生きること
全知の退屈
もしあらゆることを知れるとしたら、あなたは知りたいだろうか。ほとんどの人は、反射的に「知りたい」と答える。知識は善いものだと、私たちはずっと教わってきた。知は力であり、光であり、自由だと。けれど、それは「まだ何も知らない」側にいる者の感想にすぎない。すべてを知った先に何があるのかを、誰も見たことがない。 おそらく、見ないほうがいい。 知るなと言われていた 人類がもっとも古くから語り継いできた物語のひとつは、知ることへの警告だった。 旧約聖書の創世記には、エデンの園に「善悪の知識の木」が立っていたとある。食べてはならない、と神は言った。しかしアダムとイヴはそれを食べた。手に入れたのは知識だった。失ったのは楽園だった。 ギリシア神話のプロメテウスは、神々から火を盗み、人間に与えた。火は技術であり、文明であり、知の象徴として読まれてきた。その代償として彼は岩山に鎖で繋がれ、鷲に肝臓を啄まれ続けた。ゲーテの『ファウスト』では、あらゆる学問を修め尽くした博士が、それでも満たされず、悪魔メフィストフェレスと契約を結ぶ。 文化も時代も違うのに、この構図は繰り返される。知への渇望が破滅を