Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

技術

ストロボの色温度管理とグレード選び

スタジオストロボはエントリーモデルからフラッグシップまで幅広いグレードがあり、価格差も大きい。商品撮影において、どのグレードが適切なのか。また、しばしば議論になる色温度のばらつきはどの程度問題になるのか。実用的な観点から整理する。 静物商品撮影に必要な機能 ストロボの上位モデルには多くの機能が搭載されているが、静物の商品撮影ではその多くを使う場面がない。以下のように整理できる。 実際に使う機能 * 十分な調光範囲(最大出力から最小出力までの幅) * モデリングランプ(セッティング時の光の確認) * 安定したチャージ時間 * リモート調光(複数灯の出力を手元で操作) 静物撮影ではほぼ使わない機能 * HSS(ハイスピードシンクロ): 三脚に固定してシャッター速度1/125秒から1/200秒程度で撮影する静物撮影では出番がない。HSSはカメラのシンクロ速度を超えたシャッター速度でストロボを使うための機能であり、動きの速い被写体や屋外での絞り開放撮影などで有用である * 超高速閃光・フリーズモード: 水滴や落下する物体など動きのある被写体を止めるための機能で、静止し

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技術

ストロボ撮影で色がずれる理由と対策

ストロボ撮影において、色温度の変動や緑・マゼンタ方向の色かぶりは、カラーマネジメント上の重要な課題である。本記事では、これらの現象が発生する物理的な原理と、実務上の対策を整理する。 ストロボの発光原理 写真用ストロボは、キセノンガスを封入した発光管(フラッシュチューブ)内でアーク放電を起こすことで発光する。高電圧パルスによりキセノンガスがイオン化・プラズマ化し、放射される光は広帯域の連続スペクトルを持つ。この連続スペクトルは昼光に近い分光分布を示すため、写真用光源として広く採用されている。 設計上の色温度は概ね5500〜6000K付近に設定されているが、出力設定や個体差、発光管の劣化状態により数百K程度の変動が生じることがある。 色温度が変動する要因 出力制御方式の違い ストロボの出力制御には主に2つの方式がある。 電圧制御方式(旧来型) は、コンデンサの充電電圧を変えることで出力を調整する。電圧が変わるとプラズマの温度や電流密度が変化し、分光分布が変わる。このため出力レベルによって色温度が数百K単位で変動することがある。 IGBT制御方式(現行主流) は、放電の

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技術

ストロボの発光管はなぜ変色するのか

ストロボの発光管やカバーガラスは、使用するうちに黄ばみや黒ずみが生じる。これらは表面の汚れではなく、ガラスや電極の構造的な変質によるものであり、清掃では除去できない。本記事ではその原因と対策を解説する。 発光管の素材:石英ガラス(溶融シリカ) ストロボの発光管には、石英ガラス(溶融シリカ, fused silica)が用いられる。石英ガラスは軟化点が約1,600°C以上と高く、高温・高エネルギーの放電環境に耐えられる。一般的な窓ガラスに用いられるソーダ石灰ガラスの軟化点は約720°Cであり、発光管の素材としては耐熱性が不足する。 石英ガラスは紫外域の透過率が高いという特性を持つ。この特性は用途上は有利だが、後述するように劣化の要因にもなる。 変色(黄変・褐変)の原因:ソラリゼーション 発光管の変色の主な原因は、ソラリゼーション(solarization)と呼ばれる現象である。 キセノンの放電は可視光だけでなく、UV-C(波長200nm以下)を含む強い紫外線を放射する。UV-Cの光子エネルギーは約6eV以上であり、SiO₂のSi-O結合エネルギー(約4.5eV)を上回る。

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哲学を読む

女性はなぜ「他者」なのか

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 『第二の性』が問うたもの ボーヴォワールは『第二の性』(1949年)において、女性が歴史的・社会的に「他者」として規定されてきた構造を分析した。 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は第二巻に置かれたものだが、第一巻『事実と神話』ではそれに先立つより根本的な問いが展開される。すなわち、なぜ女性は「他者」であり続けるのか、という問いである。 主体と他者 ボーヴォワールによれば、「男は〈主体〉であり、〈絶対者〉である。つまり、女は〈他者〉なのだ」(ボーヴォワール『第二の性』、17頁)。 「他者」という概念は、ヘーゲルやサルトルの哲学に由来する。ヘーゲルの『精神現象学』において、自己意識は他の自己意識との対自によってのみ自己を確立する。サルトルの実存主義もまた、主体は他者のまなざしのもとで自己を意識するという構造を明らかにした。主体は他者との関係においてのみ主体たりうるのである。 通常、この他者性は相互的なものである。

