Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

哲学を読む

雨の中で傘を持たない理由

「雨が降っている。しかし私はそれを信じていない」 この文には、論理的な矛盾がない。雨が降っていることと、話者がそれを信じていないことは、同時に真でありうる。人は自分の信念について間違うことがある。天気についても間違うことがある。両方が真であるような世界は、何も不思議ではない。 それなのに、この文を口に出した瞬間、何かがおかしくなる。 G.E.ムーアが1942年にケンブリッジ道徳科学クラブで発表したこの観察を、ウィトゲンシュタインは「哲学における最も重要な発見のひとつ」と呼んだ。大げさに聞こえるかもしれない。たかが一文だ。でもこの一文は、私たちが「信じる」とか「主張する」とか「知っている」と言うとき、裏側で何が起きているのかを、静かに、しかし徹底的に暴露する。 矛盾していないのに壊れている ムーアの文が奇妙なのは、それが論理的に矛盾しているからではない。三人称に変換すれば何も問題は起きない。「彼は雨が降っていると言ったが、それを信じていなかった」。ただの報告だ。嘘をついていたのかもしれないし、混乱していたのかもしれない。いずれにせよ、聞いた側が驚くことはあっても、文そのものが

By Sakashita Yasunobu

生きること

どちらを選んでも振り返る

後悔しない人生を送りたい。たぶん、あなたもそう願ったことがある。 だが残念なことに、その願い自体が罠だ。後悔を避けようとする行動は、慎重すぎる選択を生み、決断の先延ばしを招き、安全な道ばかりを選ばせる。そして数年後、あなたはこう思う。もっと大胆にすればよかった、と。後悔を避けたはずの人生が、後悔で満ちている。 後悔は追い払おうとすると寄ってくる。受け入れようとすると姿を変える。見て見ぬふりをすると、忘れた頃に刺す。 逃げた先で待っている 行動経済学には「後悔回避バイアス」という概念がある。人は将来の後悔を予測し、それを回避するように意思決定を歪める傾向があるという知見だ。損失を恐れて株を持ち続ける。告白が怖くて距離を置く。転職のリスクに怯えて不満を飲み込む。どれも、後悔したくないがゆえの行動だ。 問題は、この予測がほとんど当たらないことにある。 ダニエル・ギルバートらの2004年の研究 Looking Forward to Looking Backward は、この不一致を実証した。「あと少しで勝てた」場面と「明らかに負けた」場面を比較したとき、人は前者のほうがはるかに強

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光と写真

「いい写真」という言葉がすれ違うとき

「いい写真だね」。この一言に、どれだけの誤解が含まれているか。 あなたが「いい写真だね」と言ったとき、相手も同じ意味で受け取っているとは限らない。あなたは構図の美しさを褒めたつもりなのに、相手は「記録として価値がある」と受け取っているかもしれない。あるいはその逆。 「いい写真」の定義が会話で噛み合わないのは、感性の問題ではない。評価軸の問題だ。 5つの評価軸 写真を評価する軸は、少なくとも5つに分けられる。 記録。 何が写っているか。祖父母の若い頃の写真。震災の直後の街並み。もう取り壊された建物。記録としての写真は、そこに写っている「事実」に価値がある。構図が多少傾いていても、ピントが甘くても、そこに何が記録されているかが重要だ。 情報。 何を伝えているか。報道写真、商品写真、料理写真。これらの写真は、見る人に特定の情報を伝達することが目的だ。ニュースの現場で何が起きていたか、この料理がどれほど美味しそうか。情報としての写真は、伝達の正確さと効率が評価基準になる。 感情。 何を感じさせるか。子どもの笑顔、夕焼けの風景、祭りの熱気。感情としての写真は、見る人の心を動かすこ

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哲学を読む

考えることしかできない

人類が何千年もかけて「知性」と呼んできたものは、実のところ、知性のうちでもっとも薄い層だったのかもしれない。 1997年、IBMのDeep Blueがチェス世界王者ガルリ・カスパロフを破った日、世界は「機械が人間を超えた」と騒いだ。しかし同じ機械は、テーブルの上のコーヒーカップを持ち上げることができなかった。チェスの王を詰められる計算能力が、マグカップの取っ手を握る動作の前では無力だった。 1988年、ロボット工学者ハンス・モラヴェックは著書 Mind Children(Harvard University Press)のなかで、この奇妙な非対称性を一文に凝縮した。「知能テストやチェスで大人レベルの性能をコンピュータに発揮させることは比較的容易だが、知覚や運動に関して一歳児のスキルを与えることは困難、あるいは不可能だ」。同時期にロドニー・ブルックスやマービン・ミンスキーも同様の観察を述べている。これがモラヴェックのパラドックスと呼ばれるものだ。 そしてこのパラドックスが本当に突きつけているのは、AIの限界ではない。「知性とは何か」という問いに対する、人間の見積もりの甘さだ。

