血のついた旗で手を拭く

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暴力は悪い。それはおそらく、地球上のほぼすべての道徳体系が同意する数少ない命題のひとつだ。では、悪を止めるための暴力は。不正を前にして振り下ろされる拳は、それでもなお悪か。

もちろん悪だ。ただし「正しい」悪だ。

そうやって人類は何千年も、血のついた手を正義の旗で拭いてきた。

正義のために暴力を行使する瞬間、私たちは暴力を否定しながら暴力を肯定するという不可能な綱渡りをしている。そしてこの綱は、渡り始めた瞬間に消える。「暴力は悪だ」という原則を守るために暴力を使うとき、原則そのものが足元から崩れ落ちる。あとに残るのは「どの暴力が正しいか」を決める権力闘争だけだ。善も正義もないと言い切ることは簡単だが、それでも人は殴り返さずにいられない。

正しい戦争という自己欺瞞

「正しい暴力」の歴史は古い。アウグスティヌスは4世紀にすでに「正戦論」を整えていた。不正な侵略への抵抗、比例性の原則、最後の手段としてのみ許される武力行使、非戦闘員の保護。トマス・アクィナスがこれを精緻にし、20世紀にはマイケル・ウォルツァーが『正しい戦争と不正な戦争』で現代の国際法にまで接続した。

条件は立派だ。正当な理由、正当な権威、正しい意図、比例性、最後の手段、成功の合理的見込み。しかし条件がすべて満たされたところで、暴力は暴力だ。正戦論は暴力を禁止するのではなく、暴力のための免許を発行している。そしてあらゆる免許がそうであるように、問題は発行権限が誰にあるかという点に移る。

正戦論の内部には、それ自身では解決できない亀裂がある。「正当な理由」を誰が判定するのか。判定する権威は、最終的には強制力によって裏打ちされている。つまり暴力だ。暴力の正当性を判断する機構が、暴力によって維持されている。これは循環ではなく、構造だ。

非暴力という賭け

ガンジーもマーティン・ルーサー・キング・ジュニアも、この循環に対してひとつの回答を示した。殴り返さないこと。暴力の正当化問題をまるごと迂回する戦略として、非暴力はきわめて聡明だったとも読める。

しかし非暴力は戦略であって、原則ではないのかもしれない。非暴力が機能するには前提がある。相手がある程度の道徳的感受性を持っていること。抑圧者の側に「恥」の感覚が残っていること。世界が見ていること。

イギリス帝国にはまだ恥の回路が残っていた。だからガンジーの非暴力は機能した。アメリカ社会にはまだメディアがあった。だからキングの行進はテレビの前の良心を揺さぶった。

その前提が崩れたとき、非暴力は沈黙になる。絶対的な暴力に対して非暴力を貫くことは、抵抗ではなく服従になりうる。ファノンはそれを見抜いていた。

植民地が教えたこと

フランツ・ファノンは『地に呪われたる者』(1961年)で、非暴力を植民地主義の産物だと喝破した。植民地支配そのものが暴力で成り立っている。入植者は暴力で土地を奪い、暴力で秩序を維持し、暴力で被植民者を人間以下に押し込める。その構造のなかで「暴力はいけない」と説くことは、支配者の暴力だけを免責することになる。

ファノンの議論は、被植民者の暴力を単なる手段としてではなく、主体性の回復として位置づけた。殴り返すことによってはじめて、人間として立ち上がる。サルトルはその序文でこう書いた。暴力によってのみ暴力の痕跡は消せる、と。

これは力強いレトリックだ。しかし力強いレトリックは危うい。暴力が主体性の回復だとするなら、どこで止まるのか。解放のための暴力が、支配のための暴力に変わる瞬間を、誰が見極められるのか。

フランス革命は自由のための暴力から出発し、恐怖政治に到達した。革命はしばしば自分の子を食う。手は最初から汚れている。しかし汚れた手で何かを掴もうとするとき、掴んだものまで汚れる。

法が隠す暴力

ヴァルター・ベンヤミンは「暴力批判論」(1921年)で、法と暴力のより根源的な関係を暴いた。

法は二重の暴力によって成り立っている。法を「定立する」暴力と、法を「維持する」暴力。革命や制定行為が前者であり、警察や刑罰制度が後者だ。法秩序はこの二つの暴力の循環のなかに閉じ込められている。

ベンヤミンはこの循環を「神話的暴力」と呼んだ。神話的暴力は境界を設定し、罪と報いを生み出し、法を存続させる。法は暴力の否定のふりをしながら、暴力の独占を維持する装置だ。

