ことばと文学

Language shapes what can be thought. These entries examine how Japanese is structured, how English changed, how stories are built, and what it means to write at all. Linguistics, literature, and the act of putting words in a row.

ことばと文学

場所はどのようにつくられるのか

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 「場所」を問い直す 朝、寝室で目を覚まし、食堂で朝食をとり、学校や職場へ向かう。帰りにスーパーへ寄り、家に戻る。私たちは毎日「場所」を舞台にして暮らしているが、場所そのものについて考えることはほとんどない。 森正人『誰が場所をつくるのか』(新曜社、2024年)は、その当たり前の「場所」を問い直す一冊である。副題に「ポストヒューマニズム的試論」と掲げられた本書によれば、場所は最初から存在する自明の所与ではなく、特定の時空間において人間と「人間あらざるもの」の相互作用によって構成される動的な過程である。場所論は人文地理学の中心的な主題であり、1970年代以降さまざまな理論的展開を経てきた。本書はその展開を丹念にたどりながら、近年のポスト人間中心主義の思潮を取り込んで場所概念の刷新を試みている。 本稿では、まず本書の議論を整理したうえで、理論的な観点から二つの問題点を指摘する。第一に、社会的構築主義とポスト人間中心主義の間に存在する緊張関係について。第二に、「場所はつねに変化し続ける過程である

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』書評

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 本を読んで人生が変わった、と言い切れる人が、どれだけいるだろうか。本じゃなくてもいい。映画を見終わってシアターを出たとき、世界がまるで違って見える感覚を覚えたことはないだろうか。感傷的な人や多感な中高生なら、そういう経験があるのだろう。しかし大学生にもなると、そうはいかない。世の中が少し見えてくると、作り話が生ぬるく思えてくる。よくできたフィクションより、現実のほうがよっぽど手に負えない。だからだろうか、若者は本を読まなくなった。オジサンは若者の現状をみて「本離れ」と呼んで嘆くが、言われすぎてもはや定型句だ。いまさら文句をつけられようが言い返す気にもなれない。あげく『白鯨』、『罪と罰』、『失われた時を求めて』などなど、「名著を読め」ときた。いわく「のめりこむほど面白い」そうだが、そんな手あかのついた宣伝文句で心が動くほど素直ではないし、大体、オジサンが面白いと言うものは面白くないのだ。その時間でSNSを眺めていたほうがマシだ。 とはいえ、オジサンと一緒になって若者の読書離れを嘆いていても仕方な

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

加藤典洋『言語表現法講義』書評

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 なぜこの本を選んだのか 大学生活で避けて通れないのが、レポートや論文の執筆だ。しかし正直なところ、書くことは楽しくない。義務として書かされる文章は、書く側も読む側も面白くない。そんな中、「書くこと」そのものの意味を問い直すこの本に出会った。タイトルこそ堅苦しいが、著者の加藤典洋は「書くことを上手に表現する技法の問題だとは考えていない。むしろよりよく考えるための、つまり自分と向かい合うための一つの経験の場なのだ」と主張する。この視点の転換に惹かれ、本書を手に取った。 本書の構成と主題 本書は全9章から構成されている。第2章では課題レポートの問題点から始まり、第3章では推敲による文章の変化、第4章では「書かないこと」の表現力、つまり行間について論じられる。第5章では優れた文章に宿る「天啓」の獲得方法、第6章では敏感な問題に対する書き手の姿勢、第7章では現代文章の特徴が分析される。第8章では「良い文章」を書く際の壁について、そして最終章ではフィクションの力について語られる。 「行間文法」

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

哲学は文学的表現を必要とするか

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ウィトゲンシュタインは「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」と述べ、哲学における厳密性を重視した。哲学は曖昧さを排し、論理的に明晰な言語で真理を語るべきだという理想がそこにはある。 ところが皮肉なことに、この言葉自体が詩的で暗示的な響きを持っている。翻訳の問題ではない。仮に「語れないことについては語るな」と素っ気なく言い換えたとしても、なお示唆的な含意がそこに入り込んでしまう。こうして考えていくと、メルロ=ポンティが論じるサルトルの洞察、すなわち「最も無味乾燥な散文であっても常に若干の詩を含む」(メルロ=ポンティ『意味と無意味』)という事態が、あらゆる言語表現を覆っていることに気づかざるをえない。 結局のところ、これは哲学と文学的表現の関係という問題に集約される。哲学は本当に文学的表現を排除できるのか。それともむしろ、哲学はそれを必要としているのか。本稿では、哲学と文学の歴史的対立から出発し、哲学者自身の実践における矛盾、言語の本質的限界を経て、哲学における文学的表現の必然性について

By Sakashita Yasunobu
大学のレポートで使う書式

技術

大学のレポートで使う書式

大学のレポートはWordで作ることが多いと思いますが、Wordのデフォルトテンプレートは欧米基準で作られているのでそのまま使うわけにはいきません。とはいえ、いちいち直しているのでは手間がかかるので、テンプレートを編集してしまおうという話です。 大学で使っているレポートのたたき台としてのテンプレートなので自由に使ってください。 紙面のレイアウト まずは余白と文字数についてです。文字数は授業で支持があればそれに従います。特に指示がなければ、「標準の文字数を使う」でかまわないでしょう。 余白は欧米では広く取られますが、和文では間が抜けて見えるため小さめにとることにします。明確な決まりがあるわけではないので、好きにすればいいのですが、参考までに、私は普段上下左右の余白を17mmに統一しています(A4の場合です)。 デフォルトのフォントなどをレイアウト画面から設定できるのでここで設定を済ませておきます。 テーマ Word文書は後述しますが、スタイルによってパラグラフごとに管理されています。そしてそれらのスタイルはスタイルセットという形でまとめて管理されています。さらにこのスタイ

By Sakashita Yasunobu