日常の構造
成功した予防は記憶から消える
何も起きなかった。橋は落ちなかった。飛行機は墜ちなかった。サーバーは止まらなかった。あなたは今日も病気にならなかった。 おめでとう。そのことに、誰も気づかない。 予防が成功すると、予防は不要だったように見える。これは公衆衛生の文脈では「予防のパラドックス」として知られている。疫学者ジェフリー・ローズがこの語を最初に用いたとき、彼が指していたのは「集団全体への予防策は個々人にとっての恩恵が小さい」という構造だった(Rose, 1981)。しかし予防が抱える問題はそれだけではない。もっと厄介な構造が、その奥に潜んでいる。成功した予防は、自分が必要だった証拠ごと消してしまうのだ。 崩落しなかった橋 橋が落ちなかったのは、定期点検のおかげかもしれない。しかし橋が落ちなかったという事実は、「点検がなくても落ちなかった」という解釈を同時に許してしまう。 これは因果推論の根本問題だ。私たちは「予防しなかった世界」を観察できない。予防した世界しか存在しない以上、比較対象はどこにもない。哲学ではこの問題を反事実条件文の検証不可能性と呼ぶ。「もしXしなかったらYが起きていた」という命題は、原理