大学生活

You arrived on campus and nobody handed you a manual. These entries cover what no syllabus mentions: how to register courses without regret, how to write a report that doesn't embarrass you, which tools actually help, and how to survive the strange social physics of lecture halls, group work, and empty periods between classes. Practical, sometimes blunt, written for the student who just wants to know what to do next.

大学生活

誰も決めていないのに決まっている席についての考察

教室に入る。席は空いている。どこに座ってもいい。 その「どこでもいい」はずの選択に、妙な緊張が走ることがある。前列に座れば真面目だと思われるかもしれない。最後列に座れば、やる気がないと思われるかもしれない。中段のやや端、誰の視界にも入りにくい場所に、気がつけば足が向いている。 意識しているかどうかにかかわらず、教室には座席をめぐる暗黙の秩序がある。 前列の重力 教室の最前列に座る学生には、ある傾向が見られる。教員の声がよく聞こえる。板書が見やすい。質問がしやすい。物理的な距離の近さが、授業への関与度を高める。 座席位置と学業成績の間に正の相関があることは、複数の研究で示されている。前方に座る学生ほどGPAが高い傾向がある。しかし、ここで因果関係を読み取るのは早い。 前に座るから成績が上がるのか。成績が高い学生が前に座る傾向があるのか。この区別は重要だ。ベネディクトとホーキンスの2010年の研究では、座席をランダムに割り当てた場合、座席位置と成績の相関は大幅に弱まった。つまり、前列に座ること自体が成績を押し上げるのではなく、前列を選ぶ学生と高い成績を出す学生が、もともと同じ

By Sakashita Yasunobu

大学生活

大学で友達の作り方

「大学 友達 作り方」と検索している時点で、たぶんあなたは少し焦っている。入学式で周りがもう連絡先を交換している。昼食を一緒に食べる相手がいない。ガイダンスで隣の席の人に話しかけるタイミングを逃した。 結論から言う。いらない。 正確に言えば、「今すぐ作らなければならない」という前提が間違っている。大学における人間関係は、高校までとはまったく構造が違う。そしてその構造を理解すれば、焦る理由がないことがわかる。 「友達を作らなきゃ」という幻想 入学直後に友達を作れというプレッシャーは、どこから来るのだろう。 ひとつは高校までの延長だ。クラスがあり、担任がいて、席替えがあり、文化祭がある。同じ空間に長時間拘束されるから、人間関係は半ば自動的に生まれる。その感覚を引きずったまま大学に来ると、クラスがない、担任がいない、席が自由、行事への強制参加がないという環境に放り出されて途方に暮れる。 もうひとつはSNSだ。入学前から「同じ大学の人」とつながるグループが乱立し、入学式の日にはすでにグループができあがっているように見える。見えるだけだ。あの段階で形成される関係の大半は、利害や偶然

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

自由意志が消えた世界で私たちが恐れていたもの

「自由意志は存在しない」。この言葉を聞いて平静でいられる人は少ない。「じゃあ犯罪者を罰する意味がないのか」「努力しても無駄なのか」「全部決まっているなら生きる意味がない」。こうした反応は自然だが、いずれも勘違いに基づいている。 勘違い1:「決まっている」と「強制されている」の混同 「自由意志がない」と聞いて最初に浮かぶイメージは、自分の行動が何かに強制されているというものだろう。しかし、因果決定論が主張しているのはそういうことではない。 因果決定論は、「宇宙のすべての出来事は先行する原因の結果である」という主張である。あなたが今この記事を読んでいるのも、朝コーヒーを飲んだのも、過去の原因の連鎖の結果であるという考え方だ。 しかし、「原因がある」ことと「強制されている」ことは別である。明日の天気は物理法則によって因果的に決定されているが、天気が「強制されている」とは言わない。同様に、あなたの選択が因果的に決定されているとしても、それは誰かに強制されているのとは異なる。 脅迫されて行動するのと、自分の欲求や信念に基づいて行動するのは、たとえ両方が因果的に決定されていたとしても、

By Sakashita Yasunobu

大学生活

退屈な講義が思考の実験室に変わる瞬間

90分の講義がどうしても退屈なとき、選択肢は3つある。寝る、スマートフォンを触る、あるいは頭の中で「勝手な研究」を始める。 3つ目の選択肢は、退屈な授業を「思考の実験室」に変える技術だ。真面目な研究計画ではない。知的な遊びの作法である。 反例を探す 教員が「一般にAである」と言ったら、「Aでない場合は何か」を考える。 たとえば「民主主義は合意形成のための制度である」と聞いたら、合意が形成されなかった事例を探す。多数決で少数派が常に排除される場面、投票率が低すぎて「合意」と呼べない場面。「一般に」という枕詞が出てきたら、それは反例を探すための合図だと思っていい。 反例が見つかったとき、それは教員の主張が「間違っている」証拠ではない。その主張が成り立つ範囲を明らかにする手がかりだ。 前提を崩す どんな議論にも、暗黙の前提がある。前提崩しとは、「この議論が成り立つために、何が仮定されているか」を問うことだ。 「教育は人を成長させる」と言われたら、そこには「成長は望ましいものだ」「教育の目的は成長だ」という前提が隠れている。その前提を疑ってみる。成長しないことに価値がある場

