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哲学を読む

考えることしかできない

人類が何千年もかけて「知性」と呼んできたものは、実のところ、知性のうちでもっとも薄い層だったのかもしれない。 1997年、IBMのDeep Blueがチェス世界王者ガルリ・カスパロフを破った日、世界は「機械が人間を超えた」と騒いだ。しかし同じ機械は、テーブルの上のコーヒーカップを持ち上げることができなかった。チェスの王を詰められる計算能力が、マグカップの取っ手を握る動作の前では無力だった。 1988年、ロボット工学者ハンス・モラヴェックは著書 Mind Children(Harvard University Press)のなかで、この奇妙な非対称性を一文に凝縮した。「知能テストやチェスで大人レベルの性能をコンピュータに発揮させることは比較的容易だが、知覚や運動に関して一歳児のスキルを与えることは困難、あるいは不可能だ」。同時期にロドニー・ブルックスやマービン・ミンスキーも同様の観察を述べている。これがモラヴェックのパラドックスと呼ばれるものだ。 そしてこのパラドックスが本当に突きつけているのは、AIの限界ではない。「知性とは何か」という問いに対する、人間の見積もりの甘さだ。

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

無関係なものを忘れる技術

知性とは何かと聞かれたら、たいていの人は「考える力」と答えるだろう。推論する力。分析する力。問題を解く力。 だがAIの歴史が数十年かけて暴いたのは、ほぼ真逆の事実だった。知性の核にあるのは、考えない力かもしれない。関係のないことを無視し、必要のない推論を止め、世界の大部分を放っておく力。それを私たちは「常識」と呼ぶ。そして常識がどれほど途方もないものであるかを最初に突きつけたのは、哲学者でも心理学者でもなく、ロボットに爆弾を片付けさせようとした計算機科学者たちだった。 三台のロボットの末路 哲学者ダニエル・デネットは「認知の車輪」と題した論文のなかで、三台のロボットの寓話を語った。 一台目のロボット、R1。部屋のなかに時限爆弾がある。同じ部屋にR1のバッテリーも置かれていて、バッテリーは台車に載っている。R1は台車を引き出せばバッテリーを救えると推論し、実行する。だが台車の上には爆弾も載っていた。R1は「台車を引くと台車の上のものが一緒に動く」という副次的効果を推論できなかった。 二台目、R1D1。行動の副次的効果をすべて考慮するよう設計された。台車を引く前に、R1D1はあ

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

取り消せないものを背負いなおも歩く

誰にでも、思い出すと胸のあたりが重くなる過去がある。 深夜に突然蘇る、何年も前の失言。もう関係のない相手に向けた、取り消せない行動。記憶の底に沈めたはずの場面が、何の前触れもなく浮上して、布団の中で目を閉じたまま呻く。あの経験を、多くの人が共有しているだろう。 「やらかし」という言葉は軽い。だがその軽さの裏には、自分自身の過去をどう扱えばいいか分からないという、重い問いが隠れている。罪は永遠に背負い続けなければいけないのか。変わった自分は、過去の自分と同じ人間なのか。赦しとは何であり、誰に権利があるのか。 時効は三つある 法的には、時効という制度がある。刑法にも民法にも、一定の期間が経過すれば刑事責任や損害賠償請求権が消滅する仕組みが組み込まれている。社会制度としての法は、「永遠に罰する」設計にはなっていない。 しかし「社会的な時効」と「法的な時効」と「心理的な時効」は、それぞれ別の時計で動いている。 法的な時効が成立しても、社会がそれを忘れるとは限らない。インターネット以降、記録は消えない。デジタルタトゥーという比喩が定着したのは、一度オンラインに刻まれた情報が、本人の

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

自販機の前

自販機の前に立つ。30本ほどの飲み物が並んでいる。数秒、迷う。結局、いつもと同じものを買う。 この数秒間に、何が起きているのか。たかが飲み物の選択にすぎない。しかし、その「たかが」の中に、意思決定の構造がそのまま映し出されている。 二つのシステム ダニエル・カーネマンは2011年の著書『ファスト&スロー』で、人間の思考を二つのシステムに分けた。システム1は直感的で高速な処理。システム2は論理的で低速な処理。日常の大半の判断はシステム1が担っている。 自販機の前での選択は、典型的なシステム1の領域だ。ボタンを押すまでに、価格、味の好み、気温、喉の渇き具合、前回の経験といった変数が、意識にのぼることなく統合されている。「なんとなくこれ」という直感は、怠惰ではなく、高速な情報処理の結果だ。 ただし、新商品が並んでいるときは事情が変わる。見たことのないパッケージが視界に入った瞬間、システム2が起動する。「これは何だろう」「おいしいだろうか」「値段は」。処理速度が落ち、選択に時間がかかる。自販機の前で立ち止まる時間が長い人は、優柔不断なのではなく、新しい情報を処理しているだけかもしれ

