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大学生活

大学生のレポートが使うべきフォント

レポートのフォント選びは、好みの問題ではない。互換性の問題だ。 自分のPCで美しく表示されていても、教員のPCにそのフォントが入っていなければ、代替フォントに置き換えられてレイアウトが崩れる。フォントを選ぶとき最優先すべきは、相手の環境で正しく表示されるかどうかだ。 結論から言えば 和文の本文にはMS 明朝、英数字にはCenturyまたはTimes New Romanを使う。見出しにはMS ゴシックを使うことが多い。 この組み合わせが選ばれるのは、品質が最高だからではない。Windowsにほぼ確実にインストールされているからだ。MS 明朝とMS ゴシックはWindowsの登場以来、すべてのバージョンに搭載されてきた。教員のPCにも、研究室の共有PCにも、ほぼ間違いなく入っている。 游明朝ではだめなのか Word 2016以降では、本文の初期フォントがMS 明朝から游明朝に変更された。游明朝はデザインが洗練されており、使いたくなる気持ちはよくわかる。 游明朝はWindows 8.1以降とmacOS 10.9以降に搭載されているため、比較的新しい環境同士であれば互換性の問

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

足し算の意味を誰も知らない

あなたは68+57の答えを知っている。125。当然だ。 でもなぜそう言い切れるのか。 あなたはこれまでの人生で、68+57という計算をしたことがあるだろうか。おそらくない。だとしたら、あなたが「+」という記号で意味していたのは、本当に足し算だったのか。 1982年、哲学者ソール・クリプケはウィトゲンシュタインの『哲学探究』を読み解くなかで、ひとつの問いを立てた。あなたが「+」で意味していたものが足し算であるという根拠は、実はどこにもない、と。 答えが125であることを保証するものは何もない。 5を返す演算 クリプケが提示した「クワス算」は、次のように定義される。 二つの数が両方とも57未満であれば、足し算とまったく同じ答えを返す。だが57以上の数がひとつでも含まれれば、答えは常に5になる。 たとえば、2+3なら5。12+31なら43。ここまでは足し算とクワス算の区別がつかない。あなたがこれまでに計算してきたすべてのケースが57未満の数同士だったとしたら、あなたの過去の計算結果は足し算ともクワス算とも完全に一致してしまう。 68+57を計算するとき、足し算なら125。

By Sakashita Yasunobu

生きること

希望が先に死ぬ

楽観主義者から先に死んだ。 ベトナムの捕虜収容所で、「クリスマスまでには帰れる」と信じた者たちが、心を折られて死んでいった。希望は彼らを支えなかった。希望が彼らを殺した。 そして、最も長く生き延びた男は、楽観主義者でも悲観主義者でもなかった。彼はその両方だった。 墜落した先にあったもの 1965年9月9日、海軍パイロットのジェームズ・ストックデールは北ベトナム上空でA-4スカイホークを撃墜された。対空砲火を浴び、コックピットに煙が充満した。射出座席で脱出する瞬間、彼の頭にあったのは「テクノロジーの世界を離れ、エピクテトスの世界に入る」という一文だった。 パラシュートで降下しながら、鉈や熊手を持った群衆が近づいてくるのを見下ろしていた男が、最後に思い浮かべたのは古代の奴隷哲学者の名前だった。 ストックデールは「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた捕虜収容所に収容された。米海軍の最高位将校として、7年半以上にわたって拘束され、20回を超える拷問を受けた。釈放の日程も、生きて家族に再会できる保証も、何一つなかった。 2001年、ジム・コリンズが Good to Great(邦題『ビジ

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日常の構造

あなたのことは何も書いていない

あなたは他人から好かれたいと思っている。あなたには使いきれていない能力がある。外向的に振る舞うこともあるが、内心では不安で、ときどき自分の選択が正しかったのか疑っている。 もし今、少しでも「当たっている」と感じたのなら、それはあなたのことを知っているからではない。あなたが、自分のことを知ってほしいと思っているからだ。 全員に同じ手紙を送った 1949年、心理学者バートラム・フォアラーは学生39人に性格検査を受けさせた。一週間後、「個人別の結果」として全員にまったく同じ文章を手渡した。新聞の星座占いコラムから抜き出した13の記述。「あなたには他人から好かれたいという強い欲求がある」「あなたは自分自身に対して批判的になる傾向がある」「外見上は規律正しく自制心があるが、内面では不安で心配性なところがある」。 学生たちはその記述の正確さを5点満点中、平均4.26と評価した。 この現象は後にバーナム効果、あるいはフォアラー効果と呼ばれるようになった。サーカスの興行師P.T.バーナムの「誰にでも当てはまることを言え」という戦略にちなんで。フォアラーの論文のタイトルは "The Fall

