日常の構造

Why you always sit in the same seat. Why you bought three things you didn't need at the convenience store. Why nobody speaks first in a group. These entries take apart the invisible mechanisms behind ordinary moments — cognitive biases, spatial norms, social scripts, attention design — and show that very little of what feels like free choice actually is. Not philosophy in the grand sense, but philosophy at ground level.

日常の構造

雨の中、歩くべきか走るべきか

傘を忘れた日の永遠の問い、歩くか、走るか、いやいっそ雨宿りをするのか。物理で決着をつける。 モデル 人体を直方体で近似。上面積 $A_{\text{top}}$(頭・肩)、前面積 $A_{\text{front}}$(胸・顔)。雨は鉛直一様(落下速度 $v_r$、数密度 $n$)、距離 $d$ を速度 $v$ で直線移動する。 人体の直方体モデルは、上から見た水平断面が $A_{\text{top}}$、正面から見た鉛直断面が $A_{\text{front}}$ の二面で構成される。移動方向は水平、雨は鉛直に降る。 受ける雨滴数は、上面が $n v_r A_{\text{top}

By Sakashita Yasunobu

大学

朝鮮戦争と核拡散

💡本稿をお読みになる方へ 朝鮮戦争とその後の核拡散は、朝鮮半島の分断、東アジアの安全保障環境、そして核兵器をめぐる国際秩序に現在も直結する、極めて深刻かつ繊細な問題です。本稿で扱う歴史的事象に関連して犠牲となられたすべての軍人および民間人の方々に対し、その国籍、民族、立場を一切問わず、深い敬意と哀悼の意を表します。また、現在も朝鮮半島の分断や戦争の影響のもとで生活されているすべての方々に対しても、同様の敬意を表します。 筆者の立場と本稿の限界について 筆者は軍事史、東アジア国際関係、核戦略のいずれの専門家でもなく、一学生にすぎません。本稿は、大学の講義で視聴したドキュメンタリー番組(NHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」)をもとに執筆した大学レポートを再構成したものであり、学術論文ではありません。限られた情報源に基づく記述であり、朝鮮戦争やその影響の全体像を網羅するものでは到底ありません。より正確で多角的な理解のためには、関係各国の公式記録や専門的な学術文献を参照されることを強くお勧めします。 政治的中立性について 本稿は、いかなる国家、政治体制、民族、イデオロギーをも支持、

By Sakashita Yasunobu

大学

中国のデジタル化はなぜ速かったのか

中国のデジタル化は、いまや世界が注目する現象である。キャッシュレス決済の普及、巨大プラットフォーム企業の急成長、日常のあらゆる場面に浸透するスマートフォン活用。筆者は大学在学中に1年間中国へ留学し、現地のデジタル社会を肌で体験した。帰国後に改めて文献を通じて中国のIT事情を整理すると、その背景には技術的要因だけでなく、経済構造、社会制度、文化的特性が複雑に絡み合っていることが見えてきた。本稿では3冊の文献を中心に、中国のデジタル化がなぜ急速に進んだのかを考察する。 📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 中国のデジタル化の特徴 キャッシュレスという点では、中国は日本のはるか先を行っている。井出啓二は『奥深く知る中国』のなかで、先進国のなかでも日本は特に現金の利用率が高いことを指摘し、ATMインフラの充実がかえって現金社会を維持させていると分析する。一方で中国ではスマートフォン一台でほぼすべての支払いが完結する。伊藤亜聖も『現代中国ゼミナール』で、中国に行くとQRコード決済が完全に普及・定着していることを肌で感じると述べている。

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

パレスチナ問題の起源

⚠️本稿をお読みになる方へ パレスチナをめぐる問題は、現在も多くの方が日々その影響のもとで生活されている、極めて深刻かつ繊細な問題です。本稿で扱う歴史的事象に関連して犠牲となられたすべての方々、そして現在も困難な状況に置かれているすべての方々に対し、立場や背景を問わず、深い敬意と哀悼の意を表します。 筆者の立場と本稿の限界について 筆者は中東地域研究や国際政治学の専門家ではなく、一学生にすぎません。本稿は、大学の講義で視聴したドキュメンタリー番組(NHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」)をもとに執筆した大学レポートを再構成したものであり、学術論文ではありません。限られた情報源に基づく記述であり、この問題の全体像を網羅するものでは到底ありません。より正確で多角的な理解のためには、各当事者の視点を含む一次資料や専門的な学術文献を参照されることを強くお勧めします。 政治的中立性について 本稿は、特定の国家、民族、宗教、政治的立場、あるいはいかなるイデオロギーをも支持、正当化、または非難する意図を一切持ちません。特定の行為や政策について記述する箇所がありますが、それらはいずれも歴史的経

