生きること

We die, and we know it. These entries sit with what that means: freedom, solitude, happiness, time, memory, choice. None of them arrive at comfort. They ask what it is to remain here, awake to the weight of it, without turning away.

生きること

誰も見ていない花壇

花を植えた。誰にも見えない場所に。咲くかどうかは分からないし、咲いたところで見届ける人もいない。それでも土を掘って、種をまいて、水をやった。なぜかと聞かれても困る。意味があるかと聞かれたら、もっと困る。 たぶん、ない。 でも「たぶん、ない」と言い切れてしまうことのほうが、よほど不思議ではないだろうか。意味がないと分かっていて、なぜ手が動くのか。 咲いても誰も来ない 日記を書いたことがある人は多いと思う。では、その日記を読み返したことは? 書いたきり二度と開かないノートが引き出しの奥にある。それは、書かなかったのと同じだろうか。書いた瞬間には確かに何かがあった。考えが言葉になっていくあの感覚。頭の中の曖昧な塊がインクの線になる、あの過程。でも読み返さないなら、そこに残ったものは何だろう。 花も同じだ。誰にも見られない花壇の花は、咲いた事実だけをこの世に残して枯れる。美しかったかどうかを判定する目がない。美しさは、見る人がいなくても存在するだろうか。 哲学にはこの手の問いが昔からある。「森の中で木が倒れて、誰もその音を聞かなかったら、音はしたのか」。でも花壇の問いはもう少し

By Sakashita Yasunobu

生きること

知への渇望

知らなければよかった 何も知らないまま、満ち足りて生きる。それがどれほど贅沢なことか、一度でも考えたことはあるだろうか。 朝起きて、食べて、眠る。明日のことなんて考えない。意味を問わない。目的を探さない。ただ、目の前にある心地よさを、そのまま受け取る。それだけで完結する一日。 そんな生き方を「豚」と呼んだ哲学者がいる。 ミルが遺した厄介な一言 19世紀イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルは、1863年に出版した『功利主義(Utilitarianism)』の第二章で、こう書いた。 満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。 有名な一節だ。教科書にも載っている。哲学に興味がなくても、どこかで聞いたことがあるかもしれない。だが、この言葉の本当の重さに気づいている人は、案外少ない。 ミルの師であるジェレミー・ベンサムは、幸福をもっとシンプルに考えた。快楽の強度、持続時間、確実性、範囲。それらの総量が大きければ大きいほど、よい。「最大多数の最大幸福」。量がすべてだ。ベンサムの目には、ピンを弾いて遊ぶ子どもの快楽

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

なおも自由という夢を見る

あなたは今日、何回選んだだろうか。 朝食に何を食べるか。どの服を着るか。どの道を通るか。どのメッセージに返信し、どれを無視するか。そのひとつひとつが「自由」の証だとされている。選べることが人間の尊厳であり、幸福の条件であると。 ではなぜ、こんなにも自由なはずの私たちは、こんなにも後悔しているのだろう。 自由という名の病 心理学者バリー・シュワルツは2004年の著書 The Paradox of Choice: Why More Is Less で、現代社会の奇妙な構造を描き出した。選択肢が増えるほど、人はより自由になるのではなく、より不幸になる。 話は単純な観察から始まる。スーパーマーケットの棚に並ぶ何十種類もの商品。何百ものチャンネル。無限に広がる情報。現代人はかつてないほど多くの選択肢を手にしている。しかしその結果として起きたのは幸福の増大ではなく、決断の麻痺と、選んだあとに残る果てしない後悔だった。 選択肢が少なければ、「まあこんなものか」と納得できる。しかし選択肢が膨大になった瞬間、「もっと良いものがあったのではないか」という疑念が芽生える。そしてその疑念は、どれ

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

愛さなければ傷つかない

ある詩人が親友を亡くして書いた一行を、別れたばかりの人間がSNSに貼りつけている。文脈も知らないまま。 「愛して失うことは、まったく愛さないよりもよい」 みんな頷く。引用して、いいねを押して、それで何かが救われた気になる。 でも、本当にそう思っているだろうか。 読まれない詩の一行 1850年、アルフレッド・テニスンは親友アーサー・ヘンリー・ハラムの死を悼んで長大な哀歌 In Memoriam A.H.H. を発表した。その第27篇に、あの一節がある。 'Tis better to have loved and lost Than never to have loved at all. ハラムはウィーンで脳出血により急逝した。テニスンがこの哀歌を書き上げるまでに17年を要している。17年、喪失と向き合い続けた末の言葉だ。それを僕たちは気軽にコピー・アンド・ペーストする。 ただ、テニスンのこの一行は主張というよりも祈りに近い。直前の行で彼はこう言う。

