生きること
「なんとなく嫌」の分解
嫌いなものなら説明できる。辛い食べ物が嫌い。寒い朝が嫌い。理由は明快で、誰に聞かれても答えられる。しかし「なんとなく嫌」は違う。理由がない。理由がないのに避けたい。避けたい理由を聞かれると困る。困るから「なんとなく」と言う。 「なんとなく」は説明の放棄ではなく、正確な記述だ。本当に「なんとなく」なのだから。 「嫌い」と「なんとなく嫌」は別の現象である 「嫌い」には構造がある。対象があり、理由があり、経験がある。犬に噛まれたから犬が嫌い。怒鳴られた記憶があるからあの部屋が嫌い。原因と結果が追跡可能だ。 「なんとなく嫌」には構造がない。あるいは、構造が見えない。特定のUIを触ったときの居心地の悪さ。特定の言い回しに対する微かな反発。特定の場所に入ったときの、帰りたいという衝動。どれも、問い詰められれば答えに窮する。 この二つは質的に異なる。「嫌い」は意識の出来事だ。「なんとなく嫌」は意識の手前の出来事だ。身体が先に反応し、意識が後から「なんとなく嫌だ」