By Sakashita Yasunobu

大学生活

ぼっちで過ごす大学生活が本当に詰むパターン・詰まないパターン

詰むパターン。 なし。 以上。 …と言い切りたいところだが、さすがに乱暴なので少し補足する。 「ぼっち=詰む」は思い込み 「大学でぼっちだと詰む」という言説はネット上に溢れている。友達がいないと過去問が手に入らない。グループワークで孤立する。就活の情報が入ってこない。飲み会に呼ばれない。 このうち、本当に大学生活を脅かすものがいくつあるか、冷静に数えてみてほしい。 飲み会に呼ばれないことは、大学生活が「詰む」こととは関係がない。過去問がなくても試験は受けられる。むしろ過去問に頼らずに自分で教科書とノートを読み込んだほうが、理解は確実に深まる。 「ぼっち=詰む」という図式は、大学の構造を理解していないことから生まれる誤解だ。大学は高校とは違う。クラスがなく、担任がおらず、同じメンバーと毎日顔を合わせる仕組みになっていない。一人でいることは、この環境ではまったく自然な状態だ。 詰まないパターン(ほとんど全部) 具体的に見ていこう。 講義。大学の講義は基本的に個人で受けるものだ。隣に友達がいようがいまいが、教員の話を聞き、ノートを取り、課題を提出するという流れは変わ

By Sakashita Yasunobu

大学生活

「インスタ教えて」と言ったとき距離はもう決まっていた

おじさんたちは簡単だ。 目的が達成されればいい。 だから、会社では未だにメールが山ほど送受信され、先進的な企業ではTeamsやSlackが使われ続ける。彼らはインターネットが死んだら、FAXでも手紙でもかまわないのだろう。少し面倒だが、目的が達成できればそれでいい。 一方で若者はそうじゃない。 裏垢を駆使し、家族にはLINEで連絡し、友達とはInstagramで連絡を取る。連絡先を交換するとき、「LINE教えて」ではなく「インスタのアカウント教えて」と言う場面が増えている。同じ「メッセージを送る」という機能なのに、LINEのトークとInstagramのDMでは、心理的な距離感がまるで違う。 なぜそうなるのかを考えると、プラットフォームの設計そのものがコミュニケーションの作法を規定しているという、少し厄介な事実に行き当たる。 プロトコルが違う 現代音楽が理解不能に感じる理由で、「耳のプロトコル」について書いた。調性音楽に最適化された耳は、異なるプロトコルの音楽に出会ったとき「理解不能」と判定する。聴いている音が変なのではなく、耳のほうが特定の聴き方に訓練されているだけだ。

By Sakashita Yasunobu

大学生活

集中力が最も高い時間帯の錯覚

「朝5時に起きてから午前中に最も重要な仕事を片付ける」。自己啓発の世界では、これがほとんど教義のように語られている。 一方で、「自分は夜型だから深夜に集中する」と信じている人もいる。午前2時のキーボードの音だけが響く部屋で、日中にはない冴えを感じると。 どちらも、半分正しくて半分間違っている。 クロノタイプという個人差 人間の体内時計には、生まれつきの個人差がある。「クロノタイプ」と呼ばれるこの傾向は、体質的に朝に活動のピークが来る人と、夜にピークが来る人を区別するものだ。 これは怠惰や努力の問題ではない。遺伝的・生理的な基盤を持つ生物学的な特性だ。思春期には夜型傾向が強まり、加齢とともに朝型に移行する傾向があることも知られている。つまり、大学生の多くが夜型に傾くのは、生活習慣の問題であると同時に、年齢に伴う生物学的な傾向でもある。 東京医科大学の研究グループが約1万人を対象に行った調査では、クロノタイプそのものは直接的に生産性を低下させないことが示されている。しかし、自分のクロノタイプに合わない時間帯に活動を強いられると、睡眠の質が低下し、それを介して生産性が落ちる。朝

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大学生活

宿題にAIを使ったのはばれますか

はい、ばれる。 これで終わりにしてもいいのだが、もう少しだけ続ける。なぜばれるのか。どうばれるのか。そしてばれた先に何があるのか。 なぜばれるのか AIが生成した文章には、いくつかの特徴がある。読み慣れた人間には、それが透けて見える。 まず、文体の均一性だ。人間が書く文章には癖がある。語彙の偏り、接続詞の選び方、句読点の打ち方。同じ人間でも、文章の前半と後半で調子が微妙に変わる。考えがまとまっている部分は流暢になり、自信のない部分はぎこちなくなる。そのムラこそが「その人が書いた」証拠だ。 AIの文章にはこのムラがない。最初から最後まで同じトーンで、同じ精度で、同じリズムで書かれている。一見すると「上手い文章」に見えるが、実際には「誰の文章でもない文章」だ。読み手はそこに人間の思考の痕跡を見つけられず、違和感を覚える。 次に、具体性の欠如だ。AIは一般論を生成するのが得意だが、特定の文脈に根ざした具体的な観察を持っていない。「この講義で扱われた議論」、「先週の発表で指摘された論点」といった、その場にいた人間にしか書けない記述が、AI生成文にはない。抽象的に正しいことが並んで