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

われわれは「投げ込まれた」

招待状は届いていない あなたの誕生に、あなたの同意を得た人間は一人もいない。 当たり前だ。同意を求めるべき「あなた」は、その時点ではまだどこにもいなかった。存在しないものに返事はできない。だから、あなたの存在はあなた抜きで始まった。「決められた」のですらない。ただ、そうなった。 身に覚えのない宴に放り込まれたようなものだ。会場も、メニューも、隣の席の人間も、何ひとつ選んでいない。気がついたら椅子に座っていた。「楽しんでね」と言われても、まず状況を把握させてほしい。 この記事に答えはない。出す気もない。問いだけをテーブルに並べる。それを持ち帰るかどうかは、あなたの勝手だ。 理由なき着地 マルティン・ハイデガーは『存在と時間』(1927年)のなかで、人間の存在のあり方を「被投性(Geworfenheit)」と呼んだ。 私たちは自分の存在の出発点を自分自身で選んでいない。なぜこの時代に生まれたのか。なぜこの場所なのか。なぜこの身体なのか。どれひとつとして、自分で決めた覚えがない。にもかかわらず、すでにここにいる。理由なく、根拠なく、ただ「

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

鎖を愛した動物

自由について真剣に考えたことのある人間は、おそらく全員が不幸になった。 なぜなら、自由とは何かを突き詰めていった先に残るのは、自分が自由ではないという確信だけだからだ。「自由に生きたい」と誰もが口にする。けれど、その「自由」が具体的に何を指すのか説明できた人間を、少なくとも私は知らない。 私たちは自由を信仰している。定義もできないまま、それが善いものだと信じて疑わない。これは宗教と何が違うのだろう。 定義できない信仰 ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』(1859年)で「危害原則」を示した。他者に危害を加えない限り、個人の自由は制限されるべきではない、という考え方だ。 明快に聞こえる。しかし、ほんの少しだけ立ち止まってほしい。 「危害」とは一体何なのか。殴ることは危害だろう。では、深く傷つく言葉はどうだろう。不快な表現を公の場にさらすことは。ある人間の存在そのものが、別の誰かにとっての脅威であるとき、ミルの原則は何も言わない。 「危害」の意味について、人類は一度も合意に至っていない。原則だけが宙に浮いて、その下で人々はそれぞれの「自由」を好き勝手に振りかざしている。私

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

どうせ死ぬ

あなたは死ぬ。べつに脅しているわけではない。ただ、あらゆる自己紹介のなかで最も正確なものを述べただけだ。名前よりも職業よりも、「いずれ死ぬ」という属性のほうがよほど確実で、よほど普遍的で、そしてよほど無視されている。 で、それがどうした、と思っただろうか。それならそれでいい。この話はべつに、あなたの人生を変えようとして書いているのではない。変わらないことのほうが、たぶん誠実だ。 解決済みの恐怖 エピクロスという哲学者がいた。紀元前3世紀のギリシャで快楽主義の学派を率いた人物だ。彼は『メノイケウス宛の手紙』のなかで、死についてこう述べた。 死はわれわれにとって何ものでもない。なぜなら、われわれが存在するとき死はここになく、死がここにあるときわれわれはもはや存在しないからだ。 理屈は明快だ。私と死は決して同じ場に居合わせない。まだ来ていない嵐を窓の外に探すようなものだ、と。 ローマの詩人ルクレティウスは、これをさらに押し広げた。紀元前1世紀の長編詩『事物の本性について』第三巻で彼が提示したのは、今日「対称性論法」と呼ばれる議論だ。生まれる前、あなたは無限の時間のあいだ存在しな

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倫理と思考実験

あなたの幸福は最初から誰かの書いた脚本の上で踊っているだけだった

あなたの幸福は、最初から汚れている。 これは道徳の話ではない。宗教の話でもない。ただの観察だ。今この瞬間、どこかで誰かが苦しんでいる。それを知っていて、それでも「自分は幸せだ」と言える構造のことを、ここでは幸福と呼ぶ。 幸福は常に誰かの犠牲の上に成り立っている、と主張したいわけではない。もっと手前の話だ。幸福という状態そのものが、他者の存在なしには定義すらできない。そして、その事実がどこまで行っても振り払えない。 この話には結論がない。結論を出せるような問いではないから。 地下室の子ども アーシュラ・K・ル=グウィンが1973年に発表した短編「オメラスから歩み去る人々」は、ある思考実験の形をとっている。 オメラスという街がある。美しく、豊かで、住民は皆幸福に暮らしている。ただしひとつだけ条件がある。街のどこかの地下室に、一人の子どもが閉じ込められている。その子どもが苦しみ続ける限りにおいて、街全体の繁栄は維持される。住民はその事実を知っている。知った上で、日々を送っている。 この設定は功利主義への問いとして読まれることが多い。ジェレミー・ベンサムが18世紀末に体系化した