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

結論の手前にある見えない扉についての対話

ゼミで議論が噛み合わない。Aさんは「それは間違っている」と言い、Bさんは「いや、正しい」と言う。30分後、どちらも同じことを言っていたと気づく。前提が違っていただけだった。 この30分は無駄だったのか。無駄だった。だが、ほとんどのグループ議論でこの種の無駄は日常的に発生している。 結論が違うのではなく、前提が違う 議論が噛み合わないとき、多くの人は「相手の結論が間違っている」と考える。だが実際には、結論が違うのではなく、前提が違っていることのほうが圧倒的に多い。 「大学の授業は役に立たない」という主張を例にする。これに対して「いや、役に立つ」と反論する前に、確認すべきことがある。「役に立つ」とは何を意味しているのか。就職に直結するスキルのことか、思考力の訓練のことか、教養としての知識のことか。この定義が揃っていなければ、議論は永遠に平行線だ。 会話で賢く見える人は、この前提のズレに最初に気づく人だ。正しい結論を持っているからではなく、結論の前に前提を確認するからだ。 前提を確認する技術 前提の確認は、具体的には「問い返し」の技術だ。相手の発言を受けて、その背後にある前

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大学生活

大学に入ってから1年が異様に速く感じる理由

高校までの1年は長かった。4月の入学式から3月の終業式まで、体感としても確かに1年分の重みがあった。ところが大学に入った途端、1年が蒸発するように過ぎる。2月になって「え、もう?」と思う。なぜこうなるのか。 二つの「速さ」 時間の速さには、二つの種類がある。経験中の時間(prospective time)と、回想時の時間(retrospective time)だ。 経験中の時間とは、「今この瞬間がどれくらいの速さで流れているか」という感覚だ。退屈な講義の90分は永遠に感じる。逆に、夢中で何かに取り組んでいるとき、時間はあっという間に過ぎる。 回想時の時間とは、「あの期間はどれくらい長かったか」という振り返りの感覚だ。問題はここにある。経験中に「速い」と感じた時間は、振り返ると「短い」。経験中に「遅い」と感じた時間は、振り返ると「長い」。リアルタイムの体感と、記憶の中の体感は、しばしば逆転する。 大学生が感じる「1年が速い」は、主にこの回想時の時間に関わっている。

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大学生活

90分講義で人間の集中力はどこで壊れるのか

90分の講義に座っていると、どこかで意識が遠のく瞬間がある。ノートを取る手が止まり、スライドの文字が記号に見え始める。あの瞬間は、なぜ来るのか。そしてそれは、自分の問題なのか、制度の問題なのか。 「集中力は15分で切れる」は本当か 「人間の集中力は15分しか持たない」という話を一度は聞いたことがあるだろう。この数字はしばしば断定的に引用されるが、実際には単一の決定的な研究に基づいているわけではない。 注意の持続時間に関する研究は複数あり、15分、20分、45分など、条件によって異なる数値が報告されている。ダニエル・カーネマンが1973年に提示した注意資源モデルは、注意を有限の資源として捉えたが、具体的に「何分で切れる」とは主張していない。注意の持続は、課題の難易度、関心の度合い、環境、そして本人の状態によって大きく変動する。 つまり「15分で切れる」は実態を過度に単純化した通説である。ただし、集中力が一定時間を超えると低下する傾向があるという大枠自体は、多くの研究で支持されている。 90分という時間はどこから来たのか 日本の大学で広く採用されている90分という講義時間は

By Sakashita Yasunobu

生きること

人はなぜ夕方の光で立ち止まるのか

急いでいた。用事があった。それなのに、足が止まる。夕方の光が建物の壁をオレンジに染めている。ただそれだけのことだ。太陽が低くなり、光の波長のうち青が大気に散乱され、赤みを帯びた光だけが地表に届く。色温度にして約3000K前後。物理の教科書に載っている、ありふれた現象にすぎない。 それなのに、あなたは立ち止まる。スマートフォンを取り出すか、あるいはただ黙って見つめる。なぜか。たぶん、あなた自身にもわからない。 身体が先に知っている 「美しい」と思った瞬間には、もう足は止まっている。順序が逆なのだ。 美的判断というのは、通常、知覚してから評価し、そして行動に移るという段階を踏むと考えられている。ところが夕方の光に対する反応は、その手順を無視する。足が止まり、息が浅くなり、視線が固定される。そのあとで「ああ、きれいだ」と思う。判断より先に身体が動いている。 メルロ=ポンティは、知覚が単なる情報処理ではなく、身体そのものが世界と交渉する行為だと考えた。私たちは脳で世界を見ているのではなく、身体で世界に触れている。夕方の光に足が止まるのは、頭で「美しい」と判断したからではなく、身体が

