帰る場所はなかった

「昔はよかった」と誰もが言う。言わない人間を見たことがない。しかし「昔」とは一体どこにあるのか。あなたの記憶の中にしかない。そしてその記憶は、嘘をつく。

病名としてのノスタルジア

ノスタルジアには、甘い響きがある。黄昏の色をした感傷。しかし、この言葉が生まれたとき、それは感傷ではなかった。病名だった。

1688年、スイスの医学生ヨハネス・ホーファーが学位論文で「nostalgia」という語を造った。ギリシャ語のnostos(帰郷)とalgos(痛み)を組み合わせた造語だ。当時、スイスの傭兵たちが故郷を離れると原因不明の衰弱に陥る現象が知られていた。食欲不振、不眠、発熱、幻覚。ホーファーはこれを「想像力の病」として記述した。

17世紀から19世紀にかけて、ノスタルジアは精神医学の正式な診断名として扱われた。軍医たちはこの病を深刻に受け止め、治療法を模索した。蛭による瀉血、胃の洗浄、アルプスへの帰還命令。なかには「恐怖と痛みによる治療」を提案した医師もいた。故郷を思い出す暇がないほど恐ろしい体験を与えれば治る、という発想だ。

20世紀に入ると、ノスタルジアは診断名としての地位を失い、代わりに「甘美な感傷」として文化に吸収されていった。病が感情へと格上げされたのか、それとも格下げされたのかは、見方による。

記憶は編集者であって記録者ではない

「昔はよかった」と感じるとき、私たちは過去をありのままに想起しているわけではない。

ローマ人はこの現象を memoria præteritorum bonorum(過去は常によく記憶される)と呼んだ。現代の心理学では「rosy retrospection(ばら色の回想)」と名づけられている。退屈だった午後は記憶から消え、美しかった夕暮れだけが残る。嫌だった人間関係の細部は薄れ、温かかった瞬間だけが増幅される。

これは記憶の不具合ではなく、記憶の本質的な性質かもしれない。記憶は過去の正確なコピーを保存するのではなく、想起のたびに再構成される。心理学者エリザベス・ロフタスの研究が繰り返し示してきたように、記憶は呼び出すたびに書き換わる。思い出すという行為そのものが、記憶を改変する。

つまり「昔はよかった」は、厳密には事実の報告ではない。現在の自分が、過去の素材を使って構成した物語だ。

ボードリヤールの砂漠

ここで、ジャン・ボードリヤールのシミュラクルの概念が効いてくる。

ボードリヤールは1981年の『シミュラークルとシミュレーション』で、現代社会においてイメージは四つの段階を経て変質すると論じた。第一段階では、イメージは深い現実を反映する。第二段階では、現実を隠蔽し歪める。第三段階では、現実の不在を隠蔽する。そして第四段階では、イメージはいかなる現実とも無関係になる。原本なきコピー。それがシミュラクルだ。

ノスタルジアが呼び起こす「あの頃」は、この第四段階にある。

私たちが懐かしむ過去は、実際に存在した過去ではない。記憶によって編集され、感情によって着色され、現在の不満によって美化された構成物だ。その「原本」はどこにもない。いや、そもそも原本などなかったのかもしれない。過去のその瞬間にいた自分ですら、その瞬間を「美しい」とは思っていなかった可能性がある。美しさは事後的に付与される。

ボードリヤールの有名な一節を引こう。「もはや地図が領土に先行する」。ノスタルジアにおいても同じ転倒が起きている。記憶が過去に先行する。私たちは、実在したことのない過去を懐かしんでいる。

帰りたい場所は、最初からなかった。

「帰郷」の不可能性

ノスタルジアの語源であるnostos(帰郷)は、ホメロスの『オデュッセイア』にまで遡る。オデュッセウスは二十年の放浪の末にイタケーに帰る。しかし帰郷したオデュッセウスが見出したのは、自分が去ったときと同じ故郷ではなかった。妻ペネロペは求婚者たちに囲まれ、息子テレマコスは成長し、忠犬アルゴスは主人を認めた直後に息を引き取る。

帰郷とは、かつてそこにあったものを取り戻すことではない。変わってしまった場所に、変わってしまった自分が立つことだ。

届かない一言を過去の自分に向けて投げかけたくなる衝動。もう一度、最初からやり直したいという願望。それらはすべて、帰郷の変奏曲だ。しかし帰る場所は存在しない。過去は場所ではなく、消えた時間だから。

