Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

大学生活

コンビニで買い込んでしまう

水を買いに入ったはずのコンビニで、気づけばチョコレートとおにぎりを持ってレジに並んでいる。意志が弱いのではない。あなたはそうなるように設計された空間の中にいる。 動線という誘導装置 コンビニに入ると、目の前には雑誌棚か新商品のプロモーション棚がある。目的の飲料は、ほぼ例外なく店の奥の壁面に並んでいる。偶然ではない。 小売業では、顧客が店内を移動する経路を「動線」と呼ぶ。コンビニの動線設計は、客をできるだけ多くの棚の前を通過させることを目的に最適化されている。飲料を奥に置けば、客は入口から最奥まで歩かなければならない。その途中に弁当、菓子、日用品が並ぶ。「ついでに」手が伸びる確率は、通過する棚の数に比例して上がる。 この原則はスーパーマーケットでも同じだ。牛乳や卵といった購入頻度の高い商品は、たいてい店の奥にある。客を奥まで歩かせるための配置だ。 レジ横の心理学 レジに並んだとき、目線の高さにあるのは小さな商品群だ。ガム、チョコレート、肉まん、からあげ。小売業界で「ゴールデンゾーン」と呼ばれるこの場所は、購買行動の最終関門であると同時に、最も無防備な瞬間でもある。 レジ

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

美術館で何を見ればいいか分からない理由

美術館に行って、困ったことはないだろうか。 白い壁。静かな空間。真剣な顔で作品の前に立つ人たち。あなたはその中に入り、最初の作品の前で立ち止まる。キャプションを読む。作品を見る。何も起きない。隣の人は何かを感じているように見える。腕を組み、小さく頷き、しばらく動かない。あなたは不安になる。自分には何かが足りないのではないか。感受性が欠けているのではないか。 安心してほしい。「何を見ればいいか分からない」は正直な反応であり、恥ずかしいことではない。問題はあなたにではなく、美術館という空間が暗黙に要求しているものにある。 「感じればいい」は何の役にも立たない 美術鑑賞についてアドバイスを求めると、高い確率で返ってくるのが「難しく考えなくていい、感じればいい」という言葉だ。 善意から出た言葉だろう。しかし、これはほとんど何も言っていない。「感じろ」と言われて感じられるなら、最初から困っていない。感じ方が分からないから困っているのだ。 「感じればいい」は、美術に親しんでいる人が自分の経験を言語化できないときの逃げ口上にすぎないことがある。長年の蓄積によって身体化された鑑賞の技術を

By Sakashita Yasunobu

大学生活

震える声のままで構わない

ゼミや授業で発言するのが怖い。その不安の正体は「間違ったらどうしよう」だ。だが、「間違えない発言」を目指す必要はない。目指すべきは、「恥をかかない発言」の型を持つことだ。 賢く見せようとするから怖くなる。守りに徹すれば、発言のハードルは大きく下がる。 発言で恥をかく4つのパターン まず、避けるべき型を知っておく。 断定する。 「それは間違いです」「絶対にこうです」。ゼミでこれをやると、根拠を問われたときに逃げ場がなくなる。そもそも学問の場では、断定できることの方が少ない。 一般化する。 「みんなそう思っています」「普通はこうです」。主語が大きすぎる発言は、反例一つで崩れる。「誰が」「どの範囲で」を限定していないから、簡単に突っ込まれる。 人格に触れる。 「そういう考え方をする人は...」。議論の対象を意見から人格にずらした瞬間、場の空気が壊れる。反論すべきは主張の内容であって、主張する人ではない。 論点をずらす。 今の議題と関係のない話を始めてしまう。本人は関連があると思っていても、他の参加者にとってはそう見えない。 「確認、限定、仮説」の型 恥をかかない発言には

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生きること

嫌いなものに支えられて生きている

広告ブロッカーを使っている。 YouTubeのプレロール広告を飛ばし、Webサイトのバナーを非表示にし、SNSのインフィード広告をできるだけ目に入れないようにしている。広告は不快だ。見たくないものを見せられる。時間を奪われる。認知資源を消耗させられる。 その一方で、広告ブロッカーを使いながら無料のWebサービスに依存している。YouTube、検索エンジン、SNS、ニュースサイト。これらが無料で使えるのは、広告収入によって運営されているからだ。広告を嫌いながら、広告が支える無料サービスなしには生活が成り立たない。この矛盾に自覚的であることが、広告について考える出発点になる。 広告の機能を分解する 「広告は悪だ」と断じる前に、広告が何をしているのかを分解したほうがいい。 情報伝達機能。 「この商品が存在する」「このサービスが始まった」と知らせること。これ自体は中立的だ。知らなければ選択肢にすら入らない。新しい製品やサービスの存在を消費者に届ける手段として、広告は機能している。 説得機能。 「買うべきだ」「使うべきだ」と思わせること。ここから操作性が入る。情報の伝達と欲望の喚起

