Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

大学生活

大学で友達の作り方

「大学 友達 作り方」と検索している時点で、たぶんあなたは少し焦っている。入学式で周りがもう連絡先を交換している。昼食を一緒に食べる相手がいない。ガイダンスで隣の席の人に話しかけるタイミングを逃した。 結論から言う。いらない。 正確に言えば、「今すぐ作らなければならない」という前提が間違っている。大学における人間関係は、高校までとはまったく構造が違う。そしてその構造を理解すれば、焦る理由がないことがわかる。 「友達を作らなきゃ」という幻想 入学直後に友達を作れというプレッシャーは、どこから来るのだろう。 ひとつは高校までの延長だ。クラスがあり、担任がいて、席替えがあり、文化祭がある。同じ空間に長時間拘束されるから、人間関係は半ば自動的に生まれる。その感覚を引きずったまま大学に来ると、クラスがない、担任がいない、席が自由、行事への強制参加がないという環境に放り出されて途方に暮れる。 もうひとつはSNSだ。入学前から「同じ大学の人」とつながるグループが乱立し、入学式の日にはすでにグループができあがっているように見える。見えるだけだ。あの段階で形成される関係の大半は、利害や偶然

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

調べ終わった朝は来なかった

情報が足りないと嘆いていた時代があった。図書館に通い、人に尋ね、それでも知り得ないことを「仕方がない」と受け入れていた。少なくともあの時代は、「足りない」という診断だけは正しかった。 いまは違う。情報はある。検索ひとつで論文が降ってくる。動画が解説してくれる。SNSが意見を並べてくれる。そしてあなたは、その情報の洪水の前で、かつてより正確に間違えるようになった。 もう少しだけ調べよう、と思う。もう少しだけ。その「もう少し」が判断を永遠に先送りにしていることに気づく頃には、決めるべき時間はとうに過ぎている。 閾値を超えた情報 バリー・シュワルツが「選択のパラドックス」で示したのは、選択肢が増えるほど人は選べなくなるという逆説だった。ジャムの試食実験は有名だろう。24種類のジャムを並べると試食する人は増えるが、実際に購入する人は6種類のときの10分の1に落ちる。 この構図は、選択肢だけでなく情報にもそのまま適用できるかもしれない。情報が少ない時代、人はそれを「不足」と呼んだ。情報が増えれば判断の質は上がるはずだった。実際、ある地点まではそうだろう。しかし一定の閾値を超えると、情

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日常の構造

右肩上がりの絶望

あなたの祖父母の世代より、あなたは豊かだ。冷蔵庫がある。エアコンがある。ポケットの中に世界中の情報へアクセスできる端末がある。100年前の王侯貴族が夢にも見なかった水準の医療を、保険証一枚で受けられる。 それで、あなたは幸せだろうか。 1974年、経済学者リチャード・イースタリンがひとつの事実を突きつけた。国の所得が上がっても、国民の幸福度は上がらない。半世紀たった今も、この知見は消えていない。GDPのグラフは右肩上がりを続けている。幸福度のグラフは、ほぼ水平線のままだ。 発見 イースタリンはペンシルベニア大学の経済学者だった。1974年の論文で、彼は幸福度データを体系的に分析した最初の経済学者となる。 発見は奇妙だった。ある時点で切り取れば、裕福な人ほど幸せだ。国際比較でも、豊かな国の国民のほうが概ね幸せだ。ここまでは直感に合う。 ところが時系列で追うと、状況が反転する。アメリカの一人当たり実質GDPは1946年から1974年の間にほぼ倍増した。同じ期間の幸福度は、ほとんど動いていなかった。 のちにイースタリンは南カリフォルニア大学に移り、データを拡充した。発展途上国

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日常の構造

裏を返さない

4枚のカードがテーブルに置かれている。A、K、4、7。それぞれ片面にアルファベット、もう片面に数字が書かれている。 ルールはひとつ。「母音の裏には偶数がある」。このルールが正しいかどうかを確かめるために、あなたはどのカードを裏返すか。 1966年、心理学者ピーター・ウェイソンがこの課題を大学生に出した。正答率は10%に届かなかった。大半の被験者はAと4を選んだ。Aを裏返すのは正しい。母音の裏に偶数がなければルール違反だ。しかし4を裏返しても何もわからない。偶数の裏に母音がなくても、ルールは破られていない。ルールは「母音の裏は偶数」であって、「偶数の裏は母音」ではないからだ。 本当に裏返すべきは7だ。奇数の裏に母音があれば、ルールは崩壊する。しかし7を選んだ被験者はほとんどいなかった。 人は確認する。反証しない。ルールが正しいことを示すカードには手を伸ばし、ルールが間違っていることを示しうるカードには触れない。そしてそのことに、気づかない。 確認は快い なぜ人は確認ばかりするのか。 ひとつの答えは、確認が気持ちいいからだ。自分の予想が当たったとき、脳の報酬系が反応する。「