スヴェトラーナ・ボイムは2001年の著書 The Future of Nostalgia で、ノスタルジアを二つの型に分けた。「修復的ノスタルジア」は失われた故郷を再建しようとする。「省察的ノスタルジア」は喪失そのものをめぐって思索する。修復的ノスタルジアは危うい。存在しなかった過去を復元しようとするとき、それはしばしば排他的な懐古主義の形をとる。省察的ノスタルジアは、少なくとも自分が何を失ったのかを問い続ける誠実さを持っている。

過ぎ去ることの共犯者

ノスタルジアが美しく感じられるのは、それが喪失の感情だからだ。

失ったものは美しい。正確には、失ったという事実が、対象に美しさを付与する。手元にあるときには気にも留めなかったものが、失われた途端に輝き始める。この構造は、ノスタルジアに限ったことではない。日常がそれ自身として美しいのだとすれば、なぜ私たちはそれを過ぎ去った後にしか認識できないのか。

しかしノスタルジアにはもう一つの層がある。私たちは過去を美化するだけでなく、現在を貶めている。「昔はよかった」という文の裏側には、「今はよくない」が隠れている。ノスタルジアは過去への愛ではなく、現在への不満の裏返しかもしれない。

過去を美しくするために、現在を犠牲にしている。

そしてさらに厄介なことに、今この瞬間もいずれ「あの頃」になる。十年後の自分は、今日という日を懐かしむかもしれない。そのとき美化されるのは、今あなたが「つまらない」と感じているこの日常だ。

私たちは、未来のノスタルジアの素材を、今、退屈しながら生産している。

集合的な幻想

ノスタルジアは個人の感情だけにとどまらない。社会全体が「昔はよかった」を共有するとき、それは政治的な力を帯びる。

「あの時代に戻ろう」というスローガンは、世界中の政治運動で繰り返し使われてきた。しかしボードリヤールの枠組みで考えれば、「あの時代」はシミュラクルだ。実在しない過去の理想化されたイメージ。そこに「戻る」ことは、原本のないコピーを複製しようとする行為にほかならない。

集合的ノスタルジアが危ういのは、個人のノスタルジアと違って、実際に世界を動かす力を持っているからだ。存在しなかった黄金時代への帰還を掲げる運動は、その「黄金時代」から排除されていた人々の存在を無視する構造を必然的に内包する。

草の上に寝転びたいという素朴な衝動は、個人の次元にとどまる限りは無害だ。しかしそれが「かつての牧歌的な社会に戻ろう」という集団的物語になったとき、ノスタルジアは暴力の正当化に転じうる。

治療法はない

1688年に病として発見されたノスタルジアに、医師たちは治療法を求めた。蛭、恐怖、帰還命令。どれも効かなかった。

21世紀の私たちは、ノスタルジアを病と呼ばなくなった。心理学の研究は、ノスタルジアが実存的な意味の感覚を強化し、社会的つながりの感覚を維持する機能を持つことを示している。ノスタルジアは病ではなく、人間の認知構造に組み込まれた機能だ、と。

しかし、機能であることと健全であることは別の話だ。

存在しなかった過去を懐かしみ、そこに帰りたいと願い、しかし帰る場所がないことを知っている。この構造は、人間の意識が時間の中に存在する限り、消えない。ノスタルジアは治らない。治す必要もないのかもしれない。

ただ、一つだけ正直に言えることがある。

あなたが「あの頃に戻りたい」と思うとき、あの頃のあなたは「ここ」にいたかった。

Read more

怪物の口に幸福が吸い込まれる

幸福の総量を最大化する。それが正しいと言われてきた。しかし1974年、ロバート・ノージックはたった一つの問いでその前提を破壊した。もしある存在が、他の全員よりも圧倒的に多くの快楽を得られるなら、功利主義は全員の取り分をその「怪物」に差し出すことを要求する。 あなたの幸福は計算の端数だった。切り捨てられた。 幸福を貪る口 1974年、ロバート・ノージックは『アナーキー・国家・ユートピア』のなかで一つの思考実験を置いた。 功利主義は、効用の怪物の可能性によって困惑させられる。怪物は、他の人々の犠牲から、その人々が失う以上に圧倒的に大きな効用の増加を得る。 仕組みは単純だ。功利主義の原則に従えば、社会全体の幸福を最大化する資源配分が「正しい」。ここに一人、あらゆる資源からとてつもない快楽を引き出す存在が現れたとする。りんご一個で他の百人分の快楽を得る。映画を一本見れば千人分の歓喜を感じる。 功利主義はこの怪物にすべてを差し出すことを要求する。他の全員が飢えても、怪物の快楽が総量を上回る限り、それが「最善」だと計算は告げる。 ノージックが示したかったのは、功利主義が論理的に正し