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哲学を読む

無関係なものを忘れる技術

知性とは何かと聞かれたら、たいていの人は「考える力」と答えるだろう。推論する力。分析する力。問題を解く力。 だがAIの歴史が数十年かけて暴いたのは、ほぼ真逆の事実だった。知性の核にあるのは、考えない力かもしれない。関係のないことを無視し、必要のない推論を止め、世界の大部分を放っておく力。それを私たちは「常識」と呼ぶ。そして常識がどれほど途方もないものであるかを最初に突きつけたのは、哲学者でも心理学者でもなく、ロボットに爆弾を片付けさせようとした計算機科学者たちだった。 三台のロボットの末路 哲学者ダニエル・デネットは「認知の車輪」と題した論文のなかで、三台のロボットの寓話を語った。 一台目のロボット、R1。部屋のなかに時限爆弾がある。同じ部屋にR1のバッテリーも置かれていて、バッテリーは台車に載っている。R1は台車を引き出せばバッテリーを救えると推論し、実行する。だが台車の上には爆弾も載っていた。R1は「台車を引くと台車の上のものが一緒に動く」という副次的効果を推論できなかった。 二台目、R1D1。行動の副次的効果をすべて考慮するよう設計された。台車を引く前に、R1D1はあ

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ことばと文学

取り消せないものを背負いなおも歩く

誰にでも、思い出すと胸のあたりが重くなる過去がある。 深夜に突然蘇る、何年も前の失言。もう関係のない相手に向けた、取り消せない行動。記憶の底に沈めたはずの場面が、何の前触れもなく浮上して、布団の中で目を閉じたまま呻く。あの経験を、多くの人が共有しているだろう。 「やらかし」という言葉は軽い。だがその軽さの裏には、自分自身の過去をどう扱えばいいか分からないという、重い問いが隠れている。罪は永遠に背負い続けなければいけないのか。変わった自分は、過去の自分と同じ人間なのか。赦しとは何であり、誰に権利があるのか。 時効は三つある 法的には、時効という制度がある。刑法にも民法にも、一定の期間が経過すれば刑事責任や損害賠償請求権が消滅する仕組みが組み込まれている。社会制度としての法は、「永遠に罰する」設計にはなっていない。 しかし「社会的な時効」と「法的な時効」と「心理的な時効」は、それぞれ別の時計で動いている。 法的な時効が成立しても、社会がそれを忘れるとは限らない。インターネット以降、記録は消えない。デジタルタトゥーという比喩が定着したのは、一度オンラインに刻まれた情報が、本人の

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倫理と思考実験

自販機の前

自販機の前に立つ。30本ほどの飲み物が並んでいる。数秒、迷う。結局、いつもと同じものを買う。 この数秒間に、何が起きているのか。たかが飲み物の選択にすぎない。しかし、その「たかが」の中に、意思決定の構造がそのまま映し出されている。 二つのシステム ダニエル・カーネマンは2011年の著書『ファスト&スロー』で、人間の思考を二つのシステムに分けた。システム1は直感的で高速な処理。システム2は論理的で低速な処理。日常の大半の判断はシステム1が担っている。 自販機の前での選択は、典型的なシステム1の領域だ。ボタンを押すまでに、価格、味の好み、気温、喉の渇き具合、前回の経験といった変数が、意識にのぼることなく統合されている。「なんとなくこれ」という直感は、怠惰ではなく、高速な情報処理の結果だ。 ただし、新商品が並んでいるときは事情が変わる。見たことのないパッケージが視界に入った瞬間、システム2が起動する。「これは何だろう」「おいしいだろうか」「値段は」。処理速度が落ち、選択に時間がかかる。自販機の前で立ち止まる時間が長い人は、優柔不断なのではなく、新しい情報を処理しているだけかもしれ

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許容ラインの上を歩く顔たち

「整形した」と公言する人は、まだそれほど多くない。 韓国では美容整形が比較的オープンに語られる文化がある。大学入学や就職の祝いに二重まぶたの手術を贈ることさえ珍しくないという。一方、日本では「自然であること」への信仰が根強い。整形したことを隠す人は多いし、整形を公言した有名人がSNSで叩かれる光景も繰り返されている。 「許容されている」と言い切れるかどうかは、実はかなり微妙だ。許容されつつあるが、完全には許容されていない。この中間地帯にあることそのものが、考えるに値する問題をいくつも含んでいる。 許容のグラデーション 身体を変える行為には、幅広いグラデーションがある。そしてそのグラデーションのどこに「許容ライン」があるかは、行為によって大きく異なる。 化粧 は、ほぼ普遍的に許容されている。日本では「身だしなみ」として求められる場面すらある。化粧をしないことが不適切とみなされる職場もある。化粧は物理的に顔の見え方を変える行為だが、「自然な顔を変えている」と批判されることはほとんどない。 矯正歯科 も広く許容されている。歯並びを物理的に変えるという意味では身体改変そのものだが