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大学生活

大学生、初めてのレポート

大学に入って最初に戸惑うのが、レポートだ。高校までの感想文や作文とはまるで違う。レポートとは、問いに対して根拠を示しながら答える文書のこと。「何を書けばいいかわからない」のは、問いの立て方と論証の型を知らないからにすぎない。 感想文とレポートは違う 感想文は「私はこう感じた」を書く。レポートは「この問いに対して、この根拠から、こう言える」を書く。 求められる力も異なる。感想文が感性と表現力なら、レポートは情報収集力、分析力、論理力だ。この違いがわかるだけで、書くものの輪郭はかなりはっきりする。 課題文を正しく読む 「〇〇について述べよ」という課題を受け取ったら、すぐに書き始めてはいけない。まず3つのことを確認する。 * 何を聞かれているのか。問いの核を正確に特定する * どこまで答えるのか。論じる範囲を絞る * どう答えるのか。説明なのか、比較なのか、批判的検討なのかを見極める 「述べよ」はたいてい「説明せよ」の意味だ。「論じよ」なら、自分の見解を根拠とともに示すことが求められている。「考察せよ」は、先行研究や事実を踏まえた上での分析を意味する。 課題の動詞ひ

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技術

エンジニアを目指す大学生が取るべき資格

「資格なんていらない、実力があればいい」。エンジニア志望の大学生がSNSで一度は目にする言葉だ。一方で「資格を取っておけ」と勧める声もある。どちらにも一理ある。しかし、どちらも半分しか正しくない。 「資格は意味ない」の半分だけ正しいところ 「資格より実務経験」。これは事実だ。採用の現場で重視されるのは、何ができるかであって、何を持っているかではない。資格の有無だけで採否が決まることは、まずない。 しかし、大学生には実務経験がほとんどない。インターンで多少の経験を積んでいたとしても、実務を何年も積んだエンジニアと同じ土俵には立てない。実務経験がない段階で「実力で示す」と言っても、示す手段が限られている。 資格は、その限られた手段のひとつだ。特に新卒採用では、応募者の技術レベルを短時間で判断する必要がある。そのとき「基本的な知識がある」ことの客観的な証拠として、資格は機能する。 ただし、すべての資格が同じ価値を持つわけではない。取る意味のある資格と、学生のうちには取っても意味が薄い資格がある。ここからは、その区別を整理する。 まず取るべき国家資格 IT系の国家資格は、IP

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大学生活

図書館の役割、あるいはスタバについての論考

「図書館で勉強する」と言えば、誰も何も言わない。「スタバで勉強する」と言えば、一定数の人が眉をひそめる。 やっていることは同じだ。テキストを開き、ノートを広げ、何かを読んで何かを書く。場所が違うだけで、行為そのものは変わらない。なのに、片方は当然のこととして受け入れられ、もう片方は議論の種になる。 この非対称は、場所というものが単なる物理的な空間ではないことを示している。 場所には「脚本」がある 建物には、設計者が想定した使い方がある。図書館は本を保管し、閲覧するための施設として設計された。カフェはコーヒーを飲みながら会話を楽しむための場所として設計された。 しかし、人は設計者の意図通りには動かない。大学図書館の閲覧席を見れば明らかだ。蔵書を閲覧している学生よりも、持ち込んだ教科書で自習している学生のほうが圧倒的に多い。図書館は「本を借りる場所」から「静かに勉強する場所」へと、いつのまにか読み替えられている。 この変化には歴史的な背景がある。大学図書館は、1990年代以降、「ラーニングコモンズ」という概念のもとで機能を拡張してきた。従来の蔵書管理と閲覧提供に加え、グループ

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哲学を読む

論理が未来を一本の線に縛る

明日、海戦は起こるか。 2300年以上前にアリストテレスがこの問いを立てた。答えは出ていない。出ないのではなく、出せない。「起こる」と答えれば未来は決定済みになる。「起こらない」と答えれば海戦は不可能になる。「どちらでもない」と答えれば、論理学の土台が割れる。 あなたは明日の予定を手帳に書き込む。アラームを設定する。友人と約束する。そのすべては、未来が開かれているという暗黙の前提の上に成り立っている。しかしその前提を論理の言葉で正当化しようとした瞬間、足元から地面が消える。 アリストテレスの罠 『命題論(De Interpretatione)』第9章。アリストテレスはここで、すべての命題は真か偽かのどちらかであるという原則、いわゆる二値原理(principle of bivalence)を未来の偶然的事象に適用したとき何が起こるかを問うた。 論理はこう要求する。「明日、海戦が起こる」という命題は、今この瞬間、真か偽かのどちらかである。もし真なら、海戦は必然的に起こる。もし偽なら、海戦は必然的に起こらない。どちらの場合も、未来はすでに確定している。偶然など存在しない。 これ

