もう一度、最初から

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誰しも一度くらいは考えたことがあるだろう。もし時間を巻き戻して、人生の最初からやり直せるとしたら、何かを変えるだろうか、と。


「変える」と答えるなら

何かを変えたいと思うなら、それは今の自分がどこか最善ではないと感じていることになる。あの時こうしていれば。あの選択をしなければ。そう思うのは自然なことだし、誰にだってそういう瞬間はある。

でも、ひとつ変えたら、今の自分のどこかが消える。ある失敗がなければ出会わなかった人がいる。ある回り道がなければ気づかなかったことがある。ひとつの選択を変えることは、その先に続くすべてを引き換えにすることだ。

「変えない」と答えるなら

それはそれで、なかなかの覚悟がいる。すべての苦しみ、すべての失敗、すべての退屈な午後を含めて、もう一度まるごと引き受けるということだから。

どちらに答えても、どこか居心地が悪い。この問いには、正解がない。


記憶の問題

ところで、やり直すとき、今の記憶は残るのだろうか。

もし記憶が残るなら、それは「やり直し」というより「二周目」だ。答え合わせのある人生。正解を知っているテストをもう一度受けるようなもので、たぶん思っているほど幸福ではない。

もし記憶が残らないなら、話はもっとややこしくなる。同じ状況で、同じ情報を持った、同じ自分が、同じ選択をするのではないか。まったく同じ人生をもう一度なぞるだけだとしたら、それは「やり直し」と呼べるのだろうか。何が変わるというのだろう。

そして、もし何も変わらないなら、やり直すことにそもそも意味があるのだろうか。


ニーチェの思考実験

フリードリヒ・ニーチェは『悦ばしき知識』の第341節で、ある思考実験を書いている。

ある日、あるいはある夜、一匹の悪魔がおまえのもっとも孤独な孤独のなかに忍び込み、こう告げたとする。「おまえがいま生きている、そしてこれまで生きてきたこの人生を、おまえはもう一度、そしてさらに無数に繰り返さなければならない。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる快楽、あらゆる思考とため息が、すべて同じ順序で、同じ流れでおまえに訪れる」

この宣告を聞いて、歯ぎしりして悪魔を呪うか。それとも、「なんと神々しい言葉だろう」と応じるか。

ニーチェにとって、これは人生を肯定できているかどうかの試金石だった。そしてここで重要なのは、この問いが「もっと良い人生をやり直す」話ではないということだ。まったく同じ人生を、何も変えずに、永遠に繰り返す。その重さに耐えられるか。あるいは、その重さを愛せるか。

永劫回帰(ewige Wiederkunft)と呼ばれるこの考えは、倫理的な命令でも宇宙論でもなく、自分自身への問いかけだ。今この瞬間を、永遠に繰り返しても構わないと思えるほど、深く生きているか。もし本当に終わらない今日が訪れたとしたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。


キルケゴールの「反復」

ニーチェより少し前、セーレン・キルケゴールは1843年に『反復』(Gjentagelsen)という著作の中で、似ているようで異なる問いを探っている。

キルケゴールは「想起」と「反復」を区別した。想起(Erindring)は過去に向かう運動であり、失われたものへの郷愁だ。一方、反復(Gjentagelse)は前を向いた運動であり、これから先に再び同じものを生き直そうとする意志に関わる。

やり直したいという願望は、想起の方角を向いている。過去に戻って、もう一度。でもキルケゴールが見据えていたのは、過去の回復ではなく、未来の中に再び意味を見出す力だった。

過去に戻ることはできない。けれど、これからの日々の中に、もう一度同じ強さで何かに向き合うことはできるかもしれない。


映画が描いたこと

映画『アバウト・タイム』(2013年、リチャード・カーティス監督)は、この問いをとても身近な物語に落とし込んでいる。

主人公は過去に戻る能力を持っている。失敗をやり直し、もっと良い言葉を選び直し、大切な人との時間を取り戻そうとする。でも物語が進むにつれて、主人公はやり直すことをやめていく。代わりに、毎日をそのまま、一度きりのものとして生きるようになる。

やり直せる能力を持ちながら、やり直さないことを選ぶ。それがこの物語のたどり着いた場所だった。

哲学者が思考実験として抱えた問いを、この映画はひとりの人間の日常として描いてみせた。そしてそのふたつは、たぶん、同じことを言っている。


後悔について

後悔とは、「あの時、別の選択ができたはずだ」という信念の上に成り立っている。

でも、あの時のあの自分は、あの時持っていた情報と、あの時の感情と、あの時の未熟さで、あの選択をした。もし同じ条件に戻されたら、同じことをする可能性はかなり高いのではないだろうか。

そう考えると、後悔とは、今の自分が過去の自分に対して持つ、少し不公平な感情なのかもしれない。答えを知った後で問題を振り返って、「なんでわからなかったんだろう」と首をかしげるようなものだ。

もちろん、後悔に意味がないとは言わない。後悔があるから学ぶこともある。ただ、後悔を感じるたびに、少しだけ立ち止まって考えてみてもいいかもしれない。その「別の選択」は、本当に選べたのか。あの時の自分に、それだけの材料があったのか。


君は、変えるかい?

最初の問いに戻ろう。もし人生をやり直せるなら、何かを変えるか。

考えれば考えるほど、この問いはもっと大きな問いに枝分かれしていく。

自分の人生を「自分のもの」だと言える根拠は、いったい何だろう。生まれた場所も、育った環境も、出会った人も、自分では選んでいない。選んだように見える選択ですら、それまでの経験が静かに方向づけている。

「やり直す」と言うとき、やり直す主体は誰なのか。今の記憶と価値観を持った自分が過去の体に入るのか。それとも、まっさらな状態でもう一度始めるのか。前者なら、それはもう別の人生だ。後者なら、同じ人生が繰り返されるだけだ。どちらにしても、「やり直し」という言葉が想定しているものとは、何かがずれている。

そもそも、「良い人生」とは何だろう。後悔が少ない人生か。充実した人生か。穏やかな人生か。けれど「充実」を測る物差しは、誰が持っているのだろう。80歳の自分か。今の自分か。それとも、やり直した先の自分か。


もし人生を何百回でもやり直せるとしたら、いつかは「完璧な人生」にたどり着くのだろうか。

それとも、何百回やり直しても、結局は何かが足りないと感じるのだろうか。

もしそうなら、足りないと感じるその感覚こそが、生きているということなのかもしれない。

あるいは、そんなことすら、わからない。

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Dependabotの対応が面倒なのでRenovateを導入する

Dependabotくんはある程度の依存関係の更新を通知してくれるが、山のようにprojectを抱えているとなんとも痒いところに手が届かない。 ということで、Renovateを使ってみる。 Build software better, togetherGitHub is where people build software. More than 150 million people use GitHub to discover, fork, and contribute to over 420 million projects.GitHub ここからGitHub Appを入れる。 あとは、指示に従ってポチポチするだけで、超かんたんだった。 感想 自動化最高。

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nodejsのバグを見つけたのでPRを投げてみた

概要 要するに、node --testで特定のバイナリを標準出力に書くと、テストランナーが固まったり、異常終了したりするバグです。 バグ自体は既知のものだったようで、修正がされていました。 test_runner: infinite loop in FileTest#drainRawBuffer when child stdout contains FF 0F followed by large size bytes · Issue #62693 · nodejs/nodeVersion v25.9.0 (also reproduced on v24.14.1 LTS, v22.21.0 LTS, v23.4.0) Platform Darwin 25.

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青空文庫のParser

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