震える声のままで構わない
ゼミや授業で発言するのが怖い。その不安の正体は「間違ったらどうしよう」だ。だが、「間違えない発言」を目指す必要はない。目指すべきは、「恥をかかない発言」の型を持つことだ。
賢く見せようとするから怖くなる。守りに徹すれば、発言のハードルは大きく下がる。
発言で恥をかく4つのパターン
まず、避けるべき型を知っておく。
断定する。 「それは間違いです」「絶対にこうです」。ゼミでこれをやると、根拠を問われたときに逃げ場がなくなる。そもそも学問の場では、断定できることの方が少ない。
一般化する。 「みんなそう思っています」「普通はこうです」。主語が大きすぎる発言は、反例一つで崩れる。「誰が」「どの範囲で」を限定していないから、簡単に突っ込まれる。
人格に触れる。 「そういう考え方をする人は...」。議論の対象を意見から人格にずらした瞬間、場の空気が壊れる。反論すべきは主張の内容であって、主張する人ではない。
論点をずらす。 今の議題と関係のない話を始めてしまう。本人は関連があると思っていても、他の参加者にとってはそう見えない。
「確認、限定、仮説」の型
恥をかかない発言には型がある。確認、限定、仮説。この3段階を意識するだけで、発言の安全性が大きく変わる。
確認。 まず、相手の主張を自分の理解で言い直す。「今のお話は、こういう理解で合っていますか」。これだけで十分な発言になる。確認は、聞き手が能動的に理解しようとしている証拠であり、教員から見れば「考えている学生」の印だ。
限定。 次に、自分の意見を述べる範囲を限定する。「この場合に限れば」「少なくとも自分の経験では」。範囲を限定すれば、反論されても「全体の話はしていません」と退避できる。
仮説。 最後に、断定ではなく仮説として提示する。「もしかしたら、こういう見方もできるのではないでしょうか」。仮説は間違っていても恥ずかしくない。「検討した結果、違いました」で済む。
その場で使える言い回し
型を知っていても、とっさに出てこなければ意味がない。以下のフレーズをそのまま使えばいい。
確認のとき
- 「すみません、確認なのですが」
- 「先生のおっしゃることは、こういうことですか」
- 「つまり、こういう理解でよろしいですか」
限定のとき
- 「これは自分の限られた経験からの話ですが」
- 「この事例に限定して言えば」
- 「一般化はできませんが」
仮説のとき
- 「素人考えかもしれませんが」
- 「的外れかもしれませんが、こういう可能性はありますか」
- 「まだ整理できていないのですが」
どのフレーズにも共通しているのは、自分の発言の射程を最初に示していることだ。射程を示せば、的を外しても大きな傷にはならない。
教員は「完璧な発言」を求めていない
教壇に立つ側から見ると、最も評価される発言は「正しい答え」ではない。「考えようとしている発言」だ。
沈黙が続く教室と、不完全でも何かを言おうとする教室では、後者の方が圧倒的にいい。教員が恐れているのは、学生の間違いではなく、学生が何も考えていない状態だ。
大学の専攻というかゼミの選び方で書いたように、ゼミは一方通行の講義ではない。双方向のやりとりが前提の場だ。発言しないことは、その場への参加を部分的に放棄していることになる。
沈黙のコストも知っておく
発言しないことにもリスクがある。
一つは評価への影響。ゼミによっては、発言の頻度や質が成績に反映される。もう一つは、自分自身の理解度の確認ができないことだ。頭の中で「分かったつもり」になっていても、言葉にしてみると曖昧な部分が見つかる。発言は、自分の理解の精度を測るテストでもある。
誰も学びを測れないに書いたとおり、学びの本質は数値化しにくい。だが、発言という行為は、少なくとも「自分がどこまで理解しているか」を可視化する手段にはなる。
まとめ
賢く見せようとしなくていい。恥をかかない型を持てばいい。確認し、限定し、仮説として出す。この3つのステップと、いくつかの定型フレーズがあれば、ゼミでの発言は怖くなくなる。完璧な答えを出すことではなく、考えようとしていることを示すこと。それが、大学における発言の作法だ。