倫理と思考実験
あなたはもうボタンを押している
ある朝、目を覚ますと、枕元にボタンがある。 押せば100万ドルが手に入る。ただし、世界のどこかで、あなたの知らない誰かがひとり、死ぬ。 押すか。押さないか。 これはSF作家リチャード・マシスンが1970年に発表した短編「Button, Button」の設定だ。2009年にはリチャード・ケリー監督の映画『運命のボタン』(原題: The Box)としても知られるようになった。SFの皮をかぶった、残酷なほどシンプルな道徳実験。 でも、この話の本当に気味が悪いところは、押すか押さないかじゃない。 あなたがもう押しているかもしれない、というところだ。 善人は距離でできている 目の前で人が倒れたら、たいていの人は駆け寄る。隣の家の子どもが飢えていたら、何かせずにはいられない。 でも、「地球の裏側で誰かが飢えている」と聞いたとき、あなたの胸はどれくらい痛むだろう。 哲学者ピーター・シンガーは1972年の論文「Famine, Affluence, and Morality」で、ひとつの思考実験を示した。通勤途中、浅い池で子どもが溺れているのを見かけたとする。高価なスーツが台無しにな