Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

大学生活

誰も何も言わない部屋で息をしていた

エレベーターの中で、誰も何も言わない。目のやり場に困り、スマートフォンを取り出す。あの沈黙が不快なのは、人間の本能だと思っている人が多い。だが、そうではない。沈黙を「気まずい」と感じるかどうかは、文化によってまるで違う。 沈黙の意味は一つではない フィンランドでは、沈黙は信頼の表れとされる。会話が途切れても、相手が気を悪くしているとは考えない。むしろ「この人の前では黙っていられる」という安心感の証拠になる。一方、アメリカでは会話の途切れは不快とされやすく、沈黙を埋めることが社交スキルとして求められる傾向がある。 日本はどうか。日本には「間」を重んじる美意識がある。茶道や能における「間」は、余白として肯定される。ところが、エレベーターやゼミの質疑応答では、同じ沈黙が途端に気まずくなる。この矛盾は、沈黙そのものではなく、沈黙が生じる「場」の構造に原因がある。 なぜ沈黙が圧力になるのか 会話分析(Conversation Analysis)の分野では、「ターン・テイキング」という概念がある。会話は話者が交互に「ターン」を取ることで成立しており、

By Sakashita Yasunobu

生きること

1兆の夜明けを数えた星の沈黙

深夜、ベランダに出て空を見上げる。星が見える。あるいは曇っていて何も見えない。どちらにしても、足元の地面は動いていない。少なくとも、そう感じる。 しかし今この瞬間も、あなたは地球の自転によって時速約1,670km(赤道上の場合)で移動している。新幹線の5倍以上。音速の約1.4倍。それをまったく感じないのは、あなたが地球と同じ慣性系の中にいるからだ。空気も、建物も、コーヒーカップも、すべてが同じ速度で動いている。相対的な差がないから、体感としてはゼロになる。 では、この回転は今まで何回繰り返されたのだろうか。 数えてみる 地球の年齢は約46億年とされている。放射性同位体の崩壊を利用した年代測定(ウラン-鉛法など)によって推定された数値だ。 単純に1日1回転として計算すると、46億年 x 365.25日 = 約1兆6,800億回転。途方もない数だ。しかしこの計算は正確ではない。地球の自転速度は一定ではないからだ。 月の重力が地球の海水を引っ張ることで潮汐が生じる。この潮汐は地球の自転にブレーキをかける。結果として、地球の1日は100年あたり約2.3ミリ秒ずつ長くなっている。わ

By Sakashita Yasunobu

大学生活

正しさのなかで眠りにつく問いたち

「多様性を尊重しよう」。誰も反対できないこの言葉が、議論のなかで使われると、不思議なことが起きる。議論が終わるのである。 美しい言葉が思考停止装置になるとき 「多様性を尊重しよう」は倫理的に正しい響きを持っている。多様な価値観を認め合おう、異なる背景を持つ人々を排除しないようにしよう。この理念自体に問題はない。 問題は、このフレーズが議論の場で「結論」として持ち出されるときに起きる。価値観が衝突し、どちらかを選ばなければならない場面で「多様性を尊重しよう」と言うことは、判断を保留することと同義になる。しかも、判断を保留していることが道徳的に正しいかのように見えてしまう。 価値衝突は「尊重」では解決しない 現実には、互いに両立しない価値が衝突する場面がある。 たとえば表現の自由と他者の尊厳。ヘイトスピーチを表現の自由として保護すべきか、それとも他者の尊厳を守るために規制すべきか。この問いに対して「多様性を尊重しよう」と答えることは、何も答えていないのと同じである。 「表現の自由も大事だし、尊厳も大事だよね」は事実の確認であって、衝突の解決ではない。どちらを優先するかの判

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

便利な言葉が思考を眠らせる

「すごい」「重要」「さまざま」「多い」。便利な言葉だ。何にでも使えて、文字数も稼げる。だが、これらの言葉は、実は何も言っていない。 レポートの添削で最も多い指摘は、文法のミスではない。「具体的に書いてください」だ。 言葉の節約は思考の放棄である 「言葉の節約」とは、本来なら具体的に書くべきところを、曖昧な言葉で済ませてしまうことを指す。 「この問題はすごく重要である」。何がすごいのか。誰にとって重要なのか。どの程度重要なのか。この一文には情報がほとんど含まれていない。書いた本人は何かを伝えたつもりだが、読み手には何も伝わっていない。 言葉を節約しているように見えて、実際には思考を節約している。「すごい」と書いた瞬間、「何がどの程度すごいのか」を考える作業を放棄している。具体的に言い換える作業こそが、思考そのものだ。 雑語リストと言い換えの方向 大学生のレポートで頻出する曖昧な言葉と、その言い換えの方向性を示す。 「すごい」 何がどの程度そうなのかを数値や比較で示す。「前年比で30%増加した」「他の手法と比較して処理速度が2倍になる」。 「重要」 誰にとって、なぜ重