By Sakashita Yasunobu

許容ラインの上を歩く顔たち

「整形した」と公言する人は、まだそれほど多くない。 韓国では美容整形が比較的オープンに語られる文化がある。大学入学や就職の祝いに二重まぶたの手術を贈ることさえ珍しくないという。一方、日本では「自然であること」への信仰が根強い。整形したことを隠す人は多いし、整形を公言した有名人がSNSで叩かれる光景も繰り返されている。 「許容されている」と言い切れるかどうかは、実はかなり微妙だ。許容されつつあるが、完全には許容されていない。この中間地帯にあることそのものが、考えるに値する問題をいくつも含んでいる。 許容のグラデーション 身体を変える行為には、幅広いグラデーションがある。そしてそのグラデーションのどこに「許容ライン」があるかは、行為によって大きく異なる。 化粧 は、ほぼ普遍的に許容されている。日本では「身だしなみ」として求められる場面すらある。化粧をしないことが不適切とみなされる職場もある。化粧は物理的に顔の見え方を変える行為だが、「自然な顔を変えている」と批判されることはほとんどない。 矯正歯科 も広く許容されている。歯並びを物理的に変えるという意味では身体改変そのものだが

By Sakashita Yasunobu

大学生活

大学のレポートのフォントサイズ

指定がなければ、10.5ptか11ptを選べばいい。 これが結論だ。ただし、フォントサイズだけを決めても体裁は整わない。行間や余白とのバランスを理解しておくと、より読みやすいレポートになる。 10.5ptと11pt Microsoft Wordの日本語版では、本文のフォントサイズの初期設定は10.5ptになっている。日本の公文書やビジネス文書でも10.5ptが標準として広く使われており、特に理由がなければこのサイズが無難だ。 11ptはわずかに大きいだけだが、文字の視認性がやや上がる。行数が少し減るため、同じ内容でもページ数がわずかに増える傾向はあるものの、読みやすさを優先するなら11ptも合理的な選択だ。 どちらを選んでも、減点されることはまずない。大切なのは、文書全体でサイズを統一することだ。 指定がある場合 教員からフォントサイズの指定がある場合は、それに従う。指示を無視してまで自分の好みを通す理由はない。レポートの書式に限らず、指定されたルールに従うこと自体が課題の一部だ。 行間と余白のバランス フォントサイズだけでは、読みやすさは決まらない。行間が詰ま

By Sakashita Yasunobu

大学生活

留学の準備は一年生から

留学は「行きたい」と思った瞬間に行けるものではない。 交換留学の応募締切は出発の半年から一年前に設定されている。語学試験のスコアは一朝一夕では伸びない。奨学金の申請にも書類の準備と審査の時間がかかる。三年生になって「留学したい」と動き出した学生が間に合わないのは、怠けたからではない。構造的に間に合わないようにできているのだ。 この記事では、大学一年生の時点から何をどの順番で準備すれば交換留学に手が届くのかを、タイムラインに沿って整理する。筆者自身、大学在学中に一年間の留学を経験した。その経験を踏まえて、準備段階でやっておくべきだったことも含めて書く。 逆算のタイムライン 三年生の前期に出発する交換留学を想定して、逆算してみる。 JASSOの海外留学情報サイトによれば、高等教育機関への留学は約一年半前から準備を始めることが推奨されている。出願締切が入学の一年前に設定されている大学や奨学金もある。 つまり、三年前期に出発するなら、一年生の後期には準備を始めている必要がある。 具体的なタイムラインはこうなる。 一年生前期(入学直後) * 大学の留学プログラムの概要を把握

By Sakashita Yasunobu

大学生活

空いている席が多いのに隣に座る人の心理

図書館のテーブル、フードコートのベンチ、電車のロングシート。空席がたくさんあるのに、わざわざ隣に座ってくる人がいる。悪意はないのだろう。しかし、あの瞬間に感じる居心地の悪さは本物だ。なぜこのズレは起こるのか。 パーソナルスペースの非対称 文化人類学者エドワード・ホールは、人間が他者との距離に対して持つ感覚を4つの層に分類した。密接距離(約0〜45cm)、個体距離(約45〜120cm)、社会距離(約120〜360cm)、公共距離(約360cm以上)。これらはあくまで目安であり、文化や個人差によって大きく変動する。 重要なのは、この距離感が人によって異なるということだ。ある人にとって「適切な距離」が、別の人にとっては「近すぎる」。隣に座ってくる人は、その人自身の距離感に基づいて行動しているにすぎない。問題は、公共空間では個人のパーソナルスペースが可視化されないことにある。 空間選択のクセ 人は席を選ぶとき、必ずしも「他者との距離を最大化する」ように動くわけではない。行動観察の研究では、人が座席を選ぶ際にいくつかの異なる戦略を取ることが確認されている。 端の席を好む人は、壁や

