寛容が自らの喉を噛み切るとき

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寛容な社会は、自分自身を食い殺す仕組みを最初から内蔵している。

1945年、カール・ポパーは『開かれた社会とその敵』の脚注にひとつの不発弾を埋めた。「無制限の寛容は、寛容の消滅をもたらす」。哲学書の片隅に差し挟まれた短い注釈。それが80年後の今も、誰にも解除できない爆弾として転がっている。むしろ、時代が進むほどに信管は敏感になっている。

あなたは寛容な人間だと思っている。他者の意見を尊重し、異なる価値観を受け入れる。それは美しい態度だ。しかし、その寛容さはいつか、あなた自身を飲み込むために口を開ける。不寛容な者に対して寛容でいられるか。いられるとして、それはまだ寛容か。それとも、ただの降伏か。

ポパーが言ったこと、言わなかったこと

寛容のパラドックスについて語る人は多いが、ポパーの原典を正確に読んでいる人は驚くほど少ない。

ポパーの主張は「不寛容に対して不寛容であれ」という単純なスローガンではなかった。彼が『開かれた社会とその敵』の注釈で述べたのは、もう少し慎重な立場だ。合理的な議論によって対抗できる限りにおいては、不寛容な思想であっても言論で対処すべきである。しかし、合理的な議論そのものを拒否し、暴力に訴える勢力に対しては、寛容の義務はない。

この条件部分が、流通する過程で切り落とされた。残ったのは「寛容は不寛容を許してはならない」という切れ味のよいフレーズだけだ。そしてその切れ味は、しばしば使い手の意図に合わせて研がれてきた。ポパー自身が最も警戒していたのは、まさにこの種の単純化だったのかもしれない。

「人それぞれ」が静かに殺すものが示したように、寛容と相対主義は容易に混同される。「すべての意見は等しく尊重されるべきだ」という態度は、一歩間違えれば「どんな意見にも反論してはならない」に変わる。ポパーが警告したのは、まさにその滑り落ちる坂だった。

ポパーの議論には、見落とされがちなもうひとつの軸がある。彼はプラトンが提示した「自由のパラドックス」を踏まえている。無制限の自由は、強者が弱者を従属させる自由をも含むというプラトンの指摘。自由の問題と寛容の問題は、構造的に双子だった。どちらも「無制限」を認めた瞬間、自らを否定する力が内部から生まれてくる。

原則が原則を食う

この構造を少し引いて眺めてみる。

ある原則Pを守るために、原則Pに反する行為Qが必要になる。寛容を守るために不寛容を行使する。民主主義を守るために非民主的な排除を行う。平和を守るために暴力を用いる。どれも同じ骨格をしている。

善も正義もないと言い切ってしまえれば、話は単純だ。しかし、私たちは正義を完全に手放すこともできない。正義を主張する者は、正義に反する手段を用いることの正当化を迫られる。正当化が成功したとき、正義はもう元の正義ではない。失敗したとき、正義は無力のまま消える。どちらに転んでも、原則は原則のままではいられない。

歴史は、この構造が机上の遊戯ではないことを教えている。ワイマール共和国は、近代民主主義がこのパラドックスに直面した最も鮮明な事例だろう。民主的な憲法のもと、民主主義を否定する勢力が合法的に活動し、制度の内側から権力を掌握した。憲法に定められた緊急権条項は濫用され、議会は自らの手で自らの権限を差し出した。寛容な制度が不寛容な勢力を育て、制度そのものが内側から解体された。

これを「ワイマールの教訓」として歴史の棚に片づけることはできる。しかし、原則を利用して原則を破壊するという手法は、特定の時代や制度に限られたものではない。そして、それに対するあらゆる防衛策は、このパラドックスの内側から逃れることができない。

誰がスイッチを握るか

この問題は、21世紀においてはプラットフォームという舞台の上に移植された。

SNSのモデレーション、ヘイトスピーチ規制、アカウントの凍結。これらはすべて、寛容のパラドックスの実装だと言えるかもしれない。表現の自由を守るために表現を制限する。開かれた場を維持するために特定の声を締め出す。構造は同じだ。

しかし、ここでポパーの時代にはなかった問題がひとつ加わる。「誰がその線を引くのか」という問いだ。

ポパーの想定では、合理的な議論を拒否し暴力に訴える者が線の向こう側にいた。境界は比較的明瞭だった。しかし、プラットフォーム上では「暴力」の定義そのものが揺れている。言語的な攻撃は暴力か。嘲笑は。沈黙は。アルゴリズムによる増幅は。線はどこにもなかったのだとしたら、寛容と不寛容の境界もまた、引かれた瞬間から溶けはじめる。

