日常の構造

Why you always sit in the same seat. Why you bought three things you didn't need at the convenience store. Why nobody speaks first in a group. These entries take apart the invisible mechanisms behind ordinary moments — cognitive biases, spatial norms, social scripts, attention design — and show that very little of what feels like free choice actually is. Not philosophy in the grand sense, but philosophy at ground level.

大学生活

最初の一言が全員の席を決める

グループワークの課題が出た瞬間、教室に微かな緊張が走る。3人から5人のグループに分かれ、テーマについて議論し、成果物をまとめる。大学では何度も経験する光景だ。 そして不思議なことに、何度やっても、同じような役割分担が「自然に」出来上がる。誰かが仕切り始め、誰かが黙り、誰かがなんとなく調整役に回る。メンバーが違っても、構造は似ている。 性格の問題だろうか。もう少し踏み込んで考えてみると、どうもそうではなさそうだ。 最初の30秒で決まる グループワークの役割分担は、最初の30秒でほぼ決まる。 グループが形成された直後、最初に口を開いた人間が、その後のグループ内での発言権を大きく獲得する。最初の発言者が議論の方向を設定し、他のメンバーはその方向に沿って自分の位置を調整する。いわば、最初の一手がゲーム全体の構図を決めてしまう。 一度固定された発言量のバランスは、その後の議論でほとんど変化しない。最初に多く話した人はますます多く話し、最初に黙っていた人はますます黙る。フィードバックループが回り始めると、役割は急速に固定化する。 つまり、リーダーになったのは能力や性格のためではなく

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

なぜ勉強をしなければならないのか

「なぜ勉強しなきゃいけないの?」 子供にそう聞かれて、すぐに答えられる大人はほとんどいない。「将来のためだよ」と言えば「なぜ将来のためにやらなきゃいけないの?」と返される。「いい仕事に就くため」と言えば「なぜいい仕事に就かなきゃいけないの?」と返される。どこまで答えても、次の「なぜ?」が待っている。終わらない議論の果てに立つということで書いた前提の無限遡行と同じ構造が、この問いにもある。底が抜ける。 大人が黙るのは、答えを知らないからではない。答えが循環するからだ。「勉強すれば幸せになれる」。では幸せとは何か。「他人より良い生活を送ること」。では良い生活とは何か。比較でしか幸福を測れないなら、その基準は誰が決めるのか。問いは出発点に戻ってくる。 この記事では、「なぜ勉強しなければならないのか」に対して明快な答えを出すつもりはない。出せないからだ。代わりに、この問いがなぜ厄介なのかを構造的に分解する。 「勉強」と「学び」は別の行為だ 「勉強しなさい」と言われたとき、その言葉が意味しているのは、ほとんどの場合「テストで点を取れ」「宿題を出せ」「成績を上げろ」だ。つまり制度が要求

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

便利な言葉が思考を眠らせる

「すごい」「重要」「さまざま」「多い」。便利な言葉だ。何にでも使えて、文字数も稼げる。だが、これらの言葉は、実は何も言っていない。 レポートの添削で最も多い指摘は、文法のミスではない。「具体的に書いてください」だ。 言葉の節約は思考の放棄である 「言葉の節約」とは、本来なら具体的に書くべきところを、曖昧な言葉で済ませてしまうことを指す。 「この問題はすごく重要である」。何がすごいのか。誰にとって重要なのか。どの程度重要なのか。この一文には情報がほとんど含まれていない。書いた本人は何かを伝えたつもりだが、読み手には何も伝わっていない。 言葉を節約しているように見えて、実際には思考を節約している。「すごい」と書いた瞬間、「何がどの程度すごいのか」を考える作業を放棄している。具体的に言い換える作業こそが、思考そのものだ。 雑語リストと言い換えの方向 大学生のレポートで頻出する曖昧な言葉と、その言い換えの方向性を示す。 「すごい」 何がどの程度そうなのかを数値や比較で示す。「前年比で30%増加した」「他の手法と比較して処理速度が2倍になる」。 「重要」 誰にとって、なぜ重

