Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

技術

ScanSnap iX1300のカラー解像度が白黒の半分になる理由

はじめに PFUのドキュメントスキャナー ScanSnap iX1300の自動画質モード(Best)では、カラーと白黒で読み取り解像度が異なる。 原稿の短辺が約105mm以下の場合は、カラー/グレー300dpi、白黒600dpi相当に設定。原稿の短辺が約105mmよりも長い場合は、カラー/グレー200dpi、白黒400dpi相当に設定。 どの条件でも白黒はカラーのちょうど2倍の解像度である。光学解像度は600dpiと記載されているにもかかわらず、なぜカラーではその性能をそのまま発揮できないのか。本記事では、iX1300が採用するCISセンサーの仕組みからその理由を解説する。 なお、iX1300は手動で「Excellent」モードを選択すればカラー600dpi(白黒1200dpi相当)でのスキャンにも対応している。ただしスキャン速度は大幅に低下する(Best:30枚/分 → Excellent:9枚/分)。本記事で扱うのは、速度を維持する自動画質モードでなぜ解像度が制限されるかという問題である。 参考:ScanSnap iX1300 | PFU CISセンサーの基本構造

By Sakashita Yasunobu

生きること

美しさに応えるということ

日常が美しいのは、それが過ぎ去るからではない。 それ自身として美しい 季節の移り変わり、窓から差す午後の光、何気ない食卓の風景。こうしたものに心を動かされるとき、「儚いから美しい」という説明がよく使われる。やがて失われるから、今この瞬間が尊い、と。 その感覚はわかる。だが、どうしても違和感が残る。 儚さに美の根拠を置くと、美しさは「失われること」の副産物になってしまう。永遠に続く穏やかな日々があったとして、それは美しくないのか。変化しない安らぎは、美の資格を持たないのか。 そうではないと思う。日常はそれ自身として美しい。失われるから美しいのではなく、ただそこにあることが、すでに美しい。 鑑賞者がいなくても ここで一つの思考実験をしてみる。 美しさには通常、見る側と見られる側がある。鑑賞者と対象。だが、「それ自身として美しい」と言うとき、鑑賞者の存在は本当に必要だろうか。 誰もいない森の中で、光が木漏れ日となって地面に落ちている。それは美しいか。 「美しいと感じる人がいなければ美しくない」と言うこともできる。だが直感的には、誰もいなくても、あの光は美しいと思える。

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技術

ドメインレジストラの選び方

ウェブサイトを運営するならドメインが要る。ドメインが要るなら、それを登録・管理するレジストラを選ばなくてはいけない。 Cloudflare×Ghost Proで簡単!.pageドメインを使ったカスタムドメイン設定ガイド.pageドメインでのセットアップをしている人を見なかったので。 ドメインといえば.comがいまでも主流ですが、ドメインを新規で使う分にはどれを選んでも同じなため、ちょっと面白いものを選びたいですね。 今回は.pageドメインを利用してみました。Googleがレジストラーとして管理しており、HTTPSが強制され、HSTS Preloadも勝手に登録されるのでブログを使う身としては安心でらくちんです。 HSTSとはなんぞや HSTS(HTTP Strict Transport Security)って、簡単に言うと「ブラウザが自動でHTTPアクセスをHTTPSアクセスに切り替えるようにする仕組み」です。たとえばふつうならHTTPでアクセスすると、そのままHTTPでサーバーに行くわけですよね。でもHSTSを設定しておくと、いったんブラウザが「このサイトはHSTSに対応してるん

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生きること

なぜ私たちは書くのか

何かを問うとき、私たちはしばしば、すでに答えを知っている。 問いの逆説 たとえば、議論の場で質問が出ない光景を思い浮かべてほしい。参加者は質問を考えているようで、実は探しているのは問いではなく、期待する答えの方だ。「こう言ってほしい」という感覚がまずあって、それを質問の形に翻訳しようとしている。少し考えれば自力で辿り着けそうだと気づけば、結局聞かない。 これは怠惰ではない。問いの構造そのものがそうなっている。 一方で、純粋に知らないことを尋ねる場面もある。明日の天気。専門外の事実。自分の経験の外にある情報。これらは情報の要求であり、検索すれば事足りる。便利ではあるが、そこに対話としての深みはない。 この二種類の間に、もう一つの問いがある。答えの輪郭はぼんやり見えている。しかし言葉にならない。自分が何を考えているのか、書いてみるまでわからない。この第三の問いにこそ、書くことの核がある。 自己との対話 書くとは、自分の中の曖昧な感覚を言語に変換する作業だ。変換の過程で、自分が何を考えていたかが初めて明らかになる。言語化された考えに対して、今度は自分自身が批判者として応答す

