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日常の構造

すべてを買えるようになった人々が引き換えにしたものの目録

資産が10億ドルを超えた人間の生活は、もはや「裕福」という言葉では捉えられない。金額の大きさそのものよりも、その金額が日常の判断構造をどこまで変形させるかに本質がある。億万長者が常軌を逸しているとすれば、それは贅沢をしているからではない。意思決定の前提そのものが、大多数の人間とまったく異なる座標系に移動しているからである。 時間と金の等価性が壊れる 年収400万円の人にとって、1時間の労働には約2,000円の対価がある。だから自分で料理をつくり、自分で掃除をし、自分で移動手段を手配する。それが合理的だからである。 しかし資産が1,000億円を超えると、この計算が反転する。1時間あたりの機会費用が数百万円に達するとき、「自分でやる」という選択はほぼすべて非合理になる。移動はプライベートジェット、食事は専属シェフ、日程管理は複数のアシスタント。これは贅沢ではなく、彼らの座標系においては単なる最適化である。 問題は、この最適化が人間の経験を削り取ることにある。スーパーで食材を選ぶ時間、電車の中でぼんやりする時間、道に迷って偶然の店に入る時間。そうした非効率の中にこそ、生活と呼ばれる

By Sakashita Yasunobu

大学生活

「インスタ教えて」と言ったとき距離はもう決まっていた

おじさんたちは簡単だ。 目的が達成されればいい。 だから、会社では未だにメールが山ほど送受信され、先進的な企業ではTeamsやSlackが使われ続ける。彼らはインターネットが死んだら、FAXでも手紙でもかまわないのだろう。少し面倒だが、目的が達成できればそれでいい。 一方で若者はそうじゃない。 裏垢を駆使し、家族にはLINEで連絡し、友達とはInstagramで連絡を取る。連絡先を交換するとき、「LINE教えて」ではなく「インスタのアカウント教えて」と言う場面が増えている。同じ「メッセージを送る」という機能なのに、LINEのトークとInstagramのDMでは、心理的な距離感がまるで違う。 なぜそうなるのかを考えると、プラットフォームの設計そのものがコミュニケーションの作法を規定しているという、少し厄介な事実に行き当たる。 プロトコルが違う 現代音楽が理解不能に感じる理由で、「耳のプロトコル」について書いた。調性音楽に最適化された耳は、異なるプロトコルの音楽に出会ったとき「理解不能」と判定する。聴いている音が変なのではなく、耳のほうが特定の聴き方に訓練されているだけだ。

By Sakashita Yasunobu

大学生活

集中力が最も高い時間帯の錯覚

「朝5時に起きてから午前中に最も重要な仕事を片付ける」。自己啓発の世界では、これがほとんど教義のように語られている。 一方で、「自分は夜型だから深夜に集中する」と信じている人もいる。午前2時のキーボードの音だけが響く部屋で、日中にはない冴えを感じると。 どちらも、半分正しくて半分間違っている。 クロノタイプという個人差 人間の体内時計には、生まれつきの個人差がある。「クロノタイプ」と呼ばれるこの傾向は、体質的に朝に活動のピークが来る人と、夜にピークが来る人を区別するものだ。 これは怠惰や努力の問題ではない。遺伝的・生理的な基盤を持つ生物学的な特性だ。思春期には夜型傾向が強まり、加齢とともに朝型に移行する傾向があることも知られている。つまり、大学生の多くが夜型に傾くのは、生活習慣の問題であると同時に、年齢に伴う生物学的な傾向でもある。 東京医科大学の研究グループが約1万人を対象に行った調査では、クロノタイプそのものは直接的に生産性を低下させないことが示されている。しかし、自分のクロノタイプに合わない時間帯に活動を強いられると、睡眠の質が低下し、それを介して生産性が落ちる。朝

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

誰も等しくなれない世界で選び続けること

「公平な社会をつくるべきだ」という主張に反対する人はほとんどいない。しかし「公平とは何か」を定義しようとした瞬間、合意は崩壊する。結果を等しくすることなのか、機会を等しくすることなのか、貢献に応じて分配することなのか、必要に応じて分配することなのか。これらは互いに矛盾し、どれを選ぶかによって社会の設計はまったく異なるものになる。公平は理念としては美しいが、実装しようとすると必ず何かを犠牲にする。その犠牲の中身を見ずに「公平」を語ることはできない。 四つの公平、四つの矛盾 公平の定義は少なくとも四つある。 第一に、結果の平等。全員が同じ量の資源を受け取る。最も直感的だが、最も実現困難な定義である。人間の能力、意欲、環境が異なる以上、同じインプットを与えても同じアウトプットにはならない。結果を揃えようとすれば、アウトプットの段階で強制的な再分配が必要になる。 第二に、機会の平等。全員が同じスタートラインに立つ。しかしスタートラインを揃えること自体が幻想である。生まれた家庭の経済力、遺伝的な知能や体力、育った地域の教育環境。これらを完全に均すことは原理的に不可能であり、配られたカー