By Sakashita Yasunobu

大学生活

大学生はいい枕を買え

一人暮らしを始めるとき、ベッドフレームやマットレスにはそれなりに気を使う。でも枕はどうか。ホームセンターで一番安いやつを買って、そのまま何年も使っている人が多いのではないか。 枕は安い。安いのに、睡眠の質への影響が大きい。大学生が限られた予算の中で手を出せる投資として、枕ほどコスパのいいものはなかなかない。 睡眠は成績に出る 「睡眠が大事」なんて言われなくてもわかっている、と思うかもしれない。でも数字で見ると印象が変わる。 カーネギーメロン大学の研究チームが3つの大学の600人以上の一年生に毎晩睡眠トラッカーを装着させ、睡眠と成績の関係を調べた(米国科学アカデミー紀要掲載)。平均睡眠時間は6時間半。毎晩6時間未満の学生は成績が明確に低下し、睡眠が1時間増えるごとに期末の成績がわずかに上がるという相関が出ている。 国内でも似た傾向が報告されている。ある調査では、1日の睡眠時間が6時間以上の学生はGPA上位群に44%いたのに対し、6時間以下の学生はGPA下位群の45%を占めていた。睡眠の質、タイミング、量のすべてが良好な学生群は、学修成果や大学への適応度でも明確に良い傾向を示し

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

全員が見ていた

駅のホームで人が倒れた。あなたはそれを見た。周囲には何十人もの人がいた。あなたは足を止めかけて、しかし止めなかった。誰かが助けるだろう、と思った。全員が同じことを思っていた。全員が歩き続けた。 これは冷酷さの話ではない。構造の話だ。 三十八人の神話 1964年3月13日、ニューヨーク・クイーンズ地区で、キティ・ジェノヴィーズという女性が自宅アパートの前で殺害された。二週間後、ニューヨーク・タイムズ紙は衝撃的な記事を掲載した。38人の目撃者が犯行を見聞きしていたにもかかわらず、誰一人として警察に通報しなかった、と。 この記事はアメリカ社会に激震を与えた。都市生活の冷淡さ、人間の無関心、道徳の崩壊。あらゆる角度から語られ、引用され、教科書に載った。 ただし、この報道は嘘だった。 2007年、マニング、レヴァイン、コリンズの研究が、ニューヨーク・タイムズの記事を精査し、38人という数字には根拠がないことを示した。実際に犯行を目撃した人数はそれよりはるかに少なく、何人かは通報を試みていた。事件の全容を把握していた目撃者はほとんどいなかった。 しかし、嘘が正しい問いを生んだ。

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

哲学書が読めない理由は難しさではない

哲学書を開く。三ページ読む。一行も頭に入っていない。 この経験をした人は多いだろう。そしてたいていの場合、その原因を「哲学は難しいから」に帰着させる。専門用語が多い。文章が回りくどい。抽象的すぎる。だから読めない。 本当にそうだろうか。専門用語は辞書を引けば分かる。「アプリオリ」は「経験に先立つ」であり、「弁証法」は「対立する概念を統合して高次の理解に至る思考法」だ。文章が回りくどいのは事実だが、法律文書だって回りくどい。抽象的だというなら、数学の方がよほど抽象的だ。 哲学書が読めない理由は、難しいからではない。あなたの側に、問いがないからだ。 問いの不在 哲学書は情報を得るための本ではない。 多くの読者が哲学書に挫折するのは、読み方の期待がずれているからだ。新書やビジネス書のように、「結論は何か」、「要点は何か」を探しながら読む。そして見つからない。あるいは見つかったとしても、その結論がなぜ重要なのかが腑に落ちない。 カントの「純粋理性批判」(1781)の結論を一行で書くことは可能だ。「人間の認識能力には限界があり、経験を超えたものについて確実な知識を持つことはできな

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大学生活

大学生がレポートでどう引用すればいいか迷ったら

結論から言う。特に指定がないなら、シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル(The Chicago Manual of Style)に従え。 教員から引用スタイルの指定がある場合は、そもそもこの記事を読む必要はない。指定どおりに書けばいい。この記事が対象としているのは、「特に指示がなくて、何をどう書けばいいかわからない」という人だ。 なぜシカゴ・マニュアルなのか シカゴ・マニュアルは、人文科学系で最も広く使われている引用スタイルだ。歴史学、文学、哲学、芸術などの分野で国際的に採用されている。 人文社会系のレポートを書く場合、シカゴ・マニュアルに従っておけば、形式面で問題になることはまずない。汎用性が高く、書籍、論文、Webサイトのいずれにも対応している。 二つの方式がある シカゴ・マニュアルには、二つの引用方式がある。 脚注・参考文献方式(Notes-Bibliography) は、引用箇所に脚注番号を振り、ページの下部または文書の末尾に文献情報を記載する方式だ。歴史学、文学、哲学の分野でよく使われる。