ここに正当防衛の問題が接続する。法的に認められた暴力としての正当防衛は、国家が個人に暴力の一部を貸し出す行為にすぎない。しかし「正当」と「過剰」の線はどこにもなかった。その境界は事後的に、権力によって引かれる。

ベンヤミンはこの循環を断ち切る力として「神的暴力」を構想した。法を破壊し、境界を無限に解体し、血を流さずに消滅させる暴力。しかしこの神的暴力がどのような形を取るのか、ベンヤミン自身も最後まで明確にはしなかった。それは構想というより、祈りに近い。

殴り返す権利

ジョン・ロックは暴政に対する人民の抵抗権を認めた。トマス・ジェファーソンはそれをアメリカ独立宣言に刻み込んだ。政府が人民の権利を踏みにじるとき、人民にはそれを覆す権利がある。

問題は「暴政」の定義だ。すべての革命は自らを「正義の暴力」と位置づける。あらゆる蜂起は、自分たちこそが抑圧されている側だと主張する。そしてその主張は、しばしば正しい。しかし正しさは暴力を浄化しない。

ハンナ・アーレントは『暴力について』(1970年)で、権力と暴力を峻別した。権力とは人々が協力して行動する能力であり、暴力とはその対極にあるものだ。暴力は権力を破壊することはできるが、権力を生み出すことはできない。どれほど正当な理由があっても、暴力によって築かれた秩序は暴力によってしか維持できない。

これはつまり、鎖を愛した動物の別の姿だ。暴力で勝ち取った自由は、暴力で守らなければならない。暴力で守られた自由は、もはや自由ではないのかもしれない。

炎上という裁き

この問題は国家や革命のスケールだけに限られない。

いじめられた子どもが殴り返す。ハラスメントの被害者が反撃する。「やられたらやり返す」は正義か、暴力か。被害者が加害者になる瞬間の境界を、誰も正確に引くことはできない。誰のせいでもない世界で、私たちは責任の所在を求めて拳を振り上げる。

インターネットはこの構造を加速させた。不正を告発する行為は、それ自体として精神的暴力になりうる。炎上は「正義の暴力」のもっとも日常的な形態かもしれない。匿名の群衆が一人の人間を糾弾するとき、そこには正戦論のすべての条件が揃っているように見える。不正な行為があった。告発には正当な理由がある。しかし比例性はどこかで蒸発し、「最後の手段」という条件ははじめから誰も気にしていない。

寛容という名の自壊装置が作動するのは、こういう場面だ。不寛容を許さないために不寛容になるとき、寛容は自分自身を食い破る。正義の暴力もまったく同じ構造を持っている。暴力を許さないために暴力を行使するとき、暴力の否定は自壊する。

汚れた手を洗う水はない

結局のところ、「正義の暴力」という概念は自己矛盾を内包している。暴力を手段として正当化した瞬間に、暴力の否定という原則は死ぬ。そして原則が死んだあとに残るのは、力の大小だけだ。

赦せないまま死ぬことがあるように、暴力を正当化できないまま暴力を振るわなければならない瞬間がある。それは道徳の失敗ではなく、道徳そのものの限界だ。

暴力は悪い。不正も悪い。どちらかを選ばなければならないとき、どちらを選んでも手は汚れる。そして汚れた手を洗う水は、どこにもない。

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Dependabotの対応が面倒なのでRenovateを導入する

Dependabotくんはある程度の依存関係の更新を通知してくれるが、山のようにprojectを抱えているとなんとも痒いところに手が届かない。 ということで、Renovateを使ってみる。 Build software better, togetherGitHub is where people build software. More than 150 million people use GitHub to discover, fork, and contribute to over 420 million projects.GitHub ここからGitHub Appを入れる。 あとは、指示に従ってポチポチするだけで、超かんたんだった。 感想 自動化最高。

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nodejsのバグを見つけたのでPRを投げてみた

概要 要するに、node --testで特定のバイナリを標準出力に書くと、テストランナーが固まったり、異常終了したりするバグです。 バグ自体は既知のものだったようで、修正がされていました。 test_runner: infinite loop in FileTest#drainRawBuffer when child stdout contains FF 0F followed by large size bytes · Issue #62693 · nodejs/nodeVersion v25.9.0 (also reproduced on v24.14.1 LTS, v22.21.0 LTS, v23.4.0) Platform Darwin 25.

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