By Sakashita Yasunobu

大学

資本主義の成立条件と拡大の論理

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 近代社会において支配的な生産様式となった資本主義は、特定の歴史的条件のもとで成立した。その成立に不可欠だったのが「二重の意味で自由な労働者」の出現であり、資本主義的生産はその独自の構造ゆえに生産と販売の無際限な拡大を志向する。本稿では、資本主義の成立条件からその内在的な拡大の論理、そして拡大が直面する限界までを整理する。 二重の意味で自由な労働者 資本主義的生産の成立には、労働力が商品として市場に現れること、すなわち労働力の商品化が不可欠である。そのために必要な条件が「二重の意味で自由な労働者」の登場であった。 第一の自由は、財産からの自由である。これは英語のalcohol-freeにおけるfreeと同様の用法であり、「自由」というよりもむしろ「欠如」を意味する。すなわち、土地から切り離され、財産を持たない労働者の出現である。財産を持つ者は自らの生産手段によって生活を維持できるため、労働力を他者に売る必要がない。労働力の売り手が登場するためには、生産手段を持たず、労働力を売る以外に生存の

By Sakashita Yasunobu

大学

国際貿易体制と自由貿易の理念

第二次世界大戦の背景の一つに、戦間期における保護貿易の連鎖があった。この反省に立ち、戦後はGATTを起点とする多角的貿易体制が構築された。本稿では、保護貿易がいかにして世界大戦の遠因となったか、その反省から生まれたGATT/WTO体制の理念と原則、そして途上国への配慮としての一般特恵制度を整理する。あわせて、戦後の途上国の経済成長がもたらした世界史的意義にも触れる。 保護貿易の悪循環 戦前の経済危機のもとで、各国は自国産業を保護するために保護貿易に走った。この過程は深刻な連鎖を生んだ。 植民地帝国による関税自主権の濫用が自国中心主義を強め、市場の分断と対立をもたらした。各国が輸入関税を引き上げると、それに対抗して他国も関税を引き上げるという連鎖反応が生じた。さらにはブロック経済化が進行し、域内国には低い関税を、域外国には高い関税を課すという差別的な貿易構造が形成された。 この市場の囲い込みと対立が深刻化した結果、最終的には第二次世界大戦へとつながっていったのである。 GATT/WTO体制の成立 保護貿易がもたらした惨禍への反省から、戦後には関税自主権の濫用を防止する国際

By Sakashita Yasunobu

大学

農業革命と支配関係の成立

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 人類の歴史において、農業革命は社会構造を根本から変えた出来事の一つである。農耕の開始によって社会が余剰を生産する能力を獲得し、それが支配と被支配の関係を生み、やがて国家の形成へとつながった。本稿では、余剰生産がいかにして支配関係を成立させ、社会集団間の関係を変容させたかを整理する。 余剰の生産と支配関係の成立 農業革命以前の社会では、生産物は生産者とその家族の生活を維持するのにちょうど足りる程度であった。ところが農耕技術の発達により、生活維持に必要な量を超える超過分、すなわち余剰が生まれるようになる。ここでいう余剰とは、生産者と家族の生活維持に必要な生産物を超える超過分のことである。 余剰の出現は、社会に新たな構造をもたらした。余剰を生み出す生産者(農民)と、その余剰を獲得して自らのものとする非生産者(支配層)とが分化し、前者が被支配層、後者が支配層となる関係が成立したのである。 この論理を裏返せば、余剰を生産できない社会では支配関係は成立しない。生産物が生活維持にちょうど足りるだけで

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

何でも飾れる額縁だけが残った

1917年、マルセル・デュシャンは既製品の男性用小便器に「R. Mutt」と署名し、「泉(Fountain)」と名づけてニューヨーク独立芸術家協会の展覧会に出品した。拒否された。それだけの話だ。だが「それだけ」のはずの出来事が、それ以降のすべての芸術を汚染した。美しさも技巧も素材の選択も関係ない。署名ひとつ、提示の身振りひとつで、便器が「芸術」を名乗れる。そしてその瞬間から、「芸術とは何か」という問いは回答不能になった。回答不能のまま、100年以上が過ぎている。 目で見えないものが芸術を決める 1964年、アンディ・ウォーホルはスーパーマーケットに並ぶブリロの箱と見た目がまったく同じ「ブリロ・ボックス」をギャラリーに置いた。哲学者アーサー・ダントーは、この事態に根本的な問いを見出した。視覚的に区別できない二つの対象のうち、片方だけが芸術である。では芸術を芸術にしているのは何なのか。 ダントーの答えは「アートワールド」だった。芸術作品を芸術たらしめるのは知覚可能な性質ではなく、理論と批評と歴史が編み上げた解釈の共同体、その「理論的雰囲気」なのだと。あなたには何も見えていない。文字