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

全員が見ていた

駅のホームで人が倒れた。あなたはそれを見た。周囲には何十人もの人がいた。あなたは足を止めかけて、しかし止めなかった。誰かが助けるだろう、と思った。全員が同じことを思っていた。全員が歩き続けた。 これは冷酷さの話ではない。構造の話だ。 三十八人の神話 1964年3月13日、ニューヨーク・クイーンズ地区で、キティ・ジェノヴィーズという女性が自宅アパートの前で殺害された。二週間後、ニューヨーク・タイムズ紙は衝撃的な記事を掲載した。38人の目撃者が犯行を見聞きしていたにもかかわらず、誰一人として警察に通報しなかった、と。 この記事はアメリカ社会に激震を与えた。都市生活の冷淡さ、人間の無関心、道徳の崩壊。あらゆる角度から語られ、引用され、教科書に載った。 ただし、この報道は嘘だった。 2007年、マニング、レヴァイン、コリンズの研究が、ニューヨーク・タイムズの記事を精査し、38人という数字には根拠がないことを示した。実際に犯行を目撃した人数はそれよりはるかに少なく、何人かは通報を試みていた。事件の全容を把握していた目撃者はほとんどいなかった。 しかし、嘘が正しい問いを生んだ。

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

取り消せないものを背負いなおも歩く

誰にでも、思い出すと胸のあたりが重くなる過去がある。 深夜に突然蘇る、何年も前の失言。もう関係のない相手に向けた、取り消せない行動。記憶の底に沈めたはずの場面が、何の前触れもなく浮上して、布団の中で目を閉じたまま呻く。あの経験を、多くの人が共有しているだろう。 「やらかし」という言葉は軽い。だがその軽さの裏には、自分自身の過去をどう扱えばいいか分からないという、重い問いが隠れている。罪は永遠に背負い続けなければいけないのか。変わった自分は、過去の自分と同じ人間なのか。赦しとは何であり、誰に権利があるのか。 時効は三つある 法的には、時効という制度がある。刑法にも民法にも、一定の期間が経過すれば刑事責任や損害賠償請求権が消滅する仕組みが組み込まれている。社会制度としての法は、「永遠に罰する」設計にはなっていない。 しかし「社会的な時効」と「法的な時効」と「心理的な時効」は、それぞれ別の時計で動いている。 法的な時効が成立しても、社会がそれを忘れるとは限らない。インターネット以降、記録は消えない。デジタルタトゥーという比喩が定着したのは、一度オンラインに刻まれた情報が、本人の

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

自販機の前

自販機の前に立つ。30本ほどの飲み物が並んでいる。数秒、迷う。結局、いつもと同じものを買う。 この数秒間に、何が起きているのか。たかが飲み物の選択にすぎない。しかし、その「たかが」の中に、意思決定の構造がそのまま映し出されている。 二つのシステム ダニエル・カーネマンは2011年の著書『ファスト&スロー』で、人間の思考を二つのシステムに分けた。システム1は直感的で高速な処理。システム2は論理的で低速な処理。日常の大半の判断はシステム1が担っている。 自販機の前での選択は、典型的なシステム1の領域だ。ボタンを押すまでに、価格、味の好み、気温、喉の渇き具合、前回の経験といった変数が、意識にのぼることなく統合されている。「なんとなくこれ」という直感は、怠惰ではなく、高速な情報処理の結果だ。 ただし、新商品が並んでいるときは事情が変わる。見たことのないパッケージが視界に入った瞬間、システム2が起動する。「これは何だろう」「おいしいだろうか」「値段は」。処理速度が落ち、選択に時間がかかる。自販機の前で立ち止まる時間が長い人は、優柔不断なのではなく、新しい情報を処理しているだけかもしれ

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

信じた者から沈んでいく

信頼しろ、と世界は言う。協力は美徳であり、裏切りは悪だ、と。だが、もしあなたが合理的であればあるほど、裏切ることが唯一の正解になる構造があるとしたら。囚人のジレンマとは、善意を持つことが構造的に不利になる世界の設計図だ。 二人の囚人、二つの部屋 1950年、RAND研究所のメリル・フラッドとメルヴィン・ドレシャーが一つの実験を設計した。のちにアルバート・タッカーが「囚人」の物語として再定式化し、この名がついた。 二人の共犯者が別々の部屋で尋問されている。互いに連絡はとれない。選択肢は二つ。黙秘するか、自白するか。 両方が黙秘すれば、証拠不十分で軽い刑になる。片方だけが自白すれば、自白した方は釈放され、黙秘した方は最も重い刑を受ける。両方が自白すれば、両方ともそこそこの刑を受ける。 さて、あなたは黙秘するか、自白するか。 裏切りが「支配戦略」になる 相手が黙秘するなら、自白したほうが得だ。釈放されるから。相手が自白するなら、やはり自白したほうが得だ。最悪の刑を避けられるから。相手が何をしようと、自白が合理的な選択になる。 ゲーム理論はこれを「支配戦略」と呼ぶ。