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哲学を読む

聞いただけの美しさを抱いて眠った

「この映画は傑作だ」と、あなたが信頼する人間が言った。あなたはそれを信じた。でも、あなたはまだ観ていない。 信じたことと、観て震えたことは、同じだろうか。 たぶん違う。でも、何が違うのかを説明しようとすると、言葉が足りなくなる。足りないのは言葉だけではないのかもしれない。 「傑作だ」と言われた 「水はH₂Oである」と教えられて信じること。これには何の問題もない。自分で確かめなくても、証言による知識は十分に機能する。化学の教科書に書かれていることを、全員が実験室で再現する必要はない。 ところが、「あの映画は傑作だ」と教えられて信じることには、どこか奇妙な引っかかりがある。 この引っかかりについて、哲学者たちは驚くほど長いあいだ議論してきた。美的証言(aesthetic testimony)をめぐる論争だ。 2007年にロバート・ホプキンスが「悲観主義(pessimism)」と「楽観主義(optimism)」という用語で整理したこの問題の核心は、見かけ上は単純に見える。科学的事実は証言で伝達できるのに、なぜ美的判断は証言だけでは不十分に感じられるのか。 悲観主義者はこう主

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倫理と思考実験

選んだはずの指先が止まらない夜に

スクリーンタイムの通知を見て「嘘でしょ」と思ったことがあるなら、あなたは問題の当事者である。3時間、4時間、ときには5時間。自分では30分くらいしか触っていないつもりだった。しかもその間、「やめよう」と思えばいつでもやめられたはずだった。少なくとも、そう感じていた。 選んでいるのに、選んでいない スマホを操作しているとき、私たちは常に「選択」をしている。この動画を見るかスキップするか。この投稿にいいねするかしないか。次のアプリを開くか閉じるか。選択肢は確かに存在しており、どちらを選ぶかは自分が決めている。 しかし問題は、その選択肢の「枠組み」自体が設計されていることである。選択肢は与えられているが、選択の場を設計したのは自分ではない。これが「自分で選んでいる感覚」が維持される仕組みである。 アテンション・デザインの具体的な仕組み スマホのUIには、ユーザーの注意を引き続けるための設計が随所に埋め込まれている。 無限スクロール。 コンテンツに「終わり」がない。雑誌なら最後のページがあるが、SNSのフィードは底がない。「もう少しだけ」が永遠に続く構造になっている。 自動再

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倫理と思考実験

最も効率よく人を救う者が隣人を見捨てる

最も効率的に人を救おうとした者が、やがて隣にいる友人を見捨てることになる。これは倫理学の暴走ではない。善意の正確な帰結だ。 膝丈の水 ピーター・シンガーが1972年に書いた論文 "Famine, Affluence, and Morality" に、ひとつの思考実験がある。 出勤途中、膝丈の浅い池で幼い子どもが溺れている。周囲に誰もいない。あなたは新品のスーツを着ている。助けるか。当然、助ける。スーツが台無しになっても、会議に遅刻しても、子どもの命には代えられない。ほとんどの人がそう答える。 ではシンガーは問う。遠い国で同じ年齢の子どもが飢餓で死にかけているとき、あなたはなぜ同じように行動しないのか。数千ドルの寄付で救える命がある。あなたは昨日、同じ額を何か別のものに使った。 物理的な距離は、道徳的に何かを変えるのか。シンガーの答えは明快だった。変えない。 この論理を受け入れた瞬間、日常は足元から崩れる。友人への贈り物も、旅行も、趣味に使うお金も、すべて「救えたはずの命」との引き換えになる。あなたはもうボタンを押している。ただ気づいていないだけで。 これが効果的利他主義

By Sakashita Yasunobu

大学生活

書けないのは手ではなく問いが止まっているからだ

レポートが書けない。書き始めても手が止まる。何度書き直しても、まとまらない。その原因を「文章力がないから」と片付けてしまう人が多い。だが、ほとんどの場合、文章力は関係ない。 問題は、書き始める前にある。 「テーマを決める」と「問いを立てる」は違う 多くの学生が混同しているのがここだ。「SNSについて書きます」はテーマであって、問いではない。テーマだけでは、何を書けばいいか決まらない。 「SNSの匿名性は政治参加を促進するか、それとも抑制するか」。これが問いだ。問いが立てば、答えるために何を調べればいいかが見えてくる。構成が浮かぶ。根拠を集める方向が定まる。 レポートの出来は、書き始める前に決まっている。問いの質がレポートの質を決める。 弱い問いと強い問い 弱い問いには共通した特徴がある。範囲が広すぎる、答えが自明、あるいは調べれば一発で分かるものだ。 * 弱い問い: 「地球温暖化とは何か」 * 強い問い: 「なぜ地球温暖化の科学的合意にもかかわらず、政策実行が遅れるのか」 弱い問いは、百科事典を要約すれば済んでしまう。強い問いは、複数の視点を検討し、自分なりの

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