、これが致命的に効いてくる。計算上は30秒で適正露出になる

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光と写真

物撮りは遠くから

物撮りがうまくいかない原因は、たいていシンプルだ。近すぎる。 被写体に寄れば寄るほど、手前と奥の距離差が相対的に大きくなる。結果、手前が膨らみ、奥がすぼまる。円筒形のボトルが台形に見え、箱の前面だけが不自然に大きくなる。これは「広角レンズの歪み」と呼ばれがちだが、正確ではない。歪みの原因はレンズではなく、距離だ。 パースペクティブは距離で決まる よくある誤解がある。「望遠レンズを使えば歪みが減る」。結論だけ見れば間違っていない。しかし理屈が違う。 パースペクティブ、つまり遠近感の見え方を決定するのは、カメラと被写体の距離だけだ。焦点距離は画角を変えるが、パースペクティブそのものには関与しない。同じ距離から撮れば、35mmで撮ってもトリミングしても、85mmで撮っても、パースペクティブは同じになる。 望遠レンズで「歪みが減る」のは、同じ大きさに被写体を写そうとすると、焦点距離が長いぶん後ろに下がらざるを得ないからだ。離れるから歪まない。レンズが歪みを消しているのではなく、距離が歪みを消している。 物撮りでマクロレンズの90mmや105mmがよく使われるのも、これが理由だ。マ

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