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

届かない一言

もし過去の自分に一言だけ伝えられるとしたら、何を言うか。 深夜のSNSで、あるいは終電を逃した夜のファミレスで、誰かがこの問いを口にする。哲学書の一節のような顔をして現れるが、正体はレシートの裏に書き殴られるたぐいの問いだ。誰でも答えられそうな気がする。でも、答えようとした瞬間に指の間からすり抜ける。 この問いに正面から向き合った時点で、あなたはもう袋小路の中にいる。 届いた瞬間に消える手紙 仮に、何らかの方法で過去の自分にメッセージを送れたとしよう。 もしその一言が効いて、過去の自分が行動を変えたとする。そうすると、今の自分はもう今の自分ではなくなる。今の自分が変われば、その一言を送ろうとした理由も、送ったという事実そのものも、まるごと消えてしまうかもしれない。 時間旅行の思考実験に「祖父のパラドックス」と呼ばれる有名な構造がある。過去に遡って自分の祖父の存在を阻止すれば、自分は生まれない。生まれなければ過去に遡ることもできない。原因が結果を打ち消し、結果が原因を打ち消す自己矛盾のループだ。 この問いにも、同じ構造がそっと忍び込んでいる。伝えたい。でも、伝わったら、伝

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倫理と思考実験

心を、人の心奥を、覗いてみたい?

もし明日、世界中の人間の思考が丸見えになったとする。あらゆる内面が、フィルターも遅延もなく、あなたの意識に流れ込んでくる。 さて、あなたはそれを望むだろうか。 たぶん、多くの人は「読みたい」と答える。好きな人が自分をどう思っているか。上司の本音。友人の裏の顔。好奇心は人間の根深い衝動だし、知ることは力だと、私たちはずっとそう教わってきた。 でも、少しだけ立ち止まってみてほしい。この問いの本当の重さは「読めること」にはない。「読んだあと」にある。 そもそも心なんてあるのか 哲学には「他者の心の問題(Problem of Other Minds)」と呼ばれる古典的な問いがある。あなた以外の人間に、本当に「心」があるのか。痛みを感じているのか。喜んでいるのか。それを直接確かめる手段は、原理的に、存在しない。 あなたが見ているのは、常に「ふるまい」だ。泣いている人が悲しいとは限らない。笑っている人が楽しいとは限らない。私たちに与えられているのは類推と推測だけで、それは証明とはまるで別のものだ。 だから「

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倫理と思考実験

世界はそこで終わっている

あなたが今この瞬間に感じていることを、正確に言葉にしてみてほしい。 無理だ。 「悲しい」に似ているかもしれないが「悲しい」ではない。「不安」でもない。もっと輪郭がぼやけていて、もっと捉えどころがない。言葉にしようとした瞬間に、別の何かにすり替わる。いつも少しだけ足りない。いつも少しだけ嘘になる。 そしてここに、素通りするには不穏すぎる問いがある。言葉にできないその感覚は、「存在している」と言えるのか。もし言えないなら、あなたの内側には、あなた自身にさえ見えていない領域が、いったいどれほど広がっているのか。 名前のないものは存在しない ポルトガル語に "saudade" という言葉がある。失ったもの、あるいは最初から手にしなかったものへの、甘く痛みを帯びた切望。日本語にも英語にも、ぴったり重なる一語はない。 日本語には「木漏れ日」がある。葉の隙間からこぼれ落ちる光。英語話者がこの現象を目にしないわけではない。ただ、それを一語で切り取る道具を持たない。ドイツ語には "Schadenfreude" がある。他人の不幸への密かな喜び。日本語話者もその感覚を知っているだろうが、それ

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

誰も何も選んでいない

おめでとう。あなたはこの文章を「自分の意志で」開いた。少なくとも、そう感じている。 ここには答えがない。慰めも、希望も、用意していない。あるのは問いだけだ。その問いのすべてが、あなたの足元を掘り崩す方向を向いている。 読まなければよかったと思うかもしれない。でも安心してほしい。「読む」と決めたのも、あなたではなかったかもしれないのだから。 好みという化石 あなたが好きなものを一つ思い浮かべてほしい。音楽でも食べ物でもいい。 なぜそれが好きなのか。答えようとすると、驚くほど薄い理由しか出てこない。「なんとなく」「昔から」「聴いたら良かった」。どれも説明になっていない。 社会学者ピエール・ブルデューは「ハビトゥス」という概念を提唱した。人の好みや感性は、育った社会的環境のなかで無意識に形成される。クラシック音楽を高尚と感じるか退屈と感じるかは、個人の感性であると同時に、どの文化圏で育ったかの問題でもある。 友人に勧められた音楽をいつの間にか好きになる。繰り返し広告で見たブランドに親しみを覚える。アルゴリズムが選んだ動画を、まるで自分で見つけたかのように楽しむ。 では、環境

By Sakashita Yasunobu