生きること
誰も見ていない花壇
花を植えた。誰にも見えない場所に。咲くかどうかは分からないし、咲いたところで見届ける人もいない。それでも土を掘って、種をまいて、水をやった。なぜかと聞かれても困る。意味があるかと聞かれたら、もっと困る。 たぶん、ない。 でも「たぶん、ない」と言い切れてしまうことのほうが、よほど不思議ではないだろうか。意味がないと分かっていて、なぜ手が動くのか。 咲いても誰も来ない 日記を書いたことがある人は多いと思う。では、その日記を読み返したことは? 書いたきり二度と開かないノートが引き出しの奥にある。それは、書かなかったのと同じだろうか。書いた瞬間には確かに何かがあった。考えが言葉になっていくあの感覚。頭の中の曖昧な塊がインクの線になる、あの過程。でも読み返さないなら、そこに残ったものは何だろう。 花も同じだ。誰にも見られない花壇の花は、咲いた事実だけをこの世に残して枯れる。美しかったかどうかを判定する目がない。美しさは、見る人がいなくても存在するだろうか。 哲学にはこの手の問いが昔からある。「森の中で木が倒れて、誰もその音を聞かなかったら、音はしたのか」。でも花壇の問いはもう少し