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大学生活

大学のレポートのフォントサイズ

指定がなければ、10.5ptか11ptを選べばいい。 これが結論だ。ただし、フォントサイズだけを決めても体裁は整わない。行間や余白とのバランスを理解しておくと、より読みやすいレポートになる。 10.5ptと11pt Microsoft Wordの日本語版では、本文のフォントサイズの初期設定は10.5ptになっている。日本の公文書やビジネス文書でも10.5ptが標準として広く使われており、特に理由がなければこのサイズが無難だ。 11ptはわずかに大きいだけだが、文字の視認性がやや上がる。行数が少し減るため、同じ内容でもページ数がわずかに増える傾向はあるものの、読みやすさを優先するなら11ptも合理的な選択だ。 どちらを選んでも、減点されることはまずない。大切なのは、文書全体でサイズを統一することだ。 指定がある場合 教員からフォントサイズの指定がある場合は、それに従う。指示を無視してまで自分の好みを通す理由はない。レポートの書式に限らず、指定されたルールに従うこと自体が課題の一部だ。 行間と余白のバランス フォントサイズだけでは、読みやすさは決まらない。行間が詰ま

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大学生活

留学の準備は一年生から

留学は「行きたい」と思った瞬間に行けるものではない。 交換留学の応募締切は出発の半年から一年前に設定されている。語学試験のスコアは一朝一夕では伸びない。奨学金の申請にも書類の準備と審査の時間がかかる。三年生になって「留学したい」と動き出した学生が間に合わないのは、怠けたからではない。構造的に間に合わないようにできているのだ。 この記事では、大学一年生の時点から何をどの順番で準備すれば交換留学に手が届くのかを、タイムラインに沿って整理する。筆者自身、大学在学中に一年間の留学を経験した。その経験を踏まえて、準備段階でやっておくべきだったことも含めて書く。 逆算のタイムライン 三年生の前期に出発する交換留学を想定して、逆算してみる。 JASSOの海外留学情報サイトによれば、高等教育機関への留学は約一年半前から準備を始めることが推奨されている。出願締切が入学の一年前に設定されている大学や奨学金もある。 つまり、三年前期に出発するなら、一年生の後期には準備を始めている必要がある。 具体的なタイムラインはこうなる。 一年生前期(入学直後) * 大学の留学プログラムの概要を把握

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大学生活

空いている席が多いのに隣に座る人の心理

図書館のテーブル、フードコートのベンチ、電車のロングシート。空席がたくさんあるのに、わざわざ隣に座ってくる人がいる。悪意はないのだろう。しかし、あの瞬間に感じる居心地の悪さは本物だ。なぜこのズレは起こるのか。 パーソナルスペースの非対称 文化人類学者エドワード・ホールは、人間が他者との距離に対して持つ感覚を4つの層に分類した。密接距離(約0〜45cm)、個体距離(約45〜120cm)、社会距離(約120〜360cm)、公共距離(約360cm以上)。これらはあくまで目安であり、文化や個人差によって大きく変動する。 重要なのは、この距離感が人によって異なるということだ。ある人にとって「適切な距離」が、別の人にとっては「近すぎる」。隣に座ってくる人は、その人自身の距離感に基づいて行動しているにすぎない。問題は、公共空間では個人のパーソナルスペースが可視化されないことにある。 空間選択のクセ 人は席を選ぶとき、必ずしも「他者との距離を最大化する」ように動くわけではない。行動観察の研究では、人が座席を選ぶ際にいくつかの異なる戦略を取ることが確認されている。 端の席を好む人は、壁や

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大学生活

学割が成立する経済的ロジック

学生証の有効期限は、ある日突然やってくる。昨日まで半額だったサブスクリプションが、今日から正規料金になる。月額480円だったものが980円になり、年間で考えれば数千円の差が開く。 この瞬間、多くの人はそのまま正規料金を払い続ける。解約するのが面倒だからではない。もう、そのサービスなしでは生活が回らなくなっているからだ。 企業は、このことをよく知っている。 値引きではなく投資 学割は慈善事業ではない。「学生はお金がないから安くしてあげよう」という温情で動いている企業は、少なくとも上場企業のなかには存在しないと考えてよい。 経済学の用語で言えば、学割は「第三種価格差別」の一形態だ。消費者を識別可能なグループに分け、各グループの支払い意欲に応じて異なる価格を設定する。価格差別と聞くと不穏に響くかもしれないが、経済学では中立的な用語であり、航空券のクラス分けや映画館の割引デイも同じ原理で動いている。 学生は一般に、可処分所得が少ない。月額980円のサービスに対する支払い意欲は、社会人より低い。このとき、全員に980円を課せば、学生の大半は加入しない。しかし480円にすれば、相当数

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