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ことばと文学

比喩の美しさと危うさ

私の尊敬する書き手たちは、比喩を魔法のように使いこなす。たった一つの比喩が、長い説明よりも正確に、読者の胸に像を結ぶ。そういう文章に出会うたびに、自分もこんなふうに書けたらと思わずにはいられない。 近年、誰もが自由に書ける環境が整い、エッセイの書き方やレトリックのテクニックについて語られる機会も増えた。比喩のコツをまとめた記事だって珍しくない。しかし比喩というのは、テクニックの枠に収まりきらないものだと思う。もっと根の深い、もっと本質的な何かが関わっている。 比喩が成立するための前提 比喩が伝わるためには、書き手と読み手が前提を共有していなければならない。 平成生まれの人に昭和の日常感覚を使った比喩を持ち出しても伝わらない。これは世代間の知識差の問題のように見えるが、本質はもっと広い。比喩は、共有された経験や知識の土台がなければ機能しない。 学術論文やIR資料に比喩がほとんど登場しないのは、この共有を保証できないからだ。多様な読み手を想定する場面では、比喩は正確な伝達を妨げるリスクになる。逆にいえば、比喩が真に力を発揮するのは、書き手と読み手のあいだに豊かな共通基盤があると

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雨の日の道路にいたイモリらしきもの

日常の構造

雨の日の道路にいたイモリらしきもの

雨の日、濡れた道路の上をのそのそ歩いている生き物を見つけた。帰りにはもういなかった。元気にしているといい。 おそらくアカハライモリ 断言はしないが、体の特徴からしてアカハライモリ(Cynops pyrrhogaster)ではないかと思う。 * 皮膚が細かい粒状でしっとりしている。爬虫類のヤモリとは質感が違う * 体が細長く、尾が長い * 指先にヤモリのような吸盤がない * 頭の形がサンショウウオよりも平たく、いわゆる「イモリ顔」 * 体の縁にうっすら赤みがある アカハライモリは日本の固有種で、本州、四国、九州の水辺に広く生息する両生類である。雨の日に道路に出てくるのは、水辺の間を移動する途中でよくあることらしい。 腹側を確認すれば赤い模様の有無でもっとはっきり分かるのだが、そこまでする機会はなかった。 イモリとヤモリ 名前が似ているので紛らわしいが、イモリとヤモリはまったく別の生き物である。 * イモリ: 両生類。皮膚がしっとりしていて、水辺にいる。「井守」(井戸を守る) * ヤモリ: 爬虫類。皮膚が乾いていて、壁や天井に張り付く。「家守」(家を守る)

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生きること

電子のゴミ

私は自分がつくるものをすべて「電子のゴミ」と呼んでいる。 別に気取っているわけでも、深刻ぶりたいわけでもない。ただ、少しだけ正直に言ってみただけだ。 文章を書く。写真を撮る。何かをつくる。それらはすべてデジタル機器の上で行われている。物理的に見れば、CPUの演算、RAMに保持された一時的な電荷、ストレージ上の微小な磁気パターン、ネットワークを流れる電気信号。いってしまえば、電子がどこかに移動して、どこかに留まって、その程度のことだ。 もちろん、厳密にはそう単純ではない。デジタルとはいえ、その土台にはアナログな物理過程がある。何かを書く行為が世界にまったく影響を及ぼさないとは言い切れないし、ちょっとした発信が思わぬ波紋を呼ぶことだってある。 でも、と思う。 画面に映る文字は液晶の発光パターンだ。紙に印刷すればインクの染みだ。ディスプレイの電源を落とせば、表示されていたものは消える。LEDが光を放つのも、インクが紙に定着するのも、結局は物理現象に過ぎない。 自分がそのとき抱いた価値。それは、LEDのちらつきだったのかもしれないし、インクのシミだったのかもしれない。 だから、電

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ことばと文学

日本語を外から見る

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 日本語の母語話者にとって、日本語は空気のような存在である。意識せずに話し、意識せずに聞き取り、意識せずに読み書きする。だからこそ、日本語を「外国語」として捉え直す視点は新鮮な発見に満ちている。 外国語として日本語を眺めると、普段は当たり前すぎて気にも留めない仕組みが、実は精緻な体系をなしていることに気づかされる。「です」「ます」の語尾でウが聞こえないのはなぜか。「は」と「が」の使い分けを外国人に説明できるか。「雨に降られた」がなぜ成立するのか。母語話者であるがゆえに見えなくなっているこうした問いに対して、日本語学と日本語教育学は明快な分析の枠組みを提供してくれる。 本シリーズでは、日本語の音声・文字・語彙・文法・語用の各領域を8本の記事にまとめた。日本語を教える立場からの知見を軸にしつつ、言語学的な分析も交えている。個別の記事は独立して読めるが、以下の順に読み進めると体系的に理解しやすい。 音声と文字 日本語の音声体系 日本語の音の世界を概観する記事。英語のような強弱ではなく高低で