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大学生活

大学生は下手に履修するより聴講をしろ

大学の授業を受けるには履修登録が必要だ。当たり前のように聞こえるが、実はそうでもない。 履修登録をして単位を取ることと、何かを学ぶことは、本来まったく別の行為だ。この二つを同一視しているかぎり、大学の時間の使い方は窮屈なままだ。 「単位のための勉強」という歪み 履修登録をした瞬間、その科目の成績はGPAに反映される。良い成績を取ればGPAは上がり、悪い成績を取れば下がる。不合格であっても分母に算入される。履修登録とは「この科目で評価を受けます」という宣言であり、同時にGPAを賭ける行為でもある。 問題は、学びたい科目と良い成績を取れる科目が、必ずしも一致しないことだ。 興味はあるが自分の専門から遠い科目。面白そうだが厳しいと聞く講義。他学部で開講されている、基礎知識が足りないかもしれない授業。こうした科目を正規に履修すれば、GPAを賭けた博打になる。 結果として多くの学生は、成績がつきやすい科目を選ぶようになる。合理的な判断だ。しかし合理的な判断を重ねた先に残るのは、合理的だが退屈なカリキュラムだ。指標が目標に変わると、その指標が測ろうとしていたもの自体が歪む。GPAを守

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大学生活

大学に入学してからやるべき最も重要なこと

卒業要件を、自分の言葉で書き出せ。 学内のシステムにログインするためのIDとパスワードを手に入れた。入学式も終わった。サークルの勧誘を受けた。新しい街にも少し慣れた。さて、次に何をすべきか。 答えはひとつだ。卒業するために何が必要かを、正確に把握しろ。 なぜ卒業要件なのか 大学生活には自由がある。高校までのように、時間割が決められているわけではない。何を学ぶか、どの授業を取るか、どう時間を使うかは、基本的に自分で決める。 この自由は、裏返せば「誰も教えてくれない」ということだ。 卒業要件は、大学のWebサイトや学生便覧に書いてある。書いてある。しかし、読んで正確に理解している学生は驚くほど少ない。必修科目の一覧は確認しても、選択必修の条件、自由選択の上限、進級要件、卒業論文の位置づけまで把握している1年生は、ほとんどいない。 そして3年生になってから、「この科目を取っていなかった」「この区分の単位が足りない」と気づく。これは珍しい話ではない。毎年、全国の大学で起きている。 「読んだ」と「理解した」は違う 卒業要件のページを開いて、目を通す。これは「読んだ」ことには

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生きること

何をしても同じだった

宝くじに当たった人と、事故で脊髄を損傷した人がいる。一年後、両者が日常生活から得る幸福感にはほとんど差がなかった。1978年にこの事実が報告されたとき、「幸福の追求」という人類最古のプロジェクトは静かに足元を失った。 当選者と被害者 フィリップ・ブリックマンらが1978年に発表した研究は、幸福研究の古典として今も引用され続けている。イリノイ州の宝くじ当選者22人、対照群22人、そして事故による脊髄損傷者29人。この三つのグループの幸福度を比較した。 結果は直感に反するものだった。 宝くじ当選者の日常的な幸福感は対照群と有意に変わらなかった。それどころか、当選者は日常の些細な出来事から得られる喜びが対照群より有意に低下していた。友人と話す、テレビを見る、朝食を食べるといった何気ない行為が、かつてほどの喜びをもたらさなくなっていた。最大の幸運が、小さな幸福を奪ったのだ。 一方、脊髄損傷者の幸福度は「予想されるほど不幸ではなかった」と研究者自身が記している。日常的な幸福感においては、宝くじ当選者との差は驚くほど小さかった。 ここにあるのは、良い出来事が人を永続的に幸せにするわけ

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倫理と思考実験

届かないとわかっている声を上げる

あなたの一票で世界が変わる。選挙のたびに誰かがそう言う。統計的には、あなたの一票が選挙結果を左右する確率は、雷に打たれるよりも低い。それでも私たちは投票所に足を運ぶ。合理性が崩壊した場所で、民主主義は何食わぬ顔で回り続けている。 あなたの一票が届く確率 1957年、経済学者アンソニー・ダウンズは『民主主義の経済理論』で、ある不都合な計算を示した。投票に行くにはコストがかかる。時間、移動、情報収集の手間。一方で、自分の一票が選挙結果を変える確率は天文学的に低い。期待効用の枠組みで考えれば、投票しない方が得だ。 これが「ダウンズのパラドックス」と呼ばれるものだ。 話は単純に見える。自分の票が決定的になる確率に、候補者間の価値の差を掛け、投票コストを引く。問題は、その「決定的になる確率」がほぼゼロだということだ。有権者を重み付きコインに見立てる二項モデルでは、一票が勝敗を覆す確率は100万分の1ペニーにも満たないと推計される。もう少し楽観的な、過去の選挙データに基づく統計モデルでも、接戦州で1000万分の1程度だ。 宝くじの賞金が2億円だとしても、宝くじを買うことが合理的だとは言

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