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大学生活

大学生のレポートが使うべきフォント

レポートのフォント選びは、好みの問題ではない。互換性の問題だ。 自分のPCで美しく表示されていても、教員のPCにそのフォントが入っていなければ、代替フォントに置き換えられてレイアウトが崩れる。フォントを選ぶとき最優先すべきは、相手の環境で正しく表示されるかどうかだ。 結論から言えば 和文の本文にはMS 明朝、英数字にはCenturyまたはTimes New Romanを使う。見出しにはMS ゴシックを使うことが多い。 この組み合わせが選ばれるのは、品質が最高だからではない。Windowsにほぼ確実にインストールされているからだ。MS 明朝とMS ゴシックはWindowsの登場以来、すべてのバージョンに搭載されてきた。教員のPCにも、研究室の共有PCにも、ほぼ間違いなく入っている。 游明朝ではだめなのか Word 2016以降では、本文の初期フォントがMS 明朝から游明朝に変更された。游明朝はデザインが洗練されており、使いたくなる気持ちはよくわかる。 游明朝はWindows 8.1以降とmacOS 10.9以降に搭載されているため、比較的新しい環境同士であれば互換性の問

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ことばと文学

結論の手前にある見えない扉についての対話

ゼミで議論が噛み合わない。Aさんは「それは間違っている」と言い、Bさんは「いや、正しい」と言う。30分後、どちらも同じことを言っていたと気づく。前提が違っていただけだった。 この30分は無駄だったのか。無駄だった。だが、ほとんどのグループ議論でこの種の無駄は日常的に発生している。 結論が違うのではなく、前提が違う 議論が噛み合わないとき、多くの人は「相手の結論が間違っている」と考える。だが実際には、結論が違うのではなく、前提が違っていることのほうが圧倒的に多い。 「大学の授業は役に立たない」という主張を例にする。これに対して「いや、役に立つ」と反論する前に、確認すべきことがある。「役に立つ」とは何を意味しているのか。就職に直結するスキルのことか、思考力の訓練のことか、教養としての知識のことか。この定義が揃っていなければ、議論は永遠に平行線だ。 会話で賢く見える人は、この前提のズレに最初に気づく人だ。正しい結論を持っているからではなく、結論の前に前提を確認するからだ。 前提を確認する技術 前提の確認は、具体的には「問い返し」の技術だ。相手の発言を受けて、その背後にある前

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大学生活

大学に入ってから1年が異様に速く感じる理由

高校までの1年は長かった。4月の入学式から3月の終業式まで、体感としても確かに1年分の重みがあった。ところが大学に入った途端、1年が蒸発するように過ぎる。2月になって「え、もう?」と思う。なぜこうなるのか。 二つの「速さ」 時間の速さには、二つの種類がある。経験中の時間(prospective time)と、回想時の時間(retrospective time)だ。 経験中の時間とは、「今この瞬間がどれくらいの速さで流れているか」という感覚だ。退屈な講義の90分は永遠に感じる。逆に、夢中で何かに取り組んでいるとき、時間はあっという間に過ぎる。 回想時の時間とは、「あの期間はどれくらい長かったか」という振り返りの感覚だ。問題はここにある。経験中に「速い」と感じた時間は、振り返ると「短い」。経験中に「遅い」と感じた時間は、振り返ると「長い」。リアルタイムの体感と、記憶の中の体感は、しばしば逆転する。 大学生が感じる「1年が速い」は、主にこの回想時の時間に関わっている。

By Sakashita Yasunobu

大学生活

90分講義で人間の集中力はどこで壊れるのか

90分の講義に座っていると、どこかで意識が遠のく瞬間がある。ノートを取る手が止まり、スライドの文字が記号に見え始める。あの瞬間は、なぜ来るのか。そしてそれは、自分の問題なのか、制度の問題なのか。 「集中力は15分で切れる」は本当か 「人間の集中力は15分しか持たない」という話を一度は聞いたことがあるだろう。この数字はしばしば断定的に引用されるが、実際には単一の決定的な研究に基づいているわけではない。 注意の持続時間に関する研究は複数あり、15分、20分、45分など、条件によって異なる数値が報告されている。ダニエル・カーネマンが1973年に提示した注意資源モデルは、注意を有限の資源として捉えたが、具体的に「何分で切れる」とは主張していない。注意の持続は、課題の難易度、関心の度合い、環境、そして本人の状態によって大きく変動する。 つまり「15分で切れる」は実態を過度に単純化した通説である。ただし、集中力が一定時間を超えると低下する傾向があるという大枠自体は、多くの研究で支持されている。 90分という時間はどこから来たのか 日本の大学で広く採用されている90分という講義時間は

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