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生きること

人が比較でしか幸福を測れない理由

幸福には単位がない。 体重はキログラムで測れる。気温は摂氏で測れる。距離はメートルで測れる。だが、幸福を測る単位は存在しない。「今日の幸福度は73ハッピーです」とは言えない。 だから人は比較する。他の誰かと。昨日の自分と。あるいは、想像上の「あるべき自分」と。それ以外に、自分がどれだけ幸福かを知る方法がない。 隣の芝が永遠に青い理由 レオン・フェスティンガーは1954年に社会的比較理論を提唱した。人間は客観的な基準がないとき、他者との比較によって自分の能力や意見を評価する、という理論だ。 幸福にも同じことが当てはまる。幸福の絶対的な基準がないから、人は周囲を見渡す。友人の昇進。同僚の結婚。SNSに流れてくる誰かの旅行写真。それらと自分の状況を並べて、自分が「まあまあ幸せ」なのか「不幸せ」なのかを判定する。 問題は、比較の対象が常に上方に偏ることだ。自分より幸せそうに見える人間ばかりが目に入る。これはSNSによって劇的に悪化した。かつての比較対象は近所の人間や職場の同僚に限られていた。今では世界中の「幸せそうな人間」が比較対象になる。 あなたの幸福は最初から誰かの書いた脚

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哲学を読む

雨の中で傘を持たない理由

「雨が降っている。しかし私はそれを信じていない」 この文には、論理的な矛盾がない。雨が降っていることと、話者がそれを信じていないことは、同時に真でありうる。人は自分の信念について間違うことがある。天気についても間違うことがある。両方が真であるような世界は、何も不思議ではない。 それなのに、この文を口に出した瞬間、何かがおかしくなる。 G.E.ムーアが1942年にケンブリッジ道徳科学クラブで発表したこの観察を、ウィトゲンシュタインは「哲学における最も重要な発見のひとつ」と呼んだ。大げさに聞こえるかもしれない。たかが一文だ。でもこの一文は、私たちが「信じる」とか「主張する」とか「知っている」と言うとき、裏側で何が起きているのかを、静かに、しかし徹底的に暴露する。 矛盾していないのに壊れている ムーアの文が奇妙なのは、それが論理的に矛盾しているからではない。三人称に変換すれば何も問題は起きない。「彼は雨が降っていると言ったが、それを信じていなかった」。ただの報告だ。嘘をついていたのかもしれないし、混乱していたのかもしれない。いずれにせよ、聞いた側が驚くことはあっても、文そのものが

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生きること

どちらを選んでも振り返る

後悔しない人生を送りたい。たぶん、あなたもそう願ったことがある。 だが残念なことに、その願い自体が罠だ。後悔を避けようとする行動は、慎重すぎる選択を生み、決断の先延ばしを招き、安全な道ばかりを選ばせる。そして数年後、あなたはこう思う。もっと大胆にすればよかった、と。後悔を避けたはずの人生が、後悔で満ちている。 後悔は追い払おうとすると寄ってくる。受け入れようとすると姿を変える。見て見ぬふりをすると、忘れた頃に刺す。 逃げた先で待っている 行動経済学には「後悔回避バイアス」という概念がある。人は将来の後悔を予測し、それを回避するように意思決定を歪める傾向があるという知見だ。損失を恐れて株を持ち続ける。告白が怖くて距離を置く。転職のリスクに怯えて不満を飲み込む。どれも、後悔したくないがゆえの行動だ。 問題は、この予測がほとんど当たらないことにある。 ダニエル・ギルバートらの2004年の研究 Looking Forward to Looking Backward は、この不一致を実証した。「あと少しで勝てた」場面と「明らかに負けた」場面を比較したとき、人は前者のほうがはるかに強

By Sakashita Yasunobu

光と写真

「いい写真」という言葉がすれ違うとき

「いい写真だね」。この一言に、どれだけの誤解が含まれているか。 あなたが「いい写真だね」と言ったとき、相手も同じ意味で受け取っているとは限らない。あなたは構図の美しさを褒めたつもりなのに、相手は「記録として価値がある」と受け取っているかもしれない。あるいはその逆。 「いい写真」の定義が会話で噛み合わないのは、感性の問題ではない。評価軸の問題だ。 5つの評価軸 写真を評価する軸は、少なくとも5つに分けられる。 記録。 何が写っているか。祖父母の若い頃の写真。震災の直後の街並み。もう取り壊された建物。記録としての写真は、そこに写っている「事実」に価値がある。構図が多少傾いていても、ピントが甘くても、そこに何が記録されているかが重要だ。 情報。 何を伝えているか。報道写真、商品写真、料理写真。これらの写真は、見る人に特定の情報を伝達することが目的だ。ニュースの現場で何が起きていたか、この料理がどれほど美味しそうか。情報としての写真は、伝達の正確さと効率が評価基準になる。 感情。 何を感じさせるか。子どもの笑顔、夕焼けの風景、祭りの熱気。感情としての写真は、見る人の心を動かすこ

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