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大学

貴族道徳と奴隷道徳

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 道徳の起源を問う 「善」と「悪」は自明の概念ではない。ニーチェは『道徳の系譜』(1887年)において、これらの道徳的概念の起源を系譜学的に探究し、道徳が歴史的に構成されたものであることを暴露しようとした。 系譜学とは、ある概念や制度が「なぜ」「どのようにして」生まれたのかを、歴史的な生成の過程に遡って問う方法論である。ニーチェにとって、道徳的な「善悪」の判断は天から与えられた永遠の真理ではなく、特定の人間集団の特定の利害関係から発生したものである。『道徳の系譜』の序言でニーチェ自身が述べるように、この書は『善悪の彼岸』の「補遺および解説」として執筆された。彼が問うのは、「善悪の価値判断はこれまでどのような条件のもとに発明されたのか」であり、「そうした評価そのものの価値」である。 貴族道徳 ニーチェが区別する第一の価値評価の様式は「貴族道徳」である。それは高貴な者、強者、支配者が自らを「よい(gut)」と肯定することから生まれる。 ニーチェによれば、「〈よい〉という判断のおこりは、

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大学

ボーヴォワール『第二の性』序論を読む

本記事は、大学のゼミにおいてシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』序論を担当した際に作成したレジュメを基にしている。ゼミでの議論や下書き段階での検討内容を踏まえ、加筆修正を施した。 テキストはS・ド・ボーヴォワール『第二の性 I 事実と神話』、『第二の性』を原文で読みなおす会訳、河出書房新社、2023年を使用した。ページ番号は同書に準拠する。 1. 女とは何か (¶1-4|pp. 11-16) ¶1 女がいるかどうかの議論以前に女とはなにかを問うべきである。女であることは生物学的な根拠によって定義されるものでもない。女の本質も存在しない。とすれば、女という範疇自体を否定する立場も成り立ちうる。 ここでの論理を整理しておこう。もし性格が「本質」ではなく「状況への反応」であるならば、女を規定する不変の本質は存在しないことになる。かつて「女らしさ」と呼ばれていたものが今日では存在しないという事実は、もし「女らしさ」が本当に生まれつきの本質だったら状況が変わっても存在し続けるはずだということの反証になっている。つまり、「今日消えた」という事実が、「実は最初から本質としては存在して

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哲学を読む

ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』第1章 心理的諸状態の強度について

本記事は、大学のゼミにおいてアンリ・ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』(Essai sur les données immédiates de la conscience)の第1章を担当した際に作成したレジュメを基にしている。ゼミでの議論や下書き段階での検討内容を踏まえ、加筆修正を施した。 テキストはベルクソン著、合田正人・平井靖史訳『意識に直接与えられたものについての試論』(ちくま学芸文庫、2002年)を使用した。ページ番号は同書に準拠する。 用語集(岩波哲学・思想事典より) 本章を読むにあたって、いくつかの専門用語の理解が前提となる。 延長 (extension) 空間的な広がりのこと。物体は空間の一部分を占め空間においてあるという、物体のそういう在り方を規定する概念。 外延・内包 論理学の用語。記号とその表象している内容の関係に関わる概念。フレーゲによれば、「Xは人間である」というような単項述語の意味として規定される。含むものと含まれるものの関係として理解できる。 強度 (intensité) 質的差異とは異なる量的差異として、しかも外延量

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大学

ベルクソンの純粋持続

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 言語と意識の歪み ベルクソンは『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年)において、われわれが通常「量」として捉えている心理的状態が、実際には「質」的な変化であることを示そうとした。 議論の出発点は、言語と思考に対する根本的な批判である。ベルクソンによれば、言語は「われわれの抱く諸観念のあいだに、物質的諸対象のあいだに見られるのと同じ鮮明ではっきりした区別、同じ不連続性をうち立てることを要請する」(ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』、9頁)。つまり、言語は本来連続的な意識の流れを、空間上の物体のように切り分けてしまう。この操作は日常生活において有用であり、科学の多くの場面で不可欠であるが、哲学的な問題を論じる際にはしばしば深刻な歪みをもたらす。 感情の「強さ」は量ではない 問題は、感情や感覚の「強さ」にも同様の歪みが生じている点にある。たとえば喜びが「増す」とき、われわれは同じ喜びが量的に拡大したと考えがちである。しかしベルクソンによれば、喜びの各段階は「わ