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

予言が現実を書き換える世界

「この銀行は潰れる」。噂が広まる。預金者が窓口に殺到する。銀行は、本当に潰れる。 予測が正しかったのではない。予測が、正しさを作った。 未来を知ろうとした時点で、その未来はもう存在しない。代わりに、あなたの「知ろうとする行為」が作り上げた別の未来が、そこに立っている。 嘘が本当になる仕組み 1948年、社会学者ロバート・K・マートンは The Antioch Review 誌上でこの構造に名前を与えた。自己成就予言(self-fulfilling prophecy)。もともとは誤った状況の定義にすぎなかったものが、新しい行動を引き起こし、その行動がもともとの誤りを「真実」に変えてしまう。 マートンが参照したのは、W・I・トマスとD・S・トマスによるいわゆるトマスの定理だった。「もし人がある状況を現実だと定義するなら、それは結果において現実になる」。 銀行取り付け騒ぎは、その教科書的な事例だ。経営的にはまったく健全な銀行であっても、「危ない」という噂が十分に広まれば、預金者は合理的に引き出しに走る。個々の預金者の行動は合理的だ。自分の資産を守ろうとしているだけだ。しかしその

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ことばと文学

善意が静かに擦り減る場所で

「いい人ほど損をする」。SNSを開けば毎日のように流れてくるこの言説は、共感を集めやすい。誰しも「自分は頑張っているのに報われない」と感じた経験があるからだ。 だが、この言い方は雑すぎる。「いい人」とは何か。「搾取」とは何か。この2つの定義が曖昧なまま、結論だけが流通している。 「搾取」の定義を分ける まず「搾取」という言葉を分解する必要がある。 マルクス的な意味での搾取は、労働者が生み出した価値の一部を資本家が取得する構造を指す。ここでの搾取は個人の性格とは無関係で、構造そのものに組み込まれている。バイトで時給以上の価値を生み出していても、それはバイトである以上、構造的に当然のことだ。 心理学的な意味での搾取、いわゆる情緒的搾取は、一方が他方の感情を際限なく消費する関係を指す。友人の愚痴を毎晩3時間聞かされる。恋人の機嫌を常に伺い続ける。これは対等な関係における資源の不均衡だ。 そして日常語としての「搾取」は、「なんか割に合わない」という感覚のことを指していることが多い。 この3つは全く別の現象なのに、「搾取される」という一言にまとめられてしまう。 状況別に何が起

By Sakashita Yasunobu

大学生活

コンビニで買い込んでしまう

水を買いに入ったはずのコンビニで、気づけばチョコレートとおにぎりを持ってレジに並んでいる。意志が弱いのではない。あなたはそうなるように設計された空間の中にいる。 動線という誘導装置 コンビニに入ると、目の前には雑誌棚か新商品のプロモーション棚がある。目的の飲料は、ほぼ例外なく店の奥の壁面に並んでいる。偶然ではない。 小売業では、顧客が店内を移動する経路を「動線」と呼ぶ。コンビニの動線設計は、客をできるだけ多くの棚の前を通過させることを目的に最適化されている。飲料を奥に置けば、客は入口から最奥まで歩かなければならない。その途中に弁当、菓子、日用品が並ぶ。「ついでに」手が伸びる確率は、通過する棚の数に比例して上がる。 この原則はスーパーマーケットでも同じだ。牛乳や卵といった購入頻度の高い商品は、たいてい店の奥にある。客を奥まで歩かせるための配置だ。 レジ横の心理学 レジに並んだとき、目線の高さにあるのは小さな商品群だ。ガム、チョコレート、肉まん、からあげ。小売業界で「ゴールデンゾーン」と呼ばれるこの場所は、購買行動の最終関門であると同時に、最も無防備な瞬間でもある。 レジ

By Sakashita Yasunobu

生きること

嫌いなものに支えられて生きている

広告ブロッカーを使っている。 YouTubeのプレロール広告を飛ばし、Webサイトのバナーを非表示にし、SNSのインフィード広告をできるだけ目に入れないようにしている。広告は不快だ。見たくないものを見せられる。時間を奪われる。認知資源を消耗させられる。 その一方で、広告ブロッカーを使いながら無料のWebサービスに依存している。YouTube、検索エンジン、SNS、ニュースサイト。これらが無料で使えるのは、広告収入によって運営されているからだ。広告を嫌いながら、広告が支える無料サービスなしには生活が成り立たない。この矛盾に自覚的であることが、広告について考える出発点になる。 広告の機能を分解する 「広告は悪だ」と断じる前に、広告が何をしているのかを分解したほうがいい。 情報伝達機能。 「この商品が存在する」「このサービスが始まった」と知らせること。これ自体は中立的だ。知らなければ選択肢にすら入らない。新しい製品やサービスの存在を消費者に届ける手段として、広告は機能している。 説得機能。 「買うべきだ」「使うべきだ」と思わせること。ここから操作性が入る。情報の伝達と欲望の喚起

By Sakashita Yasunobu