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

言葉のなかの見えない距離

「年上だから敬語を使う」。多くの人がそれを当然のルールとして受け入れている。だが、考えてみてほしい。ただ先に生まれたというだけの理由で、なぜ言葉の形式を変えなければならないのか。時間を長く過ごした人が必ず敬意に値するなら、何もせずに過ごした時間にも価値があることになる。 敬語は「尊敬の表現」だと教わる。しかし実際には、敬語はもう少し複雑な機能を担っている。 敬語は距離の調節装置である 日本語の敬語は、大きく5種類に分類される。尊敬語、謙譲語I(謙譲語)、謙譲語II(丁重語)、丁寧語、美化語。2007年の文化審議会答申以降、従来の3分類からこの5分類に整理された。 この分類を見れば分かるとおり、敬語は単に「相手を持ち上げる」ための装置ではない。自分を下げる表現、場を整える表現、言葉を美しく見せる表現が含まれている。つまり敬語の本質は、話し手と聞き手の距離を調整することにある。 ブラウンとレヴィンソンのポライトネス理論(1987)では、人は対面的なやりとりの中で相手の「フェイス(面子)」を脅かさないように振る舞うとされる。敬語はその最も体系化された道具の一つだ。「いらっしゃいま

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倫理と思考実験

あなたを撮った

街を歩いている。ふと、知らない人がこちらにレンズを向けている。シャッター音が聞こえたかもしれないし、聞こえなかったかもしれない。あなたの顔は、いまこの瞬間、誰かのSDカードに記録された。許可は求められていない。 あなたは怒るだろうか。それとも、気づかないまま歩き続けるだろうか。 ストリートスナップと呼ばれる行為がある。公共の場で、見知らぬ人を、断りなく撮る。撮る側はそれを「表現」と呼び、撮られる側はそれを「侵害」と呼ぶことがある。どちらも間違っていない。どちらも正しくない。この記事はその境界線について書くが、線は引けない。引けないということを、もう少しだけ丁寧に絶望してみたい。 シャッターという所有 スーザン・ソンタグは1977年の『写真論(On Photography)』で、写真を撮る行為を「所有」の一形態として記述した。 To photograph is to appropriate the thing photographed. 撮影することは、撮影された対象を占有することだ、と。カメラは記録装置であると同時に、

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雨の日の道路にいたイモリらしきもの

日常の構造

雨の日の道路にいたイモリらしきもの

雨の日、濡れた道路の上をのそのそ歩いている生き物を見つけた。帰りにはもういなかった。元気にしているといい。 おそらくアカハライモリ 断言はしないが、体の特徴からしてアカハライモリ(Cynops pyrrhogaster)ではないかと思う。 * 皮膚が細かい粒状でしっとりしている。爬虫類のヤモリとは質感が違う * 体が細長く、尾が長い * 指先にヤモリのような吸盤がない * 頭の形がサンショウウオよりも平たく、いわゆる「イモリ顔」 * 体の縁にうっすら赤みがある アカハライモリは日本の固有種で、本州、四国、九州の水辺に広く生息する両生類である。雨の日に道路に出てくるのは、水辺の間を移動する途中でよくあることらしい。 腹側を確認すれば赤い模様の有無でもっとはっきり分かるのだが、そこまでする機会はなかった。 イモリとヤモリ 名前が似ているので紛らわしいが、イモリとヤモリはまったく別の生き物である。 * イモリ: 両生類。皮膚がしっとりしていて、水辺にいる。「井守」(井戸を守る) * ヤモリ: 爬虫類。皮膚が乾いていて、壁や天井に張り付く。「家守」(家を守る)

By Sakashita Yasunobu