そして、その線を引く権限は、多くの場合、国家でも市民でもなく、プラットフォームを運営する企業に委ねられている。営利企業が寛容の番人を務めるという状況には、何かしら喜劇的なものがある。広告収入のためにエンゲージメントを最大化するインセンティブと、不寛容な言説を制限する義務。この二つが同じ組織の中で共存している。

「何でもいいよ」が壊すもの

寛容のパラドックスは、社会制度の話だけでは終わらない。もっと身近な場所にも、同じ構造が息をひそめている。

「何でもいいよ」という言葉。選択を相手に委ねるこの態度は、一見すると寛容の極致に見える。しかし、それが繰り返されるとき、対等な関係は静かに崩れていく。一方が常に譲り、一方が常に選ぶ。寛容のつもりで行われる自己放棄は、やがて関係そのものの土台を浸食する。

嫌なことを嫌だと言えない。それは寛容ではなく従属だ。自分の境界を示すことと不寛容であることは別の行為だが、寛容という言葉の下でこの二つはしばしば混同される。「あなたを受け入れる」と「あなたに自分を明け渡す」の区別が消えたとき、寛容は自分自身に対する暴力に変わる。

透明人間の倫理で問われたのは、誰も見ていないときに道徳的であり続けられるかという問題だった。寛容のパラドックスが個人に突きつけるのは、それに似ている。原則に忠実であることが原則そのものを裏切る結果を招くとき、あなたはそれでもその原則を手放さないでいられるか。

正義の枠の内側で

ジョン・ロールズは『正義論』の中で、この問題に対するひとつの応答を試みている。

ロールズの立場は、ポパーの議論にさらなる条件をつけるものだった。寛容な社会は、不寛容な集団が自由と安全を現実に脅かしている場合にのみ、自衛として自由を制限する権利をもつ。逆に言えば、不寛容な集団が実際の脅威となっていない限り、彼らもまた寛容されなければならない。

ロールズは寛容を正義の枠組みの内側に位置づけた。寛容は最上位の原則ではなく、正義の下で機能する従属的な原則だ、と。不寛容を排除することが正当化されるのは、正義そのものが脅かされる場合に限られる。

一見すると、これはパラドックスに対するひとつの解決に見える。しかし、実際には問いをひとつ後ろにずらしただけかもしれない。「正義が脅かされている」と誰が、いつ、どのような基準で判断するのか。ロールズの「無知のヴェール」の下で合意される正義は美しいが、ヴェールを脱いだ現実の世界では、全員が正しいと信じる人々が、それぞれの正義を掲げて衝突している。

ロールズが前提とする「合理的な市民」は、ポパーが前提とした「合理的な議論が可能な相手」と同じ問題を抱えている。合理性そのものを共有しない相手に対して、合理性に基づく枠組みは無力だ。正義の枠組みは、正義を認める者の間でしか機能しない。それは欠陥ではなく、枠組みという存在そのものの限界なのかもしれない。

寛容は自分を守れない

正しさのなかで眠りにつく問いたちは、多様性の尊重がいかにして議論を封殺しうるかを描いた。寛容のパラドックスは、その問いのさらに奥にある地層に手を伸ばす。

「寛容であれ」という原則は、その原則を攻撃する者に対して、自らを防衛する論理的手段をもたない。寛容を維持するために不寛容を行使した瞬間、寛容は自分自身でなくなる。不寛容を放置した瞬間、寛容は内側から崩壊する。どちらの道を選んでも、寛容は寛容として生き延びることができない。

ポパーはこの矛盾を承知のうえで、寛容の側に立つことを選んだ。ロールズも、正義の枠組みの中でぎりぎりの均衡を探った。しかし、彼らの提案は「解決」ではなく、「もっとも害の少ない負け方」にすぎなかったのかもしれない。

鎖を愛した動物が描いたように、人間は自由よりも安全を選ぶ傾向がある。寛容な社会が不寛容に対処するために監視や規制を強化するとき、その社会はゆっくりと、しかし確実に、自分が守ろうとしたものから遠ざかっていく。

原則を守るために原則を破る。自由を守るために自由を制限する。寛容を守るために不寛容になる。この構造を前にして、私たちにできることがあるとすれば、それは解決ではなく、この矛盾のなかに立ち続けることだけかもしれない。

もっとも、立ち続けることに意味があるのかどうか、それもまた誰にもわからない。

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