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大学

大学のあり方を問う

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 社会は変わり、大学を取り囲む環境も大きく変わった。少子高齢化、グローバル化、情報技術の進展。こうした変化のなかで大学は何を求められ、どこへ向かおうとしているのか。 筆者は大学の講義を通じて、大学政策に関するレポートを毎回のテーマに沿って執筆した。そのなかで見えてきたのは、大学という組織が抱える課題の多面性である。経営、ガバナンス、入試、研究、地域貢献、国際化。それぞれが独立した問題でありながら、根底では互いにつながっている。 本稿ではこれらのレポートを5つの視点から整理し、各記事への案内とする。 大学と社会 大学は社会のなかでどのような存在なのか。この問いは他のすべてのテーマの出発点となる。 大学と社会の関係性では、企業と大学の類似点に着目し、「公共経営」という概念を手がかりに、大学が企業的手法を取り入れる背景を考察した。営利を目的としない大学がなぜ企業と似た振る舞いを見せるのか。その答えは、公共的課題の解決という共通の目的にある。 大学の理念と個性では、私立大学の教育理念を具体的

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ことばと文学

ポーから読むアメリカ文学

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 エドガー・アラン・ポーという一人の作家が、アメリカ文学にどれほど深い刻印を残したか。その全体像を一つの記事で語り尽くすのは難しい。ミステリというジャンルの発明者であり、アメリカ・ロマン派のもっとも暗い側面を体現した作家であり、世界文学に計り知れない影響を及ぼした存在でもある。 本稿は、ポーを起点にアメリカ文学とミステリの世界を概観するための入り口として書かれた。個別の記事では扱いきれなかった全体の見取り図をここで示し、各記事への案内としたい。 ポーが切り拓いた二つの道 ポーの文学的業績は、大きく二つの方向に伸びている。 一つはミステリの発明だ。1841年に発表された『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説として文学史に位置づけられている。名探偵オーギュスト・デュパンを主人公とするこの短編は、密室殺人、論理的推理、意外な犯人という、今日のミステリに受け継がれるほぼすべての約束事を一作で確立した。ポーはわずか五つの短編で、コナン・ドイルからクリスティ、チャンドラーに至るあらゆるミステリ作家が立

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ことばと文学

名探偵たちの部屋

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ミステリの主人公である探偵たちはどこに住み、どのような空間で事件に向き合っているのか。一見些末なディテールに思えるかもしれないが、探偵の居住空間はそのキャラクターの本質を映す鏡であり、ひいてはミステリというジャンルの変遷をも映し出している。本稿では思索派から行動派、男性から女性へと探偵像が変化するなかで、その住まいがどのように描かれてきたかを辿る。 二つのタイプの探偵 ミステリに登場する探偵は、大きく二つのタイプに分けられる。 一つは思索派の探偵だ。本格ミステリに登場する安楽椅子探偵たちがこれにあたる。デュパン、シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、ミス・マープル。自らの脚よりも頭脳を駆使することを重視し、推理すなわち謎解きの面白さで読者を惹きつける。 もう一つは行動派の探偵だ。ハードボイルド・ミステリに登場するタフガイな探偵たちがこれにあたる。1920年代のアメリカで台頭し、サム・スペード(ダシール・ハメット作)やフィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラー作)が代表格だ。

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ことばと文学

本格ミステリの系譜

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 エドガー・アラン・ポーが1841年に切り拓いたミステリというジャンルは、その後一世紀あまりのあいだに驚くほど多様な枝葉を伸ばした。サスペンス、ハードボイルド、警察小説、スパイ小説。それぞれが独自の魅力を持ちながら、共通の幹としてポーが植えた一本の木につながっている。本稿ではまずミステリの主要なサブジャンルを概観したうえで、とりわけ「本格ミステリ」と呼ばれる領域に焦点を当て、その技法と系譜を辿る。 ミステリの多様な枝葉 サスペンスは、主人公の不安や緊張といった心理を描くことに重点を置くジャンルだ。論理的な謎解きよりも恐怖体験に重心があり、心理小説としての色彩が強い。ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』(1942)やルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』(A Judgement in Stone, 1977)がその代表作として知られる。アルフレッド・ヒッチコックはサスペンスとスリルとショックの違いをこう説明した。「テーブルの下に爆弾が仕掛けられていて、観客だけがそれを知っている。登場人物

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