By Sakashita Yasunobu

大学生活

宿題にAIを使ったのはばれますか

はい、ばれる。 これで終わりにしてもいいのだが、もう少しだけ続ける。なぜばれるのか。どうばれるのか。そしてばれた先に何があるのか。 なぜばれるのか AIが生成した文章には、いくつかの特徴がある。読み慣れた人間には、それが透けて見える。 まず、文体の均一性だ。人間が書く文章には癖がある。語彙の偏り、接続詞の選び方、句読点の打ち方。同じ人間でも、文章の前半と後半で調子が微妙に変わる。考えがまとまっている部分は流暢になり、自信のない部分はぎこちなくなる。そのムラこそが「その人が書いた」証拠だ。 AIの文章にはこのムラがない。最初から最後まで同じトーンで、同じ精度で、同じリズムで書かれている。一見すると「上手い文章」に見えるが、実際には「誰の文章でもない文章」だ。読み手はそこに人間の思考の痕跡を見つけられず、違和感を覚える。 次に、具体性の欠如だ。AIは一般論を生成するのが得意だが、特定の文脈に根ざした具体的な観察を持っていない。「この講義で扱われた議論」、「先週の発表で指摘された論点」といった、その場にいた人間にしか書けない記述が、AI生成文にはない。抽象的に正しいことが並んで

By Sakashita Yasunobu

技術

翻訳が限りなく安くなる世界で言葉はどこへ向かうのか

翻訳は長い間、贅沢品だった。 日本語の文書を英語にする。プロの翻訳者に依頼すれば、日英翻訳で1文字あたりおよそ10円から20円が相場だ。1,000文字の文書で1万円前後。書籍1冊分(10万文字)なら100万円を超えることも珍しくない。この価格は、二つの言語の構造を理解し、文脈を読み、文化的なニュアンスを調整する知的労働への対価だ。安くはない。しかし不当でもない。 ところが、この構造が揺らぎ始めている。大規模言語モデル(LLM)の登場によって、翻訳コストに3桁の変動が起きた。 桁が違う コストを並べてみる。 プロの人間翻訳は、日英で1文字あたり10円から20円。専門分野(法務、医療、特許)ではさらに上がることもある。品質保証と校正を含めた価格だ。 ニューラル機械翻訳サービス(DeepLやGoogle翻訳の有料版など)は、月額制のサブスクリプションで大量のテキストを処理できる。1文字あたりのコストに換算すると、人間翻訳の数百分の一以下になる。 LLMのAPIはさらに話を複雑にする。料金は入力トークンと出力トークンの量で決まるが、日本語は英語に比べてトークン効率が低い。英語な

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倫理と思考実験

「人それぞれ」が静かに殺すもの

「人それぞれだよね」。この言葉が議論の中で出てきた瞬間、会話は終わる。相対主義がそういうものだと思われているなら、それは哲学にとって最大の風評被害である。 相対主義の「対象」を分けていない問題 相対主義を「何でもあり」と解釈する人の多くは、相対主義が何について相対的だと言っているのかを区別していない。哲学における相対主義には、少なくとも3つの異なる対象がある。 真理の相対主義。 「真理は文化や時代によって異なる」という主張である。たとえば「地球が宇宙の中心である」は、かつてある文化圏で真理とされていた。真理の基準が歴史的・文化的に変動することを指摘する立場である。 価値の相対主義。 「善悪の基準は普遍的ではない」という主張である。ある行為が道徳的に正しいかどうかは、文化や共同体の規範に依存するという立場。文化人類学における文化相対主義はこの系統に属する。 認識の相対主義。 「世界の見え方は認識の枠組みに依存する」という主張である。同じ対象でも、異なる概念体系を通して見れば異なって見えるという立場。 この3つは別々の主張であり、一つを認めたからといって残りも認めなければなら

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大学生活

大学生のレポートが使うべきフォント

レポートのフォント選びは、好みの問題ではない。互換性の問題だ。 自分のPCで美しく表示されていても、教員のPCにそのフォントが入っていなければ、代替フォントに置き換えられてレイアウトが崩れる。フォントを選ぶとき最優先すべきは、相手の環境で正しく表示されるかどうかだ。 結論から言えば 和文の本文にはMS 明朝、英数字にはCenturyまたはTimes New Romanを使う。見出しにはMS ゴシックを使うことが多い。 この組み合わせが選ばれるのは、品質が最高だからではない。Windowsにほぼ確実にインストールされているからだ。MS 明朝とMS ゴシックはWindowsの登場以来、すべてのバージョンに搭載されてきた。教員のPCにも、研究室の共有PCにも、ほぼ間違いなく入っている。 游明朝ではだめなのか Word 2016以降では、本文の初期フォントがMS 明朝から游明朝に変更された。游明朝はデザインが洗練されており、使いたくなる気持ちはよくわかる。 游明朝はWindows 8.1以降とmacOS 10.9以降に搭載されているため、比較的新しい環境同士であれば互換性の問