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ことばと文学

自由意志が消えた世界で私たちが恐れていたもの

「自由意志は存在しない」。この言葉を聞いて平静でいられる人は少ない。「じゃあ犯罪者を罰する意味がないのか」「努力しても無駄なのか」「全部決まっているなら生きる意味がない」。こうした反応は自然だが、いずれも勘違いに基づいている。 勘違い1:「決まっている」と「強制されている」の混同 「自由意志がない」と聞いて最初に浮かぶイメージは、自分の行動が何かに強制されているというものだろう。しかし、因果決定論が主張しているのはそういうことではない。 因果決定論は、「宇宙のすべての出来事は先行する原因の結果である」という主張である。あなたが今この記事を読んでいるのも、朝コーヒーを飲んだのも、過去の原因の連鎖の結果であるという考え方だ。 しかし、「原因がある」ことと「強制されている」ことは別である。明日の天気は物理法則によって因果的に決定されているが、天気が「強制されている」とは言わない。同様に、あなたの選択が因果的に決定されているとしても、それは誰かに強制されているのとは異なる。 脅迫されて行動するのと、自分の欲求や信念に基づいて行動するのは、たとえ両方が因果的に決定されていたとしても、

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倫理と思考実験

星だけが増えていく沈黙の宇宙

1950年、ロスアラモスの食堂。物理学者エンリコ・フェルミが同僚たちの雑談に割って入った。 "Where is everybody?" みんなはどこにいるんだ。76年が経った。返事は来ていない。 宇宙には観測可能な範囲だけでおよそ2兆の銀河がある。天の川銀河だけで数千億の恒星がひしめき、そのうち相当数が居住可能領域に惑星を持つ。確率的に考えれば、どこかに知的生命がいてもおかしくない。いてもおかしくないどころか、いないほうが不自然に見える。 なのに、何も見つからない。信号も、痕跡も、残骸すらない。 科学者たちはこの矛盾をフェルミのパラドックスと名づけた。だが、矛盾しているのは宇宙のほうだろうか。それとも「いるはずだ」と期待してしまう、こちらの推論のほうだろうか。 食堂で生まれた問い フェルミの問いが厄介なのは、それが直感的に正しく聞こえるからだ。 宇宙は約138億年前に始まった。地球は約46億年前に形成され、生命は少なくとも38億年前には出現していたとされる。宇宙の年齢からすれば、地球の生命はかなり早い段階で生まれたことになる。ならば、地球より数十億年早くできた惑星で、

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大学生活

退屈な講義が思考の実験室に変わる瞬間

90分の講義がどうしても退屈なとき、選択肢は3つある。寝る、スマートフォンを触る、あるいは頭の中で「勝手な研究」を始める。 3つ目の選択肢は、退屈な授業を「思考の実験室」に変える技術だ。真面目な研究計画ではない。知的な遊びの作法である。 反例を探す 教員が「一般にAである」と言ったら、「Aでない場合は何か」を考える。 たとえば「民主主義は合意形成のための制度である」と聞いたら、合意が形成されなかった事例を探す。多数決で少数派が常に排除される場面、投票率が低すぎて「合意」と呼べない場面。「一般に」という枕詞が出てきたら、それは反例を探すための合図だと思っていい。 反例が見つかったとき、それは教員の主張が「間違っている」証拠ではない。その主張が成り立つ範囲を明らかにする手がかりだ。 前提を崩す どんな議論にも、暗黙の前提がある。前提崩しとは、「この議論が成り立つために、何が仮定されているか」を問うことだ。 「教育は人を成長させる」と言われたら、そこには「成長は望ましいものだ」「教育の目的は成長だ」という前提が隠れている。その前提を疑ってみる。成長しないことに価値がある場

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大学生活

ぼっちで過ごす大学生活が本当に詰むパターン・詰まないパターン

詰むパターン。 なし。 以上。 …と言い切りたいところだが、さすがに乱暴なので少し補足する。 「ぼっち=詰む」は思い込み 「大学でぼっちだと詰む」という言説はネット上に溢れている。友達がいないと過去問が手に入らない。グループワークで孤立する。就活の情報が入ってこない。飲み会に呼ばれない。 このうち、本当に大学生活を脅かすものがいくつあるか、冷静に数えてみてほしい。 飲み会に呼ばれないことは、大学生活が「詰む」こととは関係がない。過去問がなくても試験は受けられる。むしろ過去問に頼らずに自分で教科書とノートを読み込んだほうが、理解は確実に深まる。 「ぼっち=詰む」という図式は、大学の構造を理解していないことから生まれる誤解だ。大学は高校とは違う。クラスがなく、担任がおらず、同じメンバーと毎日顔を合わせる仕組みになっていない。一人でいることは、この環境ではまったく自然な状態だ。 詰まないパターン(ほとんど全部) 具体的に見ていこう。 講義。大学の講義は基本的に個人で受けるものだ。隣に友達がいようがいまいが、教員の話を聞き、ノートを取り、課題を提出するという流れは変わ