By Sakashita Yasunobu

大学生活

学割が成立する経済的ロジック

学生証の有効期限は、ある日突然やってくる。昨日まで半額だったサブスクリプションが、今日から正規料金になる。月額480円だったものが980円になり、年間で考えれば数千円の差が開く。 この瞬間、多くの人はそのまま正規料金を払い続ける。解約するのが面倒だからではない。もう、そのサービスなしでは生活が回らなくなっているからだ。 企業は、このことをよく知っている。 値引きではなく投資 学割は慈善事業ではない。「学生はお金がないから安くしてあげよう」という温情で動いている企業は、少なくとも上場企業のなかには存在しないと考えてよい。 経済学の用語で言えば、学割は「第三種価格差別」の一形態だ。消費者を識別可能なグループに分け、各グループの支払い意欲に応じて異なる価格を設定する。価格差別と聞くと不穏に響くかもしれないが、経済学では中立的な用語であり、航空券のクラス分けや映画館の割引デイも同じ原理で動いている。 学生は一般に、可処分所得が少ない。月額980円のサービスに対する支払い意欲は、社会人より低い。このとき、全員に980円を課せば、学生の大半は加入しない。しかし480円にすれば、相当数

By Sakashita Yasunobu

大学生活

誰も口を開かない最初の五分間が決めるすべて

「じゃあ、どうする?」 グループワークの最初の5分は、だいたいこの一言から始まる。そして、この一言が出た時点で、すでに崩壊は始まっている。 沈黙の5秒間 4人グループが組まれる。先生が課題を説明し、「では、グループで話し合ってください」と言う。全員が顔を見合わせる。1秒、2秒、3秒。誰も口を開かない。4秒目に誰かが言う。「じゃあ、どうする?」 この「どうする?」は問いのように見えて、問いではない。「誰かやってくれ」という無言の要請だ。そして残りの3人も同じことを思っている。全員が「誰かが始めてくれるのを待っている」状態。これがグループワーク崩壊の第一段階だ。 役割分担という儀式 沈黙に耐えかねた誰かが言う。「じゃあ、役割分担しよう」。 ここで起きるのは、役割の「押し付け合い」ではなく「引き受け合い」の失敗だ。「リーダー誰がやる?」と聞かれて、自分から手を挙げる人はほとんどいない。挙げたら最後、全部の責任を背負わされると直感でわかっているからだ。 結果として、もっとも断れない人がリーダーになる。もっとも声が大きい人ではなく、

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倫理と思考実験

読む前の自分はもういない

あなたが誰かに本を贈るとき、あなたはその人の好みに合った本を選ぼうとする。しかし、本当に良い本は、読んだ人の好みそのものを変えてしまう。つまりあなたは、「読む前の相手」の好みで本を選ばなくてはならないのに、その本が成功すればするほど、「読んだ後の相手」は別の人間になっている。贈り物は届いたときにはもう、届くべき相手がいない。 これは本の話に限らない。人生のあらゆる重要な選択が、この同じ構造を持っている。 あなたはまだその本を知らない 哲学者L.A.ポールは2014年の著作 Transformative Experience で、こうした状況を「変容的経験(transformative experience)」と呼んだ。ポールによれば、変容的経験には二つの特徴がある。第一に、経験する前にはそれが「どのようなものか」を知ることができない(認識的変容性)。第二に、経験することで自分の核心的な選好や価値観が変わる(個人的変容性)。 子供を持つこと。恋に落ちること。重い病の診断。宗教的回心。初めて海外で暮らすこと。これらはすべて、経験する前と後で世界の見え方が根本的に変わる出来事だ。

By Sakashita Yasunobu

大学生活

終わらない議論の果てに立つということ

哲学科に入るまで、議論は結論を出すためにあると思っていた。 意見をぶつけ合い、正しい側が勝ち、間違った側が折れる。そうして一つの答えにたどり着くのが議論だ、と。テレビの討論番組はそういう前提で設計されているし、ディベート大会にはいつも勝者がいる。議論は決着するもの。それが常識だった。 哲学科に入って、その常識が崩れた。 ゼミで議論していると、終わらない。30分経っても、1時間経っても、結論が出ない。しかも誰もそれを問題だと思っていない。教授は「いい問いが出ましたね」と微笑んで、さらに議論を深める方向に舵を切る。結論を出す気配がない。最初は戸惑った。全員の議論の仕方が下手なのかと思った。しかしそうではなかった。哲学の議論は、終わらないのが正常だった。 なぜ終わらないのか。理由は三つある。それを知らないと、「哲学は結論が出ない無駄な学問だ」という誤解のまま終わる。 前提の無限遡行 哲学の議論が終わらない最初の理由は、前提が底を持たないことだ。 どんな主張にも前提がある。「人を殺してはいけない」という主張の前提は何か。「人間の生命には尊厳がある」かもしれない。ではなぜ人間の生

By Sakashita Yasunobu