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

足し算の意味を誰も知らない

あなたは68+57の答えを知っている。125。当然だ。 でもなぜそう言い切れるのか。 あなたはこれまでの人生で、68+57という計算をしたことがあるだろうか。おそらくない。だとしたら、あなたが「+」という記号で意味していたのは、本当に足し算だったのか。 1982年、哲学者ソール・クリプケはウィトゲンシュタインの『哲学探究』を読み解くなかで、ひとつの問いを立てた。あなたが「+」で意味していたものが足し算であるという根拠は、実はどこにもない、と。 答えが125であることを保証するものは何もない。 5を返す演算 クリプケが提示した「クワス算」は、次のように定義される。 二つの数が両方とも57未満であれば、足し算とまったく同じ答えを返す。だが57以上の数がひとつでも含まれれば、答えは常に5になる。 たとえば、2+3なら5。12+31なら43。ここまでは足し算とクワス算の区別がつかない。あなたがこれまでに計算してきたすべてのケースが57未満の数同士だったとしたら、あなたの過去の計算結果は足し算ともクワス算とも完全に一致してしまう。 68+57を計算するとき、足し算なら125。

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生きること

希望が先に死ぬ

楽観主義者から先に死んだ。 ベトナムの捕虜収容所で、「クリスマスまでには帰れる」と信じた者たちが、心を折られて死んでいった。希望は彼らを支えなかった。希望が彼らを殺した。 そして、最も長く生き延びた男は、楽観主義者でも悲観主義者でもなかった。彼はその両方だった。 墜落した先にあったもの 1965年9月9日、海軍パイロットのジェームズ・ストックデールは北ベトナム上空でA-4スカイホークを撃墜された。対空砲火を浴び、コックピットに煙が充満した。射出座席で脱出する瞬間、彼の頭にあったのは「テクノロジーの世界を離れ、エピクテトスの世界に入る」という一文だった。 パラシュートで降下しながら、鉈や熊手を持った群衆が近づいてくるのを見下ろしていた男が、最後に思い浮かべたのは古代の奴隷哲学者の名前だった。 ストックデールは「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた捕虜収容所に収容された。米海軍の最高位将校として、7年半以上にわたって拘束され、20回を超える拷問を受けた。釈放の日程も、生きて家族に再会できる保証も、何一つなかった。 2001年、ジム・コリンズが Good to Great(邦題『ビジ

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日常の構造

あなたのことは何も書いていない

あなたは他人から好かれたいと思っている。あなたには使いきれていない能力がある。外向的に振る舞うこともあるが、内心では不安で、ときどき自分の選択が正しかったのか疑っている。 もし今、少しでも「当たっている」と感じたのなら、それはあなたのことを知っているからではない。あなたが、自分のことを知ってほしいと思っているからだ。 全員に同じ手紙を送った 1949年、心理学者バートラム・フォアラーは学生39人に性格検査を受けさせた。一週間後、「個人別の結果」として全員にまったく同じ文章を手渡した。新聞の星座占いコラムから抜き出した13の記述。「あなたには他人から好かれたいという強い欲求がある」「あなたは自分自身に対して批判的になる傾向がある」「外見上は規律正しく自制心があるが、内面では不安で心配性なところがある」。 学生たちはその記述の正確さを5点満点中、平均4.26と評価した。 この現象は後にバーナム効果、あるいはフォアラー効果と呼ばれるようになった。サーカスの興行師P.T.バーナムの「誰にでも当てはまることを言え」という戦略にちなんで。フォアラーの論文のタイトルは "The Fall

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

結論の手前にある見えない扉についての対話

ゼミで議論が噛み合わない。Aさんは「それは間違っている」と言い、Bさんは「いや、正しい」と言う。30分後、どちらも同じことを言っていたと気づく。前提が違っていただけだった。 この30分は無駄だったのか。無駄だった。だが、ほとんどのグループ議論でこの種の無駄は日常的に発生している。 結論が違うのではなく、前提が違う 議論が噛み合わないとき、多くの人は「相手の結論が間違っている」と考える。だが実際には、結論が違うのではなく、前提が違っていることのほうが圧倒的に多い。 「大学の授業は役に立たない」という主張を例にする。これに対して「いや、役に立つ」と反論する前に、確認すべきことがある。「役に立つ」とは何を意味しているのか。就職に直結するスキルのことか、思考力の訓練のことか、教養としての知識のことか。この定義が揃っていなければ、議論は永遠に平行線だ。 会話で賢く見える人は、この前提のズレに最初に気づく人だ。正しい結論を持っているからではなく、結論の前に前提を確認するからだ。 前提を確認する技術 前提の確認は、具体的には「問い返し」の技術だ。相手の発言を受けて、その背後にある前

By Sakashita Yasunobu