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生きること

幸せを追う手がすべてを遠ざける

幸せになりたいと思った瞬間、幸せは一歩遠ざかる。もう一歩近づこうとすると、もう一歩逃げる。これは比喩ではない。哲学が二百年かけてたどり着いた、ほとんど冗談のような構造的事実かもしれない。 快楽を目的にすると快楽が手に入らない。ヘンリー・シジウィックは『倫理学の方法』でこの構造を「快楽主義のパラドックス」と名づけた。そしてこのパラドックスは、いまだに解かれていない。解かれていないどころか、あなたの生活の中で、毎日、静かに作動している。 ミルが崩れた朝 ジョン・スチュアート・ミルは20歳で壊れた。 ベンサム流の功利主義を幼少期から叩き込まれ、「最大多数の最大幸福」を人生の座標にしていた青年が、ある朝ふと自問する。「すべての改革が実現したとして、それは自分にとって大きな喜びだろうか?」。答えは、Noだった。 ミルはこの経験を『自伝』第5章「わが精神の危機」に記している。目標がすべて達成されても幸福にならないのなら、その目標の追求とはいったい何だったのか。目的地にたどり着いたはずなのに、そこには何もなかった。彼が直面したのは、快楽主義のパラドックスの個人版だったのかもしれない。

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日常の構造

すべてを買えるようになった人々が引き換えにしたものの目録

資産が10億ドルを超えた人間の生活は、もはや「裕福」という言葉では捉えられない。金額の大きさそのものよりも、その金額が日常の判断構造をどこまで変形させるかに本質がある。億万長者が常軌を逸しているとすれば、それは贅沢をしているからではない。意思決定の前提そのものが、大多数の人間とまったく異なる座標系に移動しているからである。 時間と金の等価性が壊れる 年収400万円の人にとって、1時間の労働には約2,000円の対価がある。だから自分で料理をつくり、自分で掃除をし、自分で移動手段を手配する。それが合理的だからである。 しかし資産が1,000億円を超えると、この計算が反転する。1時間あたりの機会費用が数百万円に達するとき、「自分でやる」という選択はほぼすべて非合理になる。移動はプライベートジェット、食事は専属シェフ、日程管理は複数のアシスタント。これは贅沢ではなく、彼らの座標系においては単なる最適化である。 問題は、この最適化が人間の経験を削り取ることにある。スーパーで食材を選ぶ時間、電車の中でぼんやりする時間、道に迷って偶然の店に入る時間。そうした非効率の中にこそ、生活と呼ばれる

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大学生活

「インスタ教えて」と言ったとき距離はもう決まっていた

おじさんたちは簡単だ。 目的が達成されればいい。 だから、会社では未だにメールが山ほど送受信され、先進的な企業ではTeamsやSlackが使われ続ける。彼らはインターネットが死んだら、FAXでも手紙でもかまわないのだろう。少し面倒だが、目的が達成できればそれでいい。 一方で若者はそうじゃない。 裏垢を駆使し、家族にはLINEで連絡し、友達とはInstagramで連絡を取る。連絡先を交換するとき、「LINE教えて」ではなく「インスタのアカウント教えて」と言う場面が増えている。同じ「メッセージを送る」という機能なのに、LINEのトークとInstagramのDMでは、心理的な距離感がまるで違う。 なぜそうなるのかを考えると、プラットフォームの設計そのものがコミュニケーションの作法を規定しているという、少し厄介な事実に行き当たる。 プロトコルが違う 現代音楽が理解不能に感じる理由で、「耳のプロトコル」について書いた。調性音楽に最適化された耳は、異なるプロトコルの音楽に出会ったとき「理解不能」と判定する。聴いている音が変なのではなく、耳のほうが特定の聴き方に訓練されているだけだ。

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大学生活

集中力が最も高い時間帯の錯覚

「朝5時に起きてから午前中に最も重要な仕事を片付ける」。自己啓発の世界では、これがほとんど教義のように語られている。 一方で、「自分は夜型だから深夜に集中する」と信じている人もいる。午前2時のキーボードの音だけが響く部屋で、日中にはない冴えを感じると。 どちらも、半分正しくて半分間違っている。 クロノタイプという個人差 人間の体内時計には、生まれつきの個人差がある。「クロノタイプ」と呼ばれるこの傾向は、体質的に朝に活動のピークが来る人と、夜にピークが来る人を区別するものだ。 これは怠惰や努力の問題ではない。遺伝的・生理的な基盤を持つ生物学的な特性だ。思春期には夜型傾向が強まり、加齢とともに朝型に移行する傾向があることも知られている。つまり、大学生の多くが夜型に傾くのは、生活習慣の問題であると同時に、年齢に伴う生物学的な傾向でもある。 東京医科大学の研究グループが約1万人を対象に行った調査では、クロノタイプそのものは直接的に生産性を低下させないことが示されている。しかし、自分のクロノタイプに合わない時間帯に活動を強いられると、睡眠の質が低下し、それを介して生産性が落ちる。朝

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