By Sakashita Yasunobu

綱を引く手が一本ずつ消えていく

あなたは集団のなかで、少しずつ消えている。 それは比喩ではない。測定可能な事実だ。19世紀末、フランスの農学者マクシミリアン・リンゲルマンは、人が集団で綱を引くとき、一人あたりの力が確実に減少することを発見した。人数が増えるほど、個人は薄まる。誰のせいでもなく、誰も怠けているわけではなく、ただ構造がそうさせる。 もしあなたがいま、何かのチームに属しているなら、あなたはすでに全力を出していない。そしてそのことに、おそらく気づいてもいない。 綱を引く手が教えたこと リンゲルマンの実験は素朴だった。 1880年代から1900年代初頭にかけて、彼は農業機械の効率を研究する過程で、人間が集団で水平方向に荷を押したり引いたりする際のパフォーマンスを測定した。その結果は1913年に報告されている。一人で綱を引くとき、その人間は持てる力をすべて発揮する。二人になると、一人あたりの出力は約93%に落ちる。三人で85%。八人になると、49%。半分以下だ。 この数字の意味を考えてみてほしい。八人で綱を引いているとき、あなたは一人のときの半分も力を出していない。しかもそのことに自覚がない。全員が

By Sakashita Yasunobu

嘘が真実を食い尽くす朝

「この文は嘘である」 この一文を前にして、あなたは立ち往生する。もし真だとすれば、文の内容に従って偽になる。もし偽だとすれば、「嘘である」という主張が間違っていることになり、真になる。真だと仮定しても偽だと仮定しても、反対の結論にたどり着く。出口がない。 これは言葉遊びではない。2300年以上にわたってこの問いに取り組んできた哲学者と論理学者たちは、いまだに合意に至っていない。解決策はいくつも提案されてきた。どれも、別の問題を抱えている。 あなたが自分自身について何かを語ろうとするとき、同じ構造がそこにある。 循環の入口 試しにやってみてほしい。「この文は嘘である」が真か偽か、判定する。 真だと仮定する。この文は「嘘である」と主張しているのだから、偽になる。仮定と矛盾する。 では偽だと仮定する。「嘘である」という主張が偽ということは、嘘ではない。つまり真になる。やはり仮定と矛盾する。 どちらに転んでも矛盾する。そしてこの矛盾は、推論のどこかでミスを犯したから生じたのではない。前提そのものに埋め込まれている。 エピメニデスの不発弾 よく混同されるが、古代ギリシアの

By Sakashita Yasunobu

何でも飾れる額縁だけが残った

1917年、マルセル・デュシャンは既製品の男性用小便器に「R. Mutt」と署名し、「泉(Fountain)」と名づけてニューヨーク独立芸術家協会の展覧会に出品した。拒否された。それだけの話だ。だが「それだけ」のはずの出来事が、それ以降のすべての芸術を汚染した。美しさも技巧も素材の選択も関係ない。署名ひとつ、提示の身振りひとつで、便器が「芸術」を名乗れる。そしてその瞬間から、「芸術とは何か」という問いは回答不能になった。回答不能のまま、100年以上が過ぎている。 目で見えないものが芸術を決める 1964年、アンディ・ウォーホルはスーパーマーケットに並ぶブリロの箱と見た目がまったく同じ「ブリロ・ボックス」をギャラリーに置いた。哲学者アーサー・ダントーは、この事態に根本的な問いを見出した。視覚的に区別できない二つの対象のうち、片方だけが芸術である。では芸術を芸術にしているのは何なのか。 ダントーの答えは「アートワールド」だった。芸術作品を芸術たらしめるのは知覚可能な性質ではなく、理論と批評と歴史が編み上げた解釈の共同体、その「理論的雰囲気」なのだと。あなたには何も見えていない。文字

By Sakashita Yasunobu