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大学

ロック『人間知性論』における単純観念と固性

📝この記事は、筆者が哲学ゼミで作成したレポートをもとに加筆修正のうえ公開したものです。ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第2章から第7章を扱っています。 ジョン・ロック(1632-1704)の『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding, 1689)は、経験主義哲学の基礎を築いた主著である。ロックは第1巻で生得観念を否定し、第2巻で人間のあらゆる知識の素材である「観念」(idea) がどのように経験から生じるかを論じる。本稿では第2巻第2章から第7章を読解し、「単純観念」(simple idea) の概念とその分類を考察する。 単純観念とは ロックによれば、観念は単純なものと複雑なものの二つに分けられる。氷の冷たさと硬さ、ゆりの匂いと白さを例にとれば、物の性質が感官を感発して生む観念はそれぞれ単純である。冷たさの知覚の中に硬さは含まれず、匂いの中に色は含まれない。こうした単純観念は「心での一つの均質な現象態ないし想念」のみを含む。 単純観念は一切の知識の材料であり、感覚と内省だけによって生じる。知性は蓄積した単純観念から複雑

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ロックにおける一次性質と二次性質

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ロックは『人間知性論』第2巻において、物体の性質を「一次性質」と「二次性質」に区別した。この区別は近代認識論における物体の性質理解の基本的枠組みのひとつである。 性質と観念 ロックにおいて「性質」とは、私たちの心の中に「観念」を生み出す「力」のことである。ここで重要なのは、心の中にある観念と、物体に存する性質とを明確に区別している点である。私たちが直接知るのは心の中の観念であり、物体の性質はその原因として推論されるものである。 一次性質 一次性質とは、物体そのものに内在し、いかなる変化を受けても物体から分離できない性質である。ロックは次のように述べる。 まったく分離できないような物体のうちの性質。(『人間知性論』、187頁) 具体的には、固性(solidity)、延長、形、運動あるいは静止、数がこれにあたる。ロックは「たとえば一粒の小麦をとってこの部分に分割しよう。やはり固性・延長・形・可動性をもっている」(同上、187頁)と例示し、どれだけ細かく分割しても一次性質は失われないこ

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デカルトにおける表象的実在性と形相的実在性

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 デカルトは『省察』第三省察において、「表象的実在性」(realitas objectiva)と「形相的実在性」(realitas formalis)という区別を導入する。この概念装置は、観念の分析から神の存在証明へと至る議論の鍵となるものである。 第三省察の文脈 デカルトは第一省察で方法的懐疑を遂行し、第二省察で「私は考える、ゆえに私は存在する」(コギト)を確立した。しかし、この段階ではデカルトは独我論の立場にとどまっている。確実なのは自分の存在と思惟作用だけであり、外的世界の存在はいまだ保証されていない。 デカルトが次に取り組むのは、「欺く神」の想定によって数学的真理までも疑わしくなった事態において、「神は存在するかどうか」、「存在するとするならば欺瞞者ではないかどうか」を検討することである(小林道夫『哲学の歴史 第5巻』、217頁)。この検討のためにデカルトが展開するのが「結果からの(ア・ポステリオリな)証明」と呼ばれる神の存在証明であり、その核心に表象的実在性と形相的実在性の区別が

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カントにおける分析的判断と総合的判断

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 カントは『プロレゴーメナ』§2において、「綜合的判断と分析的判断の一般的区別」を論じている。この区別はカント哲学の出発点をなす概念装置であり、近代認識論の理論的基盤となっている。 分析的判断 分析的判断とは、述語が主語の概念の中にすでに含まれている判断のことである。カントは次のように定義する。 分析的判断は述語において、主語の概念のうちでそれほど明瞭に等しく意識されてではないにせよ、実際にすでに考えられていたもの以外のことは何も述べない。(『プロレゴーメナ』、25頁) たとえば、「すべての物体は延長している」という判断において、「私は物体の概念を少しも拡張したのではなく、ただこの概念を分解しただけである。延長ということははっきりと述べられてはいないが、その物体という概念によってすでに判断より以前に実際上考えられていたのだからである」(同上、25頁)。物体という概念そのものに空間的な広がりという意味が含まれており、新しい情報は何も付け加えられていない。日常的に言